濃尾平野をちょっと高い山から見下ろすと理由がわかる
九州、中国地方が勝てるわけがない
国内(中国地方)を守れ、天下を目指すなと元就が遺訓にした引きこもり大名だから
ソースは司馬遼太郎
今長州の殿様ってなにやってるの?
家臣たちが勝手に明治革命を起しただけであって毛利家は関係ありませんなんてことがあるのか?
そもそもこの時代に天下統一目指してた大名なんて数えるほどしか存在してないよね
立地E
スタートE(大内家の属国でさらに陶晴賢を破った所がスタート)
毛利元就って信長の野望全国版でクリア出来るの?
すぐ寿命で死ぬんだけど
大友や尼子をようやく滅ぼしたころには信長が機内を制圧してたからな
何もかもが遅すぎた
スタート基盤D
大内尼子に挟まれてよく両方潰せたと思うわ
尼子倒したあたりで
元就40代、息子20代だったなら
普通に天下狙えた気がする
信長とはスタート地点が違う
謙信や信玄も実際スタートから上位なんだよね
尼子経久という天井
晴久も無茶苦茶優秀だった事がわかって来たし
関東だと小山田が武田北条今川ぶっ潰すぐらいのレベル
信玄は大内スタート
謙信と信長は陶晴賢スタートぐらいなんだよな
というか天下統一目指すメリットなかったんじゃないの
国力は全然Sじゃない
博多を失って朝鮮からも大内家の後継と認められずに勘合貿易もできなくなっていて
元就時代は領国も大して広くない
同時代の三好家とは逆立ちしても勝てない圧倒的な国力差があった
堺まで押さえられればわからなかったが信長に先にやられたんじゃむりだろうな
>>11
早かったから活躍できたんじゃないか・・・ 2304160504230523トランプさん、中国に2億1100万ドルの借金があることが判明 返済期限は2期目 [195740982] (26レス)
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10: (ワッチョイ 1ec5-Btmo) 04/25(土)19:56 ID:olCtm8/h0(1/3) AAS
>>8
キャッシュはあんまたいしたことないから
返済するの結構大変そうではある
というかこれ中国国有企業からの借金の全貌が謎だな、
分かってるだけで2億1100万ドルてだけで
11: (スップ Sd9e-Orpn) 04/25(土)21:20 ID:Z7tH+Dp0d(1) AAS
ワロタ
そらアメリカ人に塩素飲ませようとするわw
こんなのが大統領ww 大内義隆はホモだった
小早川隆景は美少年だった
隆景は生涯正妻一人しか娶らなかった
嫡男が生まれなかったので豊臣家に乗っ取られた
関ヶ原でそいつが西軍裏切って戦国時代に決着がついた
>>7
江戸屋敷をテレビ朝日に売り払ったりして
かなりカツカツして暮らしているらしいぞ 九州に手を出したから
大友が尼子再興軍や浦上等を手を結んで毛利を苦しめた
再興軍鎮圧に帰国させた米原綱寛が反旗を翻して居城に立て籠もるなどgdgdが多数
しかし、その後の長州の礎を気づいたことにより、実質日本政府=長州になってしまった ある意味天下統一だろこれ
>>1
大友が強すぎた
九州を警戒しすぎたな
信玄と同じ 立地やね
中央がやっぱ強い
信長も桶狭間とか地方統一とか険しい地域だったけど
美濃を制してからは天下楽勝モードだった
謙信はマジで狙えたけど本人にやる気なし
今川は尾張征服したらいけたな
>>21
京都周辺を攻略すれば朝廷脅して詔使えるからなw
織田が岐阜を吸収した時点で情勢を覆すのは難しい
謙信は詔で大軍率いたときにやらかしちゃってオワコンになったらしいな >>7
革命って
新時代を迎えるにあたって邪魔になる下級武士をうまく処分しただけで旧華族を見れば徳川も力を失ってないのがよく分かる
上級にうまいこと騙されて末端の戦闘員が捨てられただけだよ 言うても家は五大老になってるしかなり恵まれてるだろ
今川武田上杉と渡り合ったのに影薄い北条と比べたら
元就と信玄と謙信はやり方によっては天下採れただろうな
そもそも元就の全盛期って自ら天下統一とかいう考えあったの?
管領になるとかじゃなくて?
厳島の戦いが1555年
元就は1497年生まれ
58歳の挑戦
全国統一は、ちょっと
安芸の1国人が大内尼子の二強体制を崩して中国地方を制覇し、九州や四国に進出した時点で十分凄い
>>54
そりゃ引きこもり拗らせて自滅したアホだし… 周りに上杉の戦馬鹿いなければ後北条氏が関東平野で領民に施ししながら平和に過ごせてたのに
国力は大したことないだろ
田舎なのに島津と同じで過大評価されてる
きたじょうとかいう薄情野朗が毛利の親戚って事が驚きだわ
毛利とチョウソカベはやろうと思えばチャンスはあったんじゃね
あの当時上手くすれば天下統一出来たのは三好ぐらいじゃない?
信長がいる時点で他の誰も天下は無理
九州平定すら厳しいだろう
京都の政局に関わった大名は
最後みんな弱体化するから
子供が居るからだろ
子供が居ないと自分の子を養子に出して
うまくいけば天下人になってくれるかもってなる
秀吉は賢すぎる
むしろそういうことすんなよって遺言かなんかしてるよな
場所が悪い
大内も毛利より勢いあったけどだめだった
今でもクソ田舎なの見ればわかるだろ
人がいねえんだよ
高望みしてもどうにもならん
土地がやせてるとは思わないけど人口が少ないんじゃないの
今でもクソ田舎なの見ればわかるだろ
人がいねえんだよ
高望みしてもどうにもならん
大友と同盟組んで徳川役にして東に全力してたらなんとかなったかもしれん
博多ってそんな魅力的だったんかね?
謙信に政治的センスと野心がもうちょっとあったらifのが可能性が高い
謙信に政治的センスと野心がもうちょっとあったらifのが可能性が高い
>>89
意外と知られていないよね
あそこからスタートしてあの大国を造ったのはやっぱり異常な能力だったんだと思うわ 当時の日本って人口の大半は京都と大阪に集中してたんだろ?
ド田舎の辺境を平定してても意味ないわ
中国地方が関東地方に喧嘩うってもアホかって思うだろ
関ケ原も明治維新も国が大きな構造変化を迎えた時に一番抵抗勢力になる武器を持った末端戦闘員を処分するための茶番だと見ればいい
だてに1300年も天皇制が続いてるわけじゃない
日本の教科書なんかで洗脳されるなよ
>>98
その関東が山口のど田舎の奴らに抑えられたのが笑う >>93
謙信は北畠顕家みたいな感じで
京都抑えても結局維持できないと思う 国力、国力という割に日本の首都が岐阜じゃないのは何故
謙信は内政力は高かったんだよな
外交と知略が単調過ぎて将軍の補佐しか考えない古い脳みそだったのが泣ける
伊達武田上杉北条毛利長宗我部大友島津
テレビゲームのせいでこのへんがみんな信長みたいに天下統一目指してたと勘違いさせちゃったよな
現実は自国内の豪族や国人を滅ぼしたり取り込んだりしながら領土維持して
たまに隣の大名と小競り合いしてただけだ
歴史にIFがあったとしても信長みたいなポジションになれてた可能性があるのは
今川三好斎藤浅井朝倉くらいだろ
>>46
大内家の博多や三好家の堺がもたらした利益に比べたら全然小さい
>>76
島津宗家も南海交易の中継港として堺と琉球を結んで莫大な収益を得ていたので
土地は痩せていても大量の兵士や鉄砲を賄えた >>98
昔から東日本の方が西日本より人口が多い
弥生〜平安時代で西日本が追い上げるも
関東開発で突き放される >>106
島津家には島津製作所とかいう
チート会社があるからなw >>103
最近読んだ本じゃ本当に室町幕府再建するつもりだったとかあったからなあ
考え方がちょっと古いんだよね >>107
武田は信玄が家康なみに長生きしてれば
可能性はあった
長篠でも信玄なら負けなかっただろうし >>104
国の中心が京都のままだったら福井とか岐阜、滋賀は大都会だったのかも
とはいえ平地だから関東が開発されたわけだからどうだかな マツダが天下統一するようなもんだよな
ヨタには勝てんわ
2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
毛利氏とはこれに登場するであろう鎌倉幕府別当大江広元の四男の子孫が没落して安芸に土着したもの
>>114
広大な関東平野を抑えていた後北条が間抜け&甘すぎた >>107
三好はワンチャンあったのになぁ
足利にがっつり絡み過ぎた 次男と三男を政略結婚させて地盤固めて長男に家督継がせて安泰かと思ってたら
長男が早死にしてさらに長男の息子がそんなに優秀じゃなかった
天下統一とかたるいことやってられるかよめんどくせえ
大内、大友という西の大大名を倒しただけですげーわ
姉小路クラスが武田上杉を倒すくらいのジャイキリ
毛利なんて織豊勢に比べたら全然大したことないよな毛利の援軍を待ちながらどれだけの領主が見殺しにされたか
戦争知略Sって言うけど大友と争って九州の支配権を失ってるからな
中国地方でしか活躍できなかった時点で早生まれの長宗我部元親でしかない
元就よりもスタート時のパラメータが悪かったのって秀吉くらいじゃね
徳川幕府みたいに洗練された?統治システム作れる可能性があるのは
今川か北条だと思う
信玄が上洛途中で死なずに織田をぶっ叩いていれば足利幕府が滅亡することもなく権威も復活して幕府の有力御家人同士の権力争いになったはず
三好 だいぶ落ちて 六角 までじゃないか可能性あんの
五畿内を抑えられる位置に本拠地のある勢力じゃないとそもそも話にならんし
毛利は内部に一向宗抱えているので石山本願寺と敵対できないから
スタートラインにも立てない
畿内の寺社勢力と敵対できないようなところはどうにもならんよ
>>138
つーか戦国時代の統治研究って北条氏の研究ばっかだって話だな、資料的なあれで 中国地方って地形図見ると平地めっちゃ少なくて驚く
広島も狭くて、よく発展したな
というか
いち国人が下剋上で幕府から武田氏に代わって正式に安芸守護に任じられただけでもすごいのに、山陰山陽10ヶ国の太守になって
幕府相伴衆、従三位陸奥守まで上り詰めたのは空前のすごさ
毛利は尼子と日本海公益、大友と博多の公益を争っててそことって維持するだけで手一杯
農民じゃなく経済、商人の観点で見るとなぜ天下をとれなかったかわかる
>>138
今川も北条も家臣団は優秀で
大名本人も悪くない能力なんだよな
負け組はゲームでは抑えられ過ぎな感があるな 適当なハーレムがあって一番良いもの食えて
それでなお命をかけて領地を広げようと思うキチガイは居ない
>>124
ないわー
勝頼に代代わりしてなかったらそれ以前に空中分解してる
信虎末期よりも酷い状況だったのに 秀吉の中国攻めで和睦を結ばなかったら、毛利が天下を取ってた確率ってどれくらい
日本の地形だと海軍が強ければ何でもできるアドバンテージあったのにな
信長みたいに、兵農分離してずっと戦争できる体制を整えて、
秀吉、光秀みたいな掘り出し物の人材を登用しないと、天下人にはなれない
織田家以外は、本拠地の遥か遠方で、大軍を動員し続けるシステムがないから、地方の大大名までしかなれない
>>114
室町から戦国時代は技術革新で畿内周囲の生産力向上が凄まじく
人口も関東を圧倒してる時代 【謎】「玉木雄一郎」ってなんで完璧なスペックで一番王道の政策提唱してるのにカリスマ感がないの
【経歴】東大法→財務官僚→ハーバード
【思想】中道右派(日本人浮動層の最大ボリュームゾーン)
【ルックス】50歳には見えない。イケメン俳優顔
【スタンス】政策実現のためなら自民・共産問わず対立せずに交渉
【性格】極めて温厚、失言なし、ヤジに対する煽り耐性高
【カネコネ世襲要素】一切無し
【支持率】全政党中最低
なぜなのか…?
日本海と瀬戸内の交易押さえて博多津が影響範囲だろ?
多分当時の日本だったら東進する意味ない筈
息子が長生きしていれば・・・
でも弟たちにコンプレックス持ってて大したことなかったらしいから大して変わらんか
>>124
最近の考察では信玄より勝頼の方が戦上手とされているのだが 大寧寺の変以後の大内の後継的ポジションに座るには生まれが悪すぎたから
本人の能力が高くても国が国人衆の連合みたいなもんだからな
毛利が高陣なんて言われるように常に気を使ってないといけないレベル
山口県と広島県を見ればわかるよ平野部分が少なくて生産性にかけてるから
>>156
大事なとこで自民に迎合しようかしないか迷って出遅れるから目立たない 信虎のほうがなんというか中央集権化させてたり
ある意味先進的だったりしない
当時は九州と畿内を結ぶ瀬戸内が
日本で最も重要な交通の幹線
農業技術も東西で100年くらい差があった
>>157
唯一、大阪港にはこだわってた
本願寺を意地になって支援してたのはそれ
荒木村重との密約もそれ
荒木村重は毛利のとこに逃げてる 天下統一というと凄いことのように思えるけどその成れの果てが安倍ちゃんでありジャップランドだと思うと途端にショボく思えてくるよね😃
>>143
北条が貫高制だったからそっちの研究は進んでるんだけどな 元就死亡1571年の時点で100万石ちょい
この時の信長は上洛して250万石
元就が少し長生きして姫路大阪に攻めてきても1573年には浅井朝倉が滅亡してるから無理ゲー
>>135
対毛利担当の秀吉がスーパーチートだったから跳ね返されただけで
普通なら荒木の離反で一気に上洛して
織田政権を粉砕できるぐらい外交攻勢で押しまくってた 知能D、子供D、家臣D、学歴F
の晋さんは天下統一したのに
アベノミクスの三本の矢ってここから来てんの?
