モノラルとは
1chにミキシングされた音源のこと
スピーカー1本で音楽を聴くこと
ステレオなんて面倒くさいものはヤメて
音楽を心からたのしもう
モノラルはモノクロと似ている
というのも1950年代まで一緒に過ごし
オーディオはステレオに、カメラはカラーになったから
でもただ古いだけではない
モノクロが光のコントラストで陰影を深めるように
モノラルも音楽の構造が明確につたわる
【モノラル原音症候群】
人によって症状はまちまちだが
いずれもモノラル録音が原因でおこるヤンデレ症例。
リマスター粘着症)
リマスター盤の編集方針が変わるたびに
したり顔をして前回との違いについて批判したがる。
編集方針が変わったからリマスターしたことを素直に受け止めない。
マトリクス後遺症)
オリジナルLPと呼ばれる初期プレス盤について
盤質も関係なく優位性を説教したがる。
しまいにはマトリクス番号を羅列して煙に撒く。
イコライザー整形症)
イコライザーカーブの違いで
天地がひっくり返ったかのように話したがる。
それが規格の問題だとすり替え
録音の人工的な改変につながることを認識していない。
SACD依存症)
何でもSACDにすれば音が良くなると思い込んで
安くて便利なCDでのリリースをバカにしたがる。
どちらもニュートラルな記録媒体であって
基本は同じ内容ということに聞く耳を持たない。
【モノラル試聴侮辱罪】
モノラルという言葉を聞くだけ脊髄反応するツンデレちゃん。
モノラル・ハラスメント)
レビューに録音の歴史的意義を能弁垂れながら
「モノラルなので残念」と決まり文句をいう。
ローファイ・ハラスメント)
古い録音だからミニコンポで十分と信じこんで
自分の装置の再生バランスが悪いことに気付かず
「録音が古いので音が悪い」と悪態をつく。
デジタル・モラル・ハラスメント)
モノラル音源をヘッドホンで聞いて
歪みや雑音が目立ったり頭内定位となることさえ知らずに
「ノイズがひどい」「音がつまって聞こえる」など
音質批評をあちこちで書き込む。
Q: モノラル・スピーカーでは音場感が出ないのでは?
A: 高域の指向性が狭いスピーカーを正面から聴くと音場感は出ません。
多くのスピーカーはチャンネルセパレーションを稼ぐため
せいぜい30°程度の指向性しかなく、ウーハーの癖が出やすくなります。
指向性の広いスピーカーを部屋いっぱいに鳴らして斜め横から聴きましょう。
Q: モノラル・スピーカーは大きいほうがいいのか?
A: 大口径のエクステンデッドレンジが中低音から中高音まで
反応がニュートラルで良いです。
大口径ウーハーは重低音を出すためにコーン紙を重くしたものが多く、
波形の立ち上がりが鈍いため、古い録音で素直に録られた低音は
エッジが立たず不足気味になりやすいです。
小口径ウーハーはもっと反応が鈍く、エンクロージャーの共鳴音を
待たなければ低音が出ないので、遠鳴りした不自然な低音で、
かつ大きな音量でないと反応しません。
モノラル録音は高域に歪みを多く含むため、このバランスはイタチごっこに。
レンジの狭いモノラル録音に合ったウーハーを選ぶべきです。
Q: 大型ホーンが一番よくないか?
A: モノラル時代に最も贅沢な仕様はトーキー用の大型ホーンで、
もちろんその性能は折り紙付きです。よく広い部屋で大音量で聴くもの
と思いがちですが、リニアニティが高いので小音量でも明瞭に鳴ります。
一方で、これに対応する軽いコーンで反応の良いウーハーは
一部のレプリカ品を除いて現在では製造されておらず、
ビンテージ物で状態の良いものを捜す以外に方法がありません。
もっと難しいのが薄いコーンの大口径ウーハーは湿気で音が激変する
(低音の伸びも中域の艶も無くなる)ので、日本のように高温多湿の気候は
かなり気を付けないと本来の性能を発揮できません。
これとは逆にホーンドライバーのほうは金属ダイヤフラムなので、
湿っけても勢いは変わらずバランスが取れないのです。
Q: 20cmのフルレンジが一番バランスが良いのではないか?
A: Hi-Fi初期に製造されたJBL L8T、WE 755Aなど名作ユニットがあり、
現在でも高額で取引されています。
最近になりダブルコーンで高能率なユニットが欧州から輸入されていますが、
注意すべきなのはQts=0.4以下のバスレフ箱向けのものがほとんどで、
意外に大きくてしっかりしたエンクロージャーが必要なことです。
昔のSiemensやSABAの20cmフルンレンジのように後面解放箱に入れても
ブルブル震えるだけで低音は出ません。
ユニットの特性に合った箱を選ぶことが良いバランスを生み出します。
Q: 小口径のフルレンジをモノラルで聴くとどうだろうか?
A: 8〜12cmのフルレンジは価格も手頃で、低音から高音までバランスよく鳴ります。
一方で、現在のフルレンジはステレオ再生用に設計され、高域の指向性を
スレンダーにして定位感を良く出すようにし、反対に低域はエンクロージャーの
共鳴音で補完するので、包み込むように柔らかい感じで出てきます。
この高域、低音の組合せは、ステレオでのサウンドステージの再現には
良く作用するのですが、モノラルになると高域がタイトで近接的なのに、
低音が緩くて遠鳴りするなど、音色の癖が出やすくなります。
周波数特性だけでなく、音色やタイミングにも耳を向けてみましょう。
Q:モノラルスピーカー用にモノラルアンプが良いのでは?
A:現在製造されてるモノラルアンプは大型スピーカー向けの高級品が主流です。
チャンネルデバイダーを介して、普通のステレオプリメインをモノラルのマルチアンプ
として使用すると一石二鳥です。
Q:モノラルスピーカーをマルチアンプで鳴らすメリットは?
A:ネットワーク回路の負荷がないので、アンプからスピーカーへ素直に電流を送る
ことができます。またネットワーク・フィルターの効く範囲でのスピーカーの
位相のねじれが起きにくいです。
チャンネルデバイダーで周波数バランスを耳で聴き分けられない人は、
まずフルレンジで高音と低音のバランスに慣れてください。
モノラル音源はモノラルLPだけの世界ではない
ステレオだってモノラルにミックスすればいい
モノラル試聴には以下の特典がある。
1)ステレオだと壁一面を占拠するが、モノラルだと椅子一人分でおさまる。
2)モノラルは試聴位置が自由。寝っ転がって聴いてもいい。
3)モノラルにすることで、音楽が一人称のパーソナリティを確立できる。
4)モノラルではドラムが前面に出てきてポップスもプレゼンスが高く再現される。
ステレオ音源のモノラル・ミックス その1)
一番単純なのが2chを並行に結線して1chにまとめるもので、
一般的には良く行われてきた。しかし、この方法の欠点は、
ホールトーンの逆相成分がゴッソリ打ち消されることで、
高域の不足した潤いのない音になる。
多くのモノラル試聴への悪評は、むしろステレオ録音を
モノラルで聴くときの、残響成分の劣化による。
ステレオ音源のモノラル・ミックス その2)
ビンテージ・オーディオ愛好家に人気があるのが、
プッシュプル分割トランスを逆に接続して、2chをまとめる手法で、
巻き線の誤差のあたりが良い塩梅におさまると、まろやかなモノラルにしあがる。
しかし、これもプッシュプル分割用トランス自体が戦前に遡る古い物しかなく、
そのコンディションもまちまちで、当たりクジを引くまで1台5〜10万円もする
トランスを取っ換え引っ換えしなければならず、普通の人にはお勧めできない。
ステレオ音源のモノラル・ミックス その3)
録音用ミキサーを使う方法で、2chの高域成分を
イコライザーで互い違いにレベル差を出して合成することで、
昔の疑似ステレオの逆をいくやり方である。
「逆疑似ステレオ合成方式」とでも名付けておこう。
これだと情報量が過不足なくまとまって、高域の潤いも失われない。
モノラルで聴くと遠近感が出ないと思う人が多いようだ。
いわゆるステレオでの定位感やサウンドステージはないが
マイクと楽音の距離感はしっかりと出てくる。
理由はパルス性の出音と持続する楽音のバランスで
楽器の距離を直感的に察知できるからだが
ステレオ録音の定位感は高域のパルス音で認識させるため
マイクとの距離感は人工的に加工できるようになっている。
モノラルで聴くと、マイクと楽器の距離感が元に戻り
本来の演奏のダイナミックがどれほどのものか察しが付く。
これが楽曲の構造がどうなっているかを知る手掛かりにもなる。
楽曲の構造というと少し大げさかもしれないが
例えば楽曲の雰囲気はサウンドステージによるところが大きく
狭い密室なのか、広いホールトーンを伴うのかで
その楽曲のリズム感や楽音を放り込むタイミングなど
演奏の基本的なところが支配される。
良く知られるのはボブクリが手掛けた「アヴァロン」と「刺青の男」で
アヴァロンは聖堂、刺青の男は狭い部屋ですし詰め状態。
ところがこれらをモノラルにミックスして聴くと
ほとんどの楽器は近接マイクに近いアレンジで収録されており
