◎正当な理由による書き込みの削除について: 生島英之とみられる方へ:
1955年以前の音楽を語りたい YouTube動画>32本
動画、画像抽出 ||
この掲示板へ
類似スレ
掲示板一覧 人気スレ 動画人気順
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/natsumeloe/1714961842/
ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
1954年
"Rock Around the Clock" Bill Haley & His Comets
"That's All Right" Elvis Presley
そーなんだ
まー細かいことは気にしない
最近気になったのはレイブンズ
https://spotify.link/6Zq9FG7cnJb ボーカルグループって普通は声が高いやつが、主メロを歌うのに、なぜかこのグループは一番低い声のやつがリードを取る
テナーがリードを取るCount Every Starもいいよ
それこそ1955年頃に大流行するドゥー・ワップに影響を与えている
Bill Haleyの"Rock Around the Clock"が実はオリジナルではなかったとはね。
Sonny Dae and His Knightsというグループが54年に歌ったのがそうらしい。
オリジナルのほうを聴いてみたが、ただ歌っているという平凡な感じで、
面白味がなかった。この曲はインパクトが力強く、耳に残るB.Haleyの
ほうが断然、ベスト。
この曲が"ロック(R & R)最初の曲"と言われているが、実は大きな間違いで、
以前にもRockのタイトルがついた曲や、R & Rのサウンドは既にあった。
Doo-Wopは、55年以前だったら、黒人のほうが数多いのも見られる。
この時代の曲は聴く価値が多いのも魅力的だ。
RhinoのDoo-Wop Boxは、Doo-Wop初心者にも歴史がわかりやすいのでオススメ。
ジョニーレイがロックンロールの元祖説というのがある
>>2 その2曲ともオリジナルではないらしい
Sonny Dae and His Knights - Rock Around The Clock - 1954
https://yo●utu.be/3MR0vgQr8PU
ja.wikipedia.org/wiki/ロック・アラウンド・ザ・クロック
Arthur Crudup - That's All Right (Official Audio) 1946
https://y●outu.be/LtHW8wpDjkg
ja.wikipedia.org/wiki/ザッツ・オール・ライト
Arthur Crudupの"That's All Right"は再録されたヴァージョンが幾つかあるが、
自分はラジオで再録のほうで知った。1969年の"Look On Yonder's Wall"に
収録されているほう。別の番組で通常のオリジナルが流れたのは
違和感がした。その為、今でもArthurのほうはこの再録のほうが馴染む。
>>8 ロック・アラウンド・ザ・クロックはビル・ヘイリーのオリジナル
契約の関係でレコード化が遅れただけ
ロックの前の時代の音楽について話すのなら
1945年以前にしないと
そっちの方が良かったかな?
まぁ最初にロックって書いてしまった自分が悪いから仕方ないね
みなさんがお好きなように使ってください
ビルヘイリーも「ロック」ではないでしょ
ロックンロールと呼ばれたけどもジャンプやジャイブと大して変わらない
「ロック」はボブディランのライクアローリングストーン以降
それにしたって確固たるジャンルというわけではない
デッカ移籍後のプロデューサーはミルト・ゲイブラーだからな
ルイ・ジョーダン&ヒズ・ティンパニ・ファイブを手掛けていた
55年以前に、Billboard Hot 100で黒人初の全米1位が誰だったのかを
1940年から調べたら、The Mills Brothersの"Paper Doll"(1943)だった。
男性ソロではNat King Coleの" Nature Boy"(1948)だった。
(46年にThe King Cole Trioで"(I Love You) For Sentimental Reasons"を
1位にさせている)
黒人女性の初1位はThe Ink Spots and Ella Fitzgeraldの
"Into Each Life Some Rain Must Fall"(1944)だが、共演になる。
55年以前は黒人女性ソロ名義の1位は1人もいなかった。(R & Bチャートは除く)
55年以後になっても62年のリトル・エヴァのロコモーションまで居ない
黒人女性グループも61年のシュレルズのウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモローまで居ない
どっちも作詞作曲はジェリー・ゴフィン&キャロル・キング
55年以降だったら、最初の黒人アーティストのナンバーワンは
The Plattersの"My Prayer"(1956)になる。
黒人の男性ソロだったら、Sam Cookeの"You Send Me"(1957)。
黒人三大R & R(C.Berry, L.Richard, F.Domino)が全盛期に全米1位を
獲れなかった要因は人種差別の壁が高かったことだろう。
3人の有名曲で当然1位になってもおかしくないのが少なくとも
3,4曲はあったはずだと個人的には思う。
(C.Berryはこの時は1位は獲れなかったが、72年に"My Ding-a-Ling"で初の全米1位を獲得する。)
前年1954年のアメリカはマンボ・ブーム
その人気は翌年の「セレソ・ローサ」の大ヒットへと続く
ところがその曲から1位の座を奪ったのが
例の"あの曲"か。"R & R最初の曲"ではなく、"R & R最初の全米1位の曲"
といったほうが正しいし、わかりやすい。
昔に出ていたビルボードナンバー1ヒットの本では"あの曲"から1位の曲が
解説されていた。
Bill Haleyは54年に"Rock Around the Clock"を出しているがこの時は
ヒットはしていなかった。翌年に映画"暴力教室"の主題曲として1位になったのは御承知。
Bill Haleyは54年に"Shake, Rattle and Roll"を7位に大ヒットさせているが、
元々は黒人R & BシンガーBig Joe Turnerが同年にR & Bチャートで1位の
大ヒットさせたナンバー。オリジナルのほうは独特の渋さが漂うR & Bに
仕上がってるし、B. Haleyはテンポを速くした軽快なサウンドに仕上がっている。
両者共、聴き甲斐があるので甲乙つけがたい。この曲は後に、Elvisもカヴァーしている。
古いC & Wのデュオというくらいの名前程度の認知で、
この辺は詳しくは無い。3,40年代のC & Wは古過ぎてよくわからない。
古いほうだとH.Williams, C.Atkins, H.Snow辺りが馴染む。
突然だけどもフランクシナトラの在籍してたホボーケンフォーはドゥーワップコーラスにカテゴライズしても良い気がする
Hoboken Four SHINE
http://ozsons.jp/HobokenFour.htm ・ジャズコーラス
・ゴスペルコーラス
・バーバーショップコーラス
・ドゥーワップコーラス
まあたぶん全部繋がってるんだよね
ドゥーワップだと合いの手の擬音が強調されてるとか
あと単に時代や地域によって呼び名が変わってきたとか
55年当時はドゥー・ワップと言う音楽用語すら無かったからな
カントリーミュージックの歴史【起源編】
カントリーミュージックの歴史【1930年代編】
カントリーミュージックの歴史【1940年代編】
カントリーミュージックの歴史【1950年代編】
カントリーミュージックの歴史【1960年代編】
https://yougakumap.com/author/writer101/ C & Wは個人的には50年代から面白くなってきたなと感じる。
Hank WilliamsやChet Atkins等がこの音楽を発展させた。
Hank SnowやMarty Robbinsなどはラテンやハワイアンの
サウンドを取り入れたが、基本的にC & Wは保守的な音楽だったので
それまでのC & Wファンからは批判されたところもあったなとも思う。
50年代半ばになると、ElvisやJohnny Cashが出てきて段々面白くなってくる。
50年代カントリーはチャタヌガ・シュー・シャイン・ボーイ(レッド・フォーリー)で明ける
オウエン・ブラッドリー率いるナッシュビルAチームによる初の全米ナンバー・ワン・ヒット
ちなみに彼らによる最新の全米ナンバー・ワン・ヒットは
昨年末のロッキン・アラウンド・ザ・クリスマス・ツリー(ブレンダ・リー)w
Red Foleyの娘Shirley Lee Foleyの旦那は言わずと知れた
あのPat Boone。先月ちょうど90歳になった。
ブレンダ・リーの去年から今年にかけてのNo.1はびっくりした。
しかも3週!
クリスマス・ソングと言えば
40年代末から50年にかけてジーン・オートリーがその手のヒット曲を連発して
カントリーのポップ化に貢献している
そして50年の年末 この年ブレイクしたパティ・ペイジが
クリスマス・レコード「ブギ・ウギ・サンタ・クロース」をリリース
この曲はR&Bのカバーだけど B面のカントリーのカバー曲が
日本にまで影響を及ぼす世界的な大ヒットとなる
そして50年の年末 この年ブレイクしたパティ・ペイジが
クリスマス・レコード「ブギ・ウギ・サンタ・クロース」をリリース
この曲はR&Bのカバーだけど B面のカントリーのカバー曲が
日本にまで影響を及ぼす世界的な大ヒットとな
そして50年の年末 この年ブレイクしたパティ・ペイジが
クリスマス・レコード「ブギ・ウギ・サンタ・クロース」をリリース
この曲はR&Bのカバーだけど B面のカントリーのカバー曲が
日本にまで影響を及ぼす世界的な大ヒットと
そして50年の年末 この年ブレイクしたパティ・ペイジが
クリスマス・レコード「ブギ・ウギ・サンタ・クロース」をリリース
この曲はR&Bのカバーだけど B面のカントリーのカバー曲が
日本にまで影響を及ぼす世界的な大ヒット
>>47 そこはpageだろ
パティの一人ハーモニーにしろ
転調した間奏でのトランペットやピアノの響きにしろ
「テネシー・ワルツ」の大ヒットにはビル・パットナムの功績も大きい
>>48 「ロッキン・アラウンド・ザ・クリスマス・ツリー」やボビー・ヘルムズの「ジングル・ベル・ロック」の
エヴァーグリーンなクリスマス感の要点はハンク・ガーランドのギターなんだが
その事には触れられてないな
>>32の「チャタヌギ・シューシャイン・ボーイ」のB面にもなった
「シュガーフット・ラグ」がハンク・ガーランドの出世作
>>32の「チャタヌギ・シューシャイン・ボーイ」のB面にもなった
「シュガーフット・ラグ」がハンク・ガーランドの出世
1954年の年間4位にクルーカッツのシュブーンがランクインしているが
オリジナルのコーズのヴァージョンもポップ・チャートで9位を記録している
R&Bチャートではなくポップ・チャートでトップ10に入った最初のドゥーワップやロックンロールのレコードとみなされることもある
コーズの「シュブーン」も元々シングルのB面だった
A面はパティ・ペイジのヒットで知られる「クロス・オーバー・ザ・ブリッジ」
「シュブーン」も「クロス・オーバー・ザ・ブリッジ」も
サックスはあのサム (ザ・マン) テイラー
サム・テイラーの代表作「ハーレム・ノクターン」や
”ブロウ!サム”で有名なサミー・デイヴィス Jr.の「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」は
翌55年
サムテイラーと並んで日本で活躍したのがピーナッツハッコー
灰田勝彦の戦前のヒット曲「鈴懸の径」を「プラタナス・ロード」としてアメリカでも発売
ハッコー入りのヴァージョンは1957年だが元々の鈴木章治&リズムエース単独の盤は1954年
鈴懸の径 / 鈴木章治とリズム・エース&ピーナッツ・ハッコー
ダウンロード&関連動画>>


