「リアルな戦国」を描写する『麒麟がくる』 やがてくる「本能寺の変」への伏線
明智光秀が初めて大河ドラマの主人公となった『麒麟がくる』。
久方ぶりの王道戦国大河への期待は高く、第一回の視聴率は19.1%を記録した。第1回、第2回計120分を振り返る。
ライターI:『麒麟がくる』1・2話計120分。どう受け止めていますか?
編集A: 端的にいって、やはり脚本がいいとドラマが締まる、ということに尽きます。
I: 1年以上前から、〈名作大河『太平記』の池端俊策さんが脚本担当だから〉と珍しく期待していましたよね。
A: 脚本がいいということに加えて、しっかりした野外セット、斬新な演出、カラフルな衣装など、
どれをとっても〈今後の展開が楽しみだ〉としかいえません。
久方ぶりのわくわくですね。前半生が謎に包まれている光秀が
美濃や堺にいるのが違和感なく受け入れられるのは、やっぱり脚本の力ですよね。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200128-00010000-seraijp-life 「畏れ」とか「敬い」とか
現代日本にはもうない感覚があったんだよ、昔は
幕府は朝廷から征夷大将軍に任命されてから開くものだしなあ
朝廷は実質滅んでたけど薩長土肥が大義名分が欲しくて無理やり持ち出しただけだろ
権力者にとっては利用価値があるし別にそれが邪魔になる事もないから
都合の悪い人間が天皇になっても変えればいいだけだし
日本は屋号を変えてるだけで昔からずっと同じだからね
征夷大将軍と内閣総理大臣を任命してるのは誰か
考えればわかる
今の韓国人が「親日派」のレッテルを貼られると
物凄い精神的ダメージを受けて立ち上がれなくなるように
当時の人が「朝敵」のレッテルを貼られたら
もう生きていけない精神状態になる
自分より強い奴らに上から目線で幕府開く許可だしたり
戦争を指揮したり今は平和の象徴ってわけわからんわ
源氏も平氏も天皇の子孫だし
藤原氏は天皇と結びつくことで繁栄してきた連中だし
むしろ天皇を利用し続けないと権力の寄って立つところを失うというか
2000年前に自分自信を神だとなのった愚連隊の子孫だから怖いだろ
あくまで武士は朝廷のガードマンだからね
ガードマンが政治の仕事も請け負うようになった
大河ドラマ平清盛見てればわかる
それまでは政治は天皇と貴族が担当するものであって
下層階級の武士がやるもんではなかった
科学がなかった時代だから
呪いとか祟りとか本当に信じられていたから
安倍も森羅万象でこの世を謳歌してるけど
建前は天皇万歳してるやろ
隠れ蓑の神輿は必要よ
源氏と平氏以外で武士として大成した奴っておるんか?
だいたいどの武将も源氏か平氏なんやろ?
偉そうな奴が認めている政権だということに価値がある
朝廷あっての幕府だったからだろ
その感覚を理解できんやつが歴史を語るな
>>26
秀吉は結局公家になることを目指したじゃん >7
朝廷はごっこ遊びで続いていたけど天明の大飢饉の大混乱の時に徳川政権が田沼政治の腐敗の極みに達して
何もしなくて餓死者出しまくっていたところに京都御所になんとかしてくださいの大群衆が集まり出して
時の天皇がなんとかしてと幕府に言ったらやっと動き出して大飢饉対策が始まって権力バランスの逆転が始まって幕末にいたる
この感覚は日本人じゃないと理解できないんだろな
普通は中国みたいに権力取った奴が王や皇帝になるから
王や院がどうしても必要なら
木か金で作って生きてるそれは
流してしまえば良い
室町幕府初代執事 高師直
>>31
秀吉って公家なんか?
初耳やぞ
てか信長の家来で公家はありえんやろ ホントそうだよな
戦国の世もオジャルオジャル!って言いながら蹴鞠けって遊んでたんだろ?
