前略
■科学者たちは神とどのように折り合いをつけてきたのか
科学者のスタンスはどうだろう。『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』という著書で、科学的合理性こそが重要で、宗教はそれに反するものであると痛烈に批判した。
この本、宗教的背景からか日本ではあまり話題にならなかったが、世界中で100万部を越すベストセラーになった。もちろん賛否激論である。
一方、ヒトゲノム計画を率いた一流の生命科学者、米国・国立衛生研究所(NIH)所長のフランシス・コリンズは、無神論者の家庭に育ったが、後に敬虔なクリスチャンとなった。
そして、科学的真理と信仰的真理は矛盾しないと確信し、『ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える』という本まで上梓している。
ドーキンスとコリンズは、10年ほど前に『タイム』誌で対談している。その際、ドーキンスは、宇宙創造の背後に神のようなものが存在することまでは否定していなかった。
宗教上の教義による思考停止が科学に反する、というのが、神は妄想であると敵視する根本的な姿勢なのだ。
この2人は生命系の科学者である。それに対して『科学者はなぜ神を信じるのか』は、素粒子論を専門とする一流の理論物理学者にしてカトリック教会の助祭でもある三田一郎先生による、物理学の歴史という視点からの神についての考察だ。
うわ、難しそう、と、ひるまれるかもしれない。じつは、わたしもそう思っていて、買い置いたあと、しばらく積ん読状態になっていた。しかし、読み始めるや、あまりに面白くて一気に読んでしまった。
地動説のコペルニクスに始まり、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、量子力学のヴェルナー・ハイゼンベルクとポール・ディラック、先頃亡くなったスティーヴン・ホーキング。
1章ずつに、それぞれの理論とその周辺が説明される。そして、多くの物理学者たちが神とどのように折り合いをつけてきたのかが解説されていく。とてもわかりやすく説明されているし、どのエピソードもバツグンに面白い。
たとえばニコラウス・コペルニクス(1473〜1543年)のお話。まったく知らなかったのだが、コペルニクスはキリスト教の司祭でもあった。
しかし、地動説に気づいてしまう。その考えは口コミで広まり、教皇の耳にまで届くが、当時の説の精度の低さからか、さして咎められはしなかった。
意外なことに、聖書の教えに背く者として徹底的に糾弾したのは、カトリックではなく、宗教改革の火の手をあげたマルチン・ルターであった。
おもしろいのは、ルターから徹底的な攻撃をうけたコペルニクスだったが、宗教戦争の時代にルター派の若者をかくまったということだ。コペルニクスが心優しき聖職者でもあったことがよくわかる。
■「宇宙はもっと美しいものであるはずだ」
中略
■「神の存在を信じる」ようになった理由
『最後に言っておきたいこと 私にとっての神』と題された短い最終章を読めば、三田先生がこの本を著された理由がわかる。
子どものころに洗礼をうけたが、宗教にはさして興味なくすごしておられた。しかし、50代になって、物質と反物質の研究から宇宙のはじまりを見つめ、「神の意志を感じ」、「神の存在を信じる」ようになられたのだ。
“「ついに人間が宇宙のはじまりを、神を持ち出さずにすべて理解した。もはや神は必要ない」と考えることは、それこそ思考停止なのではないでしょうか。
どこまでいっても、宇宙をすべて理解した、と言いきることは決してできないはずだからです。”
創造主としての神を信ずる姿勢は、「自然に対して最も謙虚であるべき科学者」と全く矛盾しない。ドーキンスが拒絶する思考停止とは真逆で、科学と神について考え続けることこそが正しいく科学的な姿勢である、というのが三田先生のお考えだ。
以下略
元ソース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180818-00233870-toyo-soci
おしまい。 世の中は思った以上に複雑。神を信じるのではなく、比喩として使うんだ。
善い の最上位を規定し名前をつけないと
便宜上やりづらいだろ
日本人が思い浮かべる神像と西洋人のそれとほ、区別した方がいいな
議論が進まないから
Godを神と訳したのが悪かったな
普通にゴッドで良かったのに
突き詰めれば科学の限界がガッチガチの壁になって立ちはだかるんだから合理的だろうよ
科学万能論とか何処の中二かと
>>1
金のために信じてるフリしてるだけやぞ
創価学会の信者ではないのに創価大学入ったり
自衛隊入る気ないのに防衛大学入るようなもんや >>9
整いすぎた条件下にうまれてようやく整ってると思えるんやで
条件整ってなければ思考力のある生物は出てこんからな >>10
コレな
宗教は信じるものではない
利用するものだ >>9
世界に気の遠くなる時間をかけて適応したのが我々なのだから我々の主観から見る世界が整っているように見えて当たり前だろ >>12
じゃあ整ってない世界もまた別にあるんか? 神は自分の中にいるものだからねえ
いわば脳の機能みたいなもんだ
神に赦されたと言ってるが赦してるのは自分の脳だ
>>17
当然あるよ
いまの物理学はそのような世界があることを示唆してる この宇宙の物理法則自体を神と見なす汎神論者は物理学者にが多いぞ
工学系の学者のバカで無知なやつらは人格化された神だけを考えて無神論者気取ってる
信じようが信じまいが神が科学者ごときの存在や願いを認知することはないからな
こいつらが試行錯誤してた時代の生物や
そもそも整ってきたのはこれより後やから >>22
そもそも神がなにを考えてどう動くかも人間にはわからんのや
だから宗教なんて最初から成立せんのやで
神が唱えた正義も本当か確かめる術はないのやから
教義自体があやふやになってしまう 数学者だと数学はただの道具であって宇宙となにも関係ないから、敬虔な仏教であった岡潔みたいな人もいる
まさかの東洋経済の記事か
もっと胡散臭いソースかと思った
整ってるというのはどういう理屈でなんだよ? 日本では八百万の神様が教養レベルで理解されてるのと同じように
海外では創造主が世界を創ったってのが教養レベルで理解されてるので
それに寄り添った方が良いぞ
物理学者でもペンローズの宇宙検閲官仮説なんかはその検閲官がすでに人格化された神だし、
仮説の内容はトートロジーでない
疑う余地のあるものは単なる「疑わしい者」であり到底神ではあり得ない。
あらゆる宗教の神が「疑わしい者」であり信じる必要はない。
>>28
生きたほうがいい←なんで?
