こんにちは。あたしはカウガール。
AAとして成り上がるため、スレを巡る旅をしています。
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俺らがイメージしてる武士道の精神なんてほとんどの奴らはないんだろうな
神格化されてるだけ
バイトってなに?
傘張りでもするの?
そんなわけないよな?
今の公務員って楽でデフレ下なのに給料上がって労働貴族
侍と違ってレイプしようが横領しようが強盗しようが腹も切らないし首にもならない
>>7
色々
寺子屋の講師だったりアジサイ育てたり
芸能に特化してる奴は今の芸人みたいに営業したりしてたらしい うちも植木を育てて植木屋に買い取ってもらってたらしい
>>11
今の侍の一番偉い人って警察長官の中村格(いたる)?だろ
安倍晋三の友人のレイプをもみ消してその地位に就いたw >>7
仕官してる武士は役宅用地を無償で貸してくれるからそこに長屋を建てて貸したり
浪人はそんな土地ないから傘を張るしかないってことやね >>17
中村主水は傘貼りしてたよ?
仕業人では離れも貸してたけど >>16
商人と組んで「お主も悪よのー」ってやるだろ 言っとくけどどの時代でもケンモメンは最下位だから変わんねンだわ
この時代って建築と政治論以外に勉強するようなことそんなにあんのかな
薩摩藩の都城私領なんかになると人口当たりの武士(郷士)比率が驚異の47%なんだけど
その9割ぐらいは農業・商業・工業との兼業で俸禄はなく、非常時に徴兵されることのある家って感じ
そういう特殊な地域でなくても、武士の2/3ぐらいは俸禄では食ってないと思う
先祖下級だから普通に農業やってたのは想像にかたくない
上も給料だけで食っていけないの分かってるから勤務時間2〜3時間で家に帰される
家に帰ったらせっせと内職して小銭を稼ぐ
それが下級武士の一日
>>5
あんなの家康が適当に考えただけだろ
今回の大河なんて武士酷すぎ 無役だと主君に申し訳ないからって逆に金払ってたんだろ?
ナマポ叩きが流行るわけだ
江戸時代のク士なんかは士族だぞって名目は認めてやってるけどリストラされて帰農したわけだからなあ
>>36
独立(暖簾分け)するまでは給料はない寝るとこと飯はあるけどその他に貰えるのはせいぜい小遣い
結婚も店に数人しかいない番頭にならないと出来ないのがほとんど 懐かしいなあ
あの頃は傘も靴も自分たちで作ってたからな
>>44
一代限りの足軽身分とかの家は早々に息子なり養子取って後継がせないとホントに身分消えちゃうしな >>34
そうか?要するに今の公務員だろ?
そんなカツカツの暮らしをしているのか? うちの先祖なんか不行跡で知行地1/4にされてたからなあ
腹切らなくて済んだだけマシかもしれんが
こういうのの背景は由移動小雪の乱で浪人だしたらまずいってのがあると思う
もっと武士を減らす政策をとってればいくらかましだったはず
武士がバイトしてるのバレたら切腹だから
家で傘張りの内職をみんなしてて
庭見たらバレバレだけどそこは許してくれるって話じゃなかったっけ
賄賂社会と言えば中国だな
そのせいでサッカーが弱い
武士って永平寺の修行僧並みの生活だぞ。
幼稚園くらいから真冬でも縁側で早朝から読書する。
父親が教えるんだよ。
おまえらじゃ絶対耐えられない。
武士は食わねど高楊枝
貧乏侍や浪人ばっかだったからな
浪人って本人達にとってはどのくらいの屈辱なんだろう
商人主導の米相場に依存してたからなぁ
今だと派遣会社が好き勝手やって私腹を肥やすみたいなもんだろ
やりがい搾取のルーツみたいなもんだな
身分制度で縛られるようになってからはなおさら
国家公務員も、昭和の頃は貧しくて、普通にバイトしてたって聞いた
昔、某係長が「しめ縄とか売ってたよ」と言ってた
>>63
昭和のころ公務員なるやつは無能ばかりだったからな
老後の今になって勝ち組になれたわけだが >>5
江戸しぐさと同じでビジネスのために後付けされた設定でしょ >>58
代々浪人も全然珍しくないし、江戸後期には士分は金で買える程度のものだから、正直そんな大した屈辱とかもなかったんじゃねーかな 貧困格差で庶民が政治に関われず一向に生活が良くならない事が太平洋戦争に繋がる
