1世界@名無史さん2011/11/06(日) 16:14:15.460
古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです
2世界@名無史さん2011/11/06(日) 16:48:31.92P
フランスの歴史とはパリの歴史のことである
3世界@名無史さん2011/11/06(日) 17:09:27.250
フランク共和国
4世界@名無史さん2011/11/06(日) 18:07:33.880
なぜカペー朝以降をフランスと呼ぶのか
フランクのままでいい
5世界@名無史さん2011/11/10(木) 19:44:06.840
フランスに移り住んだフランク人が
フランス語を話し始めるようになるのはいつごろからだ?
6世界@名無史さん2011/11/10(木) 19:47:49.190
フランク=フランスじゃないからでしょ
7世界@名無史さん2011/11/10(木) 19:48:26.520
「フランス語」の原型であるパリ周辺のフランシア方言が現れてきたのは11世機以降。
「フランス語」がフランスの共通語になったのはフランス革命以降。
8世界@名無史さん2011/11/10(木) 20:35:14.900
>>5
俗ラテン語なら移住直後から。
6世紀中ごろから、ローマ系住民の間で子供へゲルマン名をつける
流行が起きている。 9世界@名無史さん2011/11/10(木) 21:56:59.810
現存する最古の非ラテン語(俗語)文献はフランキア方言による
「ストラスブールの宣誓」(842年)。
10世界@名無史さん2011/11/10(木) 23:02:14.540
>>9
俗ラテン語に、フランク語の語彙などが加わったものだよね。 11世界@名無史さん2011/11/11(金) 07:07:50.590
オック語とオイル語。
オイル語が原題フランス語の原型となったということで、江戸弁みたいなもんか。
12世界@名無史さん2011/11/11(金) 11:05:59.230
カペー王家が341年も続かなかったら、フランスはドイツや北イタリアと
同じような分裂した状態になっていたのかな
この間イングランのっでは4つ、ドイツでは9つの王朝が交代し、
スペインの大半はムスリムの支配下にあり、イタリアでは王国が消滅していた
13世界@名無史さん2011/11/11(金) 12:50:59.890
>>8
それってお6世紀後半のパリ地方の「フランク化」と呼ばれる現象と関係がある?
キルペリクは事実上パリを自らの都とし、その周辺に旧都ソワソンおよび
サリー・フランク人の土地から、多くのフランク人従士を移住させ、
所領を与えて住まわせていた 14世界@名無史さん2011/11/11(金) 19:23:00.080
フランスの歴史に興味が湧いた時にいいスレ見つけた。
カペー朝って新書を今読んでるんだけど、小説っぽくて面白かったんだけど物足りない。
カペー朝が詳しく書かれてる本ってないのかな。
15世界@名無史さん2011/11/11(金) 21:09:08.630
おい、今日はフランスが第一次世界大戦でドイツに完全勝利した日だぞ。
フランス万歳!!
16世界@名無史さん2011/11/11(金) 21:13:06.230
>>13
ゲルマン語を話していただろうフランク人も
即効ラテン語化されたのか 17世界@名無史さん2011/11/11(金) 21:21:43.180
カロリング時代までのフランク人支配者はフランク語(ゲルマン語)を使用しており、
それはドイツを含む王国の共通言語だった
したがって、ガリアにおいては二重言語状態が9世紀までは状態であったと推測できる
しかし、広範に広がったロマンス諸語によって、文化的に劣位にあった
フランク語は駆逐される
そして13世紀ごろに、ヘゲモニーをもつ言語としてパリ方言(フランキア方言)が
共通フランス語としての地位を獲得する
18世界@名無史さん2011/11/11(金) 22:29:53.650
>>16
17でも答えてる通り、公用語は二つ。
ただしゲルマン語の影響を受けたガリア北部と、
アラビア語の影響を受けた南部の言語差は激しく、
中世末期になっても意志の疎通が難しかったようだ。
ゲルマン人口率が1%程度という面から考えても、ラテン語(ロマンス語)化は
避けられなかったと推測される。
また法律もゲルマン法とローマ法で分けていたが、3世代あたりから融合が進む。
特に軍事面に関しては顕著であり、6世紀始めにはゲルマン系のみに課していた徴兵を
ローマ系へも課していく。
19世界@名無史さん2011/11/11(金) 22:41:05.100
>>13
関係あるだろうね。
当時首都を定めてもかなり短いスパンで、王と側近や一族が都市から都市へ移動していた。
これは政治基盤が貧弱であり、つねに地方の反乱に目を光らせる必要性が高かったため。
ローマ系住民はゲルマン名を子につけることで、子供が仕官しやすくなると
考えていたようだ。
またローマ式の氏族名・個人名の名前のつけ方は7世紀までには絶え、
個人名しかなくなった。 20世界@名無史さん2011/11/12(土) 05:52:26.080
アルビジョア十字軍がなかったら
今頃どうなっていたか
分裂してたかも
21世界@名無史さん2011/11/12(土) 06:07:26.21O
今、シュテファンツワイクの『ジョゼフフーシェ』読んでる
フランス革命みたいな時代は特異な人物が出るもんだね
22世界@名無史さん2011/11/12(土) 07:02:01.78O
>>18
ガリアのゲルマン人口が1%って、残りのほとんどがケルト人か?
それがローマが支配してる間にラテン語化したのか?
てことはフランスの大半は元ケルト人? 23世界@名無史さん2011/11/12(土) 07:15:03.570
中世から近代までのフランスの戦士たち
2020/06/29(月) 22:45:53.120
1番笑えるのはこういうのを日本人がやってること
852世界@名無史さん2020/10/30(金) 09:32:09.680
911年、フランク王国領で、ヴァイキングの首領だったロロという人物が、
西フランク王国のシャルル肥満王からノルマンディのルアン周辺に土地を授与された
これを核としてフランス北部にはノルマンディ公領が成立した
ただし、ノルマンディといってもノルマン人の人口比はわずかであり、
住民の大多数は現地民だった