そもそも ほうがいい、
なら
そうしなくてもええわけだw 「整ってる」←ダウト
「世界にあわせて生物が最適化した」←正解
>>8
いやそれ逆やろ
欧米は元々宗教的な観念が支配的なだけ
一流の科学者が云々なんてタイトルが既にフェイクだし >>21
しかし、その神の説明をしつこいくらい注釈しないと
似非リベラルはますます無神論で凝り固まり
日曜教会に行ってる信者はますます神の存在を信じるわけで
神ではないが神と表現したくなるような宇宙の摂理が存在する。
その摂理の前では我々が神と崇めてきた想像上の産物さえ
恐れおののき地にひれ伏すだろう。
こんくらいハッキリ言えよと この世の物理定数パラメータを決めた存在は神と称するしかない
>>33
ソースに書いてあるように思考停止しないようにだよ
もちろん思考は人それぞれで自由だけど 髭生やして雲に乗ったジジイじゃなくて、自然とかこの世界のシステム的な合理性のことを神と言ってるんだろ
19世紀あたりではすでに知識人の間で無神論が常識化してたらしいね
だとしたらなんでドーキンスの本なんかが現代で宗教論争ネタなってるんだろ
知識人が退化してるとは思えないし
やっぱ政治的影響??
物理に法則があるのなら理性と道徳にも法則が有るべきだろう
ならその道徳の法則は神から由来するものだろう
>>7
日本の歴史的経緯からいえばデウスとか天帝とかだろ >>45
それは共産主義(資本論)が流行ったからではないかと思う >>45
知識人はそうやが
一般大衆はそうじゃなかったんやろ
でも最近はそれも変わった >>46
あるべきだろう ←なんで?
物事の意味は人間が決めただけのもの
神がいてもそんな事にタッチしてないのは明白
ただ物理法則をプログラミングしただけなのが神よ 法則って
壁のシミが
マリア様に見えるのと
どう違うんや?
そろそろ日本も世間体とか周りの目とか会社とかいう宗教から抜け出して、キリスト教やら仏教やらをやらないと精神的に余裕が生まれないだろ
>>52
神の前に
労働と金と異性をなんとかしたらいいだろ >>52
やる必要がないやろ
宗教があるないと精神の余裕になんの関係性もないぞ プログラミングしてシミュレーション世界作ればその作者が神だな
GTAなんかみても神の似姿かも知れない
ホーキンスは量子力学とかで説明できる神は不要って言ってたな
>この本、宗教的背景からか日本ではあまり話題にならなかったが
>>1の文章書いたやつ馬鹿だろ
普通に話題になったし(当時の超人気ドラマ高校教師でもセリフで使われた)
知らないやつがいたとしてもそれは宗教的理由ではない。そいつが無教養なだけ どうして彼岸花が彼岸に咲くのか?
こういう生物のサイクルは凄いわな
一流科学者の俺は神を信じていないけどな
どうせ、お前は一流じゃないんだろとか言うんだろうけど 神を信じ神を知りたいと思うからこそ科学的探求心が生まれるんだろうな
>>54
池上さんの「教養のススメ」っていう本に、高度成長期の日本は会社が人生を保証してくれたけど、今の日本じゃ厳しい面がある。
しかしながら日本人は会社で生きる道しか見えなくなっていて、そこで生きれないなら人生が終わりだと認識している節がある。
宗教に生きるという道を残しておけば余裕が生まれるよ。
みたいなこと書いてて感化されたんだわ
まあ、俺の全知に神が恐怖して攻撃してきたから
メラゾーマで倒したんだけどな 世界の無神論者の割合グラフ
>>50
物理法則からどうやって人間の意識が生じたか。
人類の叡智がずっと考えてきたが未だまったく分かってない。
このふたつは別に生まれたのでは、と考えざるを得ないとして、短い人生の上で暫定の解決として救いを求める人達は、頭のいい人にもたくさんいる。
俺はそこまで振り切れないので辛いのかもしれんが。
ちなみに上の説明はカントの翻案。 人間を世界の霊長として考えると成長が難しくなってしまう
なので人間の上に何かをいることを想定するんだよ
神を信じる思想は権威ピラミッドの一流派だね
>>64
まじ?なんか目が覚めたわ、ありがとう
やっぱ日本に宗教なんていらんわ >>63
宗教にいきるという道が社会に備わってないと宗教だけやっても生きていけないやろ
今から新しくお寺たてんのか? >>74
もう目が覚めたから大丈夫
そもそも、宗教なんて子供の頃から洗脳しなけりゃ大人になった後に心の底から信じれるわけないしな
日本に宗教なんていらんわ ちなみに荀子の思想も権威のピラミッド構造に含まれる
中国が造ろうとしてる社会信用システムは荀子や韓非の思想を反映させたAIに人間の自由意思を管理させる人工神になるかも
社会信用システムはまさにDeus ex ma'china'となるかもしれない
宗教こそ思考停止の典型なんだけどね
1800年前のアリストテレスの主張を絶対視してたんだから
>>72
興味深い意見だね
何か参考になる書籍とかあったら教えて
>>35
日本人の知らない宗教の世界ーイスラム法学者・中田考インタビュー
無宗教。いまや日本人を表す大きな要素の1つとして語られるワードです。
普段何気なく使っている人も多いこの言葉。しかし、さまざまな宗教への無理解の言い訳のように感じる瞬間もあるように感じます。
これを読んでいる(おそらく日本人の)あなたは「宗教」について考えたことがあるでしょうか?今日はそんなお話。
インタビューしたのは日本人のイスラーム学者でありムスリムの中田考さん(ムスリム名はハサン)。
大学在学中にイスラーム教と出会い、入信。現在まで多方面で活動を続けています。
中略
日本人が気づかない「日本教」とは
‐日本人は長らく無宗教であるといわれ続けてきました。遠藤周作の『沈黙』の中でも日本について宗教の根付かない、「すべての根を腐らせていく沼だ」という風に語っています。
宗教が根付かないというのは、日本人のどういう性質があるんだと先生は考えますか?