アヴァロンのドラムのほうがずっとタイトでダンサブル。
むしろストーンズのほうが粘りのあるブルース風のリズムを刻む。
これらは一般的なアルバムの評価とは異なるのだと思うが
その大半がエコーの大小で印象が決まっていることに気付く。
元のマイクに入った音に還元すると演奏スタイルがよりハッキリする。
モノラル録音自体は1960年代半ばで途絶えるが
モノラルでの試聴は1980年代前半まで続いていて
録音スタジオでもラジオ、有線でのリスナーを対象として
オーラトーン5c 1本でモニターすることが行われていた。
とはいえテレビだってモノラル音声がほとんどだったわけで
ステレオで聴く機会というのはFMとレコードに限られていた。
MTVなど最新の情報はモノラルで聴いていたのだ。
問題はモノラルを試聴する装置がテレビやラジカセに
ほぼ限定されていた点だ。 日本でFMステレオ放送が本格化するのが1970年代に入ってだが
それまではテレビが誰でもFM波のHi-Fi規格で聴けるオーディオだった。
例えば1960年代までの真空管テレビのスピーカーをみると
大型の家具調テレビは押し並べて2wayスピーカーだった。
視聴率の高い歌番組がターゲットだと思うが
野球の中継でも臨場感という意味では十分に効果があったと思う。 1960年代までのHi-Fiモノラルの時代が過ぎ去った後
1980年代まで引きずったLo-Fiモノラルの時代との齟齬が
モノラル再生の分水嶺になっている。
ここで、ステレオは本格的で、モノラルが矮小化された歴史に
どうやってピリオドを打つかが課題となって持ち上がる。
実は本格的なモノラル装置で聴く音楽は普通に良い音なのだ。
クラシックの録音を聴けば分かるが
同じステレオでも定位感の捉え方が全く異なる。
1960年代までは壁一面にスクリーン状に広がる音場感で
これは映画館でのPAと同様の音響設計を踏襲している。
1970年代から次第にサウンドステージの概念が発達したが
多くは英BBCの研究によっている。
1990年代以降はパルス波で定位感を出す方向に変わり
奥行き方向まで再現できるようになった。
マイクもすごく狭い間隔で配置される。
ポップスのステレオ録音はもっと雑で
1960年代前半まではデュオモノラルまたはピンポンステレオと言われた
左右の信号が全く分かれているタイプ。
ウォール・オブ・サウンドはモノラルミックスだと張本人が言っている。
1960年代末から1970年代前半はスペースエイジのような
無重力空間に無限に広がる音場感。
サウンドステージが確立するのは1970年代後半からで
これは先のBBCの研究によるところが大きい。
その後のステレオ録音の状況は
ウォール・オブ・サウンドの孫のようなオーバーダブを重ねたものから
ピーク音を極端に潰して音圧を上げたものまで様々で
むしろテクノロジーの発展とは逆行するような感じもする。
ステレオだから原音通りだと思うほうが間違いだ。
ボーカルは1本のマイクで録っているのにステレオで音像が描けるのは
中高域のプレゼンスを高く保ったり、パルス音を際立たせたりで
音が前に迫り出し、中央にスレンダーに定位するようデフォルメされている。
マイクがポップノイズに敏感なのは良く知られているが
ポップガードを付けても、リップノイズ(舌舐めずり)は注意される。
こうした定位感を示す情報をノイズとして排除した古い録音は
ビッグマウスというステージいっぱいに唇が広がる現象があるが
これはウーハーの反応が鈍いタイプで起きやすい。
クイーン「愛という名の欲望」は、ビッグマウスの効果を逆手にとって
ロカビリー風の低音が被っている声で演出している。
これもモノラルで聴くと、愛にもだえる一人の男が
クールに装おうとする姿が露わになる。周囲の雑踏が消えるからだ。
これはブルースのダメ男に通じるロックの本質的な要素だと思う。
クラシックはモノラル安いね
国内盤も軽んじられるし、米盤も忌避されるけどモノラルカートリッジで再生すると重量盤だの高音質だの蹴散らす深くて雄大な音がする。
国内と米国ではカッティングレベルなど真逆の性格だが
こういう個性はアナログならではの現象で
実はマスタリングの役割をカッター職人が担ってた。
CDの場合は、五味康祐が言うように生テープの音そのものは素っ気なく
リマスターの方向も艶やかな方向に転じていく一方。
しかし、プリでちゃんと調性すればそれなりの音になるのだが
変なピュアリズムが働いて音質をいじることが禁忌とされる。
五味康祐のコメントは以下のもの。
http://www.audiosharing.com/people/gomi/kyositu/kyou_05_1.htm
貝山知弘も、アナログはできるだけストレート
デジタルは逆に遠回りしたほうが良いようなことを言っていた。
CDの音が浅いと感じる原因は
1.出力側のバッファーアンプが非力で音の凹凸感が出ない。
抵抗器でインピーダンスを合わせただけのものも多い。
2.20kHz周辺に累積するデジタルノイズでピーキー言う。
3.アナログ特有の真空管のリンギング、磁気ヒステリススなど
音に艶や粘りを出す癖が除かれ味気なくなる。
これらを、EGアンプ、カートリッジなどに入れ替えると
アナログで音が良いという理由が解明できると思う。 逆に21世紀に入って恩恵を受けたのが
1950〜60年代の放送用ライブ録音で
フルトヴェングラーのRIASセットはともかく
ミトロプーロス/NYPやクリュイタンス/バイロイト音楽祭などが
放送局のオリジナルテープからリマスターされて
これまで海賊盤で聴いた音が嘘のように
鮮明でダイナミックな音で堪能できるようになった。
これらはちゃんとモノラル・スピーカーで聴くべきだ。
ここで問題なのが、クラシックでモノラルLPの原音主義とは何か?というものである。
いつも話題になるのが、初期プレスとバジェット盤との音の違いはともかく
CD初期のマスターテープが何世代か後のコピーでもっさりとした印象だった。
CDなりの倫理では、テープそのままの音を味付けせずに正確にした
と言いたいところだが、音の勢いからして初期プレス盤とは全く異なる。
様々なリマスター盤が年々発売されるが、いつも一喜一憂するばかりである。
ところが原点を探っていくと、EMIやデッカ、コロンビアやRCAのいずれも
レファレンスと考えていたオーディオ環境が異なり
そこで最高の結果が出るように探っていたらしいのだ。
EMIとデッカのサウンドの傾向が全く異なるのはよく知られるが
モニタースピーカーは同じタンノイながら
EMIはソリッドなLockwood製、デッカはコーナーヨークを使用していた。
さらに電蓄までいくと
EMIはHMV製楕円フルレンジにLorenz製コーンツイーターを足したもの
デッカはセンターにタンノイ同軸、両脇にウーハーを2本足した構成だった。
つまり、音の性格としては、そのトーンとバランスを取るように考えられ
両社のレーベルの個性として引き継がれていったといえる。
ちなみに緑青色と呼ばれる米コロンビアはアルテック(VOTTタイプ)
艶やかなRCAはオルソン博士の開発した同軸2way LC-1Aである。
一方で、最近のリマスターCDは、こうしたレーベルの個性を無くして
普遍化したかたちで後世に残そうとしているようにみえるが
肝心のオーディオ環境がそれに追いついていないように思える。
モノラル録音をヘッドホンで試聴する弊害はともかく
大半を占める鈍い反応しかしない小型ウーハーでは
近接マイクで増強しない低音群はスカスカで
ツイーターのパルス音だけが悪目立ちするだけである。
これらは録音の状況に合ったオーディオ環境を持たない悲劇であり
同じ金額で購入したCDに八つ当たりしている状況が
リマスターCDに向けられる賛否両論の原因ともなっている。
アナログ盤だと巧く鳴って、デジタルだと齟齬が出やすいのは
デジタルが被っている仮面(最新技術、正確な音、広帯域etc)に騙され
音の本質的な部分を見逃してしまうからである。
個人的な意見では、モノラルの音質は100〜8,000Hzが
均等に鳴るように調整されていれば十分である。
これはボーカルマイクの特性上でも明らかで
人間のコアな言語感覚と一致して音楽も構成される。
均等というのは、音圧よりもタイミングの問題が大きく
最近のスピーカーのように低音が奥に広がるタイプは不可で
フィックスドエッジでパンパンに鳴るようなものでなければならない。
モノラルの音質は100〜8,000Hzで十分というのは
何も大昔のSP盤やAMラジオのことを言っているわけではなく
例えばマイケル・ジャクソン「スリラー」を録音した際にも
小さなオーラトーン5cというフルレンジでほとんどのミキシングをした
という事実からも伺える。
https://umbrella-company.jp/contents/auratone-history/
スリラーの音質から想像するのは