だったら不吉やん
楽市楽座ってのが単純な規制緩和だと勘違いしてるのがあかんのかなあ
あれって座の後ろ盾になっている既得権益層の寺社勢力を徹底的に潰し
自分らの統制が効く商人にすげ替えるってことなのにな
>>175
どちらにせよ小早川が逃げるだけの状況で東軍勝利不可避だろうね >>50
>謙信は詔で大軍率いたときにやらかしちゃってオワコンになったらしいな
くわしく >>175
ケンモメンに本気出せと言うようなもんだからなあ 元就は妾腹の子を冷遇し過ぎたからな
てか逆に正妻を孕ませて子を産ませまくったのは
前田利家なんかも同様だだけど
良くも悪くも小身からの叩き上げ故って事でもある
>>182
多分家臣の謀略能力はSだったんだろうよ 明智と挟みうちで秀吉打ち取った後に明智も滅ぼせば天下取れた
いやいやいや。
後の長州藩になって幕末を制して明治政府を牛耳り、
全国の首相輩出No.1を誇って
今の日本を支配してるのは毛利一族だぞ。
輝元は勝てると思って西軍に付いたんだろ
当初は東軍と互角だったし
>>185
火葬戦記なんかだとそれとセットで関所廃したり領民や水軍の税取規制したりしだすよな
そんなんしたら暮らしていけず荒れまくるに決まっとるやん 宇喜多秀家が居なければ何が起きたかってのは考えると面白いか
いやこんな強くねーだろ
昔から信長の野望じゃ能力弱かったぞ
最近強くなったのか?
毛利より北条氏はもっとできた気がする
大平野支配しておいてもっとできたろ
信長の野望創造じゃ地理的条件は最強だぞ
無理に拡張してたか転びした大内さんの例があるからね
欲出して際限ない拡大戦争するより
地域の盟主あたりでいたかったんだろうね
というか元就なんてずっと戦続きである意味不幸な人生だわな
三村救援の名目で宇喜多攻めた時に大敗してから領土広げることが出来なくなった
まあ、元就の孫がへたうって家康により減封、長州(山口県)に国替えとなったが
幕末、長州藩が先陣きって反幕府ののろしを上げ、高杉晋作の功山寺挙兵に最初に駆けつけた伊藤博文が明治維新後に初代首相
現首相の安倍晋三も山口が地盤
歴史は繋がってるよ
>>185
織田家は大徳寺や法華宗と結びついて交易利権を得てたんだけど
織田家が宗教勢力と対立したなんてのはそれこそ後世の創作 隆元と輝元が盆栽やったから
小早川隆景の方がよく世間と渡り合っている
>>144
広島市岡山市にしてもいまある平地は埋め立てで作ったもので元々の平地はさらに狭い
下手したら山陰の方が元の平地は広いくらい インフラ構築ができなかったからだろうな
信長(秀吉)のスピード統一の鍵はそこにある
寺で火の中で自殺するよりよっぽどいいじゃん、信長ダセエ元就エライ
>>197
違う違う
毛利が中核となって西軍を興したんだよ
でも毛利にとっては豊臣政権の運営よりも
領土拡張のほうが大事だった
だから関ヶ原そっちのけで他を攻めたりしてるし 当時は一番早い足で馬
それも今のスラリとした早い馬でもなければ数も少ない
その意味で車とか新幹線がある今よりももっと距離感があった
そういう部分でも野心が低かったんだろうな
それより引きこもってやりたい放題やってたほうが楽しかったんだろう
親の代から勢いのあった信長と違って国衆スタートで天下は厳しい
元就自体は何もしくじってない
毛利の領地が無ければ関ヶ原の報酬が払えないレベルだったから
初めから家康は毛利解体ありきだったことを見抜けなかった3兄弟が甘ちゃん
もともと統一目指してた人な訳?
中国地方収めるのが目的で人生かけて達成した人ってイメージ
>>114
現代ですら西日本の方が人口多いくらいだぞ >>209
平野だったからこそ
道幅が広い軍事道路を
作れた訳だからな 三兄弟仲良くじゃだめなんだよな
一人一人がしょぼいってことやからな
他二人を殺して自分が継ぐくらいの人間だったらもっと国が大きくなってたかもね
「天下取り無理!」って判断も含めての知謀100なんだろうな
大内氏なんか自他ともに認める百済王朝の末裔で
苗字聞いたら平家の末裔なの一発で分かる人がいっぱい
そんな土地です
ゲームだと島津と毛利はイージーモードだけど現実は違うと
>>221
大内家の正当後継者を目指して
博多と北九州、石見銀山と中国地方の西半分の確保を目指してたけど
大友との抗争に敗れて北九州は放棄して東に向かった ほんとうなら5大老に3兄弟が選ばれてたくらい息子優秀
>>2
信長が家督継ぐくらいには中国制してたのにもったいない >>172
毛利氏…大江氏は鎌倉幕府創設時、源頼朝の右腕、No.2の地位にあったからな。
後に、執権北条氏に追い出されたけど >>195
むしろ実態としては、毛利そのものが下剋上くらってる形だな。
今のさばってるのは、維新の元勲の直系でもないし。 >>207
他の兄弟は無能ってほどではないが、小早川隆景の才覚は飛び抜けるやろ 今でも田舎は田舎なのにこの時代じゃ攻める価値すらないよだから引き籠りなんだし
>>2
これな
わざわざ遺言で子どもに天下を争うなって言ったくらいだし 国力Sはないだろ?
信長は肥沃な濃尾平野を持ち、京都に近いという最良の条件に恵まれていた
日本地図見れば分かるよ
安倍が総理大臣になれたのは
キチガイの高杉晋作のおかげ
豪族・一族連合の体質が抜けきっていなかった
ガタイは大きく見えるけど内実は旧型の戦国大名そのもの
秀吉に比べたらスタート地点は言い訳にならないけどな
>>240
明治新政府は厳格すぎたからね
子孫のために美田は買わずで
今みたいに無能なくせに世襲だからで政治家させてない 毛利は戦争嫌いで基本的にびびりなんだよ
関ヶ原だって毛利勢がちゃんと動いてれば100%西軍が勝ってた
>>246
よくて国力Bぐらいだな
途中の近江も石高と経済力たけーしな 中央に近ければそのぶん現実味が湧くし情勢も掴みやすいんだよな
辺境にいるとと絵空事にしか思えなくなるのは現代と一緒
300年正月にぐちぐち言うとかありえない
土人も土人
>>202
せめて豊臣政権下で生き延びられてれば、
徳川に対抗できるくらいの一大勢力になってたかもな 昔からの疑問なんだが
天下統一ってそもそもどういう状況を指してるの?
>>257
要するに自分に逆らう者が居なくなった状態だろ 上杉謙信は交易から得られる収入がとにかく圧倒的で
その利権さえ守っていれば長尾上杉宗家の地位は安泰だったので
他国へ侵攻を繰り返すことで越後の有力国人の力を弱らせて自家の権力を強化でき
他国を荒らしまくることで武田と北条の勢力が膨張することを抑制していたって言う人もいる
織田の前は三好だし、天皇担いで天下人になるなら中央に居を構えてないと話にならない。
実際の関ヶ原は三つ巴なんだよな
西毛利
西石田
東徳川
って
262番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です2020/05/16(土) 12:56:26.86
隆元の死因に元就による謀殺説が出るほど元就が粛清しまくったから家臣が少ない
>>243
ノブヤボでパラメータートータル1位なのに上杉と遊んでるのがな 尾張という土地はあの時代の中心である京都の文化や文明が届く範囲でありながら、
中央の政治、常識に染まらないだけの遠さで、農業や商業を発展させやすい。
>>257
一般的には朝廷に認められて征夷大将軍になる事 国力Sになった頃にはもう爺だしなあ
中年くらいまで国力D以下だったろ
老い先考えたら息子に自重を促すわな
>>5
薩長になすすべなく惨敗した徳川幕府
九州中国の足利尊氏軍に崩壊されられた建武新政 >>257
当時だと天下=畿内で畿内統一
全国制覇だと秀吉の天下静謐が正しいかな >>257
権威を認められて他の勢力を従わせることじゃないかな
幕府を開くのはわかりやすいし、別に幕府内部で執権政治を敷いてもいい SHOGUNの毛利は場所が悪いユニットも使い勝手がいまいち
戦国時代の天下人は
足利将軍奉じて京都に入れば天下人
信長もそうだし
>>249
信長の地盤継いだ秀吉より厳しいだろ
周り強国だらけだし >>257
畿内の支配
日本全国って意味じゃなかった当時は 大河で緒形拳が演ってた尼子はかっこよかったな
毛利よりもかっこよかった
>>234
別に国衆が独立したがってただけで博多なんてもとめてないよ 信長も最初足利幕府潰そうなんて思ってなかったし
義昭の方が信長裏切ってああなった
>>21
武田信玄が情けねえ戦果だわ
甲斐一国の守護からという恵まれすぎたスタートだったのに
桶狭間や厳島のようなジャイアントキリングもやってないし
ダメなやつだよあいつは 大正義大内義興の息子がヘタレホモだったから助かった
>>160
元々嫡男じゃないから統率に問題あったんだろ >>257
全土を直轄するのを指すのではなく
隷従させるのもアリとする
だから豊臣秀吉も小田原征伐して
北条家を滅ぼし
その直前に東北の諸大名も豊臣秀吉に参じて
北条攻めに呼応した事で
豊臣秀吉に隷従したって扱い
それで北条家を滅ぼした事で
自動的に天下統一っていう扱いになった 2201160501220522トランプさん、中国に2億1100万ドルの借金があることが判明 返済期限は2期目 [195740982] (26レス)
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10: (ワッチョイ 1ec5-Btmo) 04/25(土)19:56 ID:olCtm8/h0(1/3) AAS
>>8
キャッシュはあんまたいしたことないから
返済するの結構大変そうではある
というかこれ中国国有企業からの借金の全貌が謎だな、
分かってるだけで2億1100万ドルてだけで
11: (スップ Sd9e-Orpn) 04/25(土)21:20 ID:Z7tH+Dp0d(1) AAS
ワロタ
そらアメリカ人に塩素飲ませようとするわw
こんなのが大統領ww >>2
この世は頭のイカれた奴ほど生き残る様に出来ている
理由は知らん そもそも真面目に天下統一しようとした奴が何人いるんだよ
大内が自爆したから領土広げられただけで
毛利に尼子ぶち抜いて畿内に進行できる力があったかというと微妙
>>251
関ヶ原における毛利一派のガイジムーブっぷりはなんなのあれ
いくら小早川がよそから来た子とはいえ三本の矢の見る影もないじゃん
弁当食ってんじゃねーよハゲ >>283
そうかなあ
あんな地雷埋まりまくった土地でよくやった方じゃないか 毛利家うざすぎ近接気味になっただけで
調略ばっか飛ばしてきやがって
>>2
天下なんか取ろうとすんな領地守れってご先祖様の教えあんだっけ >>285
甲斐武田家も毛利と同様に
旧態依然とした主従関係だったから
諏訪家に乗っ取られたと見做して
勝頼を認めてなかった奴が
多かったんだろうな マジレスすると毛利は播磨から堺にまで影響力を行使するくらい広範囲に浸透してた。でもノッブ勢がおかしかった
普通なら滅んでるようなところでも、ノッブは異常にしぶとかった
本願寺・毛利・上杉・武田・朝倉・浅井・松永・足利ほか「なんやアイツ…」
>>49
尼子経久役の緒形拳の格好よさといったらもうとんでもなかったよな 天下、天下様=機内の覇権を握っている人
天下統一=日本全国を統一すること
大分意味が違う。元就の天下を狙うなの遺言は、上洛すんなぐらいの意味
>>1
スタートが国人レベルと低位なのが厳しいんじゃない。
織田とか武田とかと比べるとヘッポコ過ぎるかと。
更に周囲に強敵が多いと。中国地方の覇者で十分ようやった。 イケメンに産まれた息子をホモ隆様に差し出して生き残りを計る外道
1540年くらいの毛利スタートだと大内尼子の脅威凄いと思ったな
肝心の調略失敗すると詰む
尾張の織田が岐阜を征して徳川と組んだ時点でほぼ決まったようなもんだよな
肥沃な濃尾平野に鉄壁の飛騨山脈、勝てるわけがない
>>98
関が原直後の1600年頃だが安芸と防長で100万石あった
ちゃんと検地したら毛利領の方が福島の安芸より大きかった 他の大名家が3代掛けてやった事を
1人でやった戦国時代最大の偉人
戦国大名が何より最優先するのは自家の権益の拡大とその維持だから
織田信長だって元々天下人なんか目指してなくて
義昭を利用して権益を拡大してただけだからね
義昭と対立して追放しちゃったから
なし崩しに天下人になっちゃっただけで
>>303
天下狙うなら、機内の近くに行くか迎えるかしかないから。
徳川幕府みたいな、江戸に居を構えつつ天皇を京都に治めたあり方が異端。 石山本願寺から備中高松城までの縦深陣地はすごいよな
突破に10年かかって信長死亡。
長州は勝ったよなあ
毛利って無能集団だったのでわ?