そもそも根付かないという考え方そのものが間違っているように思います。これは「宗教とはなにか?」という問いにもつながってくるんですが…山本七平ってご存知ですか?
‐いえ、知らないです。
山本七平の『日本人とユダヤ人』という本がありまして。
それはユダヤ人だという仮想の立場から日本人のことを描いたという作品なんですが、その中で“日本教”という概念を出すんですね。
これ、大学生は読んでおいた方がいいですよ。
‐わかりました(笑)
そして、日本教の拝む対象は人間であるとその中で言っているんですよね。神ではなく人間、人間教ですね。それこそが普遍的であり正しいと完全に思い込んでいる。
日本人はこれを宗教だと自覚せず、「日本人は宗教なんてなくても平気だ」と言っていますが、実はこれは神ではなく人間を信じてしまっているということなんです。
「人間なんて話し合えば分かり会える」っていうのもその典型ですよね。
問題はそこで言う「人間」というものが、普遍的な概念と、そのことを意識すらできてないほどに強く信じ込んでいて、それが実は日本人にしか通用しない特殊日本的な人間観であることに気づいていないことです。
‐なるほど……
だから日本人は無宗教なのではなくて、日本教といった宗教を信じていると思った方が考えやすいと私は思っています。
「人間教」自体を進んでいると考える人もいるのでしょうが、逆に自意識のよりどころがないという点で、最悪の形になってしまっていると思いますけどね。
まぁそれでも日本はシリアやエジプトに比べたら何倍も安全ですし、何の不満もないんですけどね(笑)。
残りあとどれくらいかはわかりませんが、楽しくやれればなあと思っていますよ。
元ソース
https://www.70seeds.jp/hassankonakata-296/ 神に近づきたいとかいうキチガイが、神が作った世界なら法則があると信じて、自然法則を見つけ出した訳だが、結局戦争に使われるし、やっぱ宗教って害悪なんだろうなとつくづく思う
科学は証明せんといかん
あるというなら見せないといけない
日本人の書いた本はあまり読まない方がいい
それだけでガッカリ度が高いからだ。
>人間を信じてしまっているということなんです。
>「人間なんて話し合えば分かり会える」っていうのもその典型ですよね。
性善説的な事を言っているのだとしたらそれこそ宗教的考え方な気がする
>>82
多元宇宙論も今や主流派だけど証明方法がない
証明することが全てというのはそもそも科学的ではない >>15
生命が生まれるその環境こそが整っているということだろ 真面目に言うなら、キリスト教が神の存在を証明するために、世界には規則性があるということを証明しようと活発になってきたのが17世紀で、近代科学が発展するようになった。
そいつらが科学を進歩させたせいで世界中で戦争が激化している。宗教は危ないと思う。
>>88
俺は17条憲法の
和をもって貴しとなす的なことだと思ったわ
日本人の価値観的には宗教(三宝を敬うこと)よりも和を大事にすることが先に来てるんだわ
>>82
「科学的イスラーム」の問題と理神論
中略
信仰を「科学」により基礎づける、と主張する言説は、カルト的な思想に往々にして見られるものです。
これらは結局、信仰そのものの根がないことの裏返しであって、流行りのギミックを切ったり貼ったりして、ハリボテの書き割りを立てているだけのことです。
世界の内部にある総てがアッラーの元にあるからイスラームなのであり、内部のロジックを援用して世界の輪郭そのものを語ろうとするのは、本来転倒した行為のはずです。
ムスリムはこうしたカルト紛いの安っぽい言説を慎むべきだと、個人的には考えています。
中略
「信仰を科学により基礎づける」語らいは愚かなものです。
しかし一方で、信仰は科学や世俗主義の「許してくれた」領域に小さく収まっているものであはりません。
理性の追求や理性による信仰の探求を称揚する一方、時に理性に反逆しこれに制限を加えるものでなくてはなりません。
なぜそのポイントで反逆するのか、というのは、「絶対的な具象」として所与としてあるもので、問うことのできないものです。
わたしがわたしであることを、世界内部のロジックで語れないのと同様です。
ですから、「信仰を科学により基礎づける」態度を排除するというのは、両者が別の領域に収まることではなく、信仰が本来の荒々しい力を回復することであって、
人間主義の監視者としての武力と威信を、一人ひとりの信仰者が自覚するということのはずです。
元ソース
https://arabic.kharuuf.net/archives/429 科学は手法にすぎない
科学を特別ななにかと思ってる人間は科学をしたことがない文系
「もし科学の歴史が我々に何かを示すとしたら、
自分たちの無知に『神』というラベルを貼ることでは
何の得るところもないということだ」
(Jerry A. Coyne)
「いかにして」ということに関する困難な議題を避けるために、
「神」を持ち出すのは、間違いなく知的な怠惰に過ぎない。
