【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】
【夏の主役】昭和の全日本プロレス36【ミルマスカラス】
【国際血盟軍】昭和の全日本プロレス37【C・ハリケーンズ】
【B・テラー】昭和の全日本プロレス38【M・アサシン】
【M・ルーイン】昭和の全日本プロレス39【K・イヤウケア】
【百田義浩】昭和の全日本プロレス40【原軍治仲田龍】
【プロレス観戦の記念に】昭和の全日本プロレス41【ご家庭へのお土産に】
【ジム・デュラン】昭和の全日本プロレス42【バック・ロブレイ】
【アラビアの怪人】昭和の全日本プロレス43【インドの狂える猛虎】
【リングの中ジャイアント馬場です】昭和の全日本プロレス44【控え室ジャイアント馬場です】
【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】
【チャンピオン】昭和の全日本プロレス47【カーニバル】
【マシンガン】昭和の全日本プロレス48【チャイニーズカンフー】
【バーンガニア】昭和の全日本プロレス49【ハーリーレイス】
【新春】昭和の全日本プロレス50【バトルロイヤル】
【ボブ・ガイゲル】昭和の全日本プロレス51【ジム・バーネット】
【ジ・アステロイド】昭和の全日本プロレス52【ジ・アベンジャー】
【ウルトラセブン】昭和の全日本プロレス53【マジックドラゴン】
【ナショナル レスリングアライアンス】昭和の全日本プロレス54【パシフィック レスリングフェデレーション】
【スーパースター】昭和の全日本プロレス55【カリフォルニアハッスル】
【ローリング・ドリーマー】昭和の全日本プロレス56【J】
【オリンピア】昭和の全日本プロレス57【カクトウギのテーマ】
【福ノ島】昭和の全日本プロレス58【琴天山】
【キャピトル東急】昭和の全日本プロレス59【オリガミ】
【六本木インターナショナルビル】昭和の全日本プロレス60【世田谷砧道場】
【馬場元子】昭和の全日本プロレス61【ジャイアント・サービス】
【オープン選手権】昭和の全日本プロレス62【世界オープンタッグ選手権】
【輪島大士】昭和の全日本プロレス63【ディックスレーター】
【松根社長】昭和の全日本プロレス64【佐藤昭雄】
【デビッドフォンエリック】昭和の全日本プロレス65【ジェイヤングブラッド】
【サンライズ】昭和の全日本プロレス66【移民の歌】
【昨日付で解雇しました】昭和の全日本プロレス67【いい選手ではあったけども】
【ロッキー羽田】昭和の全日本プロレス68【ミスター林】
【ザ・デストロイヤー】昭和の全日本プロレス69【覆面10番勝負】
【大熊元司】昭和の全日本プロレス70【グレート小鹿】
【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
【あーやめてもらいたいこれは!】昭和の全日本プロレス72【アイドルがやられます!】
【ダブルアーム フロント】昭和の全日本プロレス73【サイド ジャーマン】
【ニックボックウインクル】昭和の全日本プロレス74【ジャックブリスコ】
【ジャイアント馬場くんを】昭和の全日本プロレス75【ますますテレさすスレ】
【スーパーアイドル】昭和の全日本プロレス76【ブラックパワー】
【スピニングトーホールド】昭和の全日本プロレス77【ローリングクレイドル】
【ファンク一家】昭和の全日本プロレス78【テッド・デビアス】
【吹けよ風】昭和の全日本プロレス79【呼べよ嵐】
【世界最強タッグ】昭和の全日本プロレス80【決定リーグ戦】
【新春ジャイアント】昭和の全日本プロレス81【シリーズ】
【馬場の頑張り】昭和の全日本プロレス82【本当に涙が出ます!】
【エキサイトシリーズ】昭和の全日本プロレス83【EXCITE SERIES】
【東洋の巨人】昭和の全日本プロレス84【若大将】
【風雲昇り龍】昭和の全日本プロレス85【流浪のヒットマン】
【グランド】昭和の全日本プロレス86【チャンピオンカーニバル】
【竹山祐一】昭和の全日本プロレス87【読売テレビ実況アナ】
【脳天唐竹割り】昭和の全日本プロレス87【河津落とし】 (実質88)
【スーパーパワーシリーズ】昭和の全日本プロレス89【SUPER POWER SERIES】
【世界最強タッグ決定リーグ戦リマッチ】昭和の全日本プロレス90【賞金$100,000争奪戦】
【サマーアクションシリーズ】昭和の全日本プロレス91【SUMMER ACTION SERIES】
【若手三羽烏】昭和の全日本プロレス92【渕正信 大仁田厚 園田一治】
【日プロ崩壊 合流組】昭和の全日本プロレス93【松岡巌鉄 ミツ・ヒライ 伊藤正男 他6名】
【サマーアクション】昭和の全日本プロレス94【シリーズ2】
【国際崩壊即合流】昭和の全日本プロレス95【マイティ井上 米村天心 菅原伸義 冬木弘道】
【馬場対上田】昭和の全日本プロレス96【二人の採点をしたら62対57で馬場選手なんです】
【創立〇周年記念】昭和の全日本プロレス97【ジャイアントシリーズ】
【まだわかりません!】昭和の全日本プロレス98【まだどっちが強いのかわかりません!】
【ブルーアイドソウル】昭和の全日本プロレス99【プロレスインハワイ】
【世界最強タッグ決定リーグ戦】昭和の全日本プロレス100【夢の対決】
【74新春NWAチャンピオンシリーズ】昭和の全日本プロレス101【75沖縄国際海洋博覧会協賛新春シリーズ】
【ラジャ・ライオン】昭和の全日本プロレス102【トムマギー】
【いいものをいいサービスで】昭和の全日本プロレス103【第一家庭電器】
【ルー・テーズ杯争奪リーグ戦】昭和の全日本プロレス104【決勝 越中詩郎対三沢光晴】
【輪島 天龍 大ノ海】昭和の全日本プロレス105【玉麒麟 卓越山 後藤】
【ジョー樋口】昭和の全日本プロレス106【和田京平】
【倉持隆夫】昭和の全日本プロレス107【松永二三男】
【日本テレビの恩義】昭和の全日本プロレス108【理想のプロレス】
【日本テレビ】昭和の全日本プロレス109【スポーツテーマ】
【リックマーテル】昭和の全日本プロレス110【トムジンク】
【ブルーノ・サンマルチノ】昭和の全日本プロレス111【デビッド・サンマルチノ】
【クラッシャー・ブラックウェル】昭和の全日本プロレス112【ワンマン・ギャング】
【スーパーアイドルシリーズ】昭和の全日本プロレス113【マスカラス対リッキー】
【バリー・ウインダム】昭和の全日本プロレス114【ロン・フラー】
前スレ
【チャボゲレロ トロフィー乱打事件】昭和の全日本プロレス115【大仁田 リング飛び降り膝骨折事件】
http://2chb.net/r/wres/1638006752/
1983年世界最強タッグ決定リーグ戦 ジャンボ鶴田、天龍源一郎対スタンハンセン、ブルーザーブロディ(ラストのみ)
ダウンロード&関連動画>>
試合全部
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昭和の頃は本当に良かったね。
最強タッグも豪華メンバー集結。
当時はそれが当たり前だった。
一度の放送でハンセン ブロディ ファンクス 鶴龍 馬場
彼等を見られたわけだから。
今から考えたら本当に贅沢な時代だったなと。
その分新春シリーズはしょぼかった。だからこそ集中して見れたのはある
去年の世界最強で馬場鶴田組が超獣コンビに完敗。馬場は鶴田と師弟コンビを解消
台頭してきた天龍とタッグを組ませた。衰えた自分が引いて若い世代に時代を託した
…と思っていたが、外人に無駄に高いギャラを払い挙句。赤字続きで怒った日テレが
社長の権限を奪って佐藤昭雄と鶴龍路線を推し進めただけだったという真相はガッカリだ
もし日テレが強権発動しなければ、馬場はいつまでもメインに居座り続けたということだからな
『古き良き時代』という言葉ありますが。
プロレスには正にピッタリ当てはまると思う。
プロレスの為の言葉にも聞こえるし。
今とは時代が違うから一概に比較できないけど。
戸口が小鹿がロスで売れた理由言ってた
ジョン・トロスが小鹿があまりにもショッパイのでマスカラスに塩撒けと命令したら
偶然に大ウケしたとw
>>9
そんなことはないよ!