力あるならまとめろよ
幕末に慶喜が京に事実上監禁されてた際に武装兵を伴って救出上京した幕臣から
「この際面倒だから朝廷なんて潰そう」という意見はあったとか
豊臣は摂家
藤原氏と同格
天皇が歴史上最後に与えた名字が豊臣
今はもう天皇が任命したり何かを与えるみたいな事はもう無いんか?
やっぱり現人神ってのを恐れてたんだろうな。
崇徳天皇の伝説からして、天皇は日本に呪いをかけて天災を起こすほどの巨大な呪術力を持ってると信じられてたんだろうな
朝廷が調停もしてくれるから。自分で調停するより朝廷に調停させた方がええんや。
>>24
島津は惟宗氏、毛利は大江氏、長宗我部は秦氏
前田は藤原氏(後に菅原氏を自称) >38
晩年の妄想とか言う扱いになっているけど没落した公家の御落胤だと秀吉が言っていた話がある
大義名分メーカーだったから
戦争始めるのに便利すぎた
権力を担保のために天皇は存続してきた
平安後期から台頭してきた侍、武士は基本成り上がりばかり
南北朝時代とかかなりひどい
でもそういう餓狼の群れを統率するには権力が必要
でも実態のない権力ならただただ餓狼でしかない武士はすぐに自分が取って代わろうとする
それを抑えるには権力の正統性がどうしても必要になる
その正統性を与える役目が天皇だった
だから、鎌倉の執権達も足利尊氏も義満も信長も秀吉も家康も天皇を弑殺はしなかった
今も同じだが国民が血統大好きだから
加えて天皇を傀儡化して実権は太政大臣・征夷大将軍が持つというシステムが確立されて
仮に天皇が実権握ろうとしても潰されて島流しにあったり無理矢理皇位継承させられた
時代によっては天皇を傀儡にした将軍が傀儡化されてたりする
>>37
あの時代にこんな先進的な考え方をするとはすごいな 頭の固い老害はいつの時代もいるんだよ
そいつらは朝廷を表向きだけでも敬ってさえいればおとなしく従うわけだ
そう考えればあえてそいつら敵にまわしてまで潰す理由ないだろ?
本来江戸時代でフェードアウトするべきだったんだろうな
>>38
秀吉が関白になったってのは小学校で習ったでしょ?
公家的出世→関白・太政大臣
武家的出世→征夷大将軍
の二種類の階級がある >>29
ただ徳川幕府は、朝廷は補任だけやってりゃいいって扱いにした
法皇になっても各寺社の僧侶と付き合うのも禁じられた 秀吉は近衛前久の養子になってたから一時期は藤原氏だった
後に豊臣氏を下賜されたので本姓は豊臣氏
>>53
あの時代だからこそだろ
バサラ大名って、ちょっと前でいうヒルズ族みたいなもんだよ
自分の実力こそ信じられるもの
金と力こそ全て!派手な格好して目立ってナンボ!
院?インか?イヌか?犬なら矢でも射て追っ払え!