ウェストレイク社の豪華絢爛なモニターシステムだが
そのコアな部分は人間の可聴領域でもかなり狭い範囲に留まっている。
つまり、オーディオには広帯域以外に追求すべき性能がある
という当たり前の結論に行き当たるのである。
>>30のリンクのように
「15,000Hz以上はカットし、低いほうも40Hz以下は、切り捨てる。
そのかわり7〜8,000Hzツあたりを3dBあげる、そのほうが耳あたりがよくなる」
というカッティング職人の意見はすべからず現在も共通しているのだ。 CD規格の策定時のオーディオ環境と、その後のデジタル対応機器の迷走は
この点からも考え直さなければならない。
CD規格が20kHzまでとした理由について
多くの録音エンジニアから15kHz以上は楽音として使わないという意見と
実際の運用がFM放送との共存関係を目的としていたからだと考えられる。
例えば、前者の録音側の意見はクインシー・ジョーンズなどから伺えるし
後者はマーケットとの関係からラジオで試聴しレコードを購入という流れが
主流だったこともある。
もっと肝心なのはFM波特有の三角ノイズで
日本だと2kHz以上で+4dBのエンファシスを掛けるため
全体に柔らかいマットな雰囲気の音質に仕上がる傾向にあることだ。
CDの音調の多くは、FM放送で聴き映えするようにできていた
と思うのが妥当だが、8〜10kHzにポイントを絞ったものだ増えていった。
超高域はもはや三角ノイズの霧の彼方で曖昧だったのだ。 こうした20世紀末に起こったオーディオのデジタル化の弊害は
人間の聴覚を拡張させると偽ったデフォルメによって成り立っていた。
オーディオの進化というのも、もちろん嘘である。
その証拠として、マイク1本で録った放送用モノラル録音が
かなり特殊なバランスで鳴ることがよくみられる。
想定したサウンドステージを画くパルス成分が少なく
ウーハーが非力で中域だけではモヤモヤするからだ。
つまり、マイクの原音など再生しないことを公言している。
ちなみにハイレゾが一般的になった現在では
>>38のような設計のツイーターは少なくなったが
CD規格でもデジタルノイズが目立たなくしている。
このハイレゾ規格にしても、立ち上げ当時は
生録で40kHzを保証できるマイクがないという無様さだった。
ハイレゾの実際の効用は、パルス性のデジタルノイズが
完全に可聴域外にいったことで雑味が減ったという程度に過ぎない。
CDのDA変換時のフィルターもシャープロールオフだと
パルス成分でポスト&プリエコーのノイズが盛大に出ていたが
スロー型やショート型など様々なタイプが出ている。
https://velvetsound.akm.com/jp/ja/stories/meister/meister-tutorial01/
これらを総合しても、超高域の扱いは未だ発展途上であり
むしろノイズに埋もれていた頃のほうが幸せだったかもしれない。 デジタルノイズがアナログ系のノイズに埋もれていた時代とは
FM放送の三角ノイズが代表的なものだったが
最新のアナログ録音をCD化したAADパッケージも良い感じだった。
またコンデンサーマイクに真空管のプリアンプが相性が良いと言ったのは
EMIのエンジニアが88.2kHz規格での録音を始めた頃だった。
またソニーの研究で、微小レベルのホワイトノイズが混ざったほうが
音の輪郭がはっきりする効果があるということだ。
オーディオの最適な周波数帯域に古くから「40万の法則」というのがあって
これはクレデンザのような蓄音機が、遥かに周波数特性の良い電蓄より
なんで心地良い音がするのかについて低域と高域のバランスにあるとし
クレデンザの周波数特性の両端の100Hzと4kHzを掛けて40万としたものだ。
これには人間の可聴領域20〜20,000Hzも含まれていたが
AM:100〜8.000Hz、FM:50〜15,000Hzという風に
実際の規格のほうは「80万の法則」で成り立っている。 ところがクレデンザには別の特徴があって
振動板となるサウンドボックスで拾ったスクラッチ成分をリンギングとして
効果的に隈取りを与えながら拡声する機能が備わっている。
これは素直なカーブのEMSと比べると明らかである。
このEMSはラッパ吹き込み盤を最大限に拡声するタイプ
一方のクレデンザは電気吹き込み盤を再生する装置である。
このリンギングは、現在では高調波歪みとして嫌悪されるが
初期のHi-Fi技術では、真空管のオーバーシュート
トランスの高次歪み、スピーカーの分割振動まで
あらゆるところで高調波歪みと共存してバランスしていた。
この技術体系が失われたのは
1960年代末にトランジスター製のミキサー卓が現れて以降で
ロックバンド「ドアーズ」の録音エンジニアは編集中に
オーナーが勝手にミキサーを真空管からトランジスターに代えたことで
パンチがあり天井の高いサウンドが全く失われる経験をした。
当時は「ソリッドステートの洗礼」と呼ばれたが
初期のNEVE卓には倍音の多いライントランスが仕組まれたし
EMTのプレートリバーブも多用されるようになった。
電気録音には、発明当初から音響的な雑味が必要だったのだ。 この1970年代以降のステレオ文化はそれなりに意味があるものの
プレートリバーブで味付けされた録音の鮮度は
テープの磁気劣化によって失われやすいことでも知られている。
もっとも悲惨なのはデジタル打ち込みをアナログ収録した
1980年代のポップスのように思っているが
リズムの立ち上がりが潰れて、くぐもって聞こえることも多い。
こうした輝きの失われたサウンドの評価も
一度モノラルに仕立て直すと、空間性の部分が消えるかわりに
元の楽音にリセットされて、楽曲の意図が整理される。
ステレオ録音の音場感にはトレンドの流行り廃りが激しく
1970年代のリバーブの使い方は厚化粧にも喩えられ
ボブ・ディランのベースメント・テープの完全版では
同音源の70年代アルバムへの批判があったし
日本のシュガーベイブ「ソングス」でも当時はデモテープ以下と言われたが
今になってみれば流行りのリバーブでコテコテにしないで正解だったらしい。
これはレーベルを立ち上げたばかりの大瀧詠一の
オールディーズ好きとも重なっていたように思う。
当時の福生スタジオは、ラジオDJ風の設備で
ヘッドホンでラジオ用番組も編集していた。
モニターはビクターSX-3だと見受けられるが
それよりももっとゴージャスな米AMI製のジュークボックスがあり
少年時代から聞いてた1960年前後のアメリカン。ポップスの
ドーナッツ盤を仕込んでいた。
このコレクションはCDで復刻されているが
当時の深夜ラジオで解説を交えて特集を組むほどの
気の入れようだった。
一般には、大瀧詠一はウォール・オブ・サウンド寄りと言われるが
シュガーベイブの唯一のアルバムからは別の風景が見えてくる。
福生45スタジオ:手前・AMIジュークボックス、奥・ビクターSX-3
ナイアガラムーン初期盤
ナイアガラムーンCD盤はJBL 4343に化けている もう一方のビクター SX-3は1973年に製造開始されたもので
密閉型の小型スピーカー&ソフトドーム・ツイーターの走りである。
現在では同じ設計者がクリプトン社でKX-3として製作している。
このKX-3の設計では密閉型&ソフトドームという基本路線は変わりないが
ウーハーを25cmから16cmクラスまで小さくし
クロスオーバーを2kHzから3.5kHzまで上げているのが特徴で
理由はボーカル域をウーハーでカバーできるようにしたかったということだった。
このボーカル域の考え方は日本的な理由があって
母音のうち喉音となる800〜3,000Hzをカバーできるようにしている。
これはアジア系言語では情感が最も込められる帯域で
逆に欧米言語では子音となる2.5〜6kHzに語彙が移るため
1.5kHz付近で早々に切り上げてしまう設計が多い。
以下の図中に書き込んでいるのは
スピーカーの振動板を平面バッフルと見立てた場合の最低共振周波数で
ダイレクトに空気を振動させることのできる範囲である。
それ以下の周波数は箱の反射もしくは共振で得られる2次波となる。 これらのウーハーやツイーターの帯域をみて思うのは
スピーカーの設計は、根本的に人間の言語機能に似せて作られており
それは取りも直さず
人間の聴覚は言語的コミュニケーションのために発達している
という事実である。
つまりオーディオは超常現象を引き起こす音響機器ではなく
人間のコミュニケーションのための機器だといえるのだが
100〜8,000Hzというローファイ帯域に9割の情報が詰まっている。
これは1950年代の録音でも十分に感動しえる理由であり
むしろ21世紀になっても変わらないものでもある。
モノラルで音楽鑑賞するべき理由として
人間のコミュニケーションの取り方、特に室内での対話の仕方である。
これは大勢の人がすし詰めになる状態ではなく
むしろ対面もしくは隣で語らうことになるのではないだろうか?