豪華カードでも、両リン、反則、乱入の
不透明決着ばっかり。
だ・か・ら!ゴールデンタイムから外されたんだよ。 荒らしにレスするなよ、荒らしに構うのも荒らし行為だろ。
>>8
王座を奪取した鶴田のAWA世界戦。当初は馬場が挑戦する予定だった。 >>8
最強タッグは鶴龍だがインタータッグ王者は馬場鶴田だった
そしてインタータッグ返上後PWF王者に返り咲いた
結局馬場は85年までメインだった >>15
武道館のメインで木村とPWFの防衛戦を行なったのは当時違和感があった。
長州対天龍の方がメインに相応しかったからね。
今思えば想い出作りだったんだろうな。
その後すぐ福岡という地方都市で王座から転落して
それっきりシングルでのメインはないからね。 >>15
>結局馬場は85年までメインだった
馬場は結局47歳までメイン張ってたわけか
鶴田にエースを譲った83年まで遡っても45歳か
38歳引退説というのは何だったんだろう?
>>16
≻武道館のメインで木村とPWFの防衛戦
あのグラウンド三十二文出した試合だっけ?
あれはあれで見ものだったが、
三十二文出せなくなったことでメイン退く決心したのかもね
にしても、メイン降りる以上PWFを誰かに譲らないといけないけど、
既に鶴田はインター巻いてるし、誰にするか悩みどころだっただろうが
まさか長州に渡すとは思わなかった。 最近三沢タイガーのDVD見てるんだけど、馬場解説のタイガーに対する、批判の連発は何なの?
なんかアングルがあったんだっけ?ジュニア時代もヘビー時代も文句ばっかしで人気出ないじゃん
>>17
あの脚がもつれて結果的にグラウンドからの三十二文になったのは、翌86年6月の武道館の木村戦だね(メインは長州&谷津vsウォリアーズ) >>12
それなら同じ様な試合があった新日だって同じ。
でも新日はゴールデンから外されなかった。
※88年に外れたけど。
あと不透明決着は当時は当たり前の時代。
反則 両リン 無効試合 乱入と。
逆にそれが醍醐味でもあったし。
それとそういうのとは全く別で豪華メンバーが当たり前だった。
だからいい意味で贅沢な時代だったって思うよ。
特に暮の祭典はね。
それは新日にしても同じだね。 >>21
リングアウト勝ち=KO勝ちみたいな感じの試合も多かったよね(猪木ホーガン戦のことではなく) 荒らしにレスするなよ、荒らしに構うのも荒らし行為だろ。
>>16
しかもあの武道館て、なぜかジャパンプロレス主催なんだよねえ。全日本との提携一周年記念大会と銘打って。
大塚の馬場接待興行なのかもしれんが、よく長州が納得したなと。
あと、前半戦に浜田が出てんだな。
全日→旧Uを経て、また全日ってのは知らなかった。 ごめんなさい、調べたら浜田って旧U→全日本の順なんだね。記憶がごっちゃになってました。
1985年の前半ならまだ馬場がメインでもおかしくないんじゃない?
流れというか、2月の東京体育館でも馬場がメインでシンとも完全決着
セミの鶴龍vsマサ長州が不完全だし、決着がつくメインの方が興行の納まりも良いかと…
6月の武道館もセミの天龍vs長州が不完全だし、決着がつく木村戦がメインでも変じゃないとは思う。
あと、生中継だったし…
視聴率に影響する時間帯とか知らないけど、天龍長州を流す時間帯の方が実はテレビ的に重要とかあるとか…?
あと、1985年の事を回想して書いてたらふと思い出したけど
85年の時点で「馬場vs長州」のシングル戦は皆さんは期待してた?
期待というか、実現すると思ってた?