こういうのばかりだったのが尊氏の部下 取り込んだほうが楽でしょ
新たに支配構造作り直すよりは
武士の勃興自体、天皇と公家の下働きからだろ
大体自分の先祖が天皇であり、貴種を誇ることで地方に君臨できたのだから
わざわざそれを潰す発想が出てくるわけが無い
武士が違う民族だったら王朝交代とかあったかもしれんけどな
あと仮に戊辰戦争で幕軍が勝利していたとしても皇室を廃するというところまでいったかどうか
武士というものが「源氏が源流」と言い張ることで自らの正当化を図ってきた歴史があるから
そのさらに源流のミカドを亡き者にすると自己正当化の手段がなくなる
こういう簡単な話でしかない
なんかタタリがありそうだからだろ
まぁなんてことはないと思うけど
終戦後を除いて南北朝時代が実際最も天皇存続にとっては危機的だった
高師直、京極道誉、山名時氏のような実力主義者が持て囃される時代に、尊氏の弟直義もウェーイ系だったら
「天コロそろそろウザくねっスか?アニキ、やっちまいましょーよ」って後醍醐天皇討ってたかもしれん
なんでどの安倍を潰さなかったの? 無駄に偉そうにしてるだけの奴やん
>>11
これ
形式だのって誤魔化してるけど、しっかりと権力もってる >>70
土岐頼遠が上皇を射たとき直義は激怒したから
天皇討つとかありえない 朝廷は武力を持ってなかったから潰せなかった
って最近どこかで見たな
他の国の皇帝は放伐で手に入れた地位だけど
天皇は神の子孫て事で自分の権威付けに利用できたから
これ面白いんだが朝廷を討とうとした瞬間他の全員から集中攻撃されて滅亡するんだよ。
だからできない。
ちょっとゲーム理論勉強したらわかるけど昔の日本人は本当に頭良いなぁと心から思える例の一つなんだよ天皇制ってのは。
成り立ちから見て民百姓の味方になったのは朝廷くらい
他の権力や権威とはそこが違う
朝廷から位をもらって支配層になってる奴らが従わなくなるからだよ
その流れで朝廷から征夷大将軍に任じられるのがこの国を統治するのに一番確実で安全な方法になっていった
>>38
藤原姓になっただろ
公家の仲間入りだよ関白は 利用した方が楽だから
天皇家なんて何度も消えるきっかけはあったのに、生かされたから続いてただけ
昭和天皇が無能な頑張り屋だっただけで他は普通だったからだろ
潰すメリットねえなあって思わせた朝廷の作戦勝ちやな
神社みたいな存在を潰すか?
無害なら残しておくだろ
武士は頭悪かったから律令体制に変わる仕組みを自分たちでは考え出せなかったんだよ
武家政権になっても朝廷のシステムに乗っかったままだった
公家政権は中国朝鮮モンゴル(継承国の現ロシア)と病的に戦争したがる
武家政権は戦争しないで貿易文化交流を発展させる
朝廷というヘイトを向かわせる対象がどうしても必要なんだよ
そうでもしないと内乱になる
ゲルマン人のカール大帝がローマ帝国の後継を名乗ったのと同じく
蛮族にも支配性を正当化するシステムが必要だった
西洋はキリスト教会で日本は朝廷がその役割だった
>>1
天皇が生き長らえるためにその時その時の執政者を正式に認めたから
認められた方はわざわざ敵対出来るわけないだろ 「朝廷なんて潰して皇帝になる」
こういう革命児が皆無だからジャップ史は窮屈でつまらないんだよ
>>76
潰せねぇってか潰す理由って何だろう
武力も金も無いけどブランド価値だけは高いからめっちゃ使い勝手が良い 日本の歴史上天皇に直接弓引いたのは北条政子くらいしかいない
足利尊氏でさえも後醍醐天皇を追放できなかったため
南北朝などという分裂時代を作ってしまった
天皇家を潰そうとすると周りの武家はおろか自陣の配下の武将すら裏切る可能性高いだろ
朝廷の前に蘇我氏だとか平家だとか足利だとか徳川だとかを
排除しないといけないから新勢力はそのときに手っ取り早く天皇の権威を利用しちゃうんだよな
>>70
こういう感じの南北朝大河ドラマ作ってほしいわ 古代において大和(奈良)の地を治めていたのが蘇我氏