みんな貧乏だったからな、老中クラスだって自腹で自分の政策進めるしかなかった、ワイロ無しじゃ何もできない
>>28
蘭学(医療)、天文学、測量(伊能忠敬)とか >>60
米相場の連絡の為に旗振り通信ってのをやってたぐらいに米相場は熱かったからな
目視とは言え光通信なんで関西圏だと1時間もかからず情報が伝わって箱根が障害になった江戸でも1日かからずに通信出来たと言う うちの父ちゃんも、若い頃は国家公務員やってて
飲み会に参加するって言ったら、民間の友達に「お金あるの?!」ってマジで心配されてたらしい
どんだけプアマンだったんだよw
江戸時代の公家は大半が貧乏旗本程度の収入しか無かったよその鬱憤が明治になって爆発するんだろうな明治の元勲ってのも大半が下級武士だし
まーたドボンクラキチガイ白痴穢多朝鮮人が歴史スレ立てて鼻糞ウンカスゴミエッタニートが無知さ晒してんの?笑
足りてねえのは脳の容量と年収とIQだけにしとけや白痴ボンクラ共
>>72
むかしの下っ端国家公務員は官舎がなかったら生活できない程度の給料だったけど、退職まで勤めれば家一軒の立つ退職金がでるから、それを楽しみに勤務してたみたいだな
ま、低位の国家公務員ってもの自体が下っ端武士の雇用が始まりだから、人材確保のための高い賃金なんてはなから想定してなかったのかも 吉宗のときは足し米の制度があった
優秀な下級役人に重要な仕事をさせたい時
地位を上げずに、重要な仕事をしてる間だけ給料を足す
その仕事が終わったら給料は戻す。
>>28
建築なんて勉強しないぞ
建物建てるのは大工が全部やってた
その技術は体系的に学ぶものっていうよりかは現場で見て覚えるものだった 吉宗の前は出世したら基本昇給したのに手当だけになったんだよなあ
徳川幕府は武士を世襲化して貴族階級にさせようとしたんだけど
徳川幕府が早々に財政難になり頓挫した
朝鮮みたいな両班と平民みたいな絶対的格差を産まなかったことはむしろ幸運だったと思う
>>28
今の義務教育とか精々高校までに学ぶ事を一通り習得出来てれば有能な役人
上へ行く程血統家門の世界で無能しか在ない糞国家 どんなに貧しくても下男と女中は雇わないといけない子供がある年齢に
なったら親戚や同僚を呼んでお祝いをしないといけない
士農工商←左なほど安定し世間体もいいが基本貧乏、右なほど不安定で社会的地位も低いが金持ち可能
>>92
どんなに貧しくても!とか言ってるけど年収↑1000万円だからな 別に賄賂なくても実力あれば出世できるし給与も上がるけど?
自分が底辺なのを社会のせいにしてんじゃねーよ糞パヨク
>>93
意味不明
どれも身分が高く富裕
士農工商は上位1/3 >>95
変わらないよ
賄賂あったら出世できるって事は江戸時代じゃん >>95
先ずは家門,次に血統,最後に縁故情実,能力は極一部の人間だけ >>97
むしろ賄賂で出世とかどこの会社勤めてんだよ
そんな底辺会社やめちまえよ おいおい
日本人の総理って
レイプ事件もみ消すようなゴミ(安倍)だろ
その次の総理がレイプ事件もみ消しの実行犯(菅義偉)
その次の総理がレイプ事件もみ消したやつにおべっかつかってたやつ(岸田)
>>99
江戸時代だって実力で抜擢があったのは変わらんよ
コネ賄賂も強かったってだけで
若手抜擢の幕末も知らんのだろ? >>102
生まれ関係なく実力あれば金持ちになれる今の日本と身分決まってた江戸時代じゃ全然違うだろ
自分の実力不足を時代のせいにしてんじゃねーよ底辺パヨク >>35
と言うよりもっとシンプルな話、仕事がないんだよ
本当は1人にきっちりやらせた方が能率は上がるけど
それだと与える役職が足りないので短時間労働にして沢山の人に役を与えていた >>28
天文学と数学が花開いた江戸時代だぞ、
あと四書五経を下級武士が極めてたからこその
明治維新だし >>94
現代換算は確かにそうだが武士という身分を続けるためにとにかくカネがかかる 田沼意次初め実力登用の人材がごろごろいたからな、
家や血統重視の時代にあれだけ取り入れてたのは
何気にすごいわ
そもそも血統だけ見ても候補がごろごろいる中で
俊英さを早期から見込まれ将軍候補、
果ては最後の将軍になった徳川慶喜の例もある、
幕府はあらゆる藩主、跡継ぎ、幕臣を能力主義で
一応見てるんだわ
>>103
うん?