日本は嫉妬の文化だから
出る杭は凡人が徒党を組んで叩く
>>113
ガチの広島
県北と言えば県北だけど真北の島根からはまだ遠い
鳥取はあり得ん 面積だけで国力はそうでもないだろ
堺と京都を抑えてた三好の方がその頃は別格
隆元も毒殺じゃなくて性格的に自殺したんじゃねえの
戦乱じゃ生きづらそうな人そうだし
>>315
鎖国を潰すために米英に勝たされただけ
米英はインカ帝国潰の時もずっとこの侵略方法だし >>310
何か俺もそんな気がしないでもないわ
周り敵だらけで結果的にみんな敵になって
生きるためにみんな打ち破ってたらいつの間にか
もちろん途中から天下とれるなこれって時期があっただろうが
それまでは自分の領地統一したり守るので一生懸命というかな
結局攻撃こそ最大の防御という >>40
イギリスのお陰であって
何もしてないがな 子供の頃大河でやってたけど
序盤はひたすら地味で小物だったな
尼子と大内の残党残ってて火消しして回ってる間に死んでるから中国制覇してるわけでもないんだよな
毛利元就って活躍したのは信長が生まれる前の様に感じるけど
ガッツリかち合ってるんだよな
1571年没だからちょうど信長包囲網の頃だし
毛利家は足利義昭を鞆に迎えて大きな政治的アドバンテージを得たからな
大河ドラマはこのような政治的バックグラウンドを描くべき
>>318
瀬戸内海は当時の物流ハイウェイで下関を押さえていたのは大きい >>257
惣無事令を全国の大名が受け入れた時点
私闘が禁止されて紛争の解決を担う中央政府ができることで天下統一となる 面積だけで見たら国力ありそうに見えるが
山陽と山陰の間を車で走り抜けてみれば毛利が全国を取れなかった理由がわかる
>>325
島津は義弘派と義久派で対立してた
義弘自体は主戦派だが義久がこれで義弘が活躍したら自分が当主でいられなくなる
協力を拒んだ 銀山は有名だよな
石見銀山は世界遺産
世界の銀の流通量の何割かを産出してたんだっけか
信玄は謙信という戦争オタクに目を付けられたのが運の尽き
九州や四国がやる気まんまんの奴等ばかりだった
クッソ腹黒い奴等に囲まれていた
>>332
そこを抑えても三好には勝てんぞ
その下関が今の博多くらいの位置づけとしたら堺と京都は今の大阪、東京に相当するわ >>61
我々現代人が80歳くらいで伸るか反るかの一大決戦に打って出る感じか。
スズキの修ちゃんくらいだな。 ノブヤボだと北条家が謎だな
天下取って当然の一家だろ
あと内情グダグタの大友相手に博多取れないとかどんだけ軍事力ショボいのさ毛利って
国人の寄り合い所帯で中核となる家臣団が親族からしか供給出来なかったのが痛い
>>283
信長わ幸運に次ぐ幸運に恵まれただけ
義龍が早世しなければ、六角義治が恐ろしい無能で無ければ、三好長治が頭アベで無ければ
大大名の1つで終わり 信長が天下に手を掛けられたのは足利義昭という玉をまず手に入れたからであって
それが無ければ信長もただの一大名で終わっている
みんなからウザがられてた義昭を庇護して勝負をかけに行った信長が異質だったというべきで
他の連中が弱かったとかいうことでもない
>>322
第一義的にはお家が生き残るがすべてやからな
生き残るために他者を食わざるを得なかった時代 >>324
一応なあなあで天下(畿内)は抑えたろ
そのあと地方制圧する気皆無で文化に傾倒しちまったけど 生まれるのがちょっと早かった、同じ意味で北条早雲が遅く生まれてたら天下までいってたかもしれない
>>109
博多と堺と坊津を足しても石見銀山の利益の足下にも及ば無いよ >>329
元就と信長は対三好同盟結んでて関係は良好だった
元就の死ぬ直前に関係が拗れ始めていて
天下を目指すなという逸話はその辺の事情を反映してるんだと思う >>337
そうそう
義弘が逃げ帰って義久が見事な便所紙の役割
何かで読んだけど、義弘が敵前突破で家康の姿見えてたけど『敢えて討たなかった』ってのは本当なのかね、それともやっぱり逃げるのに必死だったのか >>353
そんなのわ誰でもやってる、山名宗全も細川勝元もやってる
古い時代の行動様式 信長とは逆に三好長慶はまったく運がなかったイメージ
本人はめちゃくちゃ戦争が強くて無敗だったのに親族が死にまくったんだろ?
>>283
孫子的にジャイキリなんて最もダメなことだぞ ジャップって民族的に白人みたいに「自分達が正しい、周りの無知蒙昧な奴らを啓蒙しなくては!」という
外に向かう考え方より、身内に甘い汁吸わせる方を優先するから、
天下統一に興味なかったんじゃないかな。
今大河では道三が死んだとこだったけど
結局下克上の戦国時代でも
下克上で得た地位ってのは
かなり儚く脆かったって事だからな
油売りの倅である事に開き直った道三と
それをコンプレックスに感じて
土岐の落胤だと思いこんだだけじゃなく
自ら吹聴しまくった妾腹の嫡男義龍で
殺し合った訳だけど
結局あれって道三も
家臣団や国人領主どもを
統率しきれなかっただけなんだよな
所詮は油売りの倅だった訳だからさw
元就も嫡男だった訳じゃなく
その上で国人領主の分際だった訳だから
当時はかなり儚く脆い体制で
天下取りとか望める状態じゃなかった筈やで
人心掌握は一朝一夕ではいかないもんさw
>>356
遅かったら遅かったで良くて細川藤孝コースだろ
あいつ元々幕臣だぞ 毛利輝元が無能だったから
小早川隆景の遺言
1 輝元が表にでて戦争に関与してはならない
2 安国寺恵瓊は信用するな
3 黒田が領内に船着場を作らせてくれと言ってきても断れ
1と2を無視して関ヶ原で大失敗
>>283
ジャイアントキリングも何も信玄はふつうにジャイアントの一角だろ
織田がビビり過ぎて家康がチビって首の皮一枚繋がって草生えるわ >>268
明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲り
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな
http://books.google.co.jp/books?id=RVXyIQq5VMYC&pg=PA46&lpg=PA46&dq=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&source=bl&ots
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司)) >>363
雑魚はジャイアントキリングに憧れる
最初からジャイアントな奴は自分よりジャイアントがいないからな >>321
インカ潰したのってスペインのピサロじゃなかったっけ? >>268
足利尊氏は三河武士
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 六角・朝倉なんかはプライドで身を滅ぼしたようなもんでは
>>349
いや博多いらんやろ
実際戦力全部投入してないし >>339
16世紀はペルーのポトシ銀山と石見大森銀山が世界の銀需要を支えていたからな >>356
流石に後北条さんは京都まで遠いなぁ、毛利さんもそれなりの遠さだけど >>291
それ言ったら大友義鎮も大内のドサクサの棚ぼたで
滅亡寸前状態から復活してるしなあ 滅ぼした大名
信長・・・今川、斎藤、朝倉、浅井、足利、三好、松永、北畠、畠山、武田
秀吉・・・明智、柴田、北条
家康・・・豊臣(秀頼)
毛利、武田、上杉、伊達・・・特になし
信長以外は過大評価
>>362
父親も壮絶死、息子の早死、不可思議な後継者シャッフルだものなあ 北九州の国衆の独立志向が高いから支援せざるをえない
>>378
当時の日本で有数の国際港がいらないなら港全部要らないだろ >>367
輝元より年下の
妾腹の元就の子の秀包とか
結構まともな奴も居たんだけど
みんな毛利三本の矢のステマに
乗り過ぎだと思うわw >>357
畿内の巨大市場を後背に持っていて
日本全国はもちろん海外からも物資が集積していた堺からの収益が
銀山からの利益に劣るなんて全くバカバカしいよ >>387
実際税金納めてくれるわけでもないしせいぜい軍需品の調達が楽になるぐらいしかない そういや元春だけ義隆から名前もらってないよな
尻穴の具合が悪かったのかな
>>390
津料税収は馬鹿にならんぞ信長の親父もそれで成り上がれたし >>389
馬鹿わオマエ
堺なんてのわ小都市に過ぎ無い、粉河寺や根来寺、山奥の高野山や吉野よりも小さな存在
石見銀山とわ比較対象にすら成ら無い 家康的な背後を抑えてくれる同盟がいなかった
むしろ信長家康のような同盟が例外すぎるので
信長が京までのぼれたのは家康のおかげともいえるし
家康の能力や地政学的な重要性を理解してた信長のすごさでもある
大体戦国時代前の博多の地下銭が一万貫
これに帆銭加えてもまあそんなに意味はない
薄暗い謀殺やりまくったせいで誰からも信頼されず金借りるの息子の役目だったのは笑う
>>389
イメージわかないかもしれないが南蛮人の物資は堺に集積しているのではなく
九州に寄港して転売されたものが堺に集まっていた
当時の堺は博多に対して決して優位だったわけではないよ 当時の硝石って殆ど輸入品だったけど
原産地は大陸だったのかな?
倭寇対策で禁輸品だったとも思うけど
>>265
尾張は万年負け組、万年パシリの田舎
他力本願の田舎者だし
何故、名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 本願寺が落ちた時点で負けた
本願寺が残ってるうちに総力戦仕掛けなきゃ勝てない
>>394
元春の中の人が孤独のステマとかいう
創価ステマ番組で飯を喰いまくっているけど
本当は小食なんだよな >>400
その博多が滅亡したから毛利が大内家になれず
南海交易ルートで畿内への販路を拡大した堺の一人勝ちになったんだよ >>402
インドと東南アジアとスペインが当時の主な産地 厳島の戦いを58歳ではなく38歳で迎えていれば、40代で中国統一→55までに播磨淡路→60までに京都堺→70までに近畿四国は元就なら統一できた。そっからは無能輝元ではなく隆元が当主なら全国統一もあり得た。
>>408
堺の人口は2万人程度で博多の中国人街と比べてすら半分以下 中国地方は謀将多すぎて疑心暗鬼地帯になって連携できないからな
>>402
硝石は輸入品と
厠周辺の土から採集して精製した
おしっこ精製品の二種類が主だった なら硝石を入手するのは
「国際港」って滅茶苦茶重要だよね
元就が若い内に大内と尼子を倒し、機内に進出は出来なかったのか?
信長だって若いころに今川と斎藤を倒したじゃん。
まぁ、国力のハンデはあるけど・・・
>>415
北条家の記録には年貢で塩硝を納めさせていたとあったけど
毎年納めさせていたという事は採りっぱなしの古土法じゃなくて
培養法もやっていたのかな >>124
そもそも信玄存命なら上洛成功で長篠自体が起こってないだろ >>408
博多が焼けて没落したのは毛利が北九州を追い出されてからずっと後の時代じゃないのか? >>408
朝貢貿易の負担を減らしたい明王朝が「おまえら簒奪者だから相手しない」って海禁政策の口実にしたのが痛かったね
大内が特権認められていたのは倭寇を裏でコントロールしながら少弐らに冤罪着せる自作自演のおかげだったのに
権益を相続した大友や毛利はそのあたりの管理ができなかった >>419
父親と兄が酒で早死にしてるからね
大内が上洛で失敗してるのも見てるから、天下も狙わない
他人のふり見て我がふり治せる人だわ 本能寺の変が起きなかったら毛利は信長に根絶やしにされてたんじゃないか
>>413
人口で言えば摂津でも平野や天王寺のほうが多いけど
経済力と人口はイコールではない
毛利は尼子のもとで繁栄していた境港を占領したけど
商人の構築していた販路の掌握に失敗して荒廃させてしまった
交易の権利ってのは土地を押さえたから得られるってもんでもないんだよ >>427
上杉・毛利・長曾我部は潰されてただろうな
上杉なんて春日山攻められる一歩手前だったし 元就は死ぬ間際の70代で子供作ってる
英雄色を好む
3051160551300530トランプさん、中国に2億1100万ドルの借金があることが判明 返済期限は2期目 [195740982] (26レス)
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10: (ワッチョイ 1ec5-Btmo) 04/25(土)19:56 ID:olCtm8/h0(1/3) AAS
>>8
キャッシュはあんまたいしたことないから
返済するの結構大変そうではある
というかこれ中国国有企業からの借金の全貌が謎だな、
分かってるだけで2億1100万ドルてだけで
11: (スップ Sd9e-Orpn) 04/25(土)21:20 ID:Z7tH+Dp0d(1) AAS
ワロタ
そらアメリカ人に塩素飲ませようとするわw
こんなのが大統領ww >>416
そりゃ九州の大名が日本人奴隷売ってまで欲しいんだからな >>422
その辺はどうなんだろうな
後北条家には風魔一党が付いていたから
培養技術もあった筈だよな
忍者って単なるチート脳筋って訳じゃなく
当代一流の化学者でもあった訳だからなw 息子がみんな優秀だったって逆にあかんのやないの
一本二本三本に四本目も有能なんだっけ
誰か一人でも先走ったら内戦なりそうやん
元就は優秀だったと思うけど、それだけじゃダメだよな
考えたんだが信長が天下統一寸前まで行けたのは、本人の能力と地理的な要因とあと家柄が有ったからじゃね?