古墳時代末期に一際異質な飛鳥文化を齎したと言われている
畿内には大和川が流れていて支流には飛鳥川と曽我川(蘇我の転訛 異称 百済川)があって、大和川の上流には初瀬川がある
瀬の初めということでこの名がついたであろうということは想像に難くない
この初瀬川には長谷寺(ちょうこくじ)というのが古代より創建されているのだが(初瀬川の長い谷間という地形に因んで)
初瀬(はつせ)川にある寺ということで「はつせでら」となり、それがいつの間にか「はせでら」と呼ばれるようになったと言われている
古事記に顕れる長谷(はつせ)も原典はここから
そして長谷じゃ捏造したのが明からさますぎて日本書紀では大「泊瀬」幼武に改ざんしたものと思われる
>>87
神社も天皇も明治以降いよいよ有害になってきたからそろそろ潰れるだろうな 無駄に偉そうにすることができるってことは偉いってことだぞ
必死に苦労して生きてるやつが何を言っても負け犬の遠吠え
家柄を尊重する社会だったから
権威主義的に利用価値が高かった
権威だけあって大した力はないとかこれ以上便利な存在ないだろ
隠口こもりくの泊瀬を歌った歌は万葉集に沢山残っている
全ては結果論。
たまたま、そのような結果になっただけ。
世の中にはサイコパスのような輩が昔から蠢いてたのだから、長い歴史の中で、どう転んでてもおかしくなかった。
信長の台頭は、もしかしたら朝廷を終わらせる可能性があったけど、幸運にも部下の反乱で自滅してくれたし。
江戸時代までの日本は、水田稲作に基礎を置く国だった。
その稲作がうまくいきますようにと祈りをするのが天皇で
武家でもその権威は否定できなかったということかな。
だから工業に基礎を置く明治以降の日本において
天皇がどういう意味を持つかは、改めて考えてみるべき。
日光東照宮やらで金使いまくって
家康を神に祭り上げようとしたけど、
長期的には大して上手く行ってない
の見ると、権威は朝廷に外注で、
そっからお墨付きもらう形の方が
結局コスパいいよなとは思う。
ただし管理はちゃんとやんないと
京都で天皇取り合戦みたいになって
そこ抑えられると負けちゃう。
>>74
直義は高師直と対立して失脚
つーか観応の擾乱の時は
なんでもありだから
直義も尊氏も南朝に降伏して、北朝の帝や院を使い捨てたり
なんでって大河見てわからないのか。ただでさえまとめるのが大変なのに
朝廷なくなったらクレイジータイムイカれた時代へようこそになるだろう。 潰さなきゃならないほどの権力も持っておらず、しかも逆に潰しちゃったら子孫までその家系が王位簒奪したという反逆の口実を作ってしまうからな
>>1
意外と素直に言うことを聞くから鎌倉、室町、江戸と
幕府が年号を変えろとか命令すると、大体、聞いていたから権利も良く手放したし
おかげで公家は時代が下ると凄い貧乏暮らしをしていたり、末端の一族が体売ったりしている 同じ「源」なのに潰すもクソもない、本家筋潰してどうすんだよと
天皇に権威なけりゃそもそと源氏長者なんか一ミリも価値ないし
まあ鎌倉幕府に打ちのめされてからは実質権力は無くなった
あえて利用される事に活路を見いだして細長く生きる事に
>>38
関白は本来公家のものや
秀吉が嫌われるのもどう考えてもあからさまにそのタブー犯したせいや
いくら血を分けてても源氏長者でさえ関白なんかありえない話、お前が偽天皇名乗るレベルの酷さなんや >>74
だからウェーイ系だったらって言ってるじゃん 無駄に偉い権威を利用して支配の正当性を確立させるためだ
>>36
ジャップ種族には安倍ちゃんという現人神がいるから 偉そうにしてても潰すぞと脅せばカトリックの司祭のようにおとなしくなる人たちだったから
>>122
足利義満は
摂関家すら家人で
上皇扱いやったやん 天皇家滅ぼしたらまず間違いなく九州や関東には別の王朝が出来てただろうね
>>110
稲作じゃなくて五穀だろ?