実力あったから抜擢されてるけどってレスも読めないバカなん? >>110
抑々抜擢の時点で論外だからな
縁故情実でしか無い
能力に応じて昇進させ無い欠陥制度の発露 出世の為に必須だった家系図の捏造が世間にも流行してた背景を考えよ
>>1
江戸では
100均みたいなのが流行ってたり、一生未婚も多かった。まんま今の日本だよ。 >>110
あのさぁ…
江戸時代で実力で抜擢された例なんてマレだよ
士農工商で生まれもって役割が決まってたの、そんなことも知らんのか
今の日本なら生まれに関係なくどんな職業、役職にもなれる 確かに官僚制の硬直と産業の発展を国が阻害してジリ貧だったのは今の日本とマジで似てるな
違うのは日本は下手に民主主義なので自民党からずーーっと変わらないところ
武士道で一番有名な葉隠は禁書で広まらなかった
なのに明治に何でこれを引っ張り出したかというと、これが儒教批判的で独自路線だったから(だから禁書にされた)
大半の武士は読んでなかったし儒教を学んでた。でも明治に外来思想儒教よりナショナリズムで国産思想の需要が高まると脚光を浴びた
渋沢栄一喜作みたいに
農民でも武士になれて
成果を出せば出世して
フランス留学や銀行家になれたぞ
金持ちや権力者の上級国民以外は
人間なんてカスとしか思わない時代とは違う
平成令和は、能力がある下級国民は騙して安い給料で奴隷のように一生働かせて
アイディアや情報だけ盗もうとする
上級国民自民党独裁国家
天下りってこの時代から既にあったんだよな
賄賂より根深い問題だわ
一部の特異な例をもって一般化されてたように語る
江戸のこと騙るやつにありがちなこと
>>1
こういう時代の抜け道が今を生きる術になりそうね >>113
うん?
だから幕末も知らんガイジなんでしょ? >>116
士農工商って教科書から消えなかったっけ? >>129
そりゃそうだろw
士農工商僧は上位1/3だからなw >>131
うん?
説が間違ってたわって存在自体なくなったんちゃうん? 武士階級の人間ってなんもせんでも俸禄はいってきたんじゃないの
給料って土地と米の現物支給だしな
商人の方がよっぽどマシだろ
たとえば石高の高い大名は幕府で高い地位につけない決まりがあったりと
江戸時代は権力者は豊かであってはいけないという精神がずっとあった
ほんと変な時代だよ
>>106
あの頃の長州の一部の人は従来の日本人とは一線を画す部分があった
・前任者の失敗を反省しやり方を見直したこと
・権力を持った人間が率先して前に出て貧乏くじをひいたこと
・リスクを厭わずいろいろなことに手を出したこと
・地域の利益を度外視してよそが真似をしようとする際にノウハウを出し惜しみなく教えたこと
それらがあっての改革の成功
いまの官僚や幕末の幕臣は前任者の失敗を認めず同じ失敗をダラダラ続けるし
リスクの高いことはやりたがらない >>5
明治後に新渡戸稲造が武士道を定義したから武士道精神なるものが広まった
それ以前は武士という肩書きを持ってるおっさんがいたってだけ
義理堅い奴もいれば別にそんなことは全くない奴もいる
今と変わらん >>79
戦争の時だけ仕事のある職業軍人。
早い話がランボー1だよ。
駐車場の管理人の仕事すら無い。 >>5
儒学の儒教的な考えに支えられていたから
今では考えられないくらい厳格だったと思う 偉くなると格式を保つために金がかかって困るので必要なときにだけバイト雇ってた
>>135
大名が富も地位も独占しようとした結果が先の戦国時代だから
戦乱の時代を起こさないために権威と権力を切り離した >>135
それが260年の泰平の一要素だから正しいだろ、
江戸時代は数字的石高だけでなく
幕府も認める街道の要地、
江戸近郊の要地、○○が治めた偉大な地、という
付加価値を付けることで不満を分散し
親藩は跡継ぎ、譜代は実権、外様は石高と分散し
在府大名が詰める江戸城の控えの間も
ランク付けして、官位も同様という具合だった >>132
はあ?w
士農工商僧の下に人口の過半数を占める膨大な数の農奴や奴婢や徒弟が居たから
士農工商だけ明記するのわ極めて不適切というだけ
士農工商自体わ存在してたよ 五公五民だし
当時と違って一揆ないだけ楽勝だな
たまに一揆で狩る狩られるくらいのやり取りがないと大衆の生活は良くならんな
武士は見栄えだけの貧困なのはそうだろうけどホントに偉そうにしてたの?