当時は馬場もコメントで「ジャパン軍は鶴龍にまかせる」みたいな感じで
別枠のような雰囲気もあったけど(事実、木村との仲間割れで馬場の抗争相手に振り分けられた)
ただし、トップはAWA王者以後は鶴田に移譲みたいな雰囲気もあったし
じゃあもし鶴田と天龍を長州が撃破したら、御大将として馬場が出てくるのもどうなんだろ?みたいな感覚と
でも同時に興行のメインとして馬場が務めて、大阪城の試合のようにカーンとシングルしたり、対ジャパンに関わりもするし…
結局は長州と戦わないだけで、他のメンツと6人タッグぐらいなら戦ってたし
でも「馬場が最後に出てくるようじゃ、全日は実質は終わりだな…」というような複雑な思いもあったり。
でも当時は政治的な事情なんて考えもできないガキもガキだったから、単純に「馬場vs長州」を見たいという興味が自分は1番大きかったかな…
>>18
プロデューサー(マッチメーカー)としての資質には疑問もありなので、80年代終わりからの週プロ丸投げも仕方なくもない。 馬場は長州をレスラーとしては評価していた。
レスラーとしてというか商品価値を。
実際に長州のお陰でゴールデン復帰できたし。
でも自分に取って対等の相手とは全く見てなかった。
世代的にも鶴龍。
それと猪木の直弟子を対等に相手する事はできない。
そういう気持ちがあったと記事に書いてあった。
だから長州とのシングルはなく。
またタッグ対決すらなかった。
馬場と長州の対決は最強タッグ公式戦の2回のみ。
85 86とね。
ゴングでお馴染み河口仁の「愛しのボッチャー」。
マンガ図書館Zで無料だったので初めて読んだが、想像以上に面白かった。
馬場を散々ネタにして笑い者にしてるが、猪木も脳筋練習バカとして描いてるので恨みっこ無しの世界。
それにしても、古舘ブレイク前の時代とはいえ、倉持隆夫と山田隆をあれだけネタとして弄る漫画は他にないだろうなあ。
漫画の中の山田さんは、自分にそっくりのブルドッグ飼っていたよな。
>>31
タッグ対決はあった。リキラリアットをくらってるよ。 長州の試合が一番視聴率高い状態で観客動員が下がり平均視聴率が下がり。。だったから長州頼みではあったが、それは長州の一方的な試合運びや負け無しを容認したからでもある
でも長州より輪島の方が視聴率いいんだよね、視聴率なんてそんなもの。
大局を踏まえたマッチメイクが出来ない無能馬場
まず最優先するのがてめぇのメンツ
輪島の場合は話題性だったしね。
さすがに知名度は抜群だったしね。
知名度では輪島は馬場にも劣らなかった。
この時代に馬場以外は輪島より知名度は下だったし。
長州や鶴田でも。
でもあくまで話題性であって。
輪島の存在でプロレス人気に影響があったわけでもない。
結果論からしたら輪島効果は一時的な話題性しかなかったから。
実際に馬場が輪島にどこまで期待したかはわからないけど。
輪島のデビュー戦で、数分で試合が終わったことを馬場や日テレが怒ったと言ってたが
タイガー・ジェット・シンを相手に10分以上試合するなんて無理だろ
すぐ場外に降りて反則するような奴相手に、相撲しかしてこなかった38歳が
輪島の他にも、何人も力士を話題作りでデビューさせた。大成したのは、天龍くらい。その後の処遇とか考えていたのか。
輪島は育成方法の失敗だと思うわ、基礎としてアームロックとかを教えるのは良いがある程度覚えたら大技をガンガン出せば良かった
年配マスコミの人が「最近はつなぎ技で大技を使った試合ばかり、輪島には古きよき時代のレスラーを目指すべき」とか散々書いててシン戦の後はあれが正解みたいな論調がさらに増えた
技の引き出しが少ないからオロオロして動きにモタモタさが出る
>>39
>数分で試合が終わったことを馬場や日テレが怒った
輪島のデビュー戦の同時期、新日では武藤の凱旋でこれまた生中継で組んでたが
メインの武藤の試合が早く終わりすぎて、試合後に猪木が武藤を延々と鉄拳制裁を食らわすシーンをやってたよね
猪木ですら、というより当日の新日レスラーですら時間調整なんて難しいのに
デビュー戦の輪島が試合時間まで考慮してできるわけないわな…ただでさえ相撲なんて五分も続けば水入りになる世界なんだから… >>32
>河口仁
1990年代、後楽園とかプロレス会場で見かけたので話掛けてみた。
一応、対応はしてくれるが、なんか反応が遅い人だった(苦笑)
あと、プロレス有名人は落語家の清麿師匠、漫画家のバトルロイヤル風間氏
とも顔見知りになって、週刊漫画雑誌の編集者、その他、清麿師匠周りの
ファンの人達と2,3度、試合の終わりに飲みに誘われた、というか付いて行った。
飲みに行かなかったが、快楽亭 ブラックもいたなぁ。 今にしてみたら「どうせ両リン」ってホントに凄いブックやね。今はそれができなくって必ず決着つけないとあかんから、マッチメークが大変でそれが面白くない原因になってるのかもね。
どうせ両リンならいくらでもカード組めるわね。
長文失礼。
今にしてみたら「どうせ両リン」ってホントに凄いブックやね。今はそれができなくって必ず決着つけないとあかんから、マッチメークが大変でそれが面白くない原因になってるのかもね。
どうせ両リンならいくらでもカード組めるわね。
長文失礼。
87年にブッチャーが全日復帰して以降ってブッチャーと国際軍のタッグチームは組まれなかったね
ブッチャー、鶴見とかおもしろそうだけど
あひぃやー ってなんやねん。
あいやーやろ。
やり直せ!
倉持は「あひぃやー」って言っていただろ?「あいやー」じゃ普通のセリフじゃん。
>>46
今の新日は介入乱入で決着つけて、沢山いるメインイベンターの格を守ってて、それがつまんないって酷評されてる訳だから。
いっその事ことビッグマッチで両者リングアウトを復活させたらどうだろう。その後で全員 >>40
ジョン・テンタも大成したな。WWFに転出して、ジ・アースクエイク名義で
ホーガンと抗争、タイフーンとのナチュラル・ディザスターズとしても活躍。 >>50
お互い大技出し合って最後に両リンは納得できる
部分もあるんだけど、乱入とレフリー失神は
嫌な思いしか残らないな。
それまでいくら素晴らしい展開だったとしても、
その直前になると急にリングにいる全員の
動きがギクシャクしだして興醒め。 >>52
キング・ハクもそう
全日でプリンス・トンガとしてデビューしたけど元々は幕下の福ノ島 コンガ・ザ・バーバリアンも元トンガ力士だよな。幸ノ島だったっけ?
>>41
>輪島は育成方法の失敗だと思うわ
輪島はオコーナーに預けたんだっけ?
今更空中技や寝技は習得できないから、立ち技主体のトレーニングだったんだろうけど。
ファンクスとは合わなそうだし、エリックは新日に鞍替えしたしで
あまり選択肢なかったかもだが、誰がトレーナーとして適任だったんだろう。
ガニアは金にシビアそうだから馬場が嫌がるだろうし、
アトキンスはまだ存命中だったけど、さすがにもう廃業してたか。 >>39
> 輪島のデビュー戦で、数分で試合が終わったことを馬場や日テレが怒った
シンが投げたイスに当たって馬場が失神した事への八つ当たりだったりして >>58
基礎はそれで良かったと思う、オコーナーは自分がうつ伏せに寝てジャンプさせたりとかのロープワークも教えてたし
大技はボディスラムと相撲タックルとアームボンバーだけで日本デビューが良くない、二戦目でバックドロップブレンバスターも出したが
その時全日本のリングに上がったレスラーの全技習えば良かったのに、延髄斬りパワースラムセントーン各種バックブローカー、輪島には難しいスープレックスや飛び技以外でもいっぱいある 輪島はプロレスラーとしては荒技師みたいなタイプになったが
力士時代は相撲版のドリーみたいな技巧派だった
>>60
≻その時全日本のリングに上がったレスラーの全技習えば良かった
輪島が使った技と言えば、代名詞のアームボンバーのほかには、ラリアット、水平打ち、
相撲タックル、逆エビ、ボディスラム、抱え式バックドロップ、ブレンバスター、
スピニングトーホールド、あとはラフ殺法くらいか。
もっと相撲技使えばよかったのに。 >>62
天龍同盟頃からフロントスープレックス、ブルドッキングヘッドロックも使った。そして阿修羅にリングアウト勝ちしたトペスイシーダ 輪島のバックドロップは不器用さが逆に迫力を生んでて好きだった。あれがフィニッシュでも良かった。
輪島は引退後にプロレス時代の悪口は一切言わないのは好感が持てる
「今の自分があるのは馬場さんのおかげだ」とか「みんな「横綱」と立ててくれて嬉しかった」とか
輪島は北の湖を下手投げでぶん投げてるのを
忘れてはならない。
>>62
輪島って結構持ち技豊富だったんだな。持ち技の系統からいって、タイプ的にはラッシャーに近いかも。 >>68
北の湖によると、輪島の黄金の左は実は黄金の右
右腕のおっつけがすごい強力で、
それで重心を崩したところを左で豪快に持っていくのが必勝パターンだったらしい
プロレス技にも生かせそうだったが >>66
東京デビューでの武道館、ジンクに決めたのが圧巻だね
あの試合は最強タッグ最終戦だったが、輪島の出場がなければ前年の85年よりも不入りだった可能性もあるよね
86年最強タッグは馬場とタイガーのタッグぐらいで、見どころが自分的にはほとんどなかった
ファンクスが最終戦の優勝争いに絡むと思われるカードに位置してたし…メンバー的にも出がらし感があった。
>>67
輪島はフレアーが1番カッコいいと思った、と言ってたね
「相手コーナーから入場してくる姿、対角線に立った時に思わず見とれた」とか…
天龍もそうだったけど、日本風習の伝統的な格闘技で育つと
逆に典型的なコテコテのアメリカンに憧れたりするようになるのかな? >>72
北尾も最初はホーガンを目指してた
ガチンコを極めると余計にショー的要素に憧れると言われるね、UWFが格闘経験のない人の集まりなのは有名な話 >>74
力道山の写真とか見てもそうだね
車とか、ハワイアンチックのグラサン姿とか、アロハシャツとか
力士は早ければ10代前半から入門するし
引退して断髪した後、何か自由度というか弾けるものがあるのかな?