五穀豊穣の
権威も何も江戸時代は大して天皇なんか意識される存在ではなかったし 信長も家康もそれほど突出した力を持っていたわけではないってことよ
あくまで諸将の連合政権
信長はもうちょっと生きていたら天皇を廃嫡していたかもしれんが
ナポレオーネ氏もローマ教皇をアレしなかったしな。自らに権威を与える存在を消そうなどとそんな池沼めいたことを誰もしない。
足利義満も天皇制に乗っかろうとしていたからなってか乗っかった
朝廷潰せたチャンスは平将門かね
幕府を開く権利があるのは征夷大将軍だけ
その征夷大将軍を任命できるのが朝廷
鎌倉は権威が確立してないから朝廷無しでは無理
室町は南北朝で散々な目に合ってるから一本化する必要があった
江戸は知らん
>>24
藤原北家
それと楠木正成は橘だし毛利は大江 天皇家の最大の荘園は三河国、立券者は源頼朝、足利尊氏の先祖
源頼朝の本拠地は三河
足利尊氏の本拠地は三河
徳川家康の本拠地は三河
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる
当時でも700年とかそういう長い間作られた歴史があるから、色々な思惑や制約があったんだろう
今でも糞坊主や宗教ごと腐ってるからぶっ壊してやろうなんて人も出てこないのも同じようなもんだろう
なんでってアホだからだよ
絶対不可侵だと思い込まされてるから
いきなり幕府開いても信用とかないしな
昔から続いてるもん利用してハク付けた方がいい
潰そうと思えば潰せた雑魚だけどめんどくさいし、放っておいたら神輿が二足歩行しだしたんだよなぁ
天皇家ジャップのせいで第一次第二次戦争が起きたと言っても過言ではない
中国でも王朝交代は道教による易姓革命が根底にあるし
日本はもともと同民族同士の内戦しかしてなかったから
新しい支配体制とか作る必要がなかった
江戸時代の庶民は天皇をどう思ってたんだろうね
どういう位置付けとして教え込まされたのか
国際社会では〇×世界といってもその境界が曖昧だけど
日本は玄界灘を境に外と隔絶された世界だったからだろ
御家人や戦国武将が元軍明軍やポルトガル軍やスペイン軍と同盟組んで
他の戦国武将潰すみたいな事例なんてないだろ
それほど日本という空間は外から隔絶されきたんだよ
だからその空間内での権威体系も残り続けた
>>109
信長に敵対しまくった将軍すら利用価値が有るからギリギリまで我慢してたんだぞ
将軍と比べて敵対出来る武力は当然無くて金も無いから操るのは楽で権威は将軍以上
コレを切るタイミングって中々無い >>73
行政と司法の長は天皇が任命する
立法は自分たちで選ぶが、そもそも天皇が招集しなければ何もできない
天皇は内閣の助言と承認を受けなければならないが、「我々がその気になれば」以下略 >>134
江戸幕府は徳川家の独裁政権
有力外様は政治から排除される 信長の支配基盤ってゆるゆるだし天皇家滅ぼそうとしたら戦国の延長戦が始まってただけでしょ
日本人はひたすら前例のない行動を嫌うってのは
現代でもしっかりと根付いてるよな
外圧がなけりゃ何も変えようとしない
何故日本人はここまで権威主義なのか
1000年前から変わらない
何かがある
信長が途中退場しなければあっさり抹消してたかもしれんな
>>159
信長というか織田家は割と朝廷シンパだからそれはない >>157
単純に島国という地形ゆえに他文化、多民族との接触、刺激、摩擦衝突がないからだと思うぞ
差し迫った危機がないのにトップから変える必要もない、島内の個を競い合う程度の「実力主義」は必要でも
お飾りを除いて自分がトップに立たないと体制や国の基からすべてひっくり返されてしまう、という恐れとは無縁
なら現お飾りを用いて猿山マウンティングした方がいいわな
それに鎌倉時代くらいになったら、中国で帝位自称したり簒奪した奴らが長続きしないという例も多く知られていたろうしな
下々の「権威主義」は上二行だけじゃね、外敵の恐れがなければ自分が「我慢」「しくじり回避」さえしたら
人為的な要素で理不尽に死ぬこともなかろうしな ??「俺が将軍になるから!😎」
天皇「あなたを将軍に任命します😂」
国民「天皇ってすげー 将軍もすげー」
今の天皇-総理の関係と同じで将軍券売機みたいな扱いだったんだろうな
自分が天皇に変わったらは他のやつらも同じ事しだして中国みたいになるからな
>>155
幕府って
頼朝が得た先右大将などの高位貴族の特権だった
家政機関である政所設立(所員は公務員扱い)
日本国総追補使
日本国総地頭
などの権限の集まりだから
征夷大将軍の権限とは関係ない >>139
でも鎌倉政権がもし自分達の一族が待ち受ける運命を知っていたなら、速攻で天皇も貴族も滅ぼして完全な武家支配の日本にしたやろな。 >>1