偉そうにしてたのって司法関係の人間だけだった感がかある
ほんとこれ
今が不正が横行してたり上級国民だの言ってるけど一貫してこういう国だからな
ちょんまげなくなっただけ
>>147
偉そうにできるのが唯一の特権だったんだぞ
武士が全くメリットのない職業でも武士号を貰って成り上がろうとする商人や豪農は後を立たなかった >>149
平民下民なら掟に問われても
武家なら刑を減じて或いは免じられたんだから
特権欲しがるのわ当たり前,斬捨御免もこの一部 >>150
例えば江戸にでるときに商人の子は商人しかできないとか階級変更の申請が
必要だったとかそんなことはないはず >>152
意味不明過ぎだろw
具体的な状況を書いて見ろよw >>152
人別帳で村の誰がどの仕事についてるかまで把握してたぞ >>154
農家の三男坊が商家に丁稚奉公に行くのは普通だな
そういう意味では農工商の間に階級は無い >>156
農奴が奴婢に成っただけで農家でも無いし商家でも無い 江戸時代の武士の実態については名古屋藩士の日記の鸚鵡籠中記が面白い
出勤が月3回だから如何に遊んで退屈を紛らわせるかしか考えてない自堕落生活が赤裸々に書かれてる
>>159
あれが書かれた元禄期は武士が最も裕福だった時代で
ろくに仕事もなくて酒と博打と芝居見物ばかりしてたのが当時の武士の生活だった
そんなことしてたらそりゃどこも財政苦しくなるよねっていう >>149
上座だの冠婚葬祭のしきたりだとか平民にどの程度浸透してたのかなガチガチではあるんだろうけど
庄屋も大家も武家もおんなじようにへりくだる相手ってだけな感覚だってのかなって 士農工商ってもその身分間の移動がそれなりに緩やかだからな
大名屋敷で働く中間奉公の連中は期間契約で
農家商家どっちも来てる、
大名屋敷も彼らがいなきゃいかんから斡旋する
元締には気を使うし下屋敷を博打の溜まり場として
黙認されることもしばしば
江戸でも地方でも武家屋敷奉公の中間たちは
大名家によっては剣術訓練出来たから
新選組の武州への影響や尾張地方ではその伝承が
無形文化財として名残りがある
出世したら400年でも名前が残るの片手の数くらいやからね
佐々木 顕発くらいしか知らんよ
>>162
全て下層身分で士農工商のどれでも無いから すまん、農民の方が普通に生活苦しいと思うわ
武家の次男坊がロクに仕事してなくて金ないわーって当たり前だろうと、、
公務員の貧乏アピールかなにか?
>>138
江戸時代の武士戦ってすらいないでしょ
徴兵されて実際に戦った兵士と特権階級を一緒にするなよ >>169
徴兵が強制断れば切腹だからこその特権階級。
戦争がたまたま起きなかっただけ。 家督継げれば何もしなくても、実入りが減ることはない
逆に、仕官できてない場合は、時代劇の素浪人みたいに
下町の長屋で傘張りの内職とかしてた
無職でも武士は武士で、届けないと身分は変わらなかった模様
結局それで政権転覆した連中がやったのも自分達の貴族化だからな
>>116
有能なやつは農民から武士に引き立てて行政やらしてた
地図作った間宮林蔵とかが例
ちなみに士農工商はちがってたというのがもはや定説で
農工商は一体で「百姓」あと被差別民がいた >>176
江戸奉行だって地方の代官で結果残した奴引っ張ってたんだし
能力主義じゃねぇんだってのはちょっとわからん
幕末の流れがなんでああなったのか知らんのじゃん まあ少なくとも「サムライ」はコスプレでしかないだろう
実際の武士はただの小役人に過ぎなかったそうで
>>178
まぁ幕閣の上層部はほぼ完全に家柄だけで決まる
という点は間違いない
大老、老中、若年寄とかあのへんは出身の家系が
ごく狭い範囲に限定されてる >>173
当然だろ,全く意味不明
さっさと説明しろ >>175
官吏とか華族出身者だらけだもんな
何も変わらず武家支配 >>176
大半は無能な世襲だからね
農工商は百姓じゃ無く上級百姓 >>179
侮辱されて決闘しないでやり過ごすと切腹なんてルールもあったし
言うほどコスプレでもない。 裁判放棄して死んだら自己責任とか
残忍邪悪窮まってるよね蛮族すらドン引きするレベル
>>167
全部混ざると矛盾しちゃうよね?