濃尾平野の広さに港があって岐阜に行きゃ木材資源は豊富、街道沿いだから人も来るし京都までもまあ近い
豊かな割には兵が弱いから年がら年中動けるように兵農分離が進むと
家柄もまあ小大名だし信長も優秀で野望持ち
これくらい揃わないと天下なんて取れんでしょう?
>>383
毛利 武田、大内、尼子、三村、吉川、小早川
武田 諏訪、村上、小笠原、長野、今川
上杉 上杉、椎名、神保、畠山
伊達 畠山、蘆名、大崎、葛西 >>439
濃尾平野のドン百姓が天下を取った事ない
勝ち組はいつの時代も三河
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>439
兵が弱いだの兵が年中動けるのだの兵農分離だの何を言ってるんだ 実際瀬戸内の流通で津公事かけてた村上が大体毛利から与えられた知行が七千貫ぐらいなんで当時の商業から得られる金ではあんま変わらない
>>438
毛利三本の矢のステマというのは
元就が正妻に産ませた3人の倅が
実は意外と仲が悪くギクシャクした関係だったので
インテリだった元就が中国の故事からパクって
3人の倅を諭した事が
後にステマされた結果
アホみたいに広まった事なんだよな
因みに元就には妾に産ませた倅も
5人位いるw >>450
まあ毛利がSならそうなるよな
もっと差がある気もするけど >>439
もし桶狭間で織田家が滅んだら、
今川義元が天下統一を果たしただろうか?
年齢的に無理なら氏真が果たすのか?
義元や家康には劣るだろうが、そこまでバカ殿ではないらしいし・・・
楽市楽座も信長より先に氏真が推進してたりするんだろ?
そうなった場合、同盟結んでる北条と武田はどうするんだろうか? >>407
そのネタ知ってる人がどれだけ居るやら…😅
自分はわかったけど >>187
第四次川中島の戦いで味方の公家が怒って帰っちゃったんだろ 京都や大阪を抑えたら遠征して飛騨や土佐を手に入れようとか思わんよな
毛利隆元の寿命が元就と同じくらいだったらワンチャン
信長とかが変わり者だっただけで
基本当時の大名は自分の領地だけ平定するのが目的だったのでは?
>>450
織田道場優秀すぎるだろ
配下から有力大名多数に天下人ラッシュだし >>448
織田が兵農分離や常備軍どころか前近代的なのを知らないのだろ
近代的軍制いうのは北条と長曽我部くらいだ 東日本が激戦区だったから
足軽の訓練度が違いすぎた
災害救助しかやってない自衛隊でイラク戦争経験した米軍と戦うようなもの
>>452
最近の信長の野望だと4男の穂井田元清も優秀なんで4本の矢になってるね。 >>454
今川も上京して天下統一するつもりはなく、ただ織田攻めただけってのが最近の説じゃなかったっけ >>454
そもそも天下統一の思想があるかどうかが問題
今川義元だってせいぜい
将軍家をついで畿内を治める程度しか考えて無い
三好長慶の代わり
足利家の代わり
これだけ
信長は秦の始皇帝みたいなもんで
初めて日本で単位を統一し
全ての知行を明らかにし
寺社仏閣の治外法権を廃止しようとした
まぁほんと日本は中国から2000年遅れた国だったわけだ >>448
尾張の弱兵って有名じゃね?
基本自然が厳しいとこの方が兵が強いと聞くけどな、だから工夫するわけだろ?
三河は例外かもしれんけど長篠以降、徳川の武田へのやり口ってこれじゃん >>465
東国に行かされた滝川一益や蒲生氏郷は田舎はイヤだと嘆いていたが
九州に領土を与えられた奴らはどうだったのかね
石田三成は九州行きを断って京都周辺の小領にとどまったというが 中国は毛利ばかりすごい言われて尼子大内雑魚みたいな扱いだけどそれをさっさと討伐できなかった毛利も毛利
尾張の兵も弱いが
駿河の兵がそのころ弱すぎなんだよなぁ
尾張のやつらに急襲されて負けるとかdonndake
三河の人間に兵役負わせ過ぎたせいか?
「古文漢文なんか勉強する意味ない!」ってスレ立ててまで騒ぐケンモメンに歴史を語らせると早口だね
>>472
そうなんか?
天皇家や道長や清盛や頼朝や義満といった時の権力者はそれをやらなかったのは何故なんだろうか?
始皇帝の偉業くらい知ってそうなもんなんだが・・・
信長以前の連中は全員ボンクラだったんか? >>21
信玄は立地で嘆いているよ
今川や北条や長尾に囲まれて地盤固めに奔走した 系列子会社で下請けやってる所が本社を食うようなもん
そんな事自体なかなかない
毛利家って幕末までなにか目立ったことした?
長州戦争で徳川倒したんだっけ?
>>469
最近のノブヤボの事は全然知らないんだけど
そろそろ織田有楽斎も使える奴設定に
なっているのかよ? 当時の銭流通の仕組みが特殊だった。米よりも価値の毀損が激しいし相手の都合よくレートが変わる糞仕様
今でいうと100万円の札束の扱いがこんな感じ
・福沢諭吉の札束を供給できるのは自分だけ(交易権による明銅銭輸入の独占)
・聖徳太子の札束は価値が保証される(できるだけ使わない)
・福沢諭吉の札束は経年劣化で価値が下がる(できるだけ他人に押し付けようとする)
・領内では100万円の札束のうち1万円札の枚数は96枚でもよい(当然4枚抜く)
・領内では100万円の札束のうち30枚は偽札を混ぜて使用しても良い(当然30枚偽札を混ぜる)
・ただし納税の時は20枚しか認めない
こういう不公平な撰銭令も効果があった。面倒くさいのでやがて米本位経済になった
4419160519440544トランeeプさん、中国に2億1100万ドルの借金があることが判明 返済期限は2期目 [195740982] (26レス)
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10: (ワッチョイ 1ec5-Btmo) 04/25(土)19:56 ID:olCtm8/h0(1/3) AAS
>>8
キャッシュはあんまたいしたことないから
返済するの結構大変そうではある
というかこれ中国国有企業からの借金の全貌が謎だな、
分かってるだけで2億1100万ドルてだけで
11: (スップ Sd9e-Orpn) 04/25(土)21:20 ID:Z7tH+Dp0d(1) AAS
ワロタ
そらアメリカ人に塩素飲ませようとするわw
こんなのが大統領ww 長州は倒幕した後のスカっぷりがねえ
幕末の動乱で有能な人間があらかた死に尽くしたのだろう
九州は大友で四国は三好
京都には足利おるし身動き取れなかった?
野望というのか常識に縛られて人間の器みたいなものってあるんじゃないかなと思う
ある意味キチガイ度
信長「取れるだけ全部支配する」
そこらの大名「近所ボコったろ」だろ
せいぜい
北条「関東は俺のもの」
義元「家柄良いから京へ上りたい」くらいじゃないのかな
毛利に天下は絶対無理だよ
毛利が天下とれそうなポイント
・元就の時点で上洛目指す
・中国大返しの時に秀吉追撃する
・関ヶ原で本気だす
歴史ifが3つも作れる時点で毛利家自体は抜けてるな
明治維新達成したし他の歴史ifとは格が違いますわ
毛利元就のゲームかなりやってたな
豊臣秀吉倒すあたりからおかしくなってくるやつ
息子雑魚やん、元春も隆景も無駄に持ち上げられてるだけ、そいつらの嫡子もそうだし輝元も愚図だし天下なんて無理。天下とるならあと最低20年元就が生きて家康みたく自分で全部終わらせないと。
そもそも畿内進出する意思なかっただろ
あったら大友味方に付けてとっとと畿内向かってるわ、信長が義龍相手に手間取ってる隙に
家紋が3本の矢だよね
場所も逸話も覚えやすいがいいよね
尼子晴久が割と強くて時間気かかりすぎたから
つまりは
厳島の戦いを58歳ではなく38歳で迎えていれば、40代で中国統一→55までに播磨淡路→60までに京都堺→70までに近畿四国は元就なら統一できた。そっからは無能輝元ではなく隆元が当主なら全国統一もあり得た。
リスク取れなかったからだろ
有能な大名ほど地盤固めて慎重になる
信長のようなイケイケにはなれない
安土桃山で早々に消えたところだって運や立地が悪かっただけの強豪は沢山いたろ
夏の甲子園より波乱万丈だったと思うぞ
息子の話になると斎藤道三や大友そうりんとか三好とか浅井長政とか
伊達も武田も上杉もはしばもみんな微妙では?
松平が一番息子たちがまともだったのかな?
戦争知略は置いといていうほど他はSか?
息子B+家臣C国力Eやったやろ
息子も中盤以降にならんと使えんし
ところでなんで織田信長相手にガチンコ戦争続けてた
毛利家が豊臣秀吉相手に普通に恭順したの?
戦争続けてれば秀吉の天下統一とかなかったのでは?
>>464
家柄とか気にせず徹底的な実力主義。
神も仏も恐れない。 問題は国主になるまで時間がかかり過ぎたのと京まで遠かった
領国がデカくなっても、小領主の連合から脱却できなかったから
上洛とかの大事業をやろうとすれば、領主たちが反乱起こさないように対策が必要で
構想を練って、決断して、実行に移して、後に起こった事の処理まで
膨大な手間暇がかかって、手が付けられなかった
結局、ある程度のトコまで手に入れたら
面倒くさくなって適当なトコで終わらせるか、死ぬまで拡張路線を突っ走るか
どっちかだろうし、毛利元就は前者の方
>>463
広島城は福島正則が勝手に豪華な城作って左遷されたんじゃないの? >>475
加藤清正や小西行長なんかは唐入りの戦費調達の名目で交易特権を与えられて巨額の収入を得ていたとか
>>508
もう余力がなかったんでは?
小牧・長久手の戦いの後の家康も国力使い果たして動けなくなってた 戦争は場所ゲーだから
畿内に生まれてたら天下取ってたんちゃうか、しらんけど
>>508
秀吉に天下取らせれば、毛利家は安泰だけど、
秀吉を倒したら、戦国時代が続いて毛利家もそのうち滅ぶ可能性は高い
毛利家からみて秀吉をやっつけるメリットがないぞ >>511
そういうのって歴史的に他にある?
曹操とナポレオンは実力主義っぽいけど・・・ 安芸郡山城いったことあるけどあの盆地は狭くてマジで郡部の町村レベル
しかも子供の頃はその少ない所領も家臣に取られて乞食殿様とか言われてたとか言うのは素直にすごい
>>520
中国なんか科挙があるから、そこら辺の農民が宰相になっとるぞ 三好とつくもなすの松永と足利あたりで結託もしてたんだよね
なかなか地理的にハードだよね毛利
本拠地がもっと遠い山口の大内義興は上洛してるからできない訳がないんだなあ。
>>517
戦国時代の畿内は戦乱が長く続いたために
村落や都市が全て城を構えて武士に対抗してたってぐらい領民が自立してて
平安時代からの既得権益が何層にも積み重なって統治が難しい所だった
三好長慶が初めて畿内の統一に王手をかけたから
戦国最初の天下人と評価する人もいるぐらい >>455
隆景の中の人が昼跨ぎの情報番組やってたり、元就と隆元の中の人らが
企業買収で話し合ったりするやつかいな 安倍を見ろ
池沼が神輿になって遊ぶのが地位や権力
甘い汁をすするのがその家臣共
わかったか
賢人はそれを知っている
>>521
三好はある意味時代を作ったけどな
主家の細川家形骸化して挙げ句果てには将軍殺して下剋上
室町幕府を完全に瓦解させて戦国時代を決定したのは三好だわ >>521
京に近すぎると利権争いが激し過ぎてがんじがらめになって難しいというね
近過ぎず遠過ぎない場所がチャンス有るらしいね >>475
山の中はともかく海外交易できたろ九州は
瀬戸内は日本海ルートと並ぶ当時の国内海上交通の最重要航路やし >>506
斎藤家は義龍時代が1番安定してたんですけど >>524
そういや科挙制度があったな。
となると家柄が良い奴が成り上がり者に椅子を奪われて、
佐久間信盛みたいな末路を辿る奴も珍しくない訳?
>>530
そこら辺の時代になると、流石に王や大名による統治機構じゃないので・・・ 元就は義元と同じくらい血塗られて当主に
なったしな 一代でやるにはうらみありすぎて無理
>>475
東北は僻地極まってるからね
冬は身動きも取れないし 九州は2期作は無理だけど二毛作はかなりイケてた土地なのと、ご存知奴隷市場として東南アジアへの供給地として至便
あとは交易は北方も盛んだったとはいうけど九州のが便利だよね、九州はカネの匂いのする地域だったと思う
最近は検地に関した新書とかようでてるけど、毛利は国人衆の領地の把握具合どうだったんだろ
例えば本家と両川で政策の違いとかあったのかな
元就 マツダ カープ サンフレ そこそこ強いが全国的にはならんのじゃ
>>479
清盛の時代なんて
関東より東は日本かどうかも怪しい世界だ
関東でさえ野人の世界
やりたくてもできないよ >>538
マジックマッシュルームさんが演じているから
かなりアホっぽく見えるけど
義龍ってかなり有能なんだよな >>479
頼朝は武士の自治を朝廷に了承させることが存在意義だから
そもそも天下分裂・地方領主自治の思想しかない 毛利元就
北条は鎌倉公方的な天下観だろうし、上杉謙信は武田と北条を追い出して荘園制度の修正パッチ当てるのが目標だしな。
そもそも、天下狙ってる大名自体が少なかったんじゃないか?