安倍ら日本会議だって敬っているわけでなく利用するために使ってるだけだしな
無くしたら責任を押し付けたり(戦後、為政者どもは天皇の名の下に行ったと言い訳し、天皇自身はお飾りということで責任を取らなかった)
自分らの行動を正当化する口実がなくなるじゃん >>130
平将門なんかは朝廷からの独立を画策してたしな
特にやっぱり武士って独立独歩の考えのやつが多いから自然とそうなったろう >>159
信長は近衛前久通じて、関白、太政大臣、征夷大将軍のどれかになれるよう調整していた(前久からの提案説もあり)からな
朝廷を除くって発想があったとは思えん そもそも、三河幕府で一括にしないと見えてこない
答えは、武家社会の権力構造は三河を頭にして何ら変わっていない
つまり、三河の源頼朝の考えを、三河の後輩達が継承しただ
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:清和源氏、藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
戦国の前の南北朝で実質滅んでるけど、権威がなければバラバラでまとまらないから無理やりでっち上げて持ち上げた。
信長の後を継いだ秀吉は高知能のサイコパスだから、当然、天皇を取り潰す事も充分に検討してるはずだけど、
幸運な事に、天皇を利用する道を選ぶ方が良いと結論された。
でも、もし秀吉も将来の脅威と見なして、反目する動きがあれば、秀吉も予定を変更して、天皇を潰しても自分が権力の座に居れるように上手く計画して実行に移しただろうけど。
永原慶二氏は「中世以降日本では”家格””家業”の概念が強固になったから、というのが理由の一つ」と言ってたな。
個々の家には受け継ぐべき家業があって、代々同じ仕事をするのが当たり前。
建前上は能力主義の筈だった律令官僚制も家格によってつける官職が決まっているのが中世日本。
天皇がどんなにつまらん存在でも、「天皇業」を世襲する家は天皇家しかないので、代わりがいない。
>>172
秀吉は唐入りの計画だったから
後陽成天皇は北京に迎え周囲10ヶ国献上。唐の関白は秀次。日本の天皇は若宮か八条宮が即位。日本の関白は羽柴秀家か秀保。朝鮮は羽柴秀勝。
秀吉自身は寧波に拠点を置いて、東アジア全域を統治する予定だった。 >>175
それは予定と言って良いのか・・・
俺はジャンボ宝くじ十億円あたって能年ちゃんと結婚する予定なんだが? >>176
秀吉軍よりヘボい女真族が征服できたのだから
ヘマしなけりゃ明征服は成功したはず >>177
俺よりヘボい(根拠なし)前澤が1000億持っててゴーリキと付き合ってたんだから、(以下略 >>140
俵藤太の末裔は武家の名門として扱われたけど藤原氏の中では格が低くくてバカにされてたんだってね
実力があるのになんか可哀想
>>37
太平記の中でもあいつ調子こいてそんなこと言ったらしいよ、みたいな第三者による伝聞での書き方なんで
本人がホントにそんなこと言ったかは分かんないらしいよ >>160
神道じゃ伊勢や熱田、仏教じゃ東大寺の復興してて
皇族に二条城作ってあげたり安土城に天皇が行幸したとき専用の部屋用意してるしな
そもそも古い神官の家系で先祖の出身地の神社を保護してるし天皇家潰そうとする理由がないと思う >>180
今川了俊「太平記って嘘ばっか書いてるしなw」 今の世の中と同じだろ
ただのお飾り
これが幕末になると、薩長が天皇を担いで幕府を倒そうとした
つまり、政治利用された
戦前も天皇が軍に政治利用された
>>183
天皇も軍を利用したけどな
裕仁はお飾りと言うにはあまりにも能動的政治的動きが多かった。 だから、日本の中心たる三河で皇族や皇別氏族たる源氏はグルだった何回言ったらわかるんや
三河国の王は院であり、その姪は鎌倉将軍の嫁になった
そして足利氏は、鎌倉将軍家断絶後、三河国おいて幕府で守護職あったが、院の下司のポジションでもだった
三河国主、三河守について
1184年06月:源範頼(三河守)
1191年07年:九条兼実(知行国主)
1193年08年:吉田資経(三河守)、吉田経房(初代関東申次)の孫、室に藤原範季の娘
1199年02年:吉田経房(知行国主)、初代関東申次、母の兄弟に藤原俊成(三河守)
1200年02年:藤原親輔(三河守)、藤原顕季の息、姉妹に九条兼実室
1200年03月:七条院(分国主)
1207年01月:忠輔(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1212年12月:実茂(姓不詳)(三河守)、三河の藤姓熱田大宮司家か?