わかる? 武士の家系とかマウントとってる人いるがオレの家系は室町時代から定住して農家やってんだよ
で、そこそこ土地持ってて生活に困ったエピソードもない
百姓もいいもんだよ
農民から税金取っても商人からは税金取らなかったのか?
>>194
たっぷりとってもまだ余裕があるのが商人。
さらに取ろうとすると内政に口を出してくるからやっかい。 税金って言っても主にお米か?
なんかうちは昔から果樹木とか
山菜がとれる樹木がたくさん植わってて食べ放題だったが
>>192
あーそういう事ね
昔わ士農工商=全人口って教えてたけど
農工商=上級百姓,農奴奴婢人足=下層百姓 >>194
役人無能だし人数も少ないから
商売の把握なんて全く出来て無かったんで
年額固定の上納金(軽過ぎ)だけ >>181
は?むしろこの江戸時代から無駄に流血させた
幕末長州・安倍一味のルーツを叩くのが俺らなんだが?
お前嫌儲民じゃねえな >>184
つっても、武士の家系なら、みんな余裕があったってことはなく
明治には商売失敗したり、原野開拓したり大変な家も多かった
うちは父母とも元は外様大名(旧幕か維新かは最後まで日和見)の家臣だけど、たしかに戦前は軍人とか役人とかそんなのが
多い しかし、格別の努力と僥倖がなければ鳩山家のようにはなれなかった
ちなみに、官軍側だったらみんな優遇されたわけでもないというのが、
宅間死刑囚の家系をみればわかる 父親は工員だが、もとは薩摩の武士の家で、
一族は伊丹周辺で警察官やってた人が多いらしい 宮本武蔵って上手くやってたよな
武蔵「養子を雇ってくれ」
本多忠刻「はい小姓頭800石」
小笠原忠真「はい筆頭家老2000石」
養子を働かせて本人は隠居料ゲット
晩年は細川家から300石(今の価値に換算して数千万円)の滞在費を貰って悠々自適の生活
絵を描いたり五輪書を書いたり鷹狩りで遊んだりしながら5年間熊本で過ごして62歳で病没
バブル期の公務員がツレーわ言ってるレベル
平民はもっと辛いっての
>>202
戦前の官吏や軍人は紛う事なき上級身分じゃん
収入だけ見ても今の大手総合職レベルで
政府や官吏からの扱いも平民と隔絶してたし 武士道はちゃんとあったろうよ。
新渡戸稲造とか関係ない。
鎌倉武士の時からずーと続いてるのがある。
だから安月給でも耐えられたんだよ。
>>105
だから浪人は挙って虚無僧になりたがった?? >>206
武士道はあったけど役人としての適性と関係無いし
時代錯誤な特権身分故の百姓に対する度し難い傲慢さもセットだからね 貧乏旗本や御家人の次男三男は悲惨だと思われがちだけど
意外と養子で実入りの良い家に入れたりしたからな
長男はどんな貧乏でも家継がないといけないけど
>>206
御恩あってこその奉公だよ
安月給でも耐えられるようになったのは儒教が叩き込まれた江戸時代から いくら強くても賢くても農民や町民は武士にはなれんし
武士の家に生まれても、長男に生まれるか上の兄弟全員死ななきゃ良くて兄の家来だし、だいたいは放り出されてホームレスor使い捨ての肉体労働者だし
商人として成り上がれば武士の地位は買えるけど、単なる名誉職で何の特権も無いし
武士として名を挙げて金を稼ぎまくって公家にバラ撒きまくれば公家になることは出来るけど、やっぱり単なる名誉職だし
そう考えれば今の時代は相当マシだろ
>>199
ほーん税制の問題なのかねって自分は思うのよ 基本的人権なんて思想すらない時代だったから
自身の存在意義を身分や家柄に求めたのが中世の社会常識であり倫理観だから
>>29
薩摩は兵農分離してない超特殊事例だからほかはそもそも武士そんな多くない >>162
個人視点から言えばそう
「家」ごと身分を変えるのは大変って感じだな >>212
田中角栄「自分が総理になるには相当な無茶をやらなきゃならなかった」 >>213
いわゆる賤業は独占が認められてたけど武士がやるのは例外だった時代の名残