>>521
天下とるも何も、そもそもが国家中枢牛耳ってたんだから、天下なんて取る必要すらなかったんじゃないか? そもそも能力があるから上にいけるわけじゃないからな
運が一番重要
能力でいうなら安倍みたいなのが総理大臣になれるわけがないし
小牧長久手の戦いとかいう最強vs最強の戦い好き
フリからオチのネタっぷり含めて一番面白い戦やわ
>>532
大河だと
元就の緒形拳(尼子経久)
秀吉の渡哲也(織田信長)
正宗の大滝秀治(虎哉和尚)
が、素晴らしかった。
尼子経久、本当は萬屋錦之介が予定されていた。これも見たかった。 >>558
個人的には
コカインパンツおじさんの秀吉が
一番好きだわw 毛利元就は厳島の合戦のあとも傘連判状を使ってたらしいな。
それくらいになっても国人たちに気を配る必要性があった
>>492
吉川広家が家康の横突いて小早川秀秋が東軍に総攻撃かけたら勝ってたよね
でも出来ないから輝元なんだよね ちょっと息子たちにいいことを言おうとして3本の矢をとりだしてみたものの
その3本の矢がバキッとあっさり折れてしまって
びっくりした元就が急逝してしまったからだろう
上杉謙信武田信玄北条氏康
あたりは既に有力大名になっていて家督着いでるならな
織田信長は守護代の奉行家とはいえ尾張一の有力者だったし
山岳地の一国人スタートで最初は当主でもないとか
無理だな尼子倒した時点で人生晩年
隆元は先に死ぬし
>>562
吉川家は鳥取の恨みあるから、豊臣に与することないな 今も中国地方、たいして人や経済すごくないやろ
無理だわ
緊急事態の重点箇所?でも入っていないし…
厳島の合戦があった天文24年時点で
毛利元就:58歳、織田信長:21歳で桶狭間の合戦の3年前だな。
ノブヤボでも信長とか家康とか
人気者とゲームしたいのに
すぐ死んじゃうから。
年齢が20歳だったら良かったのに
そもそも、織田は応仁の乱の切札として終わりに下向した一族だからな。
中央政界やら朝廷やらを良く理解してたんだろうな。
今川こそなんで天下取れなかったんだろう
東海全部持っててあの軍勢だったのに
>>567
流石の新型コロナさんも面倒くさくて
山陰まで行かなかった位だもんなw 織田以外で天下取れる位置にいたのは三好と朝倉だろう
三好は畿内平定の後に治めることができなくて
朝倉は将軍いたのに越前から上洛しなかった
>>560
それも挙げようと思ったが
政宗枠から二人はと…
あと、ソフバン犬のお父ちゃんも良かった 場所だよ
中国地方なんて山だらけで開発不可な土地ばかり
大阪と九州に挟まれて交通の要衝で温暖な気候がありながら
今でも大して人がいないってところに可住面積の少なさと土地のなさが起因してる
広島市もよくあんな狭いところに100万人も住んでるもんだ
輝元無能とよく言われるけどもし毛利家がまとまって西軍の大将を
ちゃんとやれてたら徳川家の天下はなかったのかね
信長の野望やってる土地が貧相すぎて無理さっさと拡張しないと
信長は尾張統一から桶狭間までが一番キツイ感じ
そのあと美濃攻めでぐだぐだ10年やってるけど
>>579
六角は南近江抑えてるんだから地理的には超おいしい
実際信長も安土城作ったし >>577
三好はそもそも、幕府管領の執事だからな。
中央政界牛耳る事が彼らの天下取りのゴールなんじゃないか? >>578
政宗って低予算の実験的大河だったけど
配役には無駄に金掛けていたからなw >>396
なんで「は」を「わ」にしてるの?
禿なの? >>581
有能であれば
既にそれなりの地位と領地を得てるのに、
危険を犯してガチで戦いを挑むかな 毛利元就が女の子に転生して天下統一に邁進しちゃうラノベとか誰か書き給えよ
烈風伝だと丘陵ばかりで街少ないわ田んぼ出来ないわがショボかったな
じっくりやってると勝てなくなる
三好長慶の息子の三好義興が年齢的にも地盤的にも一番天下統一のチャンスあったんだよな
早死しなければ信長も蹴散らしてただろうに
斎藤義龍はノブヤボなら織田潰せば後はヌルゲーと化すな
徳川まで吸収したらもうゲームセット
名前欄や本文に「クリックお願いします」などの文は↓ほど効果はないぞ!
でもやっておいて損はないぞ!
>1,2,3,4,5,6,7,8, 9, 10,11,12, 13,14,15, 16,17,18,19,20
>21,22,23,24,25, 26,27,28, 29,30,31 ,32,33, 34,35,36 ,37,38,39,40
>41,42,43,44,45 ,46,47,48, 49,50,51 ,52,53,54,55 ,56,57,58,59,60
>61,62,63,64,65, 66,67,68, 69,70,71,72, 73,74,75,76,77,78,79,80
>81,82,83,84, 85,86, 87,88,89,90,91, 92,93,94,95,96,97, 98,99,100
∧_∧
(´・ω・`) n
 ̄.. \ ( E)
フ a..f..i... /ヽ ヽ_//
>>594
分かる
ああいう箱庭で地味にプレイしたい場合には武田領や毛利領は貧しかったよな >>596
徳川(+豊臣武断派)と豊臣文治派の戦い。
どちらにも転べるように、良く考えられた策 >>540
内には一門や井上氏、外には吉川のような強い国人や就中 名門の安芸武田…
大河の元就おもしろいよな >>396
全然関係なくて悪いけど「わ」を「は」にしてくれない?
気持ち悪いんだけど >>21
信長は実は家を継いだ時には父親が斎藤道三との戦に負けたせいで親戚同士が揉めてて
弱小城主だったんだが 三好朝倉斎藤は織田信長に負けたから無理だった
今川武田もそう
惜しいのは毛利輝元だろ
大阪城の3万で関ヶ原で戦えば
小早川と吉川も西軍で動いたろう
毛利家が一時でも天下取れたかも
信長のうつけ言われてたのは小さい頃からって人を素直に信じすぎて騙されてばっかりだったからなのか?
大人になってからも裏切り→許すばっかじゃね?
>>605
天下とったのって、みんなもともと低い身分やら不遇のやつ
親からそれなりの地位を引き継いだら、守りに入ってしまう。 >>560
顔は全然秀吉に見えないのに
演技が凄すぎてそう見えるのな >>606
今でいうヤンキーだったから
うつけと言われた
ちなみに前田利家も佐々成政も
ヤンキーあがり 天下取る奴はやっぱりスゲーんだろ
毛利がそこまで才が無かったって事やろ
>>85
義隆の親父は都に長期遠征かましたが帰国、幾ら財力があっても領国が畿内に近くないと限界がある 降りかかる火の粉を払っていたら、
いつの間にか中国地方を手に入れてしまった
信長の天下布武が近畿だけとして、そもそも全国統一なんか秀吉しかやろうとしてない
あのくらい有能な誇大妄想狂じゃないと考えない
家康は秀吉の残骸を組み立て直しただけ
>>609
秀吉は百姓上がりとはいうものの
かなりの豪農で
どっちかというと後の名主に近いレベルの
かなり恵まれた家の長男だからな
ただ単に秀長の実父である継父と折り合いが悪くて
とっとと実家を飛び出していたってだけでさw 少しだけゲッスいことやんのが早過ぎた気がする
でもデビュー時点で年食ってたオールドルーキーだし
九州は泥沼だし山陰も山陽道も超粘着ですし
>>604
信秀がかなり溜め込んでいて、商業の活性化も頑張っていたから、
土地は狭くても金はかなりあったと見られているんじゃなかろうか。
「麒麟がくる」でもそんな解釈っぽい 結局農本主義だったでしょ?
資本の回転率が桁違いの商業社会に勝てるわけない
>>75
謙信は関東ほっといて北陸制覇に専念すればいけたでしょ 謀略や外交でじっくり領土を増やすタイプだったからじゃね
俺のイメージなんだけど
>>614
実際これだと思う
尼子大内安芸武田とかの抗争でこいつら何とかしないとって感じだろ >>622
大軍が来ても籠城して時間稼げば農業のために帰っていくという守備パターンが信長配下の秀吉軍に通じず >>623
長尾家あがりの上杉謙信は所詮守護代からの成り上がり
京都まで出陣したら越後国内の国人たちが反乱する
関東越山も大義名分は関東管領が北条氏を打倒するだが
内実は越後人が軍事力で関東を強盗したに近い
敵を外に作らないと越後はまとめられないし
関東の国人は全部上杉を見限るし散々 >>615
信長、秀吉、家康と一緒に戦っていた仲間だったってのが興味深い
天下統一の為のノウハウを3人で共有してたような気がする >>619
信長スタート時の尾張の抗争もあくまで織田一族同士の内紛やからな >>213
そうでもないな人口とコメをもってた畿内は細川や三好は大勢力だったけど全国制覇してない >>617
信長や義元や信玄みたいな家督相続にまつわる骨肉の争いとは縁遠かったってのは利点か?
元就はどうだったんだ? >>630
信長は目の前の敵を倒し続けたら統一目前に至っただけじゃないかな
天下統一を影で進めたのは手紙を書きまくった足利義昭かもな 天下なんて取りやすいだろ
基本的に誰もしないことは競争率低いから簡単
信長の場合は、信秀がかなりいいところまで行ったという実績があるから、
内紛を納めれば、一発で尾張統一できるようなリーチがかかってる有利さがあった
元就は全部自分でやったから、そこはかなり異色の大名
>>627
秀吉も22万動員した結果兵糧切れがやばかったいうのが最近の解釈やなかったか >>623
そもそも将軍家から上洛要請があったから動いただけだろ
あの時代に信長みたいな野心持ってたやつはごく少数だし
やる気が無いんだから何も出来んよ 信長は軍団方式で各地に重臣を割り振り軍団として動かした
秀吉は一点集中で手持ちの全兵力を一方面に投入する
家康は最後は政治力で将軍職を手に入れて豊臣政権からスライド
やり方が違うわな
>>623
あそこで一回は関東管領としてイキっとかないと国がまとまらんでしょ 日本全部取ろうなんて発想が元々ないんだよ
ノッブが変なだけ
猿もうんこも信長のあとを追っただけ
毛利や武田、島津、徳川は家臣が有能とよく目にするけど、
織田家臣って有能なの?
秀吉、光秀、(家康)は有能だっただろうが、
それ以外の家臣は毛利の両川や武田二十四将に比肩するの?
>>634
元就の場合は
流石に父や兄を謀殺したって事は
なかったと思うw
大河の元就では
父アル中で兄戦死で
家督が勝手に転がり込んで来たって
事になっていたけどさw ゲームがつけたパラメーターで天下取れたかどうか論じとか滑稽だな
>>472
藩を廃止しない限りガチ中央集権は無理だろ >>645
武田二十四将はよくて城主止まりで誰も国持ち大名になってない 信長の野望知識オンリーで歴史トークしてもええんか🤔
>>631
でもあの内紛をまとめあげただけでももう異世界チートのような功績と言える
絶対後世でいじってるわ >>651
保科という大逆転一族もいるこたいるけどな >>573
今川が尾張とれたらめちゃ優位な状況になったな ノフヤボは寿命無し全武将登場の群雄集結シナリオがやっぱよいよね
>>639
兵糧が足りなくなるんじゃなくて、農民兵だと田植えなどの時期には農民を帰国させないと米作れなくなる。 >>644
当時の感覚だと畿内掌握して傀儡化した将軍家に号令掛けさせれば天下統一だって認識だったのに
信長は将軍家追放して官職にも付かないとか当時の大名からしたら相当気味の悪い存在だったろうな >>347
関東勢が北条嫌って本気で戦ってきて苦戦したのと
戦争厨の謙信が度々やってくるのは痛かったんだろうな
北条側からしたら謙信の関東遠征はウザかったと思うわ >>645
有能かどうかより明治までの大名旗本家はおおよそ尾張三河出身が多くを占める >>639
22万は盛りすぎじゃね?