(ローレンス・クラウス)
(著書を読んだナポレオンより、神に言及することなく
この本をどうやって書き上げることができたのか質問されて)
「閣下、私はそのような仮説を必要としなかったのです」
(ピエール=シモン・ラプラス)
「私にとって神という単語は、人間の弱さの表現と産物以外の何物でもない。
聖書は尊敬すべきコレクションだが、やはり原始的な伝説にすぎない」
(アルバート・アインシュタイン)
「権威に基づく宗教と、観測と道理に基づく科学との間には根本的な違いがある。
そして科学が勝利をおさめる、なぜならそれは機能するから。」
(スティーブン・ホーキング)
>> “「ついに人間が宇宙のはじまりを、神を持ち出さずにすべて理解した。もはや神は必要ない」と考えることは、それこそ思考停止なのではないでしょうか。
>>どこまでいっても、宇宙をすべて理解した、と言いきることは決してできないはずだからです。”
あ!上手い事言いたくてスベってる状態だ
. ⊂⊃
.. (ヽ、 ノ),
.. _ノ⌒ヽ、ミ( ) 彡 ,ノ⌒ヽ、
`ー,へく,' )彡⌒ミ゙ ( 、,` ヘ ー'
ノノ, , ヽ ( (´・ω・`)ノノ \ また神の話してる
'ノノノノ(| |)八ヽ)八)) )
(γ /
し/
誰も見たことも聞いたことも感じることも存在も証明できないが
おんねん
これは不明の事象すべてだ つまり明らかになれば神ではなくなる
天地創造はしてない 惑星は物理法則で生まれた 神の意志ではない
これは頭の悪い部分を神のせいにしといてうまくっ利用しようとしている
神を信じると思考停止する
探求するのが辛いか懐疑派を増やして利用したいか単にバカなのか
そうなる
人類はバカなので神がが必要だというのはソクラテスが言ってたな
バカを神でうまく誘導しろとかいてたがうまく悪い方に誘導されるのは書いてなかった
>>101
黙れゴミが
お前偉そうに説教してるけどさ
お前の実態底辺だろ
カスに限って自信がないからそうやって偉そうな話をしたがるからな 例えば、腕時計の部品だけを集めて、箱の中に入れて
適当に箱をシャカシャカ振って開けたら、腕時計が完成しててちゃんと動いてた
みたいな感じ
完成してちゃんと動いてる時計を見たら、誰かが組み立てたものだと思うだろ
この物語的反論仮説 俺が今作る
神は人にしかわからない 猿も犬も理解不能だ
キリストも仏もわからない
明日人類が消えるとする
動物は捕食者が消え毒を撒き散らすのがきえ助かる
地球のダメージも癒える
そこに神様はいるのか
>>意外なことに、聖書の教えに背く者として徹底的に糾弾したのは、カトリックではなく、宗教改革の火の手をあげたマルチン・ルターであった。
>>おもしろいのは、ルターから徹底的な攻撃をうけたコペルニクスだったが、宗教戦争の時代にルター派の若者をかくまったということだ。コペルニクスが心優
>>しき聖職者でもあったことがよくわかる。
あ!「保守右翼は多様性を認めて寛容」だとかいうやつだ
>>104
でも現にできちゃったから今があるんだろ 人類以前に知的生命体がいたって言えよ。神なんて曖昧な存在ではない。
科学と宗教を切り離して対立しているものと考える人がいるけど、歴史的背景から考えたら癒着関係にあると思うけどね
なんで対立するものだと認識してるのか意味がわからんわ
たのちいね と煤煙をばら撒きゴミをまき散らし捉えて食い
そういう神を信じる種族が俺ら
神など知らない生き物たちの受難は続く
傲慢で悔い改めよと諭すものは傲慢である
命のリンクの頂点だとおごるものは上位者に食い殺されても文句を言う資格はない
>>107
だから何か神みたいな存在がいて作ったと想定しない限り
ありえないようなレベルで上手くできてるんだよ
自然法則も生物も >>109
それはスタート地点だけの話だろ
ガリレオが地動説を発見し、ダーウィンが進化論を唱えた時点で両者の対立は確定した >>97
甘えるために神という空想を持ち出してるわけだ 70億人が毎日生命を食い殺すのを許された慈悲深き神の元
その御都合主義の元 仲間同士も殺している 慈悲深さが変化球なのだ
>>111
確率上あり得るのならばあるんだろ
試行回数は実質的に無限回なんだから >>112
対立してへんで
ガリレオとかあいつゴリゴリのカトリックやし 科学は手法にすぎない
統計を集め仮説を立てて実験検証していく作業のことを指す
もし魔法が実在すれば魔法科高校の劣等生も実際にあったことだろう
さすがお兄さま
>>117
猿は別系統に枝分かれした先だからな
猿から人間になったんじゃないと何回言わせるつもりなのか 科学の再現可能的実験という時空間的な捉え方がもう宗教的なんだが
対立が確定?いみふ
錬金術しかり、フランシス・ベーコンしかり、ニュートンしかり
神のみわざとしての科学観
>>121
宗教と機械を対比してるならわかるが
手法にすぎない科学を対比させる時点で
あっこいつ、言葉が分かってないだけなんだな、ってなる
>>105
神の存在に証明が必要か?