ステレオからモノラルにすると複数形から一人称の存在に変わり
音楽のパーソナリティが引き立つのである。
これは1960年代に編集されたライヴ盤と
最近に発掘された音源との性格の違いにも表れてる。
1960年代のライヴ盤は観客動員数がパッケージの一部であり
最近の発掘音源のほうは音としてはシンプルだが
ミュージシャンのパーソナリティが引き立つものが選ばれている。
サイモン&ガーファンクル:1967年NYライヴ
ピーター,ポール&マリー:1967年日本ツアー
ジュディ・シル:1972-73年BBCライヴ
など心に残るものだけでも色々ある。
これに観客の入りが悪かったヴェルヴェットの1969年マトリックス・ライヴや
ボブ・ディランが1962-64年に宅録したウィットマーク・デモまで含めると
結構なコレクションに膨れ上がる。
パーソナリティで思い浮かべるのはラジオDJである。
1970年代に現れたラジカセは日本発の家電製品で
その音響設計はAMとFMを拡声するために
古いジュークボックスと同じエクステンデッドレンジ+ツイーターであった。
実は肉声の再生に関しては、ラジカセのほうが良く設計されていて
ウーハーの高域を2kHz以下で切ったときに、洋楽は映えるのに歌謡曲はダメ
という現象がまま起こるが、これは言語的特徴が関係している。 大瀧詠一が大事に持っていたAMI社ジュークボックスだが
1959年のビンテージも手に入れた当時は10年少し経っただけ。
おそらくモノラル仕様(付属カートリッジ GEバリレラIII)だったこともあり
比較的安く引き取ることが可能だったかもしれない。
日本でビートルズが聴けるようになったのは1964年以降だが
国内盤を扱った東芝音工の洋楽部門でもイギリス発のロックというものが
全く未知の存在だったらしい。アメリカン・ポップスの黄金期でもある。
ウェスタン・カーニバルなど洋楽カバーの歌謡ショウも盛んだったが
1966年頃から急激にGSブームに切れ変わり
旧来の流行歌手は歌謡曲、芸能人という枠組みになっていった。
歌モノとサウンドの谷間ができて、オーディオの評価基準も変わった感じがする。
日本の場合は、シングルとアルバムでミックスの雰囲気の違うものがあり
古くはシングルはモノラル、アルバムはステレオという棲み分けがあった。
特にシングル・バージョンは、アイドルや演歌、あるいはテレビ主題歌など
ボーカル中心にクローズアップしたバランスでまとめられており
主にラジオや有線での試聴者をターゲットにしたサウンド造りである。
一方のアルバム・バージョンは、ステレオの音場感を広めにとった
ややシンフォニックな雰囲気でまとめられており
コンサート会場を意識したファン向けの商品となっている。
場合によってはアイドルのポスター付きという特典で購入するケースもあった。
この両者を比較した場合、アルバムは本格的、シングルはラジオ向け
と甲乙を付けがちだが、楽曲を味わうにあたり、それは妥当だろうか?
歌手のパーソナリティをより顕著に反映しているのはシングル盤なのだ。
そしてシングル盤と相性の良いオーディオの評価も見直す必要がある。
それがラジカセであり、そのバージョンアップはステレオではなく
古いジュークボックスであるという見立てになる。
ポップスの音場感にもアメリカンとヨーロピアンがあるが
そういう区分が出てきたのも1970年代のことだと思う。
それまではアメリカに追いつけ追い越せの状況で
イギリスのハードロックはむしろアメリカン以上にアメリカンだ。
日本の場合も録音技術の導入がアメリカ経由だったし
ビートルズもアメリカン・アルバムからスタートした。
こうしたアルバムはモノラルで十分聞きごたえがある。
ヨーロピアンと呼べる音場感(サウンドステージ)をもつ録音は
例えば「狂気」「オペラ座の夜」などのコンセプトアルバムではじまり
演劇的なストーリーのあるものが出てきたように思う。
ステレオでなければと思うのは、この手の作品を指すのだろうが
モノラルで聴けないかというと、意外にそうでもない。
むしろモノラルだからこそ、楽曲のシナリオが判りやすい。
テレビドラマのように音像がクローズアップされてくるからだ。
モノラル再生には、1本のモノローグとして扱う方法もあるが
一般の人にとってはステレオと同じように2本のスピーカーで
コンサートホールの音場感を伴って眺めるように聴くことのほうが
デフォルトになっているように思う。
その理由はステレオ規格がモノラルへの下位互換性を担保したと
名目上はなっているからで、多くの人は大は小を兼ねるかたちで
ステレオスピーカーでモノラル録音を聴いている。
一方で、ステレオ盤はモノラルでの試聴を引き離そうとする圧力があり
モノラルで聴くことのデメリットだけが誇張されて宣伝されたように思う。
特にひどいのは、ステレオ録音をモノラルモードで聴くときの
高域が丸まった状態で、これはモノラルのラジカセで聴くより悲惨な音だ。
さらにFMチューナーで聴くAM放送もモゴモゴした感じで
やはりラジオ単体で聴いた方がいい。
1970年代以降のモノラル試聴は受難の時代が続いたのだ。
一方で真剣にモノラル録音と対峙していたのがモダンジャズで
これは1970年代以降もJBLのモニタースピーカーを通じて
ヴァン・ゲルダーをはじめとする近接マイクの生々しいサウンドが
再評価されるようになった。音を浴びるように全身で聴くスタイルだ。
ポップスでのモノラル回帰は、アナログ盤が一端製造廃止になった1990年代に
ウォール・オブ・サウンドの開祖フィル・スペクターが「Back to MONO」
という3枚組のアルバムで、自身のサウンドがモノラルミックスだと
歴史的なカミングアウトを果たしたことだ。
その後、1960年代のロックを中心にモノラル回帰がはじまり
ビートルズのモノアルバム全集が出た後にほぼ定着した。
もっともシングル盤のモノミックスがステレオとアレンジが異なるのは
1990年代でも黒盤で周知されていたが
何が何でもビートルズのスタジオ録音をコンプリートしたい
コアなファンのためのアイテムだと認識されていた。
モノアルバムはそうではなく、モノラル録音のサウンドそのものが
ビートルズのロック魂を端的に示すものと認識された点が画期的だった。
ただ個人的にビートルズのモノラル録音で最も印象的だったのは
BBCに出演した土曜の軽音楽プログラムの正規盤の登場で
パフォーマンスバンドとしての人気ぶりを彷彿とする内容だ。
米国のR&B楽曲のカバーが中心となるため見逃していたのだろうが
その理由が当時の英国の法律でラジオでのレコード再生は
レコード販売を阻害する行為として禁止されていたからだが
同じ理由でビートルズはワンマンショーで米国のヒット曲を放送できたのだ。
一方で記録として残っていないのが、法律をかいくぐって放送した海賊ラジオ局で
文字通り船で海洋に出てレコード(8トラカセット)を放送していた。
そのうち発売する前の楽曲の反応をみるためにデモテープを放送したりしたが
1960年代も終わりに近づいて陸に上がった海賊ラジオのDJたちは
若手ミュージシャンとの広いコネを利用してBBCで特番を組むようになった。
内容はレコードになる前の未発表の楽曲を紹介するもので
この録音でのパフォーマンスがともかく質が高く
当時のブリティッシュロックの輝きをよく反映しているといえる。
このBBCライヴの一連の録音が正式に公開されたのは
放送当時からかなり時間の経った後のことで
ミュージシャンたちがレコード会社から独立して
質の悪い海賊盤に対し自分で著作権をコントロールできるように
なってからだと思う。
同じようなことは、未発表のライヴ録音に及ぶことは必然で
ボブ・ディランのように積極的にブートレグシリーズを出す人から
ライノ・レーベルが発掘音源をリマスターしてリリースすることもある。
ここでもかつてのような粗悪なコピー商品しかなかった時代に比べ
デジタル編集で切り貼りからゴミ取りまで自在にできるようになって
技術革新の恩恵を受けられるようになった。
一方でそれを迎え撃つオーディオ環境のほうは、むしろ逆行しているように思う。
そもそも奥行き感など存在しないし、ラスベガス風の上品なディナーショウなど
ロックのどの演奏でも願い下げである。
どうみても1970年代のようなモダンジャズのような見直しには至らないのだ。
この点はそもそも音楽から何を聴き取りたいかの嗜好の違いについて
正しい答えを導き出せていないように感じる。
ポップスのステレオ録音の音場感は
1.ウォール・オブ・サウンド
2.コンサートホールのサウンドステージを仮想したもの
3.ディスコ&クラブ風の無指向性の音場
4.ヒップホップ系のソリッドな近接マイク