朝鮮出兵や関ケ原の両軍合計より多くね? 毛利は中国統一したあと九州で大友氏と泥沼の戦いしている間に
信長が台頭して背後に迫ってきてその時には長年の戦で消耗しきっていた
別に消極策で天下を逃したわけではない
動員規模で言えば統一後の大友との戦いのほうが遥かに大きい
>>652
収入の上がり方が座と年貢のとこでは全然違うからダメ >>651
三家国持ち大名になった那須七騎と比べてたいしたことないね、 >>660
こういっちゃなんだが、あれ中国の北方略奪民族だわなあ >>655
今川は北条武田との三国同盟のおかげで西にだけ戦力集中できればよくなったからな >>662
関東東北以外のほぼ全国から動員したので総勢22万
北条は5万 >>645
信長は桶狭間の合戦以降、必ず自軍の数が多い状態で合戦したそうだから、
有利な軍には、不利を逆転するような個人の逸話が産まれにくい >>257
そもそも戦国時代に「天下統一」なる言葉はなかった
後世の創作 >>666
常時7000から8000の歩兵部隊で関東各地を随時荒らしまわったやからな
足も速くて北条もなかなか捕捉できず >>669
政宗って父親も銃殺しているからな
父親の誘拐犯と共にさw
そういう意味では父親を追い出して
姉の嫁ぎ先で暮らさせていた信玄は
かなりまともに思えるわ
親父さんも伊勢一向一揆で
雇われ指導者をやったりしているしw >>659
三好長慶が将軍を追放して
独自の体制で領国を統治してるし
義輝を傀儡にした後も長慶は将軍の権力を超越する存在だった
信長はこのやり方をまんまコピーした
養子の三好義継は義輝を殺害した後に
傀儡を立てずに政権運営してる >>673
信長が天下布武使ったのは同じような意味では? 親殺しの醜聞纏いながら勢力伸ばした大名どれくらいおるんや?
>>677
信長は義昭を追放した後、傀儡の将軍立てなかったのが風変わりという話しなのでは? >>678
信長が担ぎだした義昭に対抗して擁立されたけど
任官されてもすぐに死んだし傀儡にすらなってない 越前の朝倉なんて地理的に京都に近く、国力も兵力も揃ってるのに何もせずに織田の侵攻を許して滅亡したしね
>>684
朝倉宗滴が活躍していた頃は京都に上洛もしたそうだから、
チャンスのある地域の一つですね 天下っていうのは
例えば東京のヤンキーが天下とるぞって息巻いて東京で1番を目指すようなもので
天下統一=全国統一ではない
>>682
追放したけど将軍位を剥奪しなかったところまでふくめて
長慶のやり方とほぼ同じだと思うけど
その後に朝廷と直接結びついて天下に号令したのも
長慶が先例を作っているんで >>684
あそこも商都ではないでしょ?
太平洋側の交易が活発化してきたことが戦国時代のパワーバランスを大きく揺るがしたんかなあ。やはり
もちろんそれと信長というパーソナリティーがあっての結果だったとは思うけど >>684
宗滴亡き後、周りにさえ負け続けてたような
統率力も無さそうだし最後は親戚に裏切られてるしやる気と能力、両方無いでしょう >>47
桶狭間は三河と尾張の中間地点にあるけど全然険しい場所じゃないぞ
濃尾平野っていうくらいに尾張と美濃はほぼ地続きの平野部 そもそも信長含めてみんな一つのクランが完全統一するシナリオなんて考えてなさそう
>>105
京都に本格進出すれば考え方変えて信長みたいなったかも
謙信も信長と環境が似てて良い港と広い平野部がある有利な立地なんだよな
経済振興もウマイし義輝にも会いに行ってるし
関東なんてほっといて越中ぶっつして軍事的な洛上に専念できなかっかたんだろうか GOTみたいに何年もかけて戦国の国政をエログロありでやって欲しい
>>681
親殺しで一番出世出来たのは政宗だろうな
一応天下の副将軍様と呼ばれる程になったんだしw
父親だけじゃなく
カーチャンまでぶっ殺そうとしただけの事はあるわ >>619
大河ドラマに左右されるアホ
信長公記くらい読め やっぱ武将を土地から引き剥がしてどんどん転属させないと領国固定じゃ天下統一は無理だよね
>>691
昔は表日本だったのにな
太平洋側の開発が鎌倉幕府の時代から徐々に効いてきて、ちょうど戦国時代にパラダイムシフトを起こす契機になったのかも、という気がしてる
津島のもたらす経済力が実際にどの程度までは俺は調べてないけど 大内って守護大名?それともコイツも戦国武将で下剋上してる?
あと大内氏は朝鮮渡来人が祖先って見たけどどうなの?
>>671
島根県邑智郡とかいまではすっかり過疎化してるけど、
この時代にはかなり大きくなった毛利と潰すか潰されるかの争いをしてたんだよなあ
高橋、本城、小笠原、口羽とかはここの地域だし、出羽鋼の製造や久喜・大林銀山での採掘で当時はそんだけの経済力あった訳で 信長秀吉家康がいたこの時代ですら、
他所の国の大英雄と比較すると霞んでしまうのが悲しい。
これもガラパゴス列島故の宿命か・・・
まぁ、英雄が生まれる土地や時代ってのは悲惨であると言われてるけど、
明朝やオスマンや欧州の平民はもっと悲惨だったりするのか?
>>285
の割に信玄下で猛将だった山県昌景、馬場晴信とか長篠で勝頼に従って戦死しとる >>705
異民族と戦うと英雄視度アップになりそう >>160
領地一番広げたのが勝頼とか
戦国随一の知将真田昌幸とか本当に知将なら武田家で天下取れやと >>1
の詳細
「オレ的ゲーム速報@刃」(通称Jin)というゲーム系の大手アフィカス5chまとめブログがある
↓
Jinは偏向まとめや対立煽りなどを繰り返して5chの住民から非常に嫌われていた
↓
5ch住民がTwitter社に虚偽の著作権侵害通報をしてJinの宣伝用Twitterアカウントを凍結させる嫌がらせを思い付く
↓
Jinは5chのAA「やる夫」をブログのイメージキャラクターとして使用していた
↓
そこでまず5ch住民がゲーム会社カルチャーブレーンの公式wiki(偽物)を作成してそこにやる夫のAA画像をアップロード
http://www65.atwiki.jp/culturebraingame
↓
次にカルチャーブレーン社長・田中幸男を名乗ってJinが自社の著作権を侵害しているのでアカウントを凍結するようにTwitter社に通報
↓
Twitter社は偽物のカルチャーブレーン公式wikiに騙されてJinのアカウントを凍結
↓
JinがTwitter社の規約をよく読まずに脊髄反射で実名と住所を明記してTwitter社に凍結異議申し立てをしてしまう
↓
Twitter社の規約によってJinの異議申し立ての内容(実名と住所を含む)が通報者の田中幸男(偽物)に通知される
↓
田中幸男(偽物)がこれを5chで公開してJinの実名と住所が無事けんま対象に
>>693
関東に毎年出向いて最後は沼田城しか残せなかった
上杉謙信の統率力じゃ無理だよ
関東の諸将は上杉を完全に見限った >>160
領土広げたという話なら、信長の拡大に合わせてあわてて拡大主義に動いただけだろ
そしてその焦りこそ信長が一番つきたいものだった
もっとも勝頼をだからと言って無能と責めることは出来ない
信玄が「風林火山」を許さない上その状況で家督と言われても無理ゲーでしかない気もするし 関ヶ原で安国寺恵瓊が勝手に出しゃばって西軍の中心になったのがダメ
天下を読む能力がなかった
そもそも信長が上洛するまで天下統一なんて誰も思いもつかなかっただけのこと
自分が見本示したから、あいつ倒せば天下取れるんじゃねwwと狙われまくったのは笑えるけど
信長の野望をやってると当時の畿内がいかにチートかよく分かる
関東も滅茶苦茶発展出来るように寄せていってるけど、結局畿内を早く抑えた勢力が勝つゲーム
スタート位置でほぼ決まる
毛利元就はやや遠い
>>716
最近の信長の野望やってるとそのせいで甲斐の国力悲惨だから武田がそこまで強くないんだよなあ >>716
ノブヤボって、今収入の仕組みどうなってるの?
やはり石高だけ? 武田の遺臣が滅亡の元凶だと言ってたのは長篠の戦いじゃなくて
御館の乱での勝頼の対応なんだよな
勝頼の佞臣が上杉景勝方から賄賂を貰ったとか
結果的に北条が敵に回ると言う致命的な失策になったし
関東は今の市とか政令指定都市くらいの領地を持った独立志向の小領主が大河とか山とか地形障害使わずに隣り合ってて纏まりが全く無いから大きな旗印が必要だったってのがね
でも謙信はそういう自軍の温存大事でちょっと参加しとけな烏合の衆みたいな連合を使って関東で後北条とやりあってたんだから大したモンなんだよな
謙信の麾下も遠征専門でかなり小さい纏った軍団だったみたいだし、ローマのレギオンみたいな外征専門の備えだったんだろうな
>>716
畿内は当然荒れるからそこからほんの少しだけ遠い所がチカラを蓄えたあと将軍家に大変だったでしょうとかっ攫うのパテーン 諸国乱立群雄割拠な我が国を統一してやるぜという思想を持ってた奴って、
中国の始皇帝、司馬炎、楊堅
ドイツのヴィルヘルム1世
あと誰がいる?
>>705
明朝とかオスマンとかは日本で言ったら江戸時代みたいなもんだから庶民は割と平和だろ
中国だと三国志の時代とか人口激減してるし
岳飛の時代もバブルみたいな退廃的繁栄から
急転直下北斗の拳みたいな時代になって大混乱してるけど 毛利元就なんて国人領主からあそこまで拡大したんだから大したもんだよ
>>722
司馬炎が「考え着いた」というのは違うだろ >>720
米というものの人口増加力というのはすごいものがあったんだなあ、とはやはり >>727
後漢末期〜三国時代だと誰なんだろう?
曹丕? >>126
ユニクロはしまむらやワークマンに勝ってる
トップの力次第 地元の大名調べてたら佐竹義重ってのが出てきたんだけど、
この人嫌儲的にはどういう評価なん?
>>730
あれ安倍パワーでは
ユニクロ株の買い支え >>731
鬼義重とか言われた人だろ?
普通に優秀だったんじゃねの
家紋が扇子に日の丸だっけ、良いよな >>383
松永って大名なのか?
今川って織田に滅ぼされたのか?
ちょっと強引に詰め込んでないか??? >>731
麒麟で土岐氏が「美濃源氏の棟梁たる名門」言われてるけど、
佐竹はさらに名門中の名門 日本が戦国時代やってた頃の海外の情勢はどんなんだ?
フランスは国内のカトリックとプロテスタントでドンパチやってたみたいだけど・・・
>>661
勝ち組気取りはやめよ
尾張は万年負け組、万年パシリの田舎
他力本願の田舎者だ
何故、名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 三河は平安時代から名族の地
三河と長州は平安時代末期まで遡って考えいたが、そこに薩摩と土佐は入ってこれないんだよ
三河から、オタクの先祖は三河でプータローしたいたよなと言われれば
長州からは、これからも三河様のご指導よろしくお願いいたしますだ
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田)
>>722
中国は殷周王朝があるから統一したいって思想は昔からあるだろ。
それでも敵側、例えば李牧や劉備が激しく抵抗したら統一は無理なわけで >>700
室町時代以前の武士はその領地と不可分の存在
大名に臣従してるのはその大名が自分の領地を守ってくれるからであって
もはや守れるだけの力が無いと判断したら速攻で他大名に乗り換えるのが生きるためには必須 >>550
でも家康は関ヶ原制したのが57の時だぞ
やっぱ長男A(早死に)、次男三男S、家臣団と国力がC(家臣にAは数人)で
孫がDでは天下は狙えないって早々に判断したんだと思う
次男か三男に家督継がせたら家が割れる原因になるしな 尼子滅ぼした後も山中鹿之介らの遺臣が抵抗を続けていた
だから他国攻める余裕なんてなかったんだろ
>>383
これ毎回ある糞コピペだぞ
毎回爆釣できるからって味しめてんじゃねーよカス 安倍晋三
政治F、経済F、嫁F、取り巻きF、地盤S、看板S、カバンS
>>731
・北条、伊達の好敵手
・守勢でしぶとい
・茨城から秋田に美人を全員連れて行った すまん、織田信長の天下統一ストーリーの前はどういう時代だったの?空白期間なし?
三国志と織田信長って面白いからそこだけフォーカスされててそれ以外の時期は微妙?
秀吉に関しては自身が
百姓上がりを吹聴しまくっていたけど
父親は元々織田家で足軽をやっていた
傷病退職者で
その嫁である大政所が土地持ち豪農の
跡取娘で
秀吉の実父が死んだ後に
当時の知識人階級崩れだった破戒僧を後添えにして
秀吉の実父と同様に入婿に迎えていた位だから
かなりの金持ち百姓なんだよな
前田利家や佐々成政の実家は
一応土豪で地侍だけど
下手したらそれらより
金持っていたかも知れないレベルw
1600年時点の人口比マップらしい >>716
畿内の大勢力は信長以前にもたくさんあるよ
誰も信長みたいにやらなかったけどね
まぁ細川にしたって将軍がいれば全国の大名が頭下げるし
それで実質天下布武だったのかもな 毛利っていうのはいわば連合国家なの 領主たちのリーダーが毛利一家という感じ
専制できないから領主たちと話し合って方針を決めなくちゃならない
毛利が優柔不断な印象与えるのはそこらあたりと関係している
今まさに長州の安倍聖帝が即位しようとしているのだが
>>317
毛利家家臣の血筋だが鳥取出身だよ
あの時代の武士はフリーダムだったらしく転封された後そのまま退職して鳥取民になったらしい >>755
元ネタが知りたい
宗門帳なんだろうけど >>752
結局の所、親がある程度の資産家じゃないと成り上がれないって事だな
過去の秀吉人気は百姓の息子が天下取ったって所にあったが
実際は地元じゃそこそこ有名な豪農の息子だった、と・・・
あーなんか今も昔も日本は変わらねーな
貧乏人の小倅のサクセスストーリーは夢また夢か・・・ >>759
北条が三河を乗り越えられなかったように、安倍ちゃんも三河を乗り越えられていない
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) >>722
ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世は?