@YouTube キティ・カレンはビッグ・バンド時代の人気歌手で
戦後派のドリス・デイあたりと入れ替わるように46年頃からヒットが減る
その彼女がロック時代の直前に大ヒットを飛ばしたのが面白い
また始まった
キリ番仕込み見かけたら妨害してやって下さ
1954年といえば「Fly Me To The Moon」が発表された年
最初にレコードになったのはケイ・バラードのヴァージョン
Kaye Ballard - In Other Words (Fly Me to the Moon) (1954)
ダウンロード&関連動画>>


@YouTube >>65 ドリス・デイの54年のヒット曲は
代表作の1つの「シークレット・ラヴ」
ドリスのその次のヒットが「イフ・アイ・ギブ・マイ・ハート・トゥ・ユー」
この曲を5年後にリバイバルさせたのがキティ・カレン
ドリス・デイの最大のヒット曲は「センチメンタルジャーニー」
1945年に9週間No.1
1945 HITS ARCHIVE: Sentimental Journey - Les Brown (Doris Day, vocal)
(the original #1 version)
ダウンロード&関連動画>>


@YouTube >>70 wikiによると23週も1位だったと書いてあるんだが、総合チャート(ホット100)は1958年になって初めて統一されて始まったものだから、それ以前には存在してないんだよね
エルヴィスプレスリーの初期と同じ様に部門別に色んなチャートが並列してて、それらの中でいいとこ取りをして合算した数字と思われる
「センチメンタル・ジャーニー」はセカンド・ヒットで
最初のヒット「マイ・ドリームズ・アー・ゲッティング・ベター・オール・ザ・タイム」と連続してる
この曲と1位争いしてたのがハリー・ジェイムスの「アイム・ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト」(歌 キティ・カレン)
アーサ・キットの「私の心はパパのもの」My Heart Belongs To Daddy
洋楽の好きな亡き母が買ってきたSP盤で何回も聴いたというか聴かされた
あの独特なハスキーな声が印象に残ってる忘れられない思い出のレコードだ
この曲を聴くたびにに母のことを思い出す
証城寺の狸囃子
1952年(昭和27年)、ジーン・クルーパ・ジャズ・トリオが『証城寺の狸囃子』を『Badger’s Party』という題名でカバー。
1955年(昭和30年)、アメリカ人エンターテイナーのアーサー・キットが『証城寺の狸囃子』を『Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon) 』という題名でカバー(英詞:Bill Walsh)。
>>73 コール・ポーターの名曲だな
アーティー・ショウ&キティ・カレンの録音も名演
二人のジューイッシュ・ルーツがよく出ている
アーサ・キットのショージョージは伴奏がChina風でじつに不愉快
西洋人は昔から(今でもそうだが)日本をChinaと一緒くたに考えている
当時発売された日本関連のレコードも書体がChina風だしな
>>73 歌詞が凄いんだね
My Heart Belongs To Daddy 訳
https://ameblo.jp/jazznaoko/entry-12659764031.html 私の心はパパのもの:Lyrics:マリリン・モンロー
https://ameblo.jp/prunelle-hitomi/entry-11261893621.html アーサーキットの生い立ちを読んだので父親への愛情を歌わせられたなんてかわいそうだなあと思ったんだけど、実の父親じゃなくてパパ活のパパの話だったw
マリリンモンローのヴァージョンだと出だしが「私の名前はロリータ」で始まるし、当時としてはかなり過激な内容の歌だったんだろう
いや、今でも充分にスキャンダラスな歌詞だと思う
テレビなどまだ一般家庭に普及していなかった頃
ラジオが唯一の家庭の娯楽であり楽しみだった
とくにラジオの音楽番組が毎週楽しみで聞いていた
そのときにスタートしたのがS盤アワーでいろいろな有名アーティストの歌や演奏が聞けた
オープニングのエルマンボが流れるとワクワクしたもんだ
帆足まり子の語り口も感じがよく好きな音楽番組の一つであった
昔はCMやラジオで流れてくる見知らぬ音楽を聞いて記憶を頼りにレコード屋に駆け込んだ。そうやってたくさんの音楽と触れあえる時間が楽しかったよ。
今はYouTube使えば何でも聴けるからね。
>>79 そういう時代の方が今より確実に中身を吸収できますよね
YouTubeはラジオと違って未知の曲を「自分のもの」にするまでに相当時間がかかる
新聞記事に似てて、せっせと毎日読んだとしても得るそばから忘れていく
つまり音楽というよりただの情報になってしまっている
まだステレオ装置が一般家庭に普及していなかった時代
トランジスタラジオが十代の若者のあこがれだったな~
とにかくカッコよかったし欲しかった
でもうちはバカヤロ親父が酒と博打にうつつを抜かしてそれどころではなかった
あの家庭を大事にしなかったバカヤロ親父が今でも憎い
死んだときはホッとしたよ これほど家族に憎まれた糞オヤジはいなかったぞ
55年頃はまだ真空管ラジオの時代だろ
5球スーパーとか
日本のブルースの女王・淡谷のり子先生
その頃って何を持ってブルースとしてたんだろ
ロバートジョンソンより年上なんだぜ
SPレコードからLP盤のHi-fiな音を聞いたときは驚いた
あにジージー音がなくなったんだから
>>83 「クロスロード」→「霧の十字路(森山久)」→「別れのブルース」
当時のレコードプレイヤーはピックアップに
SP用の針とLP用の針が切り替え用に付いていた
今だったら考えられない装備だ
メジャーなクリスマスヒットを2つ持ってるから
今でも年末になると耳にする