1225年01月:藤原為綱(三河守)
1227年11月:七条院(分国主)
1228年12月:藤原経季(三河守)
1229年10月:藤原範房(三河守)、藤原範季の孫、叔母は吉田資経(三河守)室、姉妹に四条隆親室、忠成王(母親は三河の藤姓熱田大宮司、藤原清季の娘)妃
1234年01年:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1235年01年:藤原隆朝(三河守)、藤原隆季(四条家の祖)の曾孫、息が四条房名(三河守)に養子入り
1238年10年:卜部兼直(三河守)、兄弟の孫に吉田兼好
1240年12月:葉室資頼(知行国主)、藤原顕頼(三河守、正室は藤原季範従兄弟)の5世孫
1240年12月:四条隆親(知行国主)、室に足利能子(足利義氏(三河守護)の娘)
1200年12月:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
1241年03月:清原教隆(三河守)、九条頼嗣の侍講
1242年03年:藤原定親(三河守)
1244年08年:世良田頼氏(三河守)、室は足利義氏(三河守護)の娘)
1248年01年:四条房名(三河守)、四条隆親(三河国知行国主)の息
承久の乱までは、源頼朝と足利氏の親戚たる三河の藤姓熱田大宮司家が院の権益を守っていたが
乱以降は足利氏が親戚として受け継いだ
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏)
中国だって漢帝国の子孫は普通に生かされてたけど異民族がヒャッハーな時代になって軒並み殺された
民が無意識に朝廷支持してるからな
朝廷蔑ろにすると自然と幕府への支持が薄れていくと言う
こういう話題になると義満のスゴさが際立つよな
信長でさえ義満に比べたら小物だもんな
日本の歴史上最大の傑物じゃないの
室町時代は完全に幕府>朝廷の関係だったからな
鎌倉と違い、守護大名を京に呼び寄せて中央集権的な統治をさせるようになった
室町がもっと長く続けば朝廷は役割を終えて消えたかもね
>>192
消えるわけねーだろ
三河が武家社会のトップに君臨する限りは
三河政権たる室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動 戦前ですら神の末裔と信じてる人がいたのに
迷信深い昔じゃ潰すのは不可能でしょ
大陸だと暴虐な皇帝は革命によって倒されたけど、日本の天皇はそこまで滅茶苦茶してないし、問題のある天皇はせいぜい島流しにされたくらい
>>197
神格化されたのは戦前になってからだぞ
江戸時代以前は古事記も日本書紀もろくに知られてない
江戸時代に国学に寄って天皇を神格化し始める動きがあって
それが明治の勤王史観にも受け継がれた >>165
鎌倉政権の運命を知っている後の政権も朝廷を滅ぼすことはなかった 朝敵になったら主従関係も無効で無期限の暗殺許可がおりる様なものだからな
すべての天災も幕府の責任にされそうだし
昔の農民って天皇の事どう思ってたんだ?今見たいにありがたがってなさそうだけど
>>140
毛利が大膳太夫だかの官職もらうときは
大江の朝臣でもろてたんかな >>189
まあ易姓革命思想はなかったな
ちうかから伝わろうにも朝廷の学者が止めるわけだし
自前のも生じなかった >>4
室町時代の武士なんかだと
天皇なんか殺して代わりに銅像でも置いとけよwとか言ってたぞ 高師直さんのズバリと本質をついた先見性は素晴らしいな
やはり天皇制廃止がいちばんだわ