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1台2万円前後のPC用キーボード「この打ち心地が…」
東プレ電子機器部・技術部主担浅野護さん(62)
わずかな力でキーが静かに沈む。最後まで押し込み終わる前に文字がモニターに刻まれ、指は次のキーへとなめらかに進む。
東プレのキーボード「REALFORCE」は中心価格が1台2万円前後と高価だが、人気ランキングの上位の常連だ。独特の打ち心地が多くの人を魅了する。
40年前に入社して以来、一貫してキーボードの開発に携わってきた。これまでに200種類以上を手がけ、試作品の具合を確かめるためにキーを押した回数は500万回超にのぼる。
自動車のプレス用金型をつくりたいと入社した。それなのに配属されたのは、発足したてのキーボード開発チーム。楽器をつくるのかと勘違いした。
つくったのは、銀行や航空会社が窓口などで使うキーボード。独自技術の「静電容量無接点方式」は、キーを押すことで内側の円錐(えんすい)形のバネが縮み、蓄えられる電気の量が変化する仕組み。その値が一定を超えると回路が接続され、キーを押したことが認識される。物理的な接触がなく壊れにくいのが利点だ。
キーを押すときに必要な力(荷重)を30〜45グラムと軽くし、途中までキーを押したときに二重入力される「チャタリング」も防ぐ設計にした。
キーを押したときにメリハリのある打鍵感は好まれがちだが、強度に不安がある。様々な材質を試し、打ち心地と耐久性の両立をさぐった。「一つのキーの端を押しても、全体に力が均等にかかり垂直に押下されるものが理想」。一つずつ微妙に形が異なるキーを彫刻刀やカッターでわずかに削っては、ルーペでのぞき押下感を試す作業を繰り返した。
パソコンの普及に伴い、個人向けの「REALFORCE」シリーズを売り出した。20年前のことだ。
当時、個人ユーザーに人気のキーボードは、打つときに「バチン、バチン」と音がするような押下感がしっかりしたタイプ。試作品を使った人からは「打っている感じがしない」との声も。それでも「万人受けはしない。でもきっとこの打ち心地が好きな人もいるはず」と譲らなかった。
1台1万6800円と価格を設定。家電量販店に持ち込むと、「1万円以上するものなんて売れない」と一蹴された。マニアが集まる東京・秋葉原の店で扱ってもらったが、売れたのは半年で100台ほど。商品展示会でも「パソコンにキーボードはついてくる。わざわざ買わない」と冷たい反応が多かった。
マニアが掲示板に書き込むと…
それでも、使い始めたマニアな人たちがネットの掲示板で使い心地を書き込みだすと、口コミで評判が広がり、秋葉原の店では売り切れも続出。会社から在庫を両手に抱えて店に駆けつけた。
数年後には量販店にも並ぶようになり、ネットには高評価のコメントがあふれた。他メーカーの3万円超のキーボードも流通しだし、高級キーボード市場を築いたとも称された。だが今も、店で購入する人をみると不安もこみ上げる。「個人の好みはそれぞれ。満足してくれるだろうか」と。
キーボードの機能は進歩しているものの、基本的なスイッチ構造は初期のものから大きく変わっていない。
数十年前の基本構造がいまだに生き続けているのは、「正直歯がゆくもある」という。でも同時に、年月を超えて多くのユーザーに受け入れられ、評価されていることを意味してもいる。そんな製品を世に送り出せたことを誇りに思う。(高橋末菜)
ライバル製品を試すときも
キーボードのキーを試作する際に長年使ってきたのは、カッターやピンセット、ルーペに彫刻刀。キーにかかる力を測定するテンションゲージは、ライバル製品を試すときに用いることもある。
初孫と2カ月ほど同居
6月に初孫が生まれた。同じ市内に住む娘が産後2カ月間ほど一緒にくらす予定のため、赤ちゃんともひとつ屋根の下での生活だ。泣いていても、抱き上げるとぴたりと泣きやむ。そんな瞬間が幸せだ。「昔は『抱き癖がつく』だなんて言われて、泣いてもすぐには抱かなかった。今はそんなこと考えずに、いくらでも抱っこしてあげたい」と目を細める。
あさの・まもる1958年、秋田県生まれ。大学で機械工学を学び、81年に入社。最近はマウスの開発にも関わる。60歳でいったん定年退職した後、再雇用制度を利用して働き続けている。