「神は存在するのか?」不信論者の学者とよく討論する問題です。この討論は、しばしば異なった外観を呈するのですが、前提はいつも同じです。:神は存在するのか、そしてこの教義を支える証拠は何か?
実のところ、神の存在を証明する必要性はないと私は言いたい。つまりその質問そのものに議論の余地があるのです。
実際は「神は存在するのか?」ではなくむしろ「神の存在を否定する理由は何か?」なのです。
間違わないでください。神の存在を支持する根拠はたくさんあるでしょう。しかし私がここで上げているポイントは、神の存在を示す証拠など求めていないのです。
神の存在は自明の信条です。言葉を変えると、神の存在はその存在自体が自明の真理なのです。
哲学の言葉では基本的信条とも言えます。自明の真理という考え方は、全てに受け入れられます。
例として科学を見てみましょう:科学は世界の実在を、自明の真理として受け入れています。科学によると、世界は実在していると信じられています。
つまり物理的世界は、私達の知性や考えとは無関係で、枠外の出来事なのです。
あなたは思うでしょう。「実在の世界は真実だ。触れられるし、感じられる。誰しもが触知できるように、私も触知できる。だから世界は実在している。」
しかしながら、これは何も証明していません。触れること、感じることは、触れているもの、感じているものが、あなたの知性の外側にあると証明していません。
考えること感じることは、単に脳の働きによって起こります。
こう考えてみましょう:あなたの脳が月面に置かれた瓶に入っているとしましょう。
そこに置いた宇宙人がいて、瓶の中を探索します。たった今あなたが感じていることを、誰があなたに考えさせ、感じさせているのかを調べるために。
実のところあなたが経験している世界が、実在しているという具体的証拠はありません。経験は簡単に脳で作れるので、経験に基づく証明は頼りにできないのです。
哲学或いは複合的論法に基づいた証明もまた知性の創造物に過ぎません。あなたの頭蓋骨の中で起こっていること以外の外界は、真の実在ではないのかもしれません。
これを読んで、あなたは証拠、真の世界は脳が作り出したものでないという証拠を求めることでしょう。
しかし証拠はないのです。実のところ証拠を必要としないのです。だからこそ真の世界の存在を信じる信条を、原理、自明の真理或いは基本的信条と呼ぶのです。
つまり神の存在の否定はこの世界の実在を否定するのに等しいということです、なぜならばこれらはどちらも自明の真理なのですから。
これは何も神に関してだけの手前勝手な議論ではありません、なぜなら他にも私達が信じている自明の真理、原理は無数にあります。
例えば:
知性
客観的道徳観
論理的真実
論理的思考
因果法則
自明の真理、原理、基本的信条は異文化間にもあり、文化的に結びついているわけではありません。
それらは生れながら備わっていて、情報の伝達から獲得されるものではなく、根本を形成するものです。
根本とはどういうことかというと、理路整然とした世界的視野の基礎を築くということです。
元ソース
http://islamgaku.com/do-we-need-evidence/ 神の実在をたしかめるために
【科する方法で】
調べていった結果、ますます
【神はいないとしか言えない】
証拠だらけになっていった
いるわけないだろ
これだけ調べてもいる証拠は一つも見つからず
いない状況証拠は大量に積み上がってきたんだよ
なんとも皮肉な結果だ
●幼少期の友(神)の記憶から
その友を探し回った結果、
その友はイマジナリーフレンズだった
(神の不在)
神って言葉を使うといろんな宗教的な世界観が絡んでくるからややこしくなるな
一神教のキリスト教が西欧の科学の発展に寄与したなんて嘘だからな
そもそも元ネタの元ネタのギリシャはモロ多神教世界観で哲学と科学を創造してるからな
西欧が世界征服できたのも単純に新大陸ブーストのおかげってだけだからな
>>128
それとインド征服もな
当時世界一のインドの黄金や財宝の数々でイギリスは世界一になった
アメリカ大陸は鎖国しても大丈夫な要塞大陸 合理的に説明できないけど、そうであると信じている事象があればそれが宗教だと思う。
そして合理的に説明できない事象を他人に説明するときに神をだす。
例えば2112年9月3日にドラえもんが誕生すると信じていればそれが宗教だし、ドラえもんは神様が作ったと説明するしかない。
法則ってそれ
おまえが勝手に見出してるだけで
なんも特別なあれじゃ無いぞ
神が宇宙を作った
神が人を作った
この二つのスケールの違い。どっちかは絶対嘘
宇宙作った奴がなんで人なんて塵以下の存在わざわざ作るんだよ
>>134
なんで神様1種類に限定品しているんだよ。1人1人にそれぞれ別々に違う神様スタイルがあるんだよ。
>>125
原因と結果の連鎖の終着点
「すべての生起するものに関し、その生起には原因がある」という考え方は、そのままでは「結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果………」というように、
無限にさかのぼることのできる原因と結果の連鎖が生じてしまいます。
ここで、「<生起するもの>ではない存在」、あるいは「移ろいゆかない特別な存在」を仮定すると、
「結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ <生起するもの>ではない存在」というように、原因と結果の連鎖が最終的な落ち着き先にたどり着くことができます。
「<生起するもの>ではない存在」というのは冗長な表現ですが、イスラームではこれを簡潔に「無始の存在」と呼びます。
イスラームの諸学問の権威であるガザーリー(西暦1111年没)は、以下のように説明しています。
我々は世界の存在にとって原因が必要であると証明したが、我々はこの原因は無始であると主張する。