女や酒は現役時代にいくらでも堪能してるだろうけど、ファッションや髪型は20年位は固定されてるだろうし… >>74
連レス失礼
石川は格闘技経験もあり、レスラーの中ではケンカも強いのかもしれないけど
SWSでの再デビュー時のUWFチックなコスチュームやスタイルは、一周回っての反動かもね
特にWAR離脱後の石川の良くも悪くも弾けっぷり、アピール度は全日時代とは別人みたいだ…
団体のエースになっちゃうのは極めつけとしても、それ以前にも大仁田の引退試合アピールや
当時の後ろ髪を伸ばした流行り?の髪型とか、三億円ベルトでの安生との掛け合いとか…40代になってから吐き出した感じがする
元力士だし、プライベートの女遊びに関しては若い頃からイケイケだとは思うけど… >>74
>UWFが格闘経験のない人の集まりなのは有名な話
前田や山崎が高校時代やっていた空手とか柔道は、
カウントされないのか?
第一次の佐山はアマレスと、、
ならば、全日も新日も格闘経験のない人の集まりだけれど。 石川個人の理由はわからんがレガース蹴りはプロレスの歴史を変えた佐山の大発明だからな
ふかふかレガースで相手に当たる瞬間に足の先に力を入れないとダメージがないから顔面を蹴っても問題ない、そしてちょっと格好良くなる
石川が使いたくなる理由もわかる
>>77
経験がないは間違い、ガチンコの実績がないだったわ >>77
オリンピックとは言わんまでも、せめて日本代表クラスではないと、格闘技経験とは言わん。 >>79
いや、それならば山崎が高校でやっていた
柔道はヤオなのか?ということになるよ(苦笑) >>74
社会人になって仲間と草野球をしても、
ムキになるのは中学あたりで辞めた奴で
高校や大学でやってた奴は
エラーしましょうが三振しましょうが、
楽しければそれで良いってスタンスなんだよな。 >>77
≻せめて日本代表クラスではないと
三沢のインターハイとか武藤の強化指定とかはどうだろう?
オリンピックに届くレベルじゃなかったが、その世代じゃトップクラスだったから
一応代表級ということになるのか
大相撲の場合は十両以上か
格闘技じゃないが、草津や原はラグビーの代表キャップ持ってたな
アメフト出身者も少しいたが、代表級はいたっけ?
こういうのは、プロ入りの年齢や競技によって事情が違うから補正が必要だね 馬場は野球、猪木は陸上とツートップが格闘技経験なかったからね。
猪木は兄から空手は習ってたらしいけど。
猪木の後を追ってプロレスに入った藤波も陸上だし。
プロ野球にはいれるなら十分トップアスリート
昔は野球サッカーできないやつが、ほかの競技だから
高田もそうだけど、結局はセンス
馬場のアスリートとしてのセンスのなさは
巨人軍の巨人に散々描かれてたけどな
背が高いピッチャーの投げる玉は打ちにくいと言われるね
それもあって育成目標でとったのかも
前田がやってたのは田中正吾から習った技術的裏付け皆無の青空空手だしなあ
プロフィールに実績として載せられるかどーかじゃね?
世間一般で通用する物差し(五輪代表、国体出場、インターハイ優勝準優勝とか)があるかないか。
昭和新日系はこれが無い人や、自分で勝手に物差し作っちゃう人が多い印象。
既存のブランドを大事に使う昭和全日、自前でブランド作れちゃう昭和新日の違いでもあるんだろうけど。
前に何かの動画で『輪島×シン』の抗争が凄かったというのがあった。
動画だか何かの本の記事だか忘れたが。
何が凄かったかと言えばシンが凄かったと。
シンが全て試合作って輪島を懸命に引っ張ってる。
当然プロレス知らない(できない)輪島。
その輪島相手でもプロレスの試合を作るシンの凄さ、上手さ。
馬場が輪島の抗争相手にシンを指名した裁量も凄いとか。
乱闘中心なら輪島の技術の無さも目立たないしね。
輪島×シンは『シンが気の毒』という意見が多い。
でも別の視点から見るとシンの上手さが見えるという事だね。
確かになるほど、と思った。
>>85
相撲だと当時の十両(いわゆる関取経験者)は一般イメージよりはレベル高い
TTVだと幕内からしかしかやらないから(まあ実際は十両最後の取組くらいからだが)
幕内>>十両>幕下上位のイメージ強いけど
実際は幕内>十両>>幕下上位くらい
昭和のレスリングは特に高校だと競技者の絶対数が少ないから
階級によって随分事情違うかな
軽中量級のインハイ王者クラスはさすがにマジで強い
それに対して重量級、特に本人が100s超えるような体格だと
正直他競技のおちこぼれ、まあ「動けるデブ」程度でも
経験1年くらいで全国大会出場とかってケースもあるし
逆に中学の途中や高校から始めたって子も多いから
キッズレスリングあがりでキャリアある選手は秋の新人戦とかだと
強さってより経験と試合運びでけっこう上位に勝ち上がれたりとかもある
けっこうレベルのばらつきがあるのがあの時代の高校レスリング
その点昭和の時代の柔道は県代表クラス以上はやっぱ強い
高校生で二段とか持ってる選手はまあ激ツヨ
三沢は高校時代の階級は知らないけど
レスリング名門の足工大付でインハイ王者だし
武藤の柔道で強化指定なんてのはそりゃもう…双方むっちゃ強いはず
もちろんそれとプロレス的な「強さ&巧さ」とかとは
関係はあってもまた別のセンスのもの
ただインハイやインカレや国体出場とか強豪校のレギュラーの経歴は少なくとも
入門時点でアスリート能力や運動センスの「品質保証」にはなるな >>92
プロレスラーのプロフィールなんて年齢や国籍を偽るケースが多数だけど
アマ実績は公式記録が残るから、出てもいない大会に出たとか偽れないしね。
そうなると、下の1行目くらいがプロフィールとして載せられる基準になるのかな。
>>93
≻昭和新日系はこれが無い人や、自分で勝手に物差し作っちゃう人が多い印象
長州が出戻った後はアマレスの五輪候補がズラリだったけどね。
自分も五輪代表だった長州の意向だろうけど。
なぜ大学の先輩の多い新日に行かなかったのかと聞かれた秋山が
「闘魂クラブに入るには五輪代表クラスの実績が必要。自分にはそんな
実績ないから無理」って答えてたっけ。 >>95
十両は、関取いわばプロの力士、幕下は、その養成員。
雲泥の差だよ。
「幕内>>十両>幕下上位のイメージ強いけど」
そうなの?君の周りだけじゃないかな?