CMっぽいロバータ・フラックよりペリー・コモのKilling me softly ... の方がよいと 💬
民放のテレビで「ペリー・コモショー」という音楽番組を放送していた
そのあとNHKで放送した「アンディ・ウィリアムスショー」も人気があって毎週見ていた
「ミッチと歌おう」なんてのもあったな
戦後来日した初の大物アーティスがペレス・プラード
世界中にマンボブームを巻き起こした最高のエンターティナーであった
セレソ・ローサなどは全米ヒット10週連続第1位を記録
日本には何度も来日し、1965年にはビクターの依頼によりアルバムまで録音した
ジャケットには半被姿のペレスと楽団メンバーが写ってる
Memphis Minnie
Henry Thomas
Robert Johnson
1954年にディマジオと新婚旅行、進駐軍慰安をかねて来日したマリリン・モンロー
取材陣はすでに過去の人となったディマジオを無視してマリリンだけに集中した
それがディマジオの感にさわり帰国後すぐに離婚してしまった
>>70のレス・ブラウン楽団が
ドリス・デイの前の女性歌手の時に放ったヒットが
「ジョルティン・ジョー・ディマジオ」
ディマジオの後継者のミッキー・マントルは
テレサ・ブリュワーと組んでショボいヒットを放った
>>92-93 1953年12月サッチモ
1956年9月ペレス・プラード
1957年11月ジーン・クルーパ
1958年4月ザビア・クガート
1958年9月ポール・アンカ(ポップス系では初)
1958年11月リカルド・サントス
1959年1月ワンダ・ジャクソン
1959年6月ジーン・ヴィンセント
1960年4月ニール・セダカ
>>96 ジュディ・ジョンソン 存命で現在100歳!
>>97 1956年ミッキーが三冠王になった年に発表ね
ジーン・クルーパの初来日は1952年4月
その時に録音したのが
>>74 ああ進駐軍相手だけでなく日本公演もやったんだね失礼
1957年にはベニー・グッドマンも来日している
東京のスタジオで「あなたの思い出」Memories of Youを録音した
ジーン・クルーパーが来日したとき
ジョージ川口が出演してる日本橋のクラブに遊びに行った
川口のドラムにイニシャル「GK」の文字が入っているのを見て
自分のドラムセットを他人が叩いてるといって激怒したエピソードは有名
最近ジーン・クルーパをよく聴くようになったけど、学生の時まちがって買った時は
うわ~古いと思って即売り払ってしまった 真っ黒いジャケのLPだけどdiscogsを見ても
該当するものがないので海賊盤だったのかもしれない
1950年代当時のホテルのトイレはすでに洋式だったんだろうな
和式などが設置されてたらみっともないもいいとこ
旅館とは違うんだから
ポール・アンカが初来日したとき、あまりの素行の悪さで人気を落とした
まだ十代のガキがあんなことしちゃダメだよ
来日して日本をバカにした態度をとって人気を落としたアーティストはたくさんいた
エディ・フィッシャーを知ってる人はまずいないだろう
日本では雪村いづみがカヴァーした「オー・マイ・パパ」で有名
あと「いとしのシンディ」などのヒット曲がある
移民してきたユダヤ人でデビー・レイノルズ、エリザベス・テイラー、コニー・スティーヴンスと結婚し、
「スター・ウォーズ」で一躍有名になったキャリー・フイッシャーは
デビー・レイノルズとのあいだにできた子供だ
今でもまあまあ有名じゃない?
エディ・フィッシャー・サウンドに欠かせないヒューゴ・ウィンターハルターも含めて
一時はポール・サイモンがエディ・フィッシャーの「オー・マイ・パパ」だったw
エイムス・ブラザーズ
ユー・ユー・ユー、裏町のお転婆娘のヒット曲で有名
"We shall overcome"のように原曲とヒット曲がかけ離れている例があるので
レイ・ヘンダーソンの"The thrill is gone"(31年)とロイ・ホーキンスの"The thrill is gone"(51年)が
同じ曲だと思っていた。前者はジャズの名曲でチェット・ベイカーなどが歌っていて、後者はBBキング
の持ち歌として有名だ どちらも良い曲で好きだ。
エディ・フィッシャー、エイムス・ブラザーズそしてペリー・コモといった歌手たちを
ヒューゴ・ウィンターハルター楽団らが支えていた50年代RCAヴィクターのヒットシステム
それを一変させたのがエルヴィス・プレスリー(とチェット・アトキンス)
スリーサンズというアコーディオン、オルガン、ギターのみのトリオがいた
誇り高き男、ジェルシミーナ、魅せられしギターなどの曲が有名
なんたってトワイライトタイムなどノーマンキャンドラーとならんで最高の演奏だ
スリー・サンズのギタリストがアメリカ音楽界で大きな影響力を持つのは
50年代後半以降の話
ダイナ・ショアという歌手がいた
日本では「青いカナリア」で有名になったが本国ではまったくヒットせず
ゴルフのほうで有名になってしまった
マリオ・ランツァというオペラ歌手がいたが映画、テレビで遊び呆けて
わずか38歳で逝ってしまった
>>117 マリオ・ランツァといえば『学生王子』ビルボードで42週1位
レス・バクスター楽団の「パリの可哀そうな人々」
ラジオの音楽番組のテーマ音楽として使われていた
いまでも耳に残っている
さざなみきょうは、あいつにむかってる、け●すけへ、団塊へ、無限な地獄
さざなみきょうは、あいつにむかってる、け●すけへ、団塊へ、無限な地獄
>>113 スリーサンズのギターってリズムを刻むだけのプレイだよね
ドラムが居ないからギターがリズムを刻んでいるのかね
ユーゴーウィンターハルター楽団は「カナダの夕陽」のみの一発屋で終わった
のちにアンディウィリアムスもカヴァーしている
「カナダの夕陽」は56年のヒット曲(エディ・ヘイウッドの「ソフト・サマー・ブリーズ」も)
55年以前で有名なのは52年の「ヴァネッサ」
レス・ポール 電気ギターの草分け
多重録音を初めておこなったギター奏者