となるが、後者2つはモノラル音場の一種であり
前者のうち1はそもそもモノラルで策定された。
問題は2のコンサートホール型だが
実は後者2つを諦めるほどのコンテンツはない。
様々な手間を掛けても楽曲の構成とは別の効果
つまりステレオでなければ味わえない独自の音響となる。
もはやそれは人工的な仮想音場であり原音ではない。
ディスコ&クラブ風の音場が無指向性なのは
コンサートでのマナー=演奏者と観賞者のヒエラルキーを排除したからだ。
つまり講義と同じ方法で拝聴するのが礼儀ということを
ステレオ試聴では強制することで成り立っている。
これはステレオ音響の正式な聴き方というよりは
ステレオ装置でしか存在しない試聴方法である。
モノラル試聴は音楽との平等かつ自由な関係を促す。
御託を並べてるが確かにモノラルならどこで聴いても良いわな
ウォール・オブ・サウンドは
1963年のロネッツやクリスタルズのヒット以降のようにいわれるが
「ロックンロールのワーグナー風アプローチ:少年少女のためのポケット・シンフォニー」
とフィル・スペクター自身が答えているようにその前哨戦があって
バジェット・コンピで復刻されている1959〜62年のシングル集でも
ティンパニを導入したオーケストラ風アレンジに現れている。
コンサートホールを想定するようなエコーや過剰なオーバーダブを想像するが
狭い部屋で起こる縮退現象(壁の反射で波形が打ち消し合う)を利用した
部屋全体が揺れ動くようなマッシブな音響に特徴がある。
もちろんロネッツのアルバムにある「ホワッツ・アイ・セイ」のカバーのように
ダンスホールでの音響を真似たようなものも含まれるが
実際に部屋を震わせる大音響で鳴らすというよりは
ティーンズが使う小さいラジオからでもそのように聞こえる点が重要だった。
上記の写真は1950年代末にトランジズターラジオが登場した頃に
ティーンズが音楽を聴く方法として良くみられたもので
近接で聴いているため、低音も増強して聴けるし
高域のパルス性の音も明確に聞こえる。
ウォール・オブ・サウンドを人々が認識した原体験である。
これを元にKOSS社のヘッドホンも開発された。
世界初のステレオヘッドホンと鳴り物入りで知られるが
中身はラジオに付属しているローファイなコーンスピーカーだった。 このような狭帯域主義は1980年代前半まで続いており
オーラトーン5cがスタジオの一角でモニタースピーカーとして活躍していた。
実際には、ローファイのなかにこそ人間の感情を揺り動かす要因が大きい
とみていいだろう。
ラジオ用スピーカーというと、現在ではかなり性能の劣ったものと思われがちだが
1930年代から製造されているラジオ用スピーカーは
概ねレコードの大きさに準じて変化していると考えていいだろう。
1930年代のSP盤は10インチ(25cm)
1950年代のLP盤は12インチ(30cm)
1960年代のEP盤は7インチ(16cm)
1980年代のCDは5インチ(12cm)
1930〜50年代は電蓄と呼ばれたモノラル再生機だったが
1960年代以降はステレオ用ということになる。
CDラジカセは、CDの性能よりもコンパクトさがネックとなって
ステレオでも10cm程度のスピーカーを標準としている。
メディアのサイズと録音の中身は当然のことながら違うのだが
1960年以降のステレオ化の流れは小型化の流れであり
音楽のもつフィジカルな性質を喪失していく流れでもある。
この流れを一端リセットするのがモノラル化の意図でもある。
モノラルで試聴することで最も不合理なのはオーケストラ作品で
元のステレオ実験がコンサートホールでのオーケストラ音の伝送実験なので
そもそもステレオ録音自体がクラシックのオーケストラ向けとなる。
ところが、普段耳にする音楽でオーケストラの登場頻度は10%あれば
十分にマニアの領域、つまり意識して聴いていると考えていい。
つまり10%に満たない嗜好のためにステレオを揃えようとする。
モノラル試聴はスピーカーが半分なだけなのでそれほど価格は下がらない。
しかしステレオ再生に付きまとう儀式の数々を考えると
購入費用以上のオマケに憑きまとわれることは必須なのだ。 ステレオ再生に付きまとう儀式とは
1.試聴位置の左右対称にスピーカーをセットし
その中央以外の場所では音響特性が乱れる。
2.定位感の多くはツイーターのパルス信号に依存しており
その微小振動の制動に細かいセッティングを必要とする。
3.パルス性信号の正確な伝送はケーブル類にも影響し
高純度銅、絶縁体、磁性制御など複雑化する一方である。
4.デジタルになると伝送中のジッター、エコー、外来ノイズなど
通常の測定装置では計り知れない項目が追加される。
5.インシュレーター、ケーブルなどのアクセサリー類は
それだけでアンプやスピーカーに匹敵する価格のも存在する。
6.アナログ・プレーヤーのセッティングは1970年代以降に難解になったが
デジタル時代に製造が一端途切れているため高額になりやすい。
7.アナログ時代はなかった別売りのフォノアンプにいたっては
EQカーブなど研究者向けの内容に踏み込み混乱している。
上記の解決策は
1.モノラル試聴にすれば自由である。
2.モノラル試聴にすればウーハーの重要さを痛感する。
音場感での誤魔化しが効かないからだ。
3〜4.モノラル試聴では出音のタイミングなど
オーディオシステム全般のフィジカルな特性が肝心になる。
タイムコヒレント(ステップ応答)は重要である。
5.モノラル試聴にすればウーハーの振動対策以外は
それほど凝らなくていい。
6.CDでも普通に聴けるようにシステムを調整したほうが
音源の数からして合理的である。
7.普通にアンプ付属のイコライザーを使用しよう。
ターンオーバー中心で特性を調整できるように設計されている。 普通にステレオアンプのほうが安くて便利。
自分は2wayをチャンデバ使って左右chを高域と低域に分けて
マルチアンプで鳴らしている。
躍動感と見晴らしの良さとが向上したと思う。
ツイータも無しでフルレンジ一発のモノスピーカーをなるべくシンプルな構成で鳴らしたいんだけど
ソースはステレオだからミキサーで混ぜるよりステレオインモノアウトの中華アンプみたいのどうかと思ったんだけど。
自分も最初は中華デジアンでロクハンを鳴らしていたが
メリハリのあるのはオーバーシュートで歪んでいたからだった。
逆に高周波ノイズを抑えすぎたものは音量は出ても躍動感が出ずドン詰まり。
この辺の加減が難しく、どの製品も賛否両論なのは基本設計がいい加減だから。
自分のはDC成分が漏れていたが、フィルターなしで元気だけはよかった。
普通に5万円程度の国産FETプリメインに乗り換えたところ
とても素直に音が出ることに気付き納得。
ちなみに同じフルレンジでもモノラル期は斜め45度で聴いてフラット
正面特性は中高域を辛目に5〜6dB持ち上げる特性だった。
1960年代以降のほとんどのフルレンジは正面特性でフラット。
これは高域のチャンネルセパレーションを明瞭にするため
ステレオ用に高域の指向性を絞るように設計してある。
モノラルで聴く場合は、部屋中に高域を拡散するように
4〜10dBほど落とした出力で馴染ませると自然になる。
あと一般的な性能やコスパの話よりは
具体的にどういう音楽を鳴らし込みたいか伺えると
もう少しスペックを押さえることができるかもしれない。
私の場合は、1950年代のドイツ・クラシック放送録音から始まり
1970年代歌謡曲と1950〜60年代英米ロックからシステムを見直し
今のモノラル試聴の方向に舵を切った。
今では1990年以降の古楽器演奏、2000年以降のJ-POPなど
ツボにはまってモノラル修行中。
歌モノの場合は帯域的に狭いので甘く見がちだが
200Hzがファットで100Hz以下は絞ったほうが実体感が増す(男女共通)
500〜1500Hzがスッと反応したほうが表情が濃くなる(特に日本語)
3〜6kHzで倍音がアクセントがつくと抜けが良くなる(特に英語)
胸声、喉音、子音に対して色々と要求が多い。
グラフィックイコライザーなどを使えるなら試してみると判るが
100Hz以下も10kHz以上もボーカルには要らない。
こうした特徴は真空管+フルレンジで練られた内容でもあるが
特に喉音の表情が要らない英米圏での設計が広がって
1〜2kHzで位相が落ち込むようなものが標準となった。
この時点でソウル系のボーカルは良さが判らなくなったが
歌謡曲はラジカセのほうが声が聞こえやすいという逆転現象もおきた。
個人的には中域の反応を良くするために後面解放箱に入れるのが好きで
コーン紙がフラフラしないようにQtsが1.0以上のユニットを選んであげるといい。