というのも、もしその原因が生起するものであったならば、その原因は別の原因を必要とする。
さらに、この別の原因は、更なる別の原因を必要とする。(この場合、可能性はふたつあるが、)このような連鎖が、限りなく続くというのは不可能である。
(もうひとつの可能性は)このような連鎖が無始なる存在に終着し、そこで止まるということは確実である。
これこそ我々が求めるものであり、我々はそれを「世界の創造者」と呼ぶ。(ガザーリー、『イスラーム神学綱要』、35ページ、私訳)*1。
以上をまとめると、「アッラーを創った存在は何なのだろうか」という疑問に関する答えは、およそ次のようなものになるかと思います。
この世界にある全てのものは、その始まりに原因を必要とする移ろいゆくものですから、始まりと終わりという限界の中にあります。
それに対して、アッラーは他に原因を必要とするような移ろいゆく存在ではないため、始まりと終わりという限界も有していません。
アッラーはこの世界に存在する全ての限界(時間、空間、などなど)を超越した存在であるので、「原因と結果」という法則性にも縛られることもありません。
このような考え方は、強弱の違いはあっても一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)に共通した考え方だと思います。
一神教世界の人間が「神」という言葉を使うときには、以上のような考え方が背景にあるのだ、日本語の「神」という言葉とはかなり違うらしい、ということに気をつけるとお互いに誤解を招かずにすむと思います。
元ソース
http://islam.ne.jp/allah/allah_saniu/allah_saniu5 宗教ガイジを説得するのをあきらめただけだろ
あいつら平気で人を吊るしテロとかするしヤクザよりタチが悪い
要は神の真偽を判断する科学がないってことだろ
ゴシップ語る延長の判断まから
お勉強ばかりしてると案外容易く信じてしまうのかも
宇宙の100%を科学で説明できるようになれば神はいらない
人間はまだ0.1%も理解してない
結局証明できないから居ないとは限らないというスタンスに落ち着くだけだろ
幽霊と変わらん
そりゃ知でわかる限界に達するからな一流ほど科学の限界を知る
馬鹿は科学を信仰してるだけ
>>143
科学は手法にすぎんのやが
「科学」をなんだと思ってるんだお前は 未知の分野を紐解いてる時になんだか神聖な気分になるから
ついでに自分もそういう存在に近づく気がするから
でそ?
神って言うのやめたらいいのに
神のような力を持った何かという喩えは分かるけどそれは神というより宇宙人のほうが近いと思う
>>142
やさしい神様のお話
(12)神さまの真実
イスラームの真実は神さまのもとにあります。
神さまのもとにあるしんじつは、神さましか知りません。ですから、神さまによってしかそこに到達することはできません。
神さまによらずに、じぶんで知ろうとしても、そのりかいは不完全(ふかんぜん)で、その人の理解したイスラームは不完全です。
じぶん勝手に頭だけで理解した真実には、真実の味わいがありません。
真実の味わいは、じぶんに頼る気持ちをすて、じぶんをそっくり神さまにおまかせしたときに、はじめて知ることができます。
私たちが神さまを求めるのは、神さまのくれるほうびがほしいからではなく、また、神さまに恐ろしい地獄からまもってもらいたいからでもありません。
神さまが真実だから、だから神さまを求めるのです。
神さまは人間の理解をこえた方です。その神さまをじぶんの知力で理解しようとする思い上がった者を、神さまはその人自身の無知の闇の中に放っておきます。
それで、その人は、じぶんの無知によって真実におおいをかけ、真実を見いだせないのです。
(13)時と場をこえた神さま
神さまはどこにもいません。
なぜなら、神さまは、時も、場所もこえた方だからです。
私たちは、この世のできごとを、なんじ、なんにち、なんがつ、なんねん、と時間のくぎりで呼び、後だとか先だとか順序づけしますが、それは思い込みにすぎません。
時をこえた神さまのもとでは、後のことも先のこともひとつで、ただそれが神さまの御意志によって先にあらわれたり、後になったりするだけのことです。
神さまには、昼も夜もありません。きのうもきょうもありません。時間をつくったのは神さまで、神さまは時間の外にいるからです。
時間のなかに生きる私たちにとっては、きのうのことは近く、去年のことは遠いことです。
でも、時間の外にいる神さまにとっては、きのうのことも、去年のことも、ずっとずっとむかしのことも、それから、私たちにはまだ起こっていない遠い未来のことも、同じくらいに近いのです。
また、私たちはみな、どこかにいます。なにかの上だったり、なにかの下だったり、なにかの近くだったり、なにかから遠くだったりします。でも、それもまた、思い込みにすぎません。
たとえば、私たち私たちの住む地球が銀河系のどこに位置して、なんという星からどのくらいはなれている、と言うことができます。つまり、地球には場所があります。
では、宇宙全体はどうでしょうか。宇宙はどこにある、と宇宙のある場所を示すことはできるでしょうか。
できません。なぜなら、あるものの場所を示すためには、それをつつみこむ、それよりも大きな空間が必要だからです。
それをもたない宇宙に場所はありません。とすれば、宇宙よりもさらにずっとずっと大きな神さまにも場所はないのです。
元ソース
http://hassankonakata.blogspot.com/2011/03/blog-post.html まあ科学の発生は古代ギリシャ・エジプトだからな
その発生からして特定の宗教とは関係ないんだわな
無神論者なのに冠婚葬祭やってるジャップのほうがやべえ
一流の理系は汎神論かシミュレーション仮設になるからね。
うちの大学の物理系の教授も神の存在を信じてたな