チェット・アトキンスにも多大な影響を与えた
ヴォーカルの多重録音を初めてやった歌手がパティ・ペイジ
アメリカの音楽市場はフランスやアルゼンチン、南米などの外国曲に英語詞をつけて
ヒットさせる商売法がうまい
ジョージア・ギブスの「キス・オブ・ファイア」もそのひとつ
原曲はアルゼンチンタンゴの名曲「エル・チョクロ」だ
グレン・オッサーのアレンジも素晴らしい
ジョージア・ギブスとグレン・オッサーは
シャンソンの「バラ色の桜んぼの木と白い林檎の木」を51年にカバーしてるが
この時の彼女らの盤は大ヒットには至らなかった
ジョースタッフォードといえば「霧ロンドンブリッジ」の大ヒット曲で有名
ほかには「ユー・ビロング・トゥ・ミー」もあった
「バラ色の桜んぼの木と白い林檎の木」は55年に
ペレス・プラードによるインスト曲「セレソ・ローサ」として大ヒットする
同じく55年を代表するインスト大ヒット曲が、これまたシャンソンの「枯葉」
ロジャー・ウィリアムズのピアノとの協奏曲のようなオーケストレーションを施したのが
グレン・オッサー
アメリカを代表する名トランペッターといえばハリー・ジェイムス
ベニー・グッドマン楽団に在籍してこともある
独立後のSleepy Lagoonは大ヒットとなった
「枯葉」をアメリカで最初に歌ったのがジョー・スタッフォード
英語詞はジョニー・マーサー
ジョー・スタッフォード&ジョニー・マーサーと言えば「キャンディ」
コーラスはジョーの古巣のパイド・パイパーズ
「キャンディ」に続いて、パイド・パイパーズのみで放ったヒットが
有名な「ドリーム」(ジョニー・マーサー作詞作曲)
>>141 ありがとう
やっぱりイブ・モンタンだつんだ
モンタンがお遊びでシャンソン名曲集をCBSから出した
ステレオ録音だったので飛びついて買ったけれど
完全に手抜きの歌唱で期待外れであった
モンタンの枯葉を聞くのなら古いモノラル録音のものがいい
ピアノ伴奏のオデオンレーベルで発売されてたものだ
「枯葉」がジャズ・スタンダードになったのはロジャー・ウィリアムスのヒット以降?
レコード会社が本格的にステレオ録音を開始したのが1950年代末から
クラシック界ではすでにDECCAが1954年にステレオ盤を発売している
初の全米1位ステレオシングルは
ドアーズのハロー・アイ・ラヴ・ユー(1968)
3,40年代のほうはマイナーでも全滅だろうな。
50年代前半の有名なほうはいなくなってしまったが、マイナーなほうとなると
存命者はまだ数人はいそうだ。
50年代前半の大物の存命者はTony Bennettで終わった。
ハリー・ベラフォンテというカリプソ歌手がいたっけ
バナナボートは日本でも大ヒット
浜村美智子がカヴァーしていた
Harry BelafonteもTony Bennettと同じ年に亡くなった。
もうこのへんだと次に訃報が来そうなのはPat BooneかJohnny Mathis
あたりだろう。
ワンダ・ジャクソンというダミ声のロック歌手がいた
女版プレスリーで一時人気を博した
彼女が歌ったフジヤマ・ママは日本への原爆投下ネタなのに
日本でもヒットして雪村いづみがカバーした
戦後の日本人はGHQに自虐的精神を植えつけられ骨抜きにされてしまったからだろう
別名"ロカビリーの女王"ことWanda Jacksonは日本でも知られており、
代表曲"Fujiyama Mama"で馴染んでいる人達も多い。
だが、それは日本だけのことで本国アメリカでは"Let's Have a Party", "Right or Wrong"の
認知が高い。ロカビリーブーム絶頂期には来日もした。現在87歳で今も現役。
>>154 "Fujiyama Mama"の歌詞に広島や長崎の地名が出ているが、ネットで調べたら
こんな訳詞があった。
広島や長崎の様にアンタをぶっ飛ばすよ! 私が一度爆発したら誰にも止められないよ!
酒をがぶ飲みダイナマイトが煙草がわり、アンタの頭をニトロでぶっ飛ばすよ!
2都市の地名を物の例えとして歌詞に入れただけで、原爆とは全く関係ない。
大胆で俗的な発想がいかにもアメリカらしい。所詮、ネタはネタ。
いかにもWanda Jacksonらしい歌。
Wanda Jacksonも54年からレコードデビュー、初めはC & Wだったが、後にR & Rに転向、
60年代に入ると再びC & Wと元の鞘におさまっている。日本でもLIVEを含むLPが数枚発売され、
70年代にも幾つかの編集盤が出ていた。"Rockin' Wanda Greatest"には代表曲の
"Let's Have a Party"は通常でなく、60年代のLIVEのほうが何故か収録されていた。
ジーン・ヴィンセントという一発屋がいたっけ
「ビー・バップ・ア・ルーラ」はロカビリーの代表曲として日本でも受け入れられた
1959年に来日、日劇ウェスタンカーニバルにも出演して当時のロカビリー三人男の
山下敬二郎、平尾昌晃、ミッキーカーチスと一緒に収まったフォトは貴重だ
ダスティ・スプリングフィールドやリンダ・ロンシュタットで有名な
Silver Threads And Golden Needlesのオリジナルがワンダ・ジャクソン
ジーン・ヴィンセントもワンダ・ジャクソンも
同じキャピトル・レコードでプロデューサーはケン・ネルソン
Gene VincentもR & Rの重鎮だが、ヒット曲となるとこれが意外と少ない。
本国アメリカでチャートインしたのは"Be-Bop-a-Lula"含む4曲のみ。
OLDIESファンにはヒットの4曲以外にも"Say Mama"や"Mr. Loneliness",
"Over The Rainbow"などでも知られている。
"Mr. Loneliness"はR & RというよりもPOPで軽快な作品で日本だけヒットした。
ティーンポップ好きには向いているかも。
Johnny Guitar Watson - Space Guitar - 1954