カヴールとガリバルディもいないとだけどそれを言い出したら明治大帝も同じようなもんだな これが安倍ちゃんも乗り越える事が出来ない、日本最高のアンタッチャブルだ
つまり三河ネットワーク
日本赤十字社
大給亘(大給松平氏(三河国加茂郡大
給)、三河国奥殿藩)
桜井忠興(桜井松平氏(三河国碧海郡桜井))
近衛忠輝(細川護煕(三河国額田郡細川)の弟、嫁やす子(三笠宮、高木百合子(三河国碧海郡高木)の娘)
スペシャルオリンピックス
三井嬉子
細川佳代子(細川護煕(三河国額田郡細川)の嫁)
ケツ持ちはトヨタで
高木百合子(三河国碧海郡高木)の息子高松宮の嫁と豊田家が仲良しなのも、三河国繋がり
尾張のドン百姓じゃ、分からん世界だな
ダサい田舎者出自を恥じよ
毛利元就は1557年に安芸の国人と傘連判状というのを作っている
これは円のまわりに国人(毛利家も含む)の名前を書き連ねるもので一揆契約の形式だ
円のまわりに名前を書くのはみんな平等で筆頭者がいないという意味
つまり毛利家というのはそういう性質を持っていた大名
>>757
そう聞くと慎重な袁紹みたいな感じに見える
土地の価値がまったく逆なのが皮肉だが >>768
支配力は弱い域内の「王」ではなく「盟主」に過ぎなかったか
こういうの大事だよね 信長以前はいまいち地味なのがな
北条早雲や朝倉の爺さん、島津の爺さんあたりパラ高いけどどんな事やったのかさっぱり
>>752
それよくある間違いだな
秀吉は自分の出生について一切語ってない
父親鉄砲足軽説は江戸時代の噂話をまとめた書物が初出で
鉄砲伝来前に秀吉の父が死んでたり信憑性はかなり薄い >>757
毛利に限らず封建制の統治体制って基本どこもそんなもんだよ
独裁とかは絶対王政以降の形態 歴史群像で
秀吉の父の「鉄砲」足軽は
「種子島」じゃなくて投擲型の「鉄はう」を扱う兵種だったのでは?という記事があったな
1543年のマスケット型伝来以前に本邦でも火薬武器が伝来・運用されていた事は
ほぼ定説になっているし
早雲なんかは最近の研究の進み方でかなり面白いでしょ
伊勢貞親の甥で室町幕府の奉公衆で、中央の意向を持って姉の嫁ぎ先今川家に介入して、享徳の乱で滅茶苦茶になってるわ、先の将軍の兄の公方が行き先無くてウロウロしてるわなカオスな駿河伊豆相模で今川方の守護代行武将として活動とかなかなか無いで
この記事だ
歴史群像 No.133 2015年10月号
“鉄炮足軽”木下弥右衛門
天下人・豊臣秀吉の父でありながら限られた文献の矛盾した情報しか
伝わっていない木下弥右衛門。
新たな視点で通説を組み替え、謎に包まれたその人物像に迫る。
>>777
一応聞いとくけど、歴史群像真面目に読んでる方? >>776
三河にいた藤原さんな
後北条氏(伊勢氏)の先祖、伊勢俊継
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継)
■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****〜****):初代伊勢氏、伊勢俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・三河国滝山寺僧
・相模法橋
■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・三河国滝山寺僧
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 >>778
玉石混淆だと思う
なんちゃってビジネス歴史書と五十歩百歩の記事もあれば
一読に値する記事もある >>429
商業地わ人口=繁栄
毛利家の水運は瀬戸内海
無知の知ったかぶりわ恥ずかしい >>776
前は伊勢国の素浪人とか言われてたのに実は名家のボンボンなんだよな
正統な鎌倉公方がないがしろにされて滅茶苦茶になっている関東に中央が介入した説は信憑性ある >>782
硝石輸入にあたっての国際港の重要性って理解できた?
戦国時代の硝石調達方法云々の元ネタは
『戦国火薬考』…未だ謎多き製造と補給
なんだけど 『戦国火薬考』は歴史群像の記事ね
あ、別に歴史群像の記事だけを妄信しているワケじゃなくて
挙げられている参考文献とかも適時読んでいるよ
国衆の寄り合いのような権力機構を改革出来なかったから
この辺りは武田も同じ。というか、出来た信長が異常なだけ
>>771
下克上の走りが北条早雲。
血筋からの有力者が勢力争いしている時代に、税率を軽くすることで住民の支持を得るなどの、
国としての競争力アップを頑張った。
守護とかの名前じゃなくて統治の実力が問われる時代に >>789
早雲も一旦素浪人になっていたとは言え
元々は高級官僚だからな
そういう点では下克上とは言えないw >>790
管領や守護の支配をひっくり返したら下克上でしょう。 >>293
今川は足利一門、武田も清和源氏の流れをくんでいて、
守護大名から有力戦国大名になった実力派の名門だもんな。 >>238
制したゆーても毛利家をトップに据えた合議制の集団として
まとめ上げただけで毛利家が天下布武しまーす、
なんかゆーたら内乱起きてどうにもならんだろ
トップの立場としては武田家にも劣る >>791
今も霞ヶ関の官僚が県知事選に出馬して
知事になったら転出だろ?
事前に辞めていて元官僚として出馬してもさw
管領を倒したら確かに下克上だけど
倒した奴が官僚だったら
どっちが上か下かは今も昔もビミョーだぞw >>788
これな
信長は家督相続の時点から親父から兵も家臣も殆ど
引き継げずに自分で鍛えた兵を主力に
旧臣達をぶっ殺して回ったってのがでかいんだろうな
武田みたいに親父からなんもかんも引き継げた甘い出発とは違うし >>795
武田信玄は父親の武田信虎を追放して実権を握ったような >>794
お上の決めた秩序を実力でぶっ壊すから下克上で、
その人物の出身や教育レベルは関係無いでしょう >>796
最近は長男が親の介護をせずに
嫁いだ娘が引き取って介護をするケースも多いけど
当時の甲斐武田家もそのまんまこのケースだよなw
信虎は厄介過ぎるアクティブ爺さんだよなw >>795
それが出来た理由はやはり津島にある気がするな 普通に長距離遠征出来るだけの兵制じゃ無かっただけのこと
少しづつ勢力拡大していく方式じゃ限界が有る
>>800
信虎はやり手だったけれど国衆の評判は悪く、国衆の支持を背景に晴信(後の信玄)が信虎追放したというのが定説かな >>796
それは家臣のお膳立てってことだろう
飯富虎昌なんか信玄の息子担いで信玄に同じことやろうとしたし >>804
その辺は斎藤家での
道三と義龍なんかと同じ構図だよな
あっちは道三を娘の嫁ぎ先の織田家に追放せずに
ぶっ殺した訳だけどさw
道三が追放されて織田家の客分になっていたら
もっとメチャクチャな世の中になっていたかも知れんなw >>797
将軍を下克上で辞めさせて追放したり延暦寺を燃やした細川政元の方が凄くない? >>785
主な調達方法は硝土法と中国商人や南蛮商人が日本人奴隷、金銀、鉄、硫黄との取引に使ったインドや東南アジアの硝石の輸入
外国商人は取引相手と港さえ有れば何処でも善かった
坊津でも博多でも厳島でも兵庫でも大坂でも
この時代の貿易わ量が高が知れててそこ迄大量でも無いから
寧ろ中国地方から積み出す鉄の半製品のが余程大量 >>752
秀吉が天下とった後に大政所なかの隠し子を名乗る人物が名乗り出たけど、
従者ともども斬り捨てられた事件って本当にあったのかな?
宣教師の記述しかない事件なので歴史学者は反キリスト教だった秀吉を貶める為の宣教師のでっち上げだと考えてるようだけど
本当に隠し子なら相当なヤリマンだったね大政所なかw >>731
関ケ原のときにすでに隠居だったのに息子の義宣を西軍から東軍または中立に変えさせた無能ジジイです >>764
石見の銀と出雲の鉄と瀬戸内水軍を押さえてるから国力は人口では語れない
大内の対明ルートを継承できてれば天下統一も夢じゃなかったと思う
長男死んだのがやはり痛い
でも次男三男がガチで有能だったから巨体を維持できた感はある
信長も秀吉も一代限りだし毛利はよくやったほうだわ 明治維新のせいで九州と中国地方の大名はかなり話が盛られてるよな
当時はただの田舎の大将だろ
>>809
民衆の経済力の高まりと、血統での相続による守護の劣化で、
下克上が発生する機運が高まっていた時期で、北条早雲だけが特別だったわけではなく。
ほぼ同時期と言うか連携しているというか >>816
第二次世界大戦で、日本やドイツにパイロットのエースが多数産まれたように、
戦略的に勝つ準備の出来ている相手と不利な状況で闘う側に個人の武勇伝は産まれやすい。 >>816
幕末は東日本の経済が低調で西日本の景気が良かったからだ
戦国時代なら海外から様々なモノが入ってくるのだから
その通り道の北九州〜瀬戸内海が重要なのも当然 明治維新で大成功して日本の支配者になった人達って
旧体制だと中の下で終わった家だよな
島津幕府や毛利幕府でなく長州の足軽層が頂点になったのが現実
>>811
わとはの使い分けができないとかチョンなの? >>820
秀吉の親父は木下弥右衛門だけど伊藤博文の親父も伊藤弥右衛門なんだよな
よくある名前だけど珍しい一致だ 足利義昭とか毛利頼って京から脱出したのに
信長にビビってわざわざ突っ返そうとするし
それ以前から三好や細川の顔色伺って上洛できなかったのもチキンすぎ
光秀に助けられたよな
武田や後北条と同じで滅亡する運命だった
島津はどちらにしろ生き残りそうだがな
>>781
当時の商業地ってなんやねん?
解説してくれや
尼子にも水軍がいたし毛利も尼子を滅ぼした後は山陰側の水軍も傘下におさめてる 毛利も織田も足利一門としてはどちらも下級なのに
貪欲に天下を取ろうとした信長と
身分相応だと考えてしまった元就との差だな
>>816
関ヶ原の戦いの総大将が田舎の大将あつかいなら
日本中の大名全部田舎の総大将じゃん >>829
毛利は関ヶ原の時代には五大老だけど
それ以前は身分の低い国人衆でしかなかったよ
足利幕府が崩壊しなければ出世しないような家柄 瀬戸内の水軍が全て毛利に従ったかというと全然そんなことはなくて
東瀬戸内は淡路を支配した三好家の勢力圏だし
伊予の河野村上水軍も毛利与党の香川之景を攻めた三好側に援軍を出してる
そもそも四国だけで18000の軍勢を動員できた三好家と戦って上洛なんて無理な話だ
>>830
元就の頃は幕府相伴衆となって名門武家の仲間入りしてたよ まあ、義昭が上洛要請したのが毛利氏だったらそうなっていたかもなぁ。ただ正直
中央政界のゴタゴタに巻き込まれるの大抵の大名としてはいやなんじゃないか
三好長慶が強かったんだよな
長慶が健在だったら信長も勝てなかっただろう
三好、毛利、織田、息子の代はみんなダメだな
まあ、むしろ今川義元がうっかり死ななかったらどうなっていたんだろうなという
ことが気になるな。順当に畿内抑えて天下人になれていたのかね。
毛利元就のライバルって誰?
陶晴賢とか、尼子氏?
それを滅ぼした後、どこを攻めてたの? 九州か?
>>166
ほんとこれ
わずかな平野部になんとか街を作ってるよな どっちにしろ島津を筆頭に九州勢のどこかにやられてそうだな
西日本はもともとろくなやつが出てこない
注目もされない無能の地域
>>2
天下とる気合じゃないと領地守れないから気張れよ!って言ってたのが元就だからな 毛利元就の先祖、大江広元もかっこいいよな
鎌倉幕府を支えた有能オブ有能
統一しなくてよかったやん
明治で統一して今も国難で苦しんでるわけだし
本能寺直後にワンチャンあっただろうが、
そこで秀吉を追撃して畿内近くまで攻め上れていれば
何でみすみす秀吉に明智柴田徳川と各個撃破を許して天下を取らせちゃったかねぇ・・・
九州が統一でもされていれば後背を突かれるから無理だったろうが、
分立してたから格好の機会でもあったろうに
四国の長曾我部だって反中央だったのに
>>811
実際は戦国期でも外国人商人は九州までしか来てない >>846
戦国時代に二方面以上へ同時に大軍を長期動かせる組織運営をしていたのはそれこそ織田くらいのもの
実際毛利も大友との全面対決中に尼子残党の蜂起で手薄な山陰を奪還されかけたりしたし、織田ですら本能寺の変であの有り様
神の目線でもないと九州抑えながら一足飛びに上洛はできん >>850
人口や物資の流通量や技術文化の先進性も含めてなら
摂津一国のポテンシャルはそれくらいはあるってことだろ
秀吉が一気に天下人に上り詰めたのも
摂津を完全に掌握できたからと言っても過言ではないし
信長は摂津を完全に掌握できずに本能寺に散った 尼子晴久がしぶとすぎた
居城を囲まれた状態から復活するとか普通ねーよ
>>852
京都なら分かるけど
言うほどそのへんって何かすごかったの?鉄砲?