そういうイメージはないな。
ちょっと相撲を知っている人なら
「幕内>十両>(深い川)>幕下上位くらい」
という認識だと思うけれどね。
相撲を全く知らない人は、幕内も十両も幕下も分からんだろうが、、 輪島対ブッチャーは輪島が一方的にやられてたイメージだった
>>95
高橋裕次郎、Oカーン、矢野の方が、現在のメインイペンターよりはるかに強いんだな。 >>97
全日ではプロ入り前の前歴なしで王者になった初のレスラーと言われているね。
越中が残っていたら先にそうなっていたとは思うが。
プロ入りのとき、自分より体が小さいのにアマ実績のある菊地の方が
優遇されて悔しい思いしたことを今でもしょっちゅう回想しているし。
>>99
ブッチャーとシンが入れ替わるように移籍した時、「誰とでも抗争演じられる
ブッチャーと猪木としかスイングしないシンじゃ、ブッチャーの方がずっと
使い勝手が良い」といわれたものだが、対輪島に関しては逆だったか 輪島対ブッチャーはシングルはいまいちだったが最強タッグは良かった。相撲対決もあったし
>>102
>小橋、全日ではプロ入り前の前歴なしで王者になった初のレスラー
ジュニアまで広げれば、大仁田が初のそういう王者だろうね。 10代で入門する人間に格闘技実績を求めるのは無理がある
そもそもプロレスラーになることを選ぶのは「もう強さを競うのを諦める」ってことだろ?
格闘技経験があろうがなかろうが、プロレスラーになればもう強さは競えないんだから。
「俺は格闘技経験のあるプロレスラーだ」なんて言うのも、自己満足に過ぎないだろ?
>>105
インターハイとか年齢別の大会で好成績上げたら、10代でも実績残せるよ
相撲だと出世速い奴は10代で十両までいけるのでは?
(北の湖や千代の富士は10代で入幕してたが、さすがにそこまで
いけるのは横綱級に限られるか) >>100
それだな。
日本一レベルの実績を持ってる新日のレスラー陣がみんなあんな感じだから、実績があればあるほどエンタメに振れるってのはなんか納得 というか、日本一レベルの実績を持った選手だと、真面目な顔をして戦ってるふりをするのと、面白おかしく戦ってるふりをすることの違いがわかんないんだろうな。
別にどっちだろうとやってることは一緒じゃんって。
真剣にやってればやってたほどね。青春時代なんかほぼそれにぶっ潰されてるだろうし。
>>72
輪島と天龍の対談で2人とも「アメリカ修業時代が一番印象深い」と言っていたよね。
輪島「大相撲界にいて、プエルトリコ、カンザス、ノースカロライナなんて誰が行けるんですか」
「見るものは全て見て、本当にいい経験をさせてもらった」
天龍「尖った天龍源一郎がアメリカで角の取れた楕円形になった」
全くの別世界、究極のカルチャーショックという感じだったろうね、2人にとって。 尖ってたのが角の取れた楕円形になった、って本人はいい意味で言ってるんだろうが、
つまらなくなった印象も受けるな
輪島vsブッチャーの一方的な展開は
全日マットの機運を読んだブッチャーが、天龍革命に触発されたのかと思ってた
「最強タッグの時はつきあったけど、シングルではマジでやるぞ」的なブッチャー流のカラッとした激しさというか…
しかし最強タッグのカムバック、会場では大受けだったけど
生中継の開幕戦、それもメインでいきなりブッチャーを使ったのは結果的に当たったね
年齢的にも全日マットから離れて6年半、それでも大舞台を与えたのはさすが馬場というか…
年明けのシリーズでもブッチャーをエースで回したし、使えると確信してたんだろうね。
>>102
越中が全日でヘビー級のタイトル巻けたとは思えん。 >>113
長州力が乗り込む前の天龍なんて体も細くて技も不完全で完全な塩レスラーだったぞ 輪島は客寄せパンダで良かったと思う
天龍がいじめに近い攻撃をしたり
外人も輪島を立てなくなった
輪島の成長なんて別に期待してなかったからな
ある意味一線を引いた馬場を鑑賞するのと同じ感覚だった
輪島も短い期間で辞めてよかったよ
所詮見せ物扱いだった
87最強タッグは後楽園、大阪、福岡のTV収録3大会でブッチャーがメイン務めてた
>>114
最強タッグ開幕戦の大人気でジャイアントシリーズを決めたわけじゃないだろうしな、最初から2シリーズだったんだろう >>112
>輪島「大相撲界にいて、プエルトリコ、カンザス、ノースカロライナなんて誰が行けるんですか」
>「見るものは全て見て、本当にいい経験をさせてもらった」
輪島の発言は本当に好感が持てるな。
プロレス入りしていろいろ不満あったはずなのに、こういう謙虚な発言を聞くとさすが元横綱と思う。 タニマチとの酒宴でも悪口や愚痴は言ってなかったんだろうな、そういう話はどこかで漏れる
輪島もYouTubeやれば良いのに。
聞きたい話たくさんあるぞ
もう3年前に亡くなってますが
そもそも亡くなる5年くらい前に咽頭がんで喉やられて話せなくなってたし
天龍との対談、できる時期に実現してよかった
輪島亡くなられたのかなりニュースになったのに、どんな情弱なんだろ?