@YouTube Johnny Guitar Watson - Too Tired - 1955



@YouTube ja.wikipedia.org/wiki/ジョニー・"ギター"・ワトソン
en.wikipedia.org/wiki/Johnny "Guitar" Watson
1952-
ブルース R&B ファンク
カール・パーキンスといえば「ブルー・スエード・シューズ」
デビュー当時のプレスリーがすぐカヴァーしたロック初期の代表曲
プレスリー初のアルバムでもA面1曲目に収められたほどの有名曲
他のアーティストたちにも取り上げられてパーキンスの代名詞になった
ビートルズでさえも「ハニードント」「マッチボックス」をカヴァーしたんだから
ビートルズでさえもって
カール・パーキンスのダンス・アルバムは
アマチュア時代のビートルズの基本レパートリー集だよ
Smiley Lewis - Bells Are Ringing - 1952



@YouTube Smiley Lewis - I Hear You Knocking - 1955



@YouTube ja.wikipedia.org/wiki/スマイリー・ルイス
en.wikipedia.org/wiki/Smiley_Lewis
1930s-1960s
Blues New Orleans R&B
Carl Perkinsの有名曲も、70代後半のリアル世代だったら、
"Blue Suede Shoes"はElvisだし、 "Honey Don't","Matchbox"はThe Beatlesになるんだな。
この当時の日本ではCarl Perkinsは殆ど知られていなかったらしい。
名前が知られるようになったのはおそらく70年以降だと思う。
遅れ世代のOLDIES好きはCarl Perkinsといったら"Blue Suede Shoes"で知ったはず。
資料を調べるとCarl Perkinsの日本盤シングルは50年代に1,2枚程度、60年代にDECCAから
マイナーな曲が1枚出ていただけ。
ここでのCarl Perkinsは1932年生まれのR & R界の人物になるのだが、
JAZZ界だと同名異人物(1928-1958)のほうになる。
>>159 Dustyのほうは正確はThe Springfieldsで、この曲はアメリカでヒットした。
日本でThe Springfieldsのシングルが1枚出ていたが。これとは別の曲。
Wanda Jacksonの"Silver Threads And Golden Needles"は個人的には
通常よりも69年のLIVE'In Person"のほうを好む。
みんなプレスリーがロックのパイオニアだと勘違いしているがとんでもない大間違い
なんたってビル・ヘイリーという先駆者がいなければロックは誕生しなかった
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は8週間連続で全米1位を記録した記念すべき曲
映画「暴力教室」で使用されたことが大ヒットに拍車をかけた
他にもプレスリーがカヴァーした「シェイク・ラトル・アンド・ロール」のヒット曲もある
Rhythm and Blues Revue (1955年)