現在だと Visaton FR6.5 が手頃でいいかもしれない。
8cmくらいのほうが女性ボーカルが綺麗という人も多いが
理由は胸声が被らずに800〜2500Hzの喉声がクリアに聞こえるから。
こちらは小型バスレフ用に設計されてQts=0.3〜0.5にしているが
特性通り150Hzくらいからロールオフしているほうが声はクリアになる。
アンプのことを言うと、自分はデノンのプリメインを使っているが
MOS-FETのアナログアンプを使う理由は
隠し味としてサンスイトランス ST-17Aというローファイ仕様のライントランスを使って
ボーカルに合わせた倍音を出しやすくしているからで
どうもデジタルだと折角色付けしたパルス信号がフィルタリングで通らない
という疑惑が払拭できないからでもある。
前にデジタルアンプでフィルターがないと高調波のオーバーシュートがうるさい
と書いたが、このスパイクノイズは楽曲に関係ないアンプ特有の一定音だが
トランスの場合は、楽曲の音程に合わせて倍音が出るという違いがある。
似たものに真空管のリンギングノイズもあるが、こちらは中高域の艶が一定に乗る。
ライントランスもデジタルノイズを除去するだけなら
もっと低音も高音も通すHi-Fiな特性のものが売られているが
ST-17AはMMカートリッジのような暖色系の色合いがあって好みだ。
色々と書いたけど、現在のデジタル=広帯域フラットは
ボーカルを効果的に再生するには不十分で
人間の声に焦点のあった音響のプロポーションを整えなければいけないと思う。
コアな周波数域は重低音や超高音にあるのではなく
むしろ100〜8,000Hzというローファイ帯域のなかのプロポーションであり
ボディラインと同じように胸声、喉音、子音がそれそれ魅力的であるべきだ。
あと自分のシステムについて言うと
Jensen C12Rというギターアンプ用ユニットを使ってるが
自分としては最高のプロポーションなのだが、どうも誰も喰い付かない。
このユニットは1947年にリリースされたP12Rのセラミック磁石版で
開発当時は汎用のPA用スピーカーだった。
1950年代はRock-ola社などジュークボックスにも使われた銘品だ。
このユニットの良さは
1.フィックスドエッジのバネが効いてミッドローまで反応が均質に揃う
2.Qtsが2.0以上と高く後面解放箱でも安定して鳴る
3.ボイスコイルが1インチと小さく中高域がクリアに鳴る
中央のダストキャップがフェルトで固有音が少ない
4.分割振動が美音系でリバーブが綺麗に乗る
5.ギター小僧のために新品で安く売られている
弱点といえば…
1.Foが90Hz付近で重低音が出にくい(ベースラインは明瞭に聞こえる)
2.ツイーターなしでは現在のHi-Fiの基準に満たない
大型ホーンに合わせるのも無理(音が軽すぎる)
3.ギターアンプ用=歪みだらけと勘違いされやすい
4.ビンテージオーディオ愛好家から蔑まれる
Foが高いのはボーカル域の明瞭さとバーダー取引だし
10cmフルレンジより低音が出ないが
200Hz付近までダイレクトに振動させられるため
ボーカルの実体感や迫力は全く違う。 ちなみに気になるC12Rの分割振動(=歪み)だが
正弦波の立ち上がりに対する「ステップ応答」を計測してみると
シングルコーンと同じく綺麗なライトシェイプを画きながら
一般的なフルレンジに比べずっとクリアである。
パイオニアPE-16M(整合共振)のステップ応答
Jensen C12R+Fostex FT28Dのステップ応答
実はギターアンプのディストーションは
アンプの真空管を過入力で歪ませた音であり
濁った原音を効果的に再生しているだけで
スピーカーそのものの音はむしろクリアな波形だと判る。
1ms以下のデジタル的に観てもかなり正確である点でも
これが本当に75年前の音響技術なのかと驚くばかりである。
ステップ応答に関する解説は以下のとおり。
https://www.stereophile.com/content/measuring-loudspeakers-part-two-page-3 個人的にはボーカルの複雑な発音機構の再現には
タイムコヒレント(時間的な一貫性)が重要だと考えていて
例えば、通常のマルチウェイでは子音が先に立って
胸声は遅れてやってくるのが普通の表現になってくる。
実際にはブレスから胸声が発せられるタイミングがあり
そのリズムやタメが音楽表現に深く関わっている。
この息の上下する動きは、結構早いスピードで
風切り音のパルス成分と一緒に声が出ている。
けして低音が遅れてくるようなことはないのである。
もうひとつはその遅れが1msに達することで
高域の立ち上がりにマスキングされて曖昧になる点である。
1msは凄く短い時間に思うかもしれないが500Hzの半波長に相当し
それ以下の周波数、胸声の200Hz近傍の表現をほとんど覆い隠してしまう。
こうした時間的な不整合はシングルコーンで解決されるが
小型フルレンジは800Hz以下をエンクロージャーの共振で補うので
ステップ応答の計測では判らないかたちで柔らかい波形で遅れてくる。
10cmレベルの小型フルレンジで本格的なものが出たのは
1965年のフォステクスFE-103が最初で
それまでの小型スピーカーは携帯ラジオ用のもので
再生帯域も200〜4,000Hzを中心としたカマボコ特性だったが
小型フルレンジというジャンルを切り開いたロングセラーである。
このほかに日本製の小型フルレンジユニットは
テクニクス、パイオニア、コーラルなど様々に販売された。
これに続いて1968年発売のAltec 405Aは
空港アナウンスの天井スピーカーとしても使用され
特性は250〜8,000Hzをフラットにしたカマボコ型だが
30cm立方の密閉箱に入れることで人間の声の特性にフィットするとして
アメリカの音響学会の標準的なユニットとしても活用された。
1970年代から録音スタジオ用としてはオーラトーン5cが有名で
フラットな領域が150〜12,000Hzと狭いものの
当時一般的だったラジオリスナーの希求するサウンド造りに欠かせないものだった。
一時期生産中止したが、現在では再生産をはじめている。
1990年代にはBOSE 101がパワーハンドリングが高いことや
東海岸風の落ち着いた音調も手伝って、店舗PAなど色んな場所で見かけた。
BOSEの特許に電球を使ったイコライザーがあって
小音量のときは低域をブースト、音量が大きくなるにしたがい低域に抵抗がかかる
という変わった機構が付いていたが、これが小型フルレンジの弱点を補った。
市場に一番インパクトのあったのは、サテライトスピーカーとサブウーハーを組んだ
501システムだったかもしれない。この頃はSR市場でも優位にあったが
1970年代のJBLも似たような経緯をもっていたことと重なっている。
このBOSEのラウドネスを効かせたサウンドは
一方では小型フルレンジの機敏な反応を失うことにもつながり
自作派のオーディオマニアから批判されるようになる。
10cmフルレンジが出始めた当初問題となったのが能率の低さで
小型であるにも関わらず、真空管シングルでは足らない感じだった。
これは30Wクラスのトランジスター・アンプが安価に出回ることで解消されたが
むしろ初期のカリカリしたOTLトランジスターアンプの音調と重なって
10cmフルレンジの明瞭なサウンドが定まっていったように思う。
同じトランジスターでもトランスを組み込むとマッキントッシュのように
コッテリした音調になることもありえる。
小型フルレンジはよくラジカセ用と同等品と間違われるのだが
ラジカセは後面解放の筐体に入れるためフリーエッジのものはごく一部で
自作オーディオ用に売られているものはバスレフ箱に入れるよう設計している。
卓上ラジオに放送用モニターと同等品とメーカーで宣伝していたとしても
実装されたのはフィックスドエッジの別物だったというのは当たり前だった。
これにP610を入れてもスカスカの音しか出ないのは明白だし
パナソニックでも広帯域(Hi-Fi)放送のテクニカル・ガイドで
並四ラジオに高級フルレンジを入れても低域は200Hzから切れると
実験した結果が掲載されたりしていた。
高性能な10cmフルレンジが開発された背景にはステレオ録音の普及があり
スピーカーを2台置くスペースを卓上で済ませたいニーズは当初から高かった。
ステレオ電蓄のほうはというと、スピーカー2本を並べて収めた製品も多く
セラミックカートリッジのクロストークも分離10dB以下が多かった。
当時のポップスに多かったデユオ・モノラルのステレオ分割は