堺はわかるけどそれ以外安土桃山時代になんかあんの? 応仁以降長年にわたって畿内の細川が大名としてはナンバー1だったっけど
こいつら内紛ばかりしてて全国の武力制覇もまったく興味ない感じ
今は見る影も無いが、大内氏が大陸貿易に熱心だったので結構栄えていただろ
>>855
京都が衰退している間に
京都から追放されていた法華宗や一向宗といった新宗教と結びついた村落や都市に全国から富と技術が集積し
さらに免税特権や自治権などを得て発展していた
三好長慶はこの勢力と結びついて将軍と管領を追放した 戦国時代は応仁の乱が契機とされてるけどそれは関西だな。
関東では足利成氏が起こした享徳の乱が端緒だろうな。
毛利の先祖は宝治のクーデターでパージされた三浦氏一門の最大の与党でしょ(毛利季光)
三浦氏(鎌倉幕府最大の御家人)や宇都宮氏(北条外戚の有力御家人)に並ぶ
天下への野心が薄いのは、戦国大名毛利氏の成り立ちに原因があるな
毛利氏は安芸の国人連合のとりまとめ役のような存在で、あまり専横的な振る舞いはできなかった
特に国人達は自分達の所領と家名が残ることが至上なのであって全国に毛利の旗を掲げることには興味はない
それを元就はよく分かってたし、国人乃協力がないと戦国大名毛利氏は成り立たない
例えば百万石大名といってもほとんどは家臣の所領を安堵したもので
大名の直轄領からの余剰米を売って得られる収入ってほんの僅かなんだよ
それに対して交易から得られる収入は大名で独占できるので
大内家は勘合貿易で繁栄したんだけど
毛利家は土地は引き継げても勘合貿易の再開がかなわなかったので
大内家のような富裕にはなれなかった
後に利殖に通じた羽柴秀吉に銭の力で押しまくられてズルズル後退した
>>831
よっぽど行く宛ないから
大友だの伊達は足利を再興するには遠すぎるし 長年摂津を抑えてた細川京兆家も利権と内紛で自滅したから
裕福な畿内抑えとけばいいというわけじゃないんだよ
>>854
義龍のゴミと違って晴久は本当に早死にしなかったら毛利終わってたな。 >>862
勘合貿易は、明的には日本の窓口は大内氏であって、大内義長が死んで滅亡した時点で門戸は完全に閉められちゃったからな 始まりから無理ゲーでよくあそこまでのし上がったと思うが
>>853
まだ足利幕府体制がなんとか全国を仕切っていた時代だからでは
西軍と東軍に分かれていた中で西軍の一部将として上洛するわけでね >>855
「大内が日明貿易で〜…」が既にそうなのだけど
室町後期=幕府がガッタガタになって貿易権を専有・統括できてない状態なんね
(だからこそ各大名が港・街道の整備じゃとか相当フリーダムに精を出すわけで)
んで貿易ってからには入口あったら出口がないと即刻商材が詰まるよね
石高勝負どうこう以前に“そのへん”抑えられたらその時点で物流ストッパー発動して
毛利とかそういう所には即刻クリティカルになるねん そもそも天下統一する意思がなかった。
信長秀吉と違って地方分権的な組織だったので長期の総力戦は無理だった。
そこら辺は元就もよく分かってて「天下は狙うな」と遺言している。
>>812
他家に比べて主家とその他の力関係が段違いで
絶対王政とは言わないまでも他家に比べて強いトップダウン型の
統治ができてたのが強い
これは武田や毛利との大きな相違点
主家と国衆との関係がないとは言わない
それが完全に取っ払われたとしたらもう近代国家だわ 信長は権力闘争の仮定で反抗的な地元の有力者かなりつぶしたからね
>>872
俺らは元就の時代とその後の新政権への時代の歩みを知ってるからその視点で見てしまうが、
元就自身は室町幕府の延長上の現在を見ている。それこそ足利義満時代の六分一殿なんかの時代の延長としての「現代」を
つまり、大内義弘や義興の先例(天下≒畿内への介入の過去)を念頭に置いた助言だと思うよ >>861
たしか厳島の合戦のあとでも傘連判状を使うくらい気配りしてたんだよな >>87
後々に、信長に反目していた林秀貞が追放されたように、柴田勝家もひょっとしたら用済みになった後、よくて隠居、最悪上杉に通じていたとか因縁つけられて暗殺されてたかもなーって思う
信長から信頼されて越中の対上杉の最前線を任されてたけど、この上杉討伐は本能寺の変が起きなきゃ、信長お気に入りの森長可が越後をレイプしまくってたんだろうし、
武田討伐以降、身内や、森や堀といったかなり初期から仕えていた家臣の特別扱いが増えてきたからな >>878
信長秀吉家康の序列はさておき、
この3人が日本史における傑物ランクTOP3だとは思うんだがな・・・
他の連中は秀吉(晩年除く)の評価って低いのか?
あるいは秀吉は日本における偉人ランク第3位ってのが過小評価って事?
まぁ、秀吉がいなけりゃ日本が世界史に絡むのが近代になるまで待たなきゃならんのは確かだし・・・ 天下取りの最終勝者である家康は、どの時期から天下取りの野心を抱くようになったんだろうか?
>>107
そもそも家康だって天下統一と呼べるかどうか
地方分権体制の維持が常識だったんだろう
その中で朝廷とどう結び付くか?諸大名に対してどんなイニシアチブを持つか?という競争だわな
天皇に取って代わって日本を牛耳り中央集権体制を作り上げよう、なんて信長でも考えていたかどうか 毛利家に関しては関ヶ原の時の内部のゴタゴタ見てもまとまりの悪い勢力だったんだろうなぁとは思う
まぁ尼子とかも分裂したりしてるし、そういう土地柄なのかもしれん
>>880
天下取りというか家臣でトップの実力を持っている武将は
取らなければ滅ぼされるから天下を取る以外の道は無い。
関ヶ原だって別の視点で見れば三成に寝首を掻かれそうに
なったから滅ぼしたともいえる。 毛利家って主従関係を結んでいる他の大名と違い
形式上は対等な関係だったんでしょ
だから血判状とかも円卓みたいなサインをしてた
毛利が頭打ちだった理由はこのへんじゃね
地方大名は過大評価なだけ
中央抑えないと意味無いよ
>>883
元就と隆景いないし、豊臣べったりの恵瓊と距離置く一門吉川家でぐちゃぐちゃでしょうね 尼子晴久は国人の力を弱めて尼子家への集権化を狙っていた
その反発で弱体化して毛利に滅ぼされたんだから何が正しいか分からんな
>>879
何処が?
信長 みゃ〜みゃ〜泣きながら真っ黒けの炭になった間抜け
猿吉 みゃ〜みゃ〜泣きながら嫁と息子を真っ黒けの炭にされた間抜け
三河の源頼朝、三河の足利尊氏、三河の徳川家康で決まりだ
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>880
天下を取る発想はない
三河政権たる室町幕府は、室町幕府のラスボスたる俺に勝って初めて崩壊すると考えていた
つまり、家康は体制維持の守旧派で、下剋上される側
三河政権たる室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動 >>873
いや、家臣団構成について織田家が特異的っていっている史料に基づいた研究多いかね。
正直家臣団構成について全体像がしっかりとわかるほど残っている大名って後北条氏とか少数だけど
後北条氏の構成見る限り、中心部は統制のとれた家臣団、外縁は衛星国的だけど独立性の高い国衆って感じで
わりと他の有力大名も中央集権化進められているんじゃないかと思うんだけど >>893
尾張の田舎者のおままごとだな
天下を取ったと思い込む間抜け
歴史をよく知る徳川家康は、三河足利尊氏が三河の源頼朝の幕府を再興したように、三河の源頼朝、三河の足利尊氏の幕府を再興した
それを高らかに宣言したのが、日光東照宮だ
三河の源頼朝(征夷大将軍)=三河の徳川家康(征夷大将軍)
寛伝(三河の藤姓熱田大宮司家)=明智光秀(進士氏(三河の藤姓熱田大宮司家))
三河の源頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 >>894
家康は秀吉以上に、民を苦しめて圧力かけると政治機構は安定する、だから好きになれんわ てか戦争Sか?Aて感じがするが
あと国力はSではなくていい所Bだな
>>795
その引き継いだ?が信玄を苦しめるやん
初期の頃は家臣団の統治がうまくいかず家老の二人が戦死して辺りから統治がうまくいくようになるからな
結局は信虎を追放したい家臣団に乗せられただけだし 関ヶ原の村上水軍は加藤義明の城を奪おうと攻め込んだものの、逆に返り討ちにあって村上水軍当主が敗死してる。
>>889
国人の力を弱めてというより国久つまり尼子一門の私的兵権を握っていた人物を血祭りに上げたんでしょ >>893
秀吉いなかったら、信長は浅井を倒せたか怪しいし、美濃すら取れなかった疑惑がある
秀吉を登用した信長が偉かったというのが一番ではあるけど 吉川広家とかいう評価が難しい武人
西軍派なら関ヶ原は毛利中心で勝っていただろうけど数百年後まで毛利が続いていたかは怪しい
>>889
元就の謀略にはまって新宮党潰した時点で勝負あった 中央集権化進められてるかは大名側が検地実施出来てるか、それとも家臣側の自己申告かにもよるな
家臣側の自己申告の場合、まぁ発言力とか力関係で誤魔化しが出来るしあくまでも領地の領主として大名に仕えてる
既に存在してる中小企業の社長が色々都合があって大企業の傘下グループに入ってる感じか
コレがノッブとかの場合、課長部長と出世して支社長になってエリア統括支社長みたいな感じ
たまに小姓や奉行衆が現場行って一人前になって来い!で支社長とかに送り出されて戦死したりしてるけど、社員なんですぐ次の人間がアサインされるという柔軟さ
毛利が大内一派皆殺しにしてれば岸もアベも麻生も田布施天皇も生まれてないのにな
毛利は元々小っちゃかったからほとんどが臣従大名ばかり
集団心理で誰かがやるだろう的な感じで救援できず
だから秀吉がたった1万ちょいの軍勢出来てるのに対抗できなかった
家臣Sか?
ワンマンすぎて後継者育成がうまくいってなかったと思うぞ
>>846
そもそも毛利は宇喜多を破れない
宇喜多だけでも苦戦してたところに秀吉に次々に負けて
大軍で備中高松で水攻めされて屈服して配下になったわけで
中国おお返しでも、宇喜多の一万はそのまま岡山に残ってるわけで全く簡単じゃない 日本が島の中でチャンバラしてた頃、
海外ではどのような戦をしてたの?
イギリスがスペインの無敵艦隊破ったくらいしか知らん。
>>912
1492コンスタンティノープル陥落以降、ユーラシア西方のいくつかはこの大陸との戦いが全てになってた
その中で、史上最強の騎兵部隊と言われる有翼騎兵がハンガリーやポーランドにおいて生まれたりしてる あ、オスマントルコとの戦いということね
俺がやってたヴェネツィア史から見ると絶望の時代に入りつつある
その一方、ヨーロッパの「最前線」ではないところでは結構余裕があったのかもね
>>909
ワンマンじゃないよ
むしろ国人に常に気を配らないといけない
国人連合のリーダー格から戦国大名になると強権を持つことは難しい 3本の矢とかあれ半分お前らだけは絶対裏切るなよって脅しだよな
>>892
後の勝頼とかもそれに近い体制目指そうとして失敗した感あるね
信長は出発地点から強力な近衛が強力な外様(父親に従ってた国衆や譜代家臣)をしばいて回るって
他に例みない始まりしてるから、戦国後期の大大名達が
時間をかけて作った中央集権体制が早期に出来上がっていて
それが強みになったと思ってる >>897
家臣団と血縁者のほぼ全員が10代の若い当主を殺そうと躍起になってた
信長に比べたら随分とイージーだろ 陶の対毛利の動員には応じてないっぽいのに(義隆への陶の謀反には加担してたらしい)内藤隆世絶対殺すマンに元就がなってたり、降伏してきた大内義長も兄貴の宗麟のところに返せばよかったものをあえて殺してる
元就(隆元)は義隆殺害については実際に陶方を相当恨んでたんだろうな
織田と毛利は対三好同盟組んでたのが
三好が織田に降伏して
その降伏した三好の篠原長房が毛利側に逆侵攻かますという
無茶苦茶な事態になって破綻したんだけど
その元凶の篠原長房はすぐに信長から離反して
毛利と共に信長包囲網に参加するというカオス
>>918
隆元は大内家の婿養子なので、最近大内家ばっかり、元春は吉川家の当主になったので最近吉川家ばっかり、隆景は小早川家の当主になったので最近小早川家ばっかり
寂しくなった元就パパが三人読んで、いやなそれぞれ頑張ってるはパパも嬉しいよ?でもね、重要なのは毛利だからね?そこ忘れないでねって言って聞かせた話 >>921
隆元を大内にやった意味がなくなるからな いや国力は・・・
ついでに言えば家臣団も・・・
もっとついでに言えば一門衆も・・・