@YouTube 00:00 [INTRO - Willie Bryant (host), with Freddy & Flo]
05:08 Lionel Hampton "Vibe Boogie"
08:06 Faye Adams "Every Day"
11:23 Bill Bailey (tap dancing)
13:37 Herb Jeffries "In My Heart (There's A Song)"
16:12 [SKIT: Freddy & Flo]
20:35 Amos Milburn "Bad, Bad Whiskey"
24:17 The Larks "The World Is Waiting for the Sunrise"
25:53 [SKIT: Freddy & Flo]
27:55 Lionel Hampton "Bongo Interlude"
31:
リトル・リチャード、チャック・ベリー
これほどロックミュージシャンに影響を与えた歌手はいない
ビートルズがアメリカに初上陸したときのインタビューで
もっともリスペクトする歌手は? と取材陣の問いにはっきりtぽ
わずか22歳で散ったバディ・ホリーほど残念なアーティストいない
誰も彼の名など知らないだろう
>>174 Albert Ammonsはブギウギのピアニストとして有名。
息子のGene Ammonsはテナーサックス奏者として有名。
共通するのはJAZZメンであり親子だが、2人共40代の若さで亡くなっている。
Albert AmmonsはAlfred Lionが1939年に創設したJAZZレーベルで
初レコーディングをしたアーティストの1人。(当時はLPでなくSP盤)
それがJAZZ史上最も有名なレーベル"BLUE NOTEである。
アンドリュー・シスターズとマクガイアシスターズ
当時は人気を二分したコーラスグループであった
全盛期が違うからな
マクガイア・シスターズのライバルはフォンテーン・シスターズ
4人組だとコーデッツ
ザ・スパイダース
en.wikipedia.org/wiki/The_Spiders_(American_band)
R&B Gospel Doo-wop
1947-1957年
The Spiders - Sukey, Sukey, Sukey - 1954



@YouTube The Spiders - I'm Slippin' In - 1954



@YouTube バックビートを効かせたコンボ演奏やブロウするサックスソロ
サウンドで決めるならフォンテーン・シスターズの「ハーツ・オブ・ストーン」が
最初の全米ナンバーワンR&Rレコードかもしれない
>>177 The Andrews Sistersは3,40年代、The McGuire Sistersは50年代のイメージ
両者共ヒット曲の2,3曲しか知らない。
"Sincerely"はThe M.Sistersのほうで知った。この時はオリジナルの
The Moonglowsなんかまだ知らなかったな。
>>178 The Chordettesは日本だと"Lollipop"のイメージだが、本国アメリカとなると
"Mr. Sandman" や"Born to Be with You"のほうだろうな。
("Lollipop"はアメリカでも全米2位になっている)
カントリー&ウェスタンの大御所であるハンク・ウィリアムズの話題がないのが寂しい
シンガーソングライターとして一世を風靡した歌手だったのに
ハンクの没後アメリカでさえも忘れられた存在になってしまった
日本ではジミー時田がカントリー歌手として活躍していたっけ
アメリカでは全然忘れられてないだろ
没後70年以上経つのに
50年代のC & W界にはHankの名のつく大物が3人いた。
Hank Williams
Hank Snow
Hank Thompson
Hank Williamsはあまりにも有名なので4,50代でも聴く人はいるが、
後者2人となると聴くとしたら殆どが70代以降のほうだろうな。
ハンクスノウの「フール・サッチ・アズ・アイ」は
いろいろな歌手によってカバーされたが、いちばんヒットしたのがプレスリー盤だ
本家のハンク盤はスローテンポだがプレスリーは軽快なテンポで歌い全米2位を記録した
>>188 "A Fool Such As I"はHank Snowの歌で"I'm Movin' On"と共にラジオで知った。
その後でElvisのほうを知ったな。
Hank Snowは個人的に好きなC & W歌手で、70年代に日本で出ていた編集盤
"I Went To Your Wedding"は今でも愛聴している。
>>188 エルヴィスをパーカー大佐やRCAレコードと結びつけたのがハンク・スノウ
Hank Williamsは"Jambalaya (On the Bayou)"から入った。
それからは"I'm So Lonesome I Could Cry", "Mansion On The Hill"などを知って、
彼の数々の名曲をラジオで知った。
"I Won't Be Home No More", "(I Heard That) Lonesome Whistle"は通常よりも、
実際は共演していない息子Hank Williams Jr.とのデュエットのほうで馴染んだ。
(従来のトラックに何箇所かは新たに録音されているし、全体的にバランスが悪い)
今でも無性に聴きたくなる時はあるな。
Hank WilliamsはC & W界の革命的な人物でこの音楽の歴史には重要な人物。
C & Wはこのあたりから面白くなってくる。
ディジー・ガレスピー
Dizzy Gillespie feat. Charlie Parker - A Night In Tunisia



@YouTube The Legendary Town Hall Concert New York 1945年
ディジー・ガレスピーの「マンテカ」が無ければ
ビートルズの「アイ・フィール・ファイン」も生まれなかったかもしれない
"Manteca"はDizzy Gillespieが作曲したJAZZのスタンダードナンバー。
スペイン語で「ラード」という意味だそうだ。
DizzyはJAZZにラテンを取り入れたこともあってAfro-Cuban JAZZの創始者としても知られている。
この曲でコンガを叩いているのはChano Pozoという人物で同曲の共作者の1人だったが、
粗暴な性格だった為、48年にハーレムで何者かに殺害された。
Chino Pozoはボンゴ奏者でChano Pozoのいとこに当たる人物。
Fats Navarro(tp)の"Jahbero"という曲でボンゴを叩いているのは彼だ。
ナット・キング・コールの大好きな歌「トゥー・ヤング」
ヘビースモーカーであったため肺癌で45歳で亡くなった
じつに惜しいことをした
ナット・キング・コールはロック誕生前夜の重要なアイコンのひとつ。
トリオ時代を含むシングル曲を集めたアナログ・アルバム「アンフォゲッタブル」では、
ヴァーサタイルな音楽性を披露している。
John Lee Hooker - "Boogie Chillun" - 1948



@YouTube John Lee Hooker - "I'm In The Mood" - 1951



@YouTube ジョン・リー・フッカー
en.wikipedia.org/wiki/John_Lee_Hooker
1930s-
Blues
55年以前で、ビルボードで1位になった黒人のソロはNat King Coleだけ。
48年の"Nature Boy"が黒人ソロ歌手としての初の全米1位となる。
Natは"Mona Lisa","Too Young"でも1位を獲得している。
黒人が1位を獲るというのがありえない時代でこの快挙は奇跡としかいいようがない。
他の黒人ソロが1位になるのはSam Cookeの"You Send Me"で57年のこと。
The Mills Brothers - The Old Man Of The Mountain (rare performance on film) 1933