このスレタイ、関係ない二人が並んでるように見えるが同時期に亡くなったんだよね
【輪島大士】昭和の全日本プロレス63【ディックスレーター】
輪島はアメフトの監督やってた時、外国遠征時から戻り
帰国した時の空港で出迎えたスポーツ記者から「馬場さんが亡くなりましたよ」と聞かされて
輪島は驚いて、インタビュー取材も打ち切って、その足でそのまま元子宅のマンションに連絡して出向いて手を合わせた話がイイよね。
世話になった親方夫婦の人生ボロボロにしたクソ野郎だけどな輪島は
>>128
第9回カーニバルで、スレーター対ブロデイが見たかった。 スレーターって平成になっても全日に来日してたんだね
勝手に88年の最強タッグが最後だと思ってたよ
90年最強タッグ…馬場アンドレ・殺人魚雷・ハンセンスパイビー・三沢川田
あと異色のランドオブジャイアンツ…等々
スレーターが印象薄いのも仕方ないよね。
ドリーが白髪になっててやたら老けててビックリした覚えがある…
>>132
実はスレーターとスパイビーは一歳違い
2世代くらい離れてるイメージあるけどw スパイビー 52年生まれ
スレーター 51年生まれ
ハンセン 49年生まれ
ブロディ 46年生まれ
鶴田 51年生まれ
天龍 50年生まれ
バリー 60年生まれ
師匠のバリーは8歳下。
30過ぎてからのデビューだから仕方ないわな。
>>133
レイス&スレーター組。スヌーカの代役だった。最終戦で馬場にフォールされるまで、よい役回りだったかも。 マードックが日本で最後の試合となった藤原の興行のセミでスレーター、栗栖組が実現したね
>>137
テレビで見てたけど子供だったからか全く気づかずに
「やった!馬場逆転勝ちした!!優勝の可能性あるぞ!!!」と大喜びしてたw スレーターはシン、ハンセン、長州ら新日本からの転出組には
ムキになって相対したから面白かった。
テリー軍団のデビアスとスレーター。どちらも次期NWA王者候補だった
デビアスはプロモーターの後ろ盾を間違え、スレーターは薬に手を出してパーにした
>>140
スレーターは長州にガチパンチかまして、干されたっけ。 >>140
>>142
ブロディは長州をイジメても、お咎めがあるどころか新日に引き抜かれたが、
スレーターはその後呼ばれなくなった。自分の価値を、理解していないといけないよね。 >>141
>テリー軍団のデビアスとスレーター。どちらも次期NWA王者候補だった
2人の有力候補を差し置いて王者となり長期政権を築いたフレアーは
「デビアスはあらゆる点で自分より上だった」「スレーターのケンカの強さは
この業界でもトップクラスだった」と2人を絶賛していた。
王者に最も必要な資質は謙虚さかもね。 >>143
呼ばれなくなった訳ではないよ。
WWF行ってレッドネックキャラで2年ばかり
日本に来なかった。
復帰してからはランクは少し下がったけど
年2回ペースで来日しているよ。
最も最後の全日本マットでは目測誤って
馬場の顔にモロに入るエルボーバット入れてしまい
馬場が悶絶していたな。 スレ―ターは交通事故後の来日時に体調不良で途中帰国したのが痛かった
もう無理は出来ない、以前のスレ―ターではないというイメージが付いてしまった
体調不良は本当だったのだろうか?
スレーターは米国では戦績でハンセンに対してかなり分が良かった。
ハンセンとローデスとではほぼ5分くらいだったのに。
スレーターは米国では戦績でハンセンに対してかなり分が良かった。
ハンセンとローデスとではほぼ5分くらいだったのに。
最強タッグの、スレーターリッチ組の悲惨な成績は、悲しかった。
>>140
ハンセンが全日本に再登場してきた82年にはゴング誌のインタビューで
「デビュー時代からのライバルであり絶対に負けられない。ウエスタン・ラリアット?
別に怖くない。ポイントの外し方を知っているから。」とライバル心ありありだったよね。
ハンセンはデビューした73年の4月〜7月までフロリダにいたんだけど、
この時に同じく新人だったスレーターと初対戦していて、その後ジョージアでもずっと一緒だった。
でも、ハンセンのアメリカ版自伝を見ると「スレーターはいつも冗談ばかり言っていて、彼と一緒のツアーは本当に楽しかった」
と言っているから、リング外ではお互いエンジョイしたんじゃないかな。
スレーターの全日本最後の来日だった90年最強タッグでも、ハンセンとスレーターを始め外人レスラーが皆笑顔で
キッドの誕生日パーティーをしていた写真が思い出深い。 >>150
> ウエスタン・ラリアット?別に怖くない。ポイントの外し方を知っているから
いかにもゴング、昭和のプロレスっぽい記事で味があるな
本当は別に技について訊いてなんかいないか
訊いたとしてもスレーターの側もクロスラインに対して特に何も無いだろうけど
日本では特別な技のウエスタンラリアットに対して
何れにしろそれじゃ記事にならんからそこで
「ポイントの外し方」というなんか極意みたいな話にうまく仕立ててる >>150
馬場は、
「ハンセンの新パートナーは、アイドルかディートンか候補。スレーターはハンセンの言うことを聞かないんですよ。」
って言ってたな。 スレーターなら、同じファンク道場で学んだ者としてライバル意識があったんだろう、鶴田も同じやな
テリーを応援してた女子達は引退してもスレータにいかなかった。てかテリーが復帰しても戻らなかった
流れと違うけど知ってる人がいたら、デビアスか渕がやったトップロープからのフィストドロップを馬場が「意味のない攻撃」と酷評した試合がどれか知ってる人います?
>>154
引退前ほどの熱狂声援はなくなってたが、まぁまぁ黄色い声援は戻ってたと記憶している。 >>156
86年の最強タッグはマーテル・ジンクに声援が集中していたぐらい、ドリー共々浮いた存在に感じた。 ドリー、スレータ組という発想はなかったのかな、元々一年後復帰が決まってればないだろうけど
>>155
なら南部の帝王なんで呼ぶなよw
先に足で着地してるから意味ないよなあ テリー復活後の人気低迷というか人気復活しなかったのは誤算。
テリー自身も馬場も。
馬場はテリー復活させればまた使えると思ってたそうな。
しかし元の人気は戻らず。
一部ファンからは『裏切り者』『嘘つき』のレッテル貼られた。
自分もテリー復活したら普通に人気戻ると思ってたが。
世の中そんなに甘くないって事なのかな。
>>153
厳密に言うとスレーターはファンク道場門下ではないよ。 フィストドロップが意味不明はわかるがフットスタンプがかっこ悪いというのもわかるな
ファンク道場
ハンセン バックランド デビアス スレーター
鶴田 天龍 戸口
ブロディもファンク道場出身とか言われてたし。
ブロディの場合はエリック一家の方がイメージ強い。
短期間いたとか少しかじった程度のもいるのだろう。
数日でゴッチ教室から逃げた(というか出た)長州。
でも長州ですらゴッチ教室出身とか言われたり。
確かに曖昧なところがあるよね。
若い頃アマリロサーキットしたり、ファンクスに個人的に可愛がられてりゃファンク一家だろ
柳葉敏郎を欽ちゃんファミリーというか?に似た話だな
ハーリー・レイスもファンク一家と馴染みが深い。ドリーが王座退くとき
ブリスコに直接負けるのが嫌でレイスに繋ぎ役を任せるぐらい信頼されていた
>>166
ギバちゃんの盟友武野功雄は三沢と仲良しだな。まあ柳葉と武野は世に出たきっかけは欽ドンだからファミリーでも良いんじゃないか。
カマタの法被のデザインも面白いけど、マジックドラゴンがスキンヘッドなので
ハゲがトリプル揃って笑えた >>170
たしか総集編での放送だったな。PWF歴代王者3人が揃った最強タッグ公式戦。
ファンクスに反則勝ちしたのに、カマタが来てからは両リンばかりだった。 >>163
>ブロディもファンク道場出身とか言われてたし
そんなこと言われてたっけ?
