「きっかけは大正2年(1913年)に、ドイツの精神医学者クラフト・エビングが性的倒錯について書いた書物『性的精神病理』(Psychopathia Sexualis)が翻訳され、『変態性欲心理』と題して日本で刊行されたことでした」
それを機に「変態とは何か」を巡る研究が活発になり、多くの医師や研究者が次々と書籍や雑誌を刊行していった。
現代では「SM」として一般化したフェティシズムの代表格「サディズム(サド)」「マゾヒズム(マゾ)」という呼び方もエビングによって生み出され、すでに大正時代から使われていた。
『変態性欲の研究』ではマゾの男性の〈倒錯的行為〉として、現代でいう「放置プレイ」を娼婦に求めた45歳男性の事例を紹介している。
〈娼妓は男を裸体にし、手足を縛し、目隠しをし、窓を閉じ、長椅子の上に座らせ、そのまま放っておく。30分後再び娼妓が出てきて縛を解く。こうして男は十分に満足して金を払い立ち去り、約3か月目にまたやってきて同じことを繰り返すのである〉
子供の頃から痛みを快楽として感じるようになった21歳の女性も登場する。
〈彼女がまだ5歳の時、父の友人が戯れて彼女をつまずかせ、鞭打したことから起こっている。以来、鞭打たれることを絶えず希望していたが、一度もその望みが達せられたことはなかった。だがこの希望は空想中に結びついて離れなかった。「棍棒」「鞭打」なる語は強く興奮を起こさせた〉
この女性は男性とのセックスを経験すると、愛する男性から鞭打たれることに興奮するようになり、こう手紙に書き記していたという。
〈打撃は恋愛の証だと考え、恋愛の極度だと思いました。妾は打つということは男にとって最大の快楽であろうと想像しました〉
また、「露出癖」のある女性が存在したことも記されており、その特徴をこう記している。
〈睡眠中に絶えず淫猥なる夢を見、僅少な誘因にも発作し、日中でもその発作を見る(中略)女子の陰部露出症は多くこの症において現れる〉
現代の「イメージプレイ」や「コスプレ」に通じる例も紹介されている。
ある男性が正装して家を訪れると、着飾った姿の女性が出迎える。しかし、これは“設定”なのだ。
〈男は女主人を侯爵夫人と呼び、女は男を伯爵と呼んで挨拶しなければならない。そして男は侯爵夫人に独り会う機会を得たことを幸福とし、夫人を愛していること及び密会を楽しむことを述べる。すると侯爵夫人はこれをキッパリとはねつける。
伯爵は熱情的に侯爵夫人にすがりつき、肩に接吻しようとする。夫人が慌ただしく呼び鈴を鳴らす。予めこのために雇われている下男が出てきて伯爵を戸外へ投げ出す。男はそれで十分に性欲的満足を得て、この一場の仮装劇を終わり、また一定の日に同じことを繰り返すのである〉
大正時代はこのように活発に研究がなされたが、長くは続かなかった。下川氏がいう。
「おおらかだった大正時代が終わり、昭和になってしばらくすると、軍国主義の下で自由な性愛や変態性欲にまつわる研究は厳しく弾圧されるようになりました。大正時代の人々はわずか14年の短い期間だったけれども、自由な性を謳歌できた」
今や「性の多様性が認められる」時代となったが、100年前に生きた人々はより熱心に、より真剣に性愛と向き合っていたのかもしれない。
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20210130_1630486.html
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