140試合制で達成された王の55本(当時の日本新)は?
130試合制でわずかに及ばなかったバース54本は?
イチローの年間最多安打(当時)は?
中島の三冠王は?
など
触発記事
https://news.yahoo.co.jp/articles/32ae9f052f8d254dda0ef2e147a6b573f1f29928 そういえば、1987年に新井宏昌選手がシーズン184安打を記録した際、
当時のスポーツニュース等で「130試合制では歴代最多安打」とよく報じられていたのを思い出しました。
>>1の記事に於ける「注釈」ですね。
シーズン50本塁打以上を記録した打者の本塁打数を
143試合と500打数でそれぞれ揃えてみた
バレンティ(ヤ)2013 本60/試130/打数439 本66.00/試合143 本68.34/打数500
Aカブレラ(武)2002 本55/試128/打数447 本61.45/試合143 本61.52/打数500
落合博(ロ)1986 本50/試123/打数417 本58.13/試合143 本59.95/打数500
王貞治(巨)1973 本51/試130/打数428 本56.10/試合143 本59.58/打数500
王貞治(巨)1964 本55/試140/打数472 本56.18/試合143 本58.26/打数500
王貞治(巨)1977 本50/試130/打数432 本55.00/試合143 本57.87/打数500
落合博(ロ)1985 本52/試130/打数460 本57.20/試合143 本56.52/打数500
Aカブレラ(武)2003 本50/試124/打数457 本57.66/試合143 本54.70/打数500
バース(神)1985 本54/試126/打数497 本61.29/試合143 本54.33/打数500
ローズ(近)2003 本51/試138/打数508 本52.85/試合143 本50.20/打数500
ローズ(近)2001 本55/試140/打数550 本56.18/試合143 本50.00/打数500
松井秀(巨)2002 本50/試140/打数500 本51.07/試合143 本50.00/打数500
小鶴誠(松)1950 本51/試130/打数516 本56.10/試合143 本49.42/打数500
野村克(南)1963 本52/試150/打数550 本49.57/試合143 本47.27/打数500
参考
王貞治(巨)1974 本49/試130/打数385 本53.90/試合143 本63.64/打数500
王貞治(巨)1976 本49/試122/打数400 本57.43/試合143 本61.25/打数500
王貞治(巨)1966 本48/試129/打数396 本53.21/試合143 本60.61/打数500
割るのはその選手の出場試合数じゃなくて
所属してたチームのシーズン試合数じゃないの
バレンティンとか調整遅れで開幕直後欠場してたわけだし
バレ砲が異次元だったのが分かる。
確か、8月頃まで2試合に1本以上のペースだったんじゃないか?
試合数が多ければ1シーズンあたりの負担が大きく、早めに潰れるから
やっぱ2000本安打はない。
逆の考えだが今130試合だったら投手の最多イニングはもっと少なくなってるのか
二リーグ後のリーグ最多イニングはワーストは2000年近鉄前川の173回だけど
去年の中日大野やSB千賀の方がリーグ戦試合数との比率は低い
>>12 単純に移動日が多くなるなら、試合数の減には比例しないだろう。
田淵政権時代のダイエーは暗黒そのもの。
年間40~50勝程度。
最強だった西武には年間4~5勝しかできなかった。26試合対戦で。
でも、秋山をトレードで獲得したのをきっかけに、潮目が変わったよね。
あのトレードは全盛期を過ぎていた秋山の数字以上に影響力があったと思う。
数字だけ見ると、平和台時代は弱いイメージありますが、弱いのはあくまで投手力で、打線は魅力的でした。
ノーガードの打ち勝つ野球や、代打攻勢、閉店間際のお祭り野球。
最後まで攻めにまわり逆転を信じて最後までファンは帰らない。
今みたいに序盤に大量失点したら、打線もたんぱくになり、期待できないような感じはなかった。
平和台時代のまだ弱かったけどのどかで牧歌的なダイエー時代を思い出してしまいます
古き良き時代だったのかもしれません