まあファンクスもエリックもテキサスが拠点だから
本人同士、門下生同士の交流逢ったんだろうけど
でも同じテキサスでも、ファンクスはもろにカウボーイのイメージだけど
エリックはあのギミックのためか、カウボーイのイメージまったくないね ブロディはブッカーの関係でそう言われたんじゃないの?
>>173
荒らしのガラプーにレスするなよ、荒らしにレスするのも荒らし行為だろ。 >>159
「プロレスバカ」時代の剛の
「首に引っかけてからジャンプするネックブリーカー」を思い出した カマタの本名はカマカだっけ?あんな顔して「なんちゃって日系」なんだよな。
>>173
道場まではいいすぎかもだが、ファンク一家とかは言ってたな ガラプーこっちのスレではバレていないと思って普通に書き込みかw
武藤とムタのように別人格のキャラだかんな!とか本気で思いこんで狂っていそう
>>155
>馬場が「意味のない攻撃」と酷評した
口に含んだコーヒーを思いっきり噴出した。
それは、、もろ16文のことでは? >>181
16文キックは、走ってくる150キロのブッチャーを片足軸で受け止めてしまう、魅せる大技だぞ?
相手が効いてるかどうかなんて関係ない、あくまでも絵になる大技なんだから。 >>170
手前に居るジョーさんも仲間に入れてあげてくれ。
ちなみにトリプル(3つ組)の次はクアドラプル(4つ組) 恩師のイメージ
ファンク一家
鶴田、天龍、ハンセン、デビアス
マシオ駒
大仁田、渕、園田
佐藤昭雄
三沢、川田、冬木、後藤
ハル園田
小橋、菊池、北原
カブキ
なし
>>156
ライガー夫人は今でも熱狂的なテリーファン
>>160
テリーが復帰する時に佐藤は「今までのようにはいかないからね・・・」と釘を刺した。
>>163
最初はバックランドはテリーの敵役とて呼ばれたが中古車を買って車に泊まりながアマリロ
に辿り着いた。プロレスラーとて芽が出るキッカケを作って貰ったテリーにはいまだに
感謝していた。全米アマレス王者と言われたが二部リーグで当人も「やっぱり一部だよ
なあ〜」と話していた。ただドリーは鶴田、テリーはハンセンと気が合ってバックランドはテリー
はトレーニング好きだったのがテリーは印象に残っていたが地味なバックランドが一番に
WWFチャンプとして出世した時は驚いたらしい。 テリー復帰後の人気低迷は意外だったね。
復帰歓迎もいたけどそれ以上に復帰バッシングを感じた。
あれだけ盛大な引退試合やったわけだし。
しかも3年前の80年から引退発表までして。
3年も『テリー引退』で引っ張ったわけでね。
惜しまれて引退。
仮にこれが5年後に復帰ならまた違ったとは思う。
でも5年後ならテリー44歳で体力的にかなりキツイけど。
5年ブランクあっての復帰なら尚更。
1年後復帰だったから体力的にはそこまで問題なかった(様に見えた)。
>>188
一番の罪は、大仁田という引退商法のモンスターを生んでしまったことだよな。 >>188
引退後もレフェリーやセコンドで露出してたしね。
復帰のありがた味がなかったのかもな。
あと鶴田唯一の世界奪取の試合で、ジョーさんがスリーカウント入れれなかったのも少し複雑だった。 でもやっぱりそんな気がしてた、と感じなかったかい?
同じような感情を「裏切られた」と表現することもできるだろうけど
上からじゃないけど、なんかピュアでちょっと羨ましいなあ、と思う。
気が変わりやすくて情の深い女っているじゃない、テリーってあんなのでしょう?
天龍と大仁田は「自分の目標はテリー」と言い続けているな
天龍が言うにはボロボロの体で田舎でも手を抜かないのは感動したそうだ
俺は「少しは手を抜けよ」って思うくらいテリーの芸風は苦手だったなw
>>194
カウボーイというより、なんか麦わら帽みたい。
アメリカンな感じよりメヒコな感じを受ける。 >>188
5年後だったら、もっとアカンよ。
テリーのこと忘れてる。
>>191
フワッと復帰したからなあ。
どうしても復帰せざるを得ない、ストーリーでも作ったら、また違ったかも。
まあ、馬場がそれを良しとしなかったんだろうが。 ・ファンからの復帰祈願の千羽鶴をもらう
・誰かが亡くなってその遺影を持ってリングに上がる
・味方の救出でリングに上がり蹴散らして完全復活をアピール
・弟子や後輩の不甲斐なさからリングに上がり気合だ!と言いながら制裁し、それ以降はお目付役としてリングに上がる
テリーはマネージャーでもレフリーでも悪目立ちするのが鼻についたから、正直に言えばあまり好きじゃなかったな。
>>187
長州のサソリでテリーをギブアップさせたんだから
馬場がテリーに期待してたとは思えないな >>195
紙テープにじょうがいで絡まるってのは
いただけなかったな。
コーナーに振られて逆さ吊りってのも。 >>182
手編みとビーズ細工が趣味の乙女なカマタさん >>182
Wikiではたくあんと天ぷらが好物と書かれてるけど
故杉浦アナがデラプロや月ゴンに寄稿していたコラムエッセイの中では
ラーメン好きで杉浦氏にも人懐っこい感じでラーメンの美味さを語っていた
>>203
203
流智美によると自分はポリネシア系と話していたのだとか >>186
カブキは田上、高木、テンタ、弁慶
この辺かな >>206
相撲の3人の師匠は輪島と同じく馬場というイメージ。輪島の師匠はオコーナーやロイヤルだろうが、初期の基礎だけでほとんどの練習は日本だろうし
輪島の練習密着でカブキが映ってたことはないが、輪島カブキ組が多かったし教育係なのはあってるんだろう >>206
昔に弁慶なんていたか?今ならドラげーにいるが、、 >>210
大きな黒ん坊なら、ブラジルか、アーニーラッドしか知らんわ >>186
齋藤彰俊が今でもカブキを師匠と呼び続けてる >>213
田コロで超獣コンビにボコられ「日本のファンと家族が許してくれるならカムバックする」
2週間後くらいにアメリカに帰ったテリーから「打倒ハンセンブロディのためトレーニングを開始した」
と電報が届き復帰決定 テリー復帰は最初から計画通り。
膝を治す為に休養が必要だった。
欠場よりも引退の方がインパクトある。
また復帰後のインパクトも絶大。
こんな説を何かで読んだ記憶ある。
でもテリー引退発表は80年秋だし。
そんな前からわざわざ『3年後引退』とするかなあ?
