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始まりは33人と犬1匹 浄土平が「天文ファンの聖地」になった理由
標高1575メートルの吾妻連峰・浄土平(福島市)。かつてここで国内最大規模の「星まつり」が開かれていた。福島県内の天文愛好家が世話役となり、1975〜84年の毎年夏に開催された「星空への招待」だ。33人と犬1頭で始まったこの催しは、最盛期には全国各地から2000人近くが集い、いつしか浄土平は「天文ファンの聖地」と呼ばれるようになった。
「中学時代に天文雑誌で知って以来のあこがれでした」。そう振り返るのは、会津若松市出身で国立天文台(東京都三鷹市)の副台長を務める渡部潤一さん(60)だ。小学生の時から流星観測をするなど、星好きだった。
地学部に所属した県立会津高校時代、2度、「星空への招待」に参加した。最初はバイクの免許を取った友人の後ろに乗せてもらって日帰り。2度目は父親の車で出かけたが、土砂降りで、結局、星空は見られなかった。それでも「いろいろな人が自作の天体望遠鏡を持ってきて自慢し合っていた。見たこともないような珍しい望遠鏡もあり、面白い大人がいっぱいいた」と、印象深かったという。
「星空への招待」の名物司会者だった大野裕明さん。犬のチロをデザインした記念Tシャツは大人気だった=田村市星の村天文台で2020年12月25日午後2時半、西川拓撮影
見知らぬ星好き同士が大勢集い、手作りの機材を見せ合い、星空を楽しみながら夜通し語り合う。こうしたスタイルの星まつりは、それまで国内にはなかったという。「米国にはそういうイベントがあると海外の天文雑誌で知り、ぜひ日本でも開きたいと思った」。世話役だった一人で、今は田村市星の村天文台長を務める大野裕明さん(72)は話す。
75年8月30日、猪苗代町の中津川渓谷に近い駐車場で開かれた第1回の「星空への招待」で“事件”は起きた。はくちょう座で最も明るい「デネブ」という星が2個見えると、参加者が言い出した。暗い星が突然明るくなる「新星」という現象がデネブの近くで起きたのだ。この発見を天文台に速報しようと、大野さんは居合わせた天文学者を車に乗せて猛スピードで山を下りた。
「電話を借りようとした民家で、ちょうどテレビでこの新星のニュースを放送していた。すでに発見されていたんです。スマートフォンもインターネットもない時代、山の中にいたわれわれだけが知らなかった」と、大野さんは笑う。ただ、こうした顚末(てんまつ)も含めて天文雑誌で紹介され、「星空への招待」は有名になったという。
翌年からより広い浄土平に場所を移した。世話役の一人、天体写真家の藤井旭さんの愛犬で、「星空への招待」の象徴的存在だったチロの人気もあり、参加者は年々増え続けた。参加条件は「車で来ること」のみ。火山帯のため、すぐに避難できるようにだ。中には自転車やヒッチハイクで何日もかけて来た人もいた。雨にたたられたこともあったが、中止はしなかった。大野さんは「雨でも望遠鏡や星の話で一晩中、盛り上がった。星の力はすごいと思った」という。
81年にチロが死んだこともあり、「まだやってるの、と言われる前にやめよう」と、第10回の節目の84年を最後に「星空への招待」は惜しまれつつ終わった。「人生で一番楽しい時期だった」と、毎回、司会を務めた大野さんは懐かしむ。
集まって星を楽しむイベントがなぜ、これほどの人気を集めたのか。浄土平の星空の美しさに加え、大野さんは「今みたいに簡単に情報が得られる時代ではなかった。望遠鏡の作り方、天体写真の撮り方など、そこに行けば誰かに教われるということが大きかったのでは」とみている。
「星空への招待」に触発され、同じスタイルの星まつりは全国に広がった。現在、国内最大規模の「胎内星まつり」(84年〜、新潟県)や「原村星まつり」(94年〜、長野県)などが有名だ。
県内でも92年から20年間、石川町で「スターライトフェスティバル」が開かれ、2012年からは田村市星の村天文台がこれを引き継いだ。「星空への招待は終わったが、遺伝子は受け継がれている」(渡部さん)のだ。原点となった浄土平には、国内で最も標高の高い場所にある公開天文台が整備され、今も天文ファンが訪れている