キリストとか仏陀みたいな存在じゃなくて概念的などーたらこーたらとか言ってたけど
どうせ調べたらその科学者はそんな事言ってないとかの落ちなんだろ
神っていってもどんな神だよとか何の神だよとかどれくらいいるんだよって話になるからなあ
>>155
チン毛やマンカスにも神様は宿っているもんなw 神って概念をつくった馬鹿は人類の進歩を1万分の1に遅らせたよ
ホーキングは神なんか信じてないだろ
いい加減なこと書くなよ
あいつは無神論ビジネスが行き詰まったので最近神の存在も示唆するような含みの発言が増えたよ
複数の人間の頭の中の同じ考えをまとめると宗教なんだよ
同じ考えの人数がどんどん増えて行って宗教の規模が大きくなる
人間は普通大きな共同体を作って行くもんだよ
同じ考えを持った人が集まると宗教
だから二郎が好きな人が集まれば二郎も宗教と言えるわけ
本物の宗教は世の中がどう作られているか考える
今世界で一番信者の多いキリスト教は神が世界を作ったと考えた
人間が頭の中で神を考えたわけやね
人間が考えた神だからいろいろと現実と合ってないことも多い
でも一つの考えとしてキリスト教は世界で支持されてるわけ
一番の重要は
世の中に合った神をいかに人間が正しく理解出来るか
世の中に矛盾した神じゃ駄目なわけ
>>1で言われてるドーキンスが神は妄想とあるが
人間が考える理解不十分な神を言う
世の中科学でわからなかったり
人間が多く理解出来ない世の中だが
人間の頭で理解出来ない全てをまとめて神と表現するわけね
人間を超えた何かが神だと >>90
もうちょっとうまい言い方しろよ
その書き方だといろんな意味に解釈される キリスト教やイスラム教や世の中の宗教は
人間が考えたわけで宗教の中の神も人間が考えた
>>1のドーキンスは
人間の理解を超えた世の中を神と表現
コリンズはキリスト教徒の立場から
世の中をキリスト教の考えでどう理解するか
世の中に合わせるようにキリスト教の考えを解釈する
どっちも重要なんだよな
科学の発展と
人間どう考えて生きて行くか >>159
あいつは神も地球温暖化人為説も信じてた 創造論カルトっていつも信仰は謙虚なのに科学万能論は人間の奢りだから悔改めよみたいな事言って
バカが納得しちゃうみたいなパターンなんだけどアホ臭いよねいつも
神を試すなとか信仰を疑うなとか言ってる宗教の方がどう見ても思考停止なのに
むしろ科学なら検証可能反証可能で論理的合理的に説明出来るなら
神の存在だって認める余裕があるのにそれを有史以来いつまで経っても出来ないのが創造論側でしょ?
日本人は宗教に特にキリスト教に疎いので
日本人が考える神は
ビックリマンのスーパーゼウスみたいな神なんだよな
>>1
>その際、ドーキンスは、宇宙創造の背後に神のようなものが存在することまでは否定していなかった。
いやいや否定しろよ 科学者が言う神は
人間の理解を超えた世の中を言うんだよ早い話が
>>6
日本人のセム的創造主信者の信仰と西洋人のそれに違いは特にないと思うが
アマテラスとかそういうのと比べてるなら世界が狭すぎるでしょとしか思わん 世界の構造に関する十個の仮説から真実を探す
ドイツ大陸哲学:物自体があり、物自体の表象を人が認識している。
イマヌエル・カント「純粋理性批判」。
仮想現実:この世界は自分中心に作られた世界。
釈尊「諸法無我」
胎児の夢:この世界は胎児が母親のお腹の中で見ている出産されるまでの十か月の夢だ。
夢野久作「ドグラ・マグラ」
世界五分前仮説:この世界は五分前に創造された。
谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」
ホログラフィック宇宙論:この宇宙は二次元の球面に書かれたデータにすぎない。
2010年代の素粒子物理学者
デリダの差異と反復仮説:イデアの世界に我々の現実が反復して、その差異から歴史が作られる。
デリダ「声と現象」
一神教仮説:この宇宙は創造した神が存在を許した愛によって作られている。
聖書やコーラン。
グノーシス主義:この宇宙は失敗作であり、異次元に至高神の創造した楽園がある。
原始キリスト教
模型地球説:この地球は人工の模型である。
雑談で耳にした仮説。
人類周回説:この地球は、人類の歴史を十五万年周期でくり返している。
漫画「のアズノーツ」
どれも可能性として否定できず、論証されつづける仮説群
>>7
いや英語、ドイツ語も一神教的な神(God、Gott)と多神教的な神(god、gott)は同じ言葉やん
綴りを変えてるだけで キリスト教は聖書があるから
聖書をどう解釈するか熱心だな
世の中に合うように人の考えでいろんな解釈が出て来る
真剣に人生を考えるわけだから
ヨーロッパアメリカの人は
しっかりした信念考え持った人が多いわけね
>>28
ゲノムとかビッグバンとかでSAN値が足りなくなって神にすがるなら
仏教徒になればいいのに
宇宙は始まりがなくて四シーズンで破壊と再生を繰り返してて、死んだら輪廻転生、嫉妬深い神もいないぞ
いやになったら脱出(悟る)も可能 >>178
だからいろんな人がいるわけよ
聖書しか信じない人もいれば
聖書から学んで自ら考えて生きる人もいる
さまざまよ
日本人はわからんからすぐに一つに決めたがるけどね >>179みたいにな
聖書一つでもいろんな解釈する人がいるから
聖書解釈が世界中で盛んなわけ
聖書のどこがおかしいという人もわんさかいる
おかしければどう解釈するかが一番重要なわけ聖書は
どう解釈するか頭で考えるわけよ
考えてしっかり生き方を決めていく
日本人には分かりずらい話よ 神が世界と人間を作ったなら、ここで行われることが全て肯定されないのは何故なのか
人間の行うことのうち、神にとって何が善で何が悪かなんて決めることは人間に決めることはできない
>>171
現状の科学では理由がわからない限界があるってことなんだよな ニュートン 「ムムッ!?水星の近日点がズレている!まあ、神の為したもうた業であろうw」