なんちゃってステレオ装置の普及とも関係があったかもしれない。
こうした時代に2本を別々の箱に入れてステレオ効果を明瞭にし
しかもスペースファクターの良好な小型フルレンジは重宝された。
一方で、狭いスペースでステレオ効果を出すための工夫として
4kHz以上の高域で指向性を30°内に絞ることで
チャンネルセパレーションを稼ぎ定位感を出すことも設計として行われる。
スピーカーが正面を向かなければ正しいバランスとはならない
ということが次第にステレオ試聴のマナーとして定着していった。
これ以前のモノラル用フルレンジは斜め45°でフラットとなるよう
中高域を辛目に持ち上げる特性をもっていた。
GoodmansでもAXIOM80は旧型、AXIOM301は新型の設計で
JBLではD208が旧型、LE8Tが新型の設計である。
所詮PA用と言われる音調だが、ラジオでも同様の音調のものが使われ
1970年代においても家電製品の音響設計に引き継がれた。
Lowter PM6などは今でも旧式の設計方法を引き継いでいるが
むしろバックロードホーンに入れてドンシャリで鳴らす方向で生き残っている。
フォステクス FE-206がローサーの系譜につながることになるが
Qtsが0.2まで下がるので、通常のバスレフではオーバーダンピングで
低域が出にくくなるという現象も起きる。
現状はQo=0.26とやや緩和してパスレフ箱でも使えるようにしている。
これもフラット志向で低音の出やすいFFシリーズと並行しており
ステレオ用途の基本的なスタンスを持たしている。
ブログ読んだので自作の12インチ箱の寸法教えて下さい
ツイータ以外同じもの作るので
最近のフォステクスの変化については
FE-103の50周年記念で出されたsolシリーズで打ち出された
PA的に高域を辛目に発散する音調であるように思う。
つまりパーソナル空間でのステレオ試聴ではなく
スピーカーで拡声するシチュエーション=音楽の共有という
コミュニティの形成の向けた開放的な感じが伺える。
その意味ではenからNVの変化も顕著で
enまでのフラットなレスポンスから
NVでのメカニカル2wayに似た大胆なプロポーションにもみてとれる。
こうした傾向がモノラル再生にどれだけ有効かはまだよくわからない。
例えば、ラジカセに使われていたような分割振動の強い仕様とは
また違う感じにも思える。
http://www.toptone.co.jp/products/full/F120C85-1.html
ラジカセというと日本では安物と相場が決まっているが
アメリカではヒップホップの路上ライブでかなり使われていた。 >>87
12インチ用箱はアルテック618B型の背面を外したものを使ってる。
幅45cm、高さ56cm、奥行24〜33cm
バッフル18mm、サイド10mmの米松合板を使用
618箱は管球王国で有名になったので図面もネットで検索できるが
後面解放で使う場合はもう少し奥行きを減らして胴鳴りをなくすと思う。
バッフル幅+側面×2=1m程度で調整すると概ね同じになる。
斜めバッフルはもともと壁掛け用の設計なので特に必然性はない。
昔の木製ラジオは、スピーカーとバッフルを密着せずに
少し隙間を空けるが、そのほうがバッフルの固有音が出ない。
製品によっては薄手のサブバッフルにネジ止めしてる例もあるが
最初は割り箸や爪楊枝などで隙間を加減して固定するといい。
Jensenの新品はエージングに時間がかかるので
最初の音がスカキンでも気落ちせずに気長に付き合うと
そのうちスピード感の速い中低域が優勢になってくる。 あとJensen C12Rとは違うユニットを検討しているのであれば
後面解放に適したQtsの高いフィックスドエッジのものと
バスレフに適したQtsの低いフリーエッジのものが
同じ12インチでも両者は1950年代から混在している。
有名なユニット JBL D123、エレボイ SP12B、トゥルーソニック120FRなどは
基本的にバスレフ箱(かなり開口の大きい)に合わせて設計されている。
日本の家屋に合った箱としてオンケン型のウルトラバスフレックスがあり
無理に重低音を稼いだような不自然さを解消した低音が聴ける。
2wayスピーカーは1930年代から高級電蓄で使われていたので
無闇に高域を伸ばす必要はないが、シングルコーンにこだわる必要性もない。
12インチともなると6kHz以上の高域は急激にレベルダウンするし
クロスオーバーも3kHzを超えると位相遅れは目立たなくなる。
Fostex FT28Dはまったく無個性なユニットだが
フォステクスのモニタースピーカーNF-1で採用されたときも
HPウーハーの反応の速さを活かすために
それとは反対の性格のツイーターを選んだらしい。
https://www.miroc.co.jp/report-development/170426-fostex/
同じことはJensen RP103にも言えて、樹脂浸透のダイヤフラムを使った
比較的穏やかな音のするものが選ばれている。
今のJensen C12Rに合わせるのに新たにキャラクターを加えず
不都合のない範囲で10kHzまでを保証するというスタンスで選んでいる。 >>89
丁寧な説明ありがとうございます
斜めバッフルは無視して木材も同じものは用意出来ませんが概ね同じサイズのものを作ってみます 同じJensenのギターアンプ用でも励磁型A12の後継で
コンサート仕様のP12NはQts=0.77となっており
大型のバスレフに合わせて設計されている。
https://www.jensentone.com/vintage-alnico/p12n
ジェンセン社は1940年代から家庭用のバスレフ箱を売っており
むしろ同軸2wayなどと合わせ積極的に使う方針があった。
これの廉価版であるP12RはQts=2以上の平面バッフル向けで
ギターアンプやジュークボックスといった小規模PA用に設計されている。
両者のキャビネットの違いは、ギターアンプが中高域を強調するため
スピーカーがギリギリ収まる大きさにバッフルを縮めており
ジュークボックスは低音をある程度稼ぐため
エクステンデッドレンジとしては床面スレスレの位置に配置し
キャビネットも奥行きの深いものにしている。 アルテック618箱は、ラジオ局用の音声モニターとして開発され
アナウンスが明瞭になるようにバッフル面も比較的小さく抑えてある。
この箱のためのアルテック600Bは、604同軸2wayに比べ控えめなレンジである。
http://www.lansingheritage.org/html/altec/catalogs/1949.htm
1940年代末はFM放送やLPレコードへの期待があったものの
旧来のAM放送やSP盤もまだまだ健在で
むしろ100〜8,000Hzの旧規格をしっかり出せる仕様と
両脇に1オクターヴ広げた50〜15.000HzのHi-Fi規格とが混在しており
JBL D130やJensen C12Rは折衷的なエクステンデッドレンジとなる。
ところがこのエクステンデッドレンジのポテンシャルは
見掛け上の中途半端なスペックとは裏腹に
マイクの生音を拡声しても破綻しない腰の強さがあり
SP盤にダイレクトカットされたブルース録音でも発揮され
20世紀のライブ・パフォーマンスを決定づける根本的な力強さをもつ。
高忠実であるが白紙のように無個性なデジタル時代だからこそ
サウンドポリシーが見直されてしかるべきだろう。 >>91
後面解放だとユニットのダイレクトな振動が勝ってくるので
箱鳴りはそれほど重要でなくなる感じがします。
リーズナブルなモノラルシステム構築のご健闘を祈ります。 モノラルスピーカーを試聴する場合に
ステレオと同じく正面に対峙して聴くようなレイアウト
つまりステレオの中央に置くのを見ることが多いが
これもモノラル時代の写真をみると違うことに気付く。
誰もスピーカーを正面で聴いていないのだ。
BBCモニタールーム
独DDRモニタールーム
RCAスタジオ
EMIアビーロード(右側のモノラルだけで試聴)
斜めから聴いてフラットな特性になるというのは
広い指向性の必要なPAスピーカーのみならず
一般のHi-Fiスピーカーでも同様だった。
この手のスピーカーで現在のステレオ録音を再生すると
サウンドステージなど一面の壁に塗り替えられ趣の失われることになる。 この逆のことを考えると
1960年代までの録音を現在のステレオスピーカーで再生すると
エコールームに入れたボーカルの音像定位は前後関係が逆転
シンバルが一番前に出てキックドラムが奥に引っ込む
オーバーダブしたパートが切り貼りしたように浮き出る
などなどの珍現象が起こる。