@YouTube The Mills Brothers - I Heard 1934



@YouTube ミルス・ブラザース
en.wikipedia.org/wiki/The_Mills_Brothers
Jazz, traditional pop
1925-1982
The Mills Brothersは黒人4人組のJAZZヴォ-カルグループで25年に結成、初めは兄弟4人で
活動していたが、36年に長男が急死、兄弟の父親が亡くなる67年まで在籍することになった。
彼等は31年のデビューから50年代前半まで1位曲含むヒットが数多く、チャートインを68年まで
残した。以後も82年まで続け、メンバーは高齢で次々と他界、最後の存命者だったDonaldは99年に亡くなった。
3,40年代に活躍したThe Ink SpotsはThe Milles Brothersと同じ頃に活躍した
黒人のヴォーカルグループで39年に"If I Didn't Care"が全米2位の大ヒット、
これを機に52年まで1位曲含む数多くのヒットを出した。だがこの絶頂期に
メンバーの死去や脱退なども見られ、54年にはグル-プは解散した。
その後はオリジナルに加入していない者がグループを名乗ることもあったらしい。
彼等の代表曲の一つに"To Each His Own"(46年全米1位)がある。
この曲は後にThe Platters, Marty Robbins, Sam Cookeなどにカヴァーされ
68年にはFrankie Laineの歌が82位にチャートインした。
プラターズがドゥー・ワップ・スタイルから路線変更した
"My Prayer"もインク・スポッツのヒット曲のカバー
その前にクライド・マクファターには傑作"Have Mercy Baby"が
>>205 これは知らなかった サンキュー
Billy Ward & The Dominoes - Have Mercy Baby (Clyde McPhatter lead vocal, 1953)



@YouTube en.wikipedia.org/wiki/Have_Mercy_Baby
Billy Ward & The Dominoesは"Have Mercy Baby"もそうだけど、初のR & Bチャートで
1位になった"Sixty Minute Man"も欠かせない。
このグループはClyde Mcphatterを輩出しているが、もう1人ソロになって大活躍した人物がいる。
その人物の名はJackie Wilson。
1913年シカゴに生まれ4,50年代のポピュラー界で数々のヒットを放ったFrankie Laineは
45年に歌手デビュー、翌年の46年MERCURYからの"That's My Desire"が全米4位の初大ヒット
となり、以後も"That Lucky Old Sun", "Mule Train""The Cry of the Wild Goose"の3曲が
1位を獲得した。51年にCOLUMBIAに移籍。ここでも"Jezebel","Rose, Rose, I Love You", "Jealousy (Jalousie)",
"High Noon (Do Not Forsake Me)", "I Believe", "Granada", "Moonlight Gambler" etc..
56年までに数多くのヒットを放った。だが、充実するのもここまでだった。
R & Rの進出の影響でヒットは出なくなり、63年の"Don't Make My Baby Blue"が最後のチャートとなり、
そしてとうとうCOLUMBIAを去ることなる。
Frankie Laineといったら、日本では"Rawhide", "Gunfight at the O. K. Corral",で
御馴染み。日本ではヒットしたが、アメリカでは2曲ともヒットはしなかった。
2曲とも西部劇映画の主題歌なので彼がC & W歌手と思われがちなところもあるが、
実際はれっきとしたJAZZ,ポピュラーシンガーである。
有名OLDIESナンバー好きもこの2曲には親しみがあるが、それ以外になるとマニア通のOLDIES好きや
ポピュラー好きになるだろうな。
ja.wikipedia.org/wiki/アーサー・クルーダップ
en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Crudup
1939-
Delta blues
Arthur Crudup - My Baby Left Me - 1950



@YouTube Arthur Crudup - So Glad You're Mine



@YouTube 例の曲がエルヴィスのデビュー・シングルとしてカヴァーされたのは
レコーディングの休憩時間のおふざけがきっかけだったのが面白い
The Clovers - One Mint Julep - 1952