>>71
意識は脳という機械がプログラムを実行した結果を主体的な体験として本人に追認させるための仕組みというのが
最近の専らの説だぞ
物理学的な演算の末に生じている事に疑いの余地は無い 188番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です2018/08/19(日) 09:14:53.78
ジャップランドではお客様が神様だから……
ナポレオン 「ムムッ!?そなたの書物には偉大なる神についての記述がないではないか!」
ラプラス 「陛下、わたくしにはさような『仮説』は必要ございませんでした」
お前らの神のイメージが陳腐なだけで神という存在はどこにでもあるからな
それが物理法則だったり宇宙だったり理のようなものを指しててても否定しそうだわ
プラグマティズム的に考えれば神の存在が善であるならば真であっていい
>>162
つまり整合性、秩序とは誰が作ったのかと言う事だな
あなたは偶然にこの世界ができたと思ってるようだが 物理法則とか生き物の出来具合とか自然の成り立ちとか神がかってるのを思い知るんだろう
頭が良ければ良いほど
宗教持ってたほうが人生捗るだろ
生き方を教えてくれる
>>197
それは宗教信じる必要とは無関係だな
聖書の中の人間の生き方を参考に取り入れることと、聖書をまるまる信じるのとでは話がちがう 仮に居たとしてじゃぁその神を作った存在は何なんだって話になるだろうが
>>1
>どこまでいっても、宇宙をすべて理解した、と言いきることは
>決してできないはずだからです
この姿勢は別に信仰を持たなくても保つことが出来る。
神(聖書や教会が教えるような)を信じることとは
ものすごく距離があると思うんだけどなあ
またそれとは別の問題として、
神(への信仰)は宇宙のはじまりを理解するための手段ではない、
というのものある 日本人は宗教否定する割に
神よりもショボい存在の、声のデカイ奴の信者になって二分論を好んでるね
>>183
わからない部分を神と名付けて満足しちゃうから宗教はクソ 量子力学のせいで観測できたら信じたら良いじゃんっていうスタイルが通用しなくなったからな
>>
人を見れば神に選ばれてるとすぐわかる❗
>>
36
E=MC2とか出来すぎてるだろ。
他にも神がプログラミングしたとしか思えない法則教えてくれ理系諸君。
なんかポップ歌手が壮年越えるとみんなバラードしか歌わなく乗るのと同じで
科学者も煮詰まるのかタオとかエーテルとか言いだすよね
>>200
原因と結果の連鎖の終着点
「すべての生起するものに関し、その生起には原因がある」という考え方は、そのままでは「結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果………」というように、
無限にさかのぼることのできる原因と結果の連鎖が生じてしまいます。
ここで、「<生起するもの>ではない存在」、あるいは「移ろいゆかない特別な存在」を仮定すると、
「結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ 原因・結果 ⇒ <生起するもの>ではない存在」というように、原因と結果の連鎖が最終的な落ち着き先にたどり着くことができます。
「<生起するもの>ではない存在」というのは冗長な表現ですが、イスラームではこれを簡潔に「無始の存在」と呼びます。
イスラームの諸学問の権威であるガザーリー(西暦1111年没)は、以下のように説明しています。
我々は世界の存在にとって原因が必要であると証明したが、我々はこの原因は無始であると主張する。
というのも、もしその原因が生起するものであったならば、その原因は別の原因を必要とする。
さらに、この別の原因は、更なる別の原因を必要とする。(この場合、可能性はふたつあるが、)このような連鎖が、限りなく続くというのは不可能である。
(もうひとつの可能性は)このような連鎖が無始なる存在に終着し、そこで止まるということは確実である。
これこそ我々が求めるものであり、我々はそれを「世界の創造者」と呼ぶ。(ガザーリー、『イスラーム神学綱要』、35ページ、私訳)*1。
以上をまとめると、「アッラーを創った存在は何なのだろうか」という疑問に関する答えは、およそ次のようなものになるかと思います。
この世界にある全てのものは、その始まりに原因を必要とする移ろいゆくものですから、始まりと終わりという限界の中にあります。
それに対して、アッラーは他に原因を必要とするような移ろいゆく存在ではないため、始まりと終わりという限界も有していません。
アッラーはこの世界に存在する全ての限界(時間、空間、などなど)を超越した存在であるので、「原因と結果」という法則性にも縛られることもありません。
このような考え方は、強弱の違いはあっても一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)に共通した考え方だと思います。
一神教世界の人間が「神」という言葉を使うときには、以上のような考え方が背景にあるのだ、日本語の「神」という言葉とはかなり違うらしい、ということに気をつけるとお互いに誤解を招かずにすむと思います。
元ソース
http://islam.ne.jp/allah/allah_saniu/allah_saniu5 ようするに
分からない事の説明に 神 というものを持ち出す事で納得したような気分になるのは
「神という言葉が出てきたらそこで考えるのをやめる」
という思考の習慣を反映している過ぎないわけだよね
思考停止していないのなら、
それを持ち出したせいで、かえって説明できない事が増えただけだと気づくハズだからな
解明できない事や自分の分野じゃなかったり倫理的に問題があると冗談めかして出る言葉やん