PA的と言われる音響のもうひとつの特徴は
音飛びが良い、音像がスピーカーの一歩前に出る
などのプレゼンス(実体感)が前面に出ることがある。
JBL顧問のジョン・M. アーグルが著した
「ハンドブック・オブ・レコーディング・エンジニアリング」には
500〜2,000Hzを+3dB/octで右肩上がりに上げたイコライジングを施すと
「音が一歩前に出る」ように聞こえるとコメントがあり
これはそのままモノラル時代のPAスピーカーに当てはまる。
モノラルで音がスピーカーの奥で鳴ったり、まとわりつくように鳴るなら
それは調整に失敗しているともいえる。
真空管アンプでも今ではトランスの性能が良くなって
サウンドステージを犠牲にせず、色香を伴って鳴らせるものが増えたが
かつてはトランスの色付けが邪魔してステレオ感を阻害していた。
1970年代以降にMOS-FETのOTL回路が盛んになった理由は
FMステレオ放送との関連性もあり、標準的なサウンドステージが認識されたが
1960年代までのステレオ・カートリッジは
オルトフォン、シュアーなどの高級品以外ではクロストークも多く
エコー成分だけでステレオの音場感があると誤解されていた傾向がある。
ECMがコンサート風のJAZZ録音を提示したとき誤解も多かったのだ。
ステレオ機器の基本設計が1960年代に完成していたことを想えば
技術水準の浸透には、なおも時間を要したことになる。
逆に言えば、Hi-Fi録音の発展史の大半はモノラルでも十分であり
ステレオでなければならない音楽もまた少ないことも判る。
これは進化したと言われる現在の録音技術についても
マイク収録とスピーカー再生の基礎技術は1950年代と変わっておらず
デジタル収録で蒸留水のように素直な音になればなるほど
人間の聴覚に合わせたラウドネスの最適化が課題になっている。
モノラル試聴は周回遅れのトップランナーとも言えるのだ。
Hi-Fi録音の原形は
マイクの音をアンプとスピーカーで拡声することにあるが
その即時的なパフォーマンスを録音という手段で時系列をずらしたのが
オーディオ技術となる。
テープ録音が始まった頃の一番の目玉はプレイバックで
アルテックが商標としてた「聴きかえし」という行為は
録音したての演奏が巧くいったかのチェックにとどまらず
どのように聴いてもらいたいかの積極的な改造
ミキシングにつながっていった。
初期の創造的なミキシングの第一人者は
エレキギターで有名なレスポール氏だが
マルチトラックでのオーバーダブにより
電子音楽に近い新しい音楽スタイルを開拓していた。
ステージ・パフォーマンスを旨とするロックにおいて
こうした人工的な音楽制作はそれほど進展しなかったが
例えば1970年代のクイーンのようにスタジオワーク中心で
ライブ録音を積極的に残さなかったバンドなどは
新しいスタイルのロックバンドということができよう。
一方で、クイーンが実演では本領を発揮できないバンドということはない。
また「オペラ座」のようなアルバムがモノラルだと魅力が半減するかと言えば
実際に聴いてみれば判るが、むしろパフォーマンス・バンドとしての
ガッツリした味わいは1960年代のバンドに負けず劣らず凄い。
むしろステレオ再生で各パートの音像が細分化されることで
バンドの一体感が削がれているようにも感じるのだ。
ボヘミアンラプソディーのコーラス収録のヘッドホンモニターも
ボリュームコントロールの感じからしてモノラルで聴いてるかもしれない。
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同じことはピンクフロイドの「狂気」でも言え
21世紀に入って5.1chサラウンド・リミックスなども出たが
当時の写真をみるとオーラトーン5cでモノラル音声をチェックしている。
これもラジオでのプロモーションがセールスに深く関連していたというよりは
当時の英国の若者の多くがモノラルの卓上プレーヤーを使っており
日本で活躍するピーター・バラカン氏も同じだった。
セラミックカートリッジを直接ECL82に繋げ楕円スピーカーを鳴らすようなものだが
それでも英国のロックが上質な発展を続けたのは
モノラル試聴が音楽の本質をけして失わない証左でもある。
ボーカルブースが録音スタジオ内に併設されたのはそれほど古い話ではなく
1960年代半ばにカルフォルニアのサンセット・スタジオではじまった。
その理由はというと、ディズニー映画の仕事も一緒にこなすなかで
特にストリングのセッションを一発録りに賭けるのは多大な時間を要したので
アイソレーション・ブースとして独立した部屋で収録したのがはじまりだった。
このことでスタジオの稼働率が一気に上がったが
ボーカルブースとして独立したのも、新しい趣向のバンドが増える一方なのに
アレンジが煮詰まるまで何度もボーカルを録り直すのに嫌気がさしたからだとも。
ドアース、ブラジル'66、タートルズ、ラヴ、チャット・ベイカーズetc…
どんな引き合いもマルチトラックでこなしていったという。
マルチトラック収録は1970年代に入り普及したが
1960年代末に16ch程度だったのが指数的に倍々ゲームのように増えた。
歌謡曲のアレンジャーはメロディー先行でくる楽曲は題名がまだなく
最後にテレビで聴いた頃には、自分のアレンジだったか覚えていないくらい
多忙で複雑な経路で収録が回っていたらしい。
それでも1980年代くらいまではポップガードを使わずに
マイクから20cm程度離してボーカルを収録しており
胴体の音も結構入っていた。
アイドル歌手だって芯のある声で再生すると
フィジカルな強靭さに驚くかもしれない。
ポップガードを使ってマイクを口元まで近づけるようになったのは
1990年代以降だと思うが、デジタル対応でのノイズ対策もあったのだろうか。
むしろCDウォークマンなどヘッドホンでの試聴が中心になったからだと思う。
そこで歌唱力そのものが弱くなったなんてのは全くの都市伝説。
1950年代のブルース歌手もガンガンに近接マイクだった。
どんなに時代が変わろうと、人間の声の本質は変わりない。 ボーカルの声の芯というと1〜2KHz付近の喉音のクリアネスを言いがちだが
胸声の領域となる200Hz近傍は
男女の声の差もなく体格から発せられるもので
ジョン・M. アーグル著「ハンドブック・オブ・レコーディング・エンジニアリング」に
ボーカルを濃厚にする帯域だと説明されている。
マイクには近接効果があり、口元に近寄せると100Hz近傍が膨れるため
歌手が舞台上で胸声の帯域をコントロールできるようにできてる。
ロカビリー風のマイクの使い方で、胸声をわざと被せることもある。
一方で、1970年代までの録音スタジオでは
マイクから1フィートくらい距離を置いてノーマルに録っていたため
こうした人工的な低音の膨らみは回避するようにしているが
上半身のから発する声は拾っているため、むしろ胸声は自然に入っている。
ここで課題となるのが、長く伸ばした声の周波数パランスではなく
むしろ胸声がブレスと連動して歌声の鼓動を伝えている点である。
軽快なリズムを刻んでいることもあれば、深いため息のようなものもある。
このブレスのもつ機敏を再生するにはウーハーのダイレクトな振幅が必要で
スピーカー径を平面バッフルに見立てて最低共振周波数を計算すると
10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり
ちょうど唇、顔面、胴体というふうに歌手の画角が変わっていく。
それ以下の帯域はエンクロージャーの二次的な輻射音で波形が崩れるため
ミッドローの帯域で機敏な反応をするにはスピーカー径が効いてくることになる。
逆に8cmフルレンジが女性ボーカルを綺麗に再生するというのは
女声特有の第二フォルマントを綺麗に切り抜いて
それ以下の帯域をぼかしてくれることによる。 ではエクステンデッドレンジが全て良いかというと
自分の使っているJensen C12Rはボイスコイルの共振がピーキーしやすい。
これは古い設計のフルレンジでも多いもので
ステップ応答をみるとピンと突き出た帯域があることが判る。
(上図:フィルタなし、下図:3.5kHzハイカット)
これを3.5kHzでカットしてあげると
共振そのものは減らないので音圧レベルではほんの5dB下がるだけだが
パルス性のピーキー音は出音から綺麗に除去できていることが判る。
逆にこれ以上カットオフ周波数を下げると、立ち上がりが遅れて鈍る。
ここは牛角を削りすぎないように、いい加減に収めるのが肝となるが
カットオフ周波数の加減は、ボイスコイル径1インチのC12Rでは3.5kHzだが
4インチ径のJBL D130は