臨死体験では出会ったことのない祖父や妹に対面した事例。臨死体験中
脳が停止していた事例があります。死後の世界はあるのでしょうか?
本来は死ぬような運命では無かった
不意の事故とかで死んだとかで
前世を細かく覚えてる場合が多いですよね
まだ死ぬ運命じゃなかったんでしょう
脳が停止していても臨死体験があるということは
夢みたいなものじゃないということなのかな
唯一の死亡体験者である木内鶴彦さんは
自身の経験から、臨死体験として多くの人が語っているのは幻覚であると結論
付けていました。木内さんの話は説得力もある一方、織田信長は殺されずにバチカンへ行っていた等、興味深く必ずしも否定しれない目撃談を残してます。
後から来た人間のほうが五月蠅い法則ある
主観の問題とか言われるかもだけど、犬をギャン吠えさせたり、大音量大騒ぎパリピ、カーテンしないとか
ぶっこんでくる、ぶつの質と頻度と継続時間が違う。
アメリカの脳神経外科医、エベン・アレグザンダー氏は
自分の臨死体験から、死後の世界はあるという
>>1
死後の世界はあります。
http://2chb.net/r/psy/1488880926/
の48レス目のHPに紹介されている「喜びから人生を生きる! ー 臨死体験が教えてくれたこと」という最近の世界的ベストセラー本に、医学的な不思議を兼ね備えた臨死体験が載っています。
これを読むと、死とは神の懐に抱かれた快適な休息の場で、現世とは努力や達成感を体験するための一時的なドラマ劇場と言えるように思います。 母が亡くなって、20年ぶりにオカルト系の世界に戻ってきたんだけど
日本で信頼できる死後世界経験者って、木内鶴彦だけだと思って調べてみたけどなんだかなあ
月から水が降ってきたとか恐竜と人類は共生してたとか、飛鳥昭雄あたりの影響でしょ
最初期の本にある死後世界の描写だけは本当かもと思って、それなら輪廻転生やこの世界はシミュレーション仮説
胎内記憶の話を一つにまとめられるような気がしたな
医者に死亡宣告受けたのは木内だけだから、信頼できる死後体験なのに
初版の95年当時には既に発表されてて流行だったトンデモあすかあきお説を自分のものとして
出してるから、信ぴょう性がなくなったから残念だなあってこと
月からの水の量を計算したらでたらめだとわかるし
昔の地球は重力が弱かったから巨大化した、金星は重力が弱いからグレイみたいになった
というのが同時存在してる普通のトンデモ
無視できない事例がいくつかある気もするんだよなぁ。
木内鶴彦を、理系人間による臨死体験者だと持ち上げてるやつがいるけど、経歴を見る限り、ただの高卒だよね?
底辺高校卒なのい、ガジェット類をスペック性能レビューしてたら勝手に理系だと持ち上げてる
ユーチューブリスナーみたいなもんか
偏差値低すぎわろたw
人の命は 過去世から 現世に そして 来世へと永遠に続いていくと言われている。
現在 この世に 生まれている人達は 前世からの 業因によって 様々に 差別を受けて 生まれてきている。
誰一人として 全く同じ 境遇の人は いないだろう。
それは 前世での 行動によって造られた、 今世の自分が 形成されているんだ。
自分には 記憶にないので 信じられないだろうが、 心の億底には 深層部に いい事わ悪いことが、ちゃんとそこに、 刻印されているんだよ。
臨死体験とは、 あくまでも死の間際まで 行ったが 死ではない。
死というのは、 断末魔の嵐の 吹きすさぶ、 激痛を通り越した 先にある、 せいじゃくで 暗黒の世界なのだ。
そこには 光り輝く 世界でもなく 。お花畑もない。
漆黒の世界の中で 光といえば、 真っ赤に燃え盛る 赤鉄、 地の底に渦巻く 溶岩の世界があるだけだ。
それが俗に言う 地獄の世界が 待っているだけ。
大聖人という仏様は、私達の死後のことをこのように仰せです。
地獄に落ちて 絶え間なく 炎に焼き尽くされるような、 大苦悩を感じている時は「次の世に人間として 生まれた時は、 何を差し置いても 絶対に「 仏法僧の三宝を扶養して、 後生の成仏を願って行こう」 と思っているはずなのに、 いざ人間界に生を受けると、 名聞名利の 心に囚われたりして、 なかなか 仏道修行を貫くことができない。
と言われています。
>>19
おまえが実際に死んだこともないのに、なぜか知ってるかのように語る詐欺師w 生命に備わる外界の対象を 識別する、9つの作用のことを九識と言う。
> 眼識、耳識、 舌識、 鼻識、身識、意識の 六識に 無意識層の七識(未那識)さらに その奥の深層域、八識(阿頼耶識)善業ー悪業を蓄積し一切の諸法を生じさせる種子内蔵するところ。
>
> 次の九識は、阿摩羅識と言って、 生命の 最も根本の対応 そのものである故に 、識としての 対象を 識別する義はないが、 前の 八識との 関係において 仮に識の字を当てたものである。
人の記憶の範囲は 、心の中の 六色までで、その深層部の 七識、 八識は到底 思い出すことはできない。
>
> しかし 思い出せないからと言って 、何もないのかと言うと、 そうではない。
>
> そこには 過去世で積んだ 善行、悪行の 数々が 克明 記録されて いるのだ。
>
> そのまだ深層部に九識がある 。そこは 一切の法の 根本にして、 生命の主体である 、常住不変。 無垢清浄の 真如の都がある。 そこを 九識心王真如の都と言っている😄
あの世のことは 、今世とあの世を 何度となく 繰り返 した 釈尊が 言ってることなので絶対に 間違いはない。
> 釈尊はあの世の光景を つぶさに 話して聞かせると、 聞いている人は、 その凄まじさに 血を吐いて死んでしまうので 、話さないだけなのだ と言っている。😂
心の奥底の最深部分に九識という領域があるが、 そこは外部からは、到底感じ取ることは できない。
仏界という清浄無垢の 心が 誰の心にも 備わっている 。
その仏の心 を慂現させて成仏の境涯に 近づいていく修行が仏道修行なのだ。
しかしその心の奥底に 備わっている、仏界の生命を、 ほとんどの人が知らないし、 また 知ろうともしないのが現状だ。
おまえが実際に死んだこともないのに、なぜか知ってるかのように語る詐欺師w
これらのことはすべて、 何度となく生死を繰り返し悟りを得た、お釈迦様が 証明していることなのだ。
>
> 信じる信じないは、 あなた達の自由です。
> そのことが理解 できない人たちは、 仏の境涯を 湧現することなく、地獄へ落ちて 行くだけなのだ。
> その時になって、 やっと この意味が 分かるというものだ。