テリー自伝だと『二度とリングに上がらないとは言ってない』とか。
それまでの日本の雑誌だと『二度とリングに上がらない』と。
まあ引退表明だったからね。
実際にはどれが真実かわからないよ。
テリー引退試合の実況聞いてても
復帰させる気満々だなと思ってた
リアルタイ厶では知らんけど、3年かけて引退ロードやったなら、復帰するなら最低でも3年後だよな
こっちのスレはバカばっかりだな
ガラケーにレスなんてしちゃってw
昭和の新日スレではクソ漏らちぃ〜なんて書きこんでいるのに見破れないとはな
604お前名無しだろ (中止 KK1b-cHn8)2021/12/24(金) 03:06:39.49ID:ClCCSIRjKEVE
>>603
死ね
お前は存在自体が迷惑千万 億万長者
あっ、これはぁスマポじゃあなかったわぃ。
このぉバキャタレがぁー。
コンニャロォー
コンニャロォー
コァーノヤロォー
河野やろぉー
アンニャロォー
アノヤロー・アティサノエ
クソ漏ちぃー
| * |
.\__/\__/
�
. ��
���
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. ������
�������
.��������
��������� >>220
NGにしてるんだから、わざわざ気持ち悪い書き込み貼るなよ。 いや呆れたことにこんな荒らしのガラプーにレスをするのが3匹もいたからさ
ご同類ってことか?バカばっかりだな
宍倉スレもこんなレスだけで数百いって潰された。ここもそうなるのかね
テリー引退試合の「フォーエバー」の連呼は
「俺は、【永遠に】日本のファンを愛する」
という意味で、「永遠に復帰しない」の意味ではないのでは?
>>188
そもそもこれはドリーもそうだけど
テリーも引退するもう何年も前から
セミ前の30分1本勝負で格下相手の時とか以外では
すっきりと強豪らしく勝つことはほぼ無くなってたからね
メイン級同士で絡むTVマッチではだいたいが
相手の回転エビを切り返して上からのしかかってのピンとか
後方回転エビや首固めによる逆転ピンとかばかりで
ファンクスの試合でとロープワーク合戦から
タックルやショルダースルー合戦で丸め込み系の技の前フリ始まると
「ああ、そろそろいつものか」って試合ばかりだった
引退前までは殆どのファンが「そこには目を瞑って」
「強い」フィルター越しに応援してたけど
あの引退期間はテリーはもちろんドリーにとっても
そのフィルターを無くしてしまったと思う
>>216
あれは膝の故障治療もあるけど
一番は事業への注力や
「パラダイスアレイ」の評価による俳優への転身といった
「セカンドキャリア」への本格準備のため
逆に言えば事業や俳優転身が上手くいってれば
あのまま完全引退とまではいかなくても
たまーにパートタイマー的にリングに上がりながら
早晩フェードアウトするつもりだった >>227
ファンクスは、そもそも強豪らしい勝ち方はほとんどなかったろ。 キン肉マンのテリーマンも技が地味だからなんで中心なのかわからん
他の超人はオリジナルの技があるのにテリーは実際にある技
>>228
だからオープン選手権でドリーがブッチャーを喧嘩ファイトで圧倒した時は驚いた。
>>227
テリーは初映画出演でスタローンと親交を持って「オーバーザトップ」ではスタローン
と敵対する義父の秘書兼ボディガード役で出番も台詞も多い立派な役で出演していて
クレジットされていないが「ロッキー5」では喧嘩シーンのスタントコーディネーター
も努めていた。 ファンクスの二人にはピンがとれるキメ技の印象がない 辛うじてドリーのダブルアームが思い浮かぶくらい
代名詞スピニングトーホールドでのギブアップ勝ちも格下相手には良くても それで超獣コンビや馬場鶴田からはとれないし
>>232
テリーはローリングクラッチホールドかな。
復活後はムーンサルトを使用してたけど、「もうローリングクラッチホールドの時代じゃないな」と察してのことだろうね。 >>233
コピー迄はいかないけど、動きは似てるな >>238
そっか。ローリングクラッチホールドでピンって記憶してたかもしれん。
さんきゅ。 >>232
>代名詞スピニングトーホールドでのギブアップ勝ちも格下相手には良くても
スピニングトーホールドはホールドしているのと逆側の足が完全に空いてるからな
あれで蹴り返さないのはいかにも不自然だしね
>>234
テリーのローリングクラッチホールドというと最初の引退試合でゴディに決めたのが
印象的。さすがにフィニッシュとしての説得力あったけど、あれだけお膳立て整うこと
自体滅多にないしね
テリーはもっとテキサスクローバー使うべきだった。特に長州には是非決めてほしかった
(プロレスごっこで使うとわかるが。サソリよりテキサスクローバーの方が痛いよ。
ただあれは仕掛ける方もきついので、あの態勢で力込められるのは短い時間に限られるが) BIコンビがインタータッグ陥落した試合は、1本目がドリーが猪木をフォール、
2本目3本目は、馬場とテリーが1本ずつ取り合う決着だったよな。
もちろんテリーはNWA戴冠前で、4人の中では格下みたいなイメージだった。
長州の頃は時代遅れ感を感じたがそれもあってのイメチェンだったのかも、誰よりもそういうのに敏感だったんだな、おしゃれだったし
脚立ブンブンも凄いな、ラダープレインスピンとでも言いましょうか。
>>242
71年12月7日、札幌インタータッグ
1本目、ドリー(体固め)猪木→2日後、大阪でドリー対猪木の
NWA世界、UNのダブルタイトル戦が予定。でも、この時は、もう猪木の
造反はバレていて、追放は決定的だったが。
2本目、馬場(逆エビ固め)テリー
3本目、テリー(体固め)馬場←最終戦12日、東京での馬場対テリーのインター戦に
つながる。 >>242
テリーと猪木はシングルで2戦してスッキリ決着つかなかったんだよな
UNに挑戦しても多分同じだっただろう
ピン負けしたブリスコよりは扱いいいんだよね
>>246
王座転落の翌日にもう会社に居場所のなくなった猪木が仮病で入院、
ドリーの防衛線の相手は坂口に変更になったんだっけ?
結局猪木はリングに戻ることなくこのまま追放、
ファンクスの2人も「なんか日プロ内部でもめてるらしいのは感づいてたけど、
いきなり猪木が追放されてビックリした」とかいってたな。 キン肉マンのテリーはテリーファンクがモデルというより若い頃のディックマードックの方がモデルだと思う
そもそもテリーは首固めで王者になってるからねえ。
そんな王者は歴代でいるのかな?
トミーリッチやガービンはちょっとわからんけど。
>>250
レイスはダブルフォール直前に肩を上げてフレアーから王座奪還
フレアーは丸め込みでケリーから王座奪還
初戴冠はともかく、返り咲きなら他にもいっぱいあるのでは? >>241
> スピニングトーホールドはホールドしているのと逆側の足が完全に空いてるからな
> あれで蹴り返さないのはいかにも不自然だしね
完全にホールドされたら空いている片足をまたいだ形のなるので蹴れないよ。