上のほうで出てる植木とか虫篭とかもそっち系 薩摩だけは特別で大工とか武士の専業で
商人が頭下げて酒肴揃えて建てて貰ってたぐらい、
下士の貧民ぶりは他藩の農民以下で
西郷隆盛も家族全員薄い布団一枚に丸まってたぐらい
お膝元の江戸だと寺子屋経営、剣術指南の浪人もそれなり
にいるし旗本・御家人が商人の娘に産ませた
私生児だってごろごろおる
>>222
李氏朝鮮と変わらなくらいの身分格差だよな
やっぱり大陸に近い影響なんかね ああ曾祖父の戸籍には腹違いの兄弟になるんだろうか庶子が3人いたな
>>223
土地がやせすぎてて農民と武士の専業が成り立たない土地だから 薩摩はシラス台地が大半を占めるのと
台風銀座と噴火で農業は辛すぎる、
九州征伐で衰退したあともリストラせず
そのまま武士階級維持したから城下町に集約不能で
外城制度で掌握せざるを得なかった、
人口の1/4が武士じゃ専業武士もさせられんわな
「経済成長の存在しない世界」
なんてそんなもんだよ
>>7
用心棒や肉体労働
寺小屋、家内職工なんでもあり 江戸時代の武士は家禄というベーシックインカムがあったからな
同じにしないと
>>233
家格によって天国から地獄に幅広く分かれているから
ベーシックじゃない
家格は基本的に江戸時代の始まりまでの戦乱の時代における
主家への貢献度によってきまったから
個人じゃなくて家系単位で考えるなら努力に見合った報酬をもらっている
ように見ることもできる >>212
強ければ武士になれるはずだと思い込んだのが新選組 >>222
>大工とか武士の専業
これはあまりに頭がおかしいだろ
築城術や陣地構築の技術があるから
土木工事業者ならまだわかるけど >>236
今の鳶職みたいなもんだぞ。
武士も鳶職も命が安い。 >>237
危険なことをするしか共通点がないので
言ってることがよくわからない >>238
死にやすい仕事だから死ぬのが前提の武士が引き受けるわみたいな。
ほかの危険な仕事は賤民の仕事だからそれを奪う訳にはいかない。 公務員の給与はこの程度でも問題ないって証明だな
さっさと下げろ
>>236
全然頭おかしくない
視覚障害者に按摩の権利を与えたように
仕事の免状を特定の階級にだけ与える事で保護するというのは割とありがち >>236
詳しくは平田弘史先生の薩摩義士伝読もう
大半を占める郷士は当然薄給、
他藩でもやる傘張り、箸、楊枝削り、桶、団扇、提灯、
家具、農機具、下駄の類はもちろん家庭内菜園に
百姓の手伝いまでやった上で
武士のみ許された医者、大工、鍛冶、紙漉、
紺屋、石工、祠官、バラ栽培、あんま、酒屋、質屋に
従事する
車輪の工作、林業・漁業、塗物、盆栽など
百姓以下の暮らししてんのが薩摩の武士の大半 薩摩に限らず武士のみ認められた職業でいうと
織田信雄系の天童藩織田家では
将棋の駒の内職がそれだな
薩摩と違い武士の内職に忌避感あったが
当時の藩の家老の決断で今に伝わる伝統工芸に
金貸しはメクラしかなれなかったっていうしな
それくらい当時では卑しい仕事だと思われてた
欧州でユダヤ人が嫌われたのと似たようなものだろう
二八で年貢を巻き上げられた上に内職も制限されてた薩摩の百姓って
よく生きていたな、どうやったら武士より上の生活が出来るんだ?
>>248
百姓一人ひとりのことはわからないが、
薩摩藩は琉球から収奪していたから、他の藩ではありえない
ような経済体制が可能になっていたとはいえるだろう >>244
一応読んだことがある
ディテールの隅々まで頭の残っているのではないようだが
工事にあたる男たちの相手をしていた烈女?みたいなやつが
記憶に残ってる
この事績のおかげで鹿児島と愛知は仲がいいらしいが、
福島と山口の仲が悪い件とちがってあまり知られていないな
なんでだろう >>250
そうでもない、
宝暦治水の木曽三川公園は尾張地方の
小学生の遠足先としてほぼ必須だからな