@YouTube The Clovers - Devil or Angel - 1955



@YouTube ザ・クローバーズ
en.wikipedia.org/wiki/The_Clovers
1946-
R&B, rock and roll, doo wop
"Devil or Angel"は1960年にボビー・ヴィーの出世作になるが
クローヴァーズのカヴァーを最初にポップヒットさせたのは
1952年のケイ・スター"Fool, Fool, Fool"
The CloversはOLDIESファンだったら、やっぱり"Love Potion No.9"で知って
馴染んだだろう。これは50年代後期の頃になるが、
ここだとAtlanticの時期になる。ここでもR & Bチャートで幾つかのヒットがあるが、
自分は51年の初ヒットの"Don't You Know I Love You"が一番馴染むな。
"Fool, Fool, Fool"はサン・レコード時代のエルヴィスのレパートリーでもあった
ちなみにエルヴィスの63年のヒットシングル"Bossa Nova Baby"は分裂後のクローヴァーズの曲のカヴァー
B面ヒットの"Witchcraft"は
>>179のスパイダースの曲のカヴァー
"Heartbreak Hotel"以前の白人ポップヒットで
最もブルージーなのがケイ・スターの"Fool, Fool, Fool"かもしれない
lud20250101131807
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/natsumeloe/1714961842/ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「1955年以前の音楽を語りたい YouTube動画>32本 」を見た人も見ています:
・1955年以降の音楽を語りたい
・【VOCALOID】ボカロPの音楽語り場マイリス1【UTAU】
・1995年以前の音楽がCMに使われたら上がるスレ
・好きな音楽語ろう🎶
・土曜の夜だしクラシック音楽語ろうぜ!フルオケでも室内楽でもなんでもOK!楽器、作曲家、演奏家、指揮者、なんでも語ってけ!
・【悲報】支店グループ、もう1年以上地上波ゴールデンタイムの音楽番組出ていない
・【音楽】ティアーズ・フォー・フィアーズ、10年以上ぶりとなる新曲を発表
・2010年以前ってなんであんなに漫画やアニメや音楽の名作がぽんぽん出てきたの??????????????
・【音楽】初心者ギタリストの90%が1年以内に楽器を諦めている フェンダー報告 ★2
・2016年オリコン年間ランキングが発表 日本音楽史上最低と言われた昨年以下の酷い内容のランキングに
・【社会】違法ダウンロード、刑事罰を拡大。漫画や小説など「静止画」に適用。映像や音楽と同様、2年以下の懲役か200万円以下の罰金★2
・【音楽】平松愛理 作詞に半年以上 デビュー30周年「部屋とYシャツと私~あれから~」
・【悲報】大物日本人ラッパーZ氏「Mステや大型音楽番組などに毎回ラッパーを呼ばない日本の音楽業界はアメリカより30年以上遅れてる」
・【音楽】<YOSHIKI>求めあれば吉本問題でアドバイスも「自分は契約書でがんじがらめになっている米国で20年以上やっている」
・【音楽】ロジャー・ダルトリー、「今後5年以内に声が出なくなると思う。年齢には勝てないよ」とコメント
・【音楽】高橋幸宏が40年以上前に書いた未発表曲を盟友スティーヴ・ジャンセンが完成させて公開 (1/11) [少考さん★]
・ブレスオブファイアシリーズの音楽語ろうぜ Part2
・【音楽】矢井田瞳 4年ぶり弾き語りライブ、7・3開催「楽しい夜にしたい」 [鉄チーズ烏★]
・5年前のPCで音楽つくりたいんだが
・ゲイが語りたい音楽(邦楽)
・ワイ「クラシック音楽について語りたいなあ」敵「クジラックス?」←これやめてくれよ
・【音楽】今こそ語りたい、なぜフジファブリックの“若者のすべて”は僕らの背中を押すのか
・【芸能】小池徹平、俳優20周年で音楽活動に意欲 「弾き語りやライブで感謝を伝えたい」 [フォーエバー★]
・ちょっと!5年以上前のAVが発売禁止になるわよ!?
・【悲報】switch、20年以上前のPS2に何もかも負ける
・2000年以降の大会前の優勝候補と実際の優勝校の戦前評価を詳しい人教えて
・【悲報】エロゲファンの話題にする作品、10年以上前の奴ばかり
・韓国メディア、また誤用 昭和10年以前の福岡の写真を「軍艦島徴用工」
・【安倍晋三】建設統計、19年以前の分は廃棄 GDPへの影響検証、困難に
・日本一が20年以上も前のファントムブレイブの続編引っ張ってきたけど
・50年以上前の映画ってメインキャストの半分くらいは既に亡くなってる人なんだよな
・40年以上前の「フィアット500」を、EV化して販売 AT免許で運転OK
・今から20年前の音楽チャートトップ15が神曲しかないと話題
・20年以上前の性的行為 娘に対する実父の賠償責任は? きょう判決 [蚤の市★]
・ひまわり動画大犯罪者ナナミ「PCがまた壊れてしまい10年以上前のオンボロ低スペックPC使って何とかやってる」
・【貴重】南極で50年以上前のコカ・コーラ缶が発見される。観測隊が持ち込み [記憶たどり。★]
・【円安】「日本の大バーゲンセールが起きている」 円は40年以上前の1ドル300円と同じ最安値★2
・【バースデーイベント】アンジュルム川名凜さん、2014年以前のつんく曲にしか興味無いよのお知らせ
・【横浜】みなとみらい 音楽会場 新設続々と コンサートの市場規模拡大、5年前の2倍に
・【#MeToo】トルドー加首相にセクハラ疑惑浮上、20年以上前の痴漢行為について被害者とされる女性が声明発表
・3年前の反ワク「接種すると2年以内に全員死ぬ!」→2年前「3年以内に全員死ぬ!」→去年「5年以内!」→今「10年以内!」 いつ死ぬんだよ
・【そろそろ】競馬板で競馬以外の話題を語りたくなる理由【整理しよう】
・江戸川区ってやべーとこなん?「他校の生徒と交流禁止」東京・江戸川区の中学校の“謎ルール”。きっかけは20年以上前の「暴力沙汰」
・90年代以前の人々「2010年代の音楽ヒットチャートはアイドルだらけ?みんな耳が腐ったのか?」
・専門家「YOASOBIがヒットしたのは10年前のオタクの耳に優しい古い音楽だから。ちゃんと今の音楽も聴けよ。」
・【音楽】ワム「ラスト・クリスマス」、35年前のMVが“新しくなって”公開
・【音楽】「どんどん衣装がきわどく」「くい込みが…」 テイラー・スウィフト、以前のステージとの「比較動画」が話題 [ぐれ★]
・小山田圭吾、28年前の週刊誌インタビューでチャゲアス、B'z、米米の音楽をボロクソに叩いてたことが判明!😰
・【音楽】北山宏光 ソロ1stアルバム『ZOO』発送遅延「音源に不備」 直前の発表を謝罪「改善に努める」 [冬月記者★]
・【音楽】グライムス、イーロン・マスクとの間に生まれた子供の名前の由来を語る「未知の変数」、「愛ならびにAI」、「大好きな飛行機」 [湛然★]
・【音楽】長州力 #ボブ・マーリー を語り歌う…似顔絵まで披露! [湛然★]
・【音楽】あいみょん、弾き語り/アリーナツアー2本発表 渋谷舞台の新曲MVも公開!
・【音楽】堂本剛、ファンクは「拒絶されがちなジャンル」曲に込める"隠し味"を語り『奥深い』と話題
・【音楽】あいみょん:「マリーゴールド」をギター弾き語りで披露 多部未華子と共演のCMで
・【Eテレ】森山直太朗&高山一実がMCの音楽番組で「バンドブーム、そしてブルーハーツ」弾き語りカバーも披露 3月11日放送 [muffin★]
・----1986年以前の釧路を語るスレ-----
・【霞ヶ関】若手官僚の7人に1人「数年以内に辞めたい」に危機感 テレワーク定着など働き方改革抜本強化へ FNN ★2 [次郎丸★]
・【1910年以前の韓国 飢餓と人身売買が横行】韓国人は正気の沙汰ではない【ソウルは汚いことと臭いことでは世界一】[6/4]
・音楽を面白く楽し見たい方
・築10年以上の物件に住んでるけど新築に住みたい
・ホラー映画みたいな音楽を作りたい
・我も音楽系YouTuberになりたい!
・日本人の4人に1人「5年以内に1回以上死にたいと思ったことがある」
09:48:13 up 99 days, 10:47, 0 users, load average: 13.53, 12.33, 12.58
in 0.022083044052124 sec
@0.022083044052124@0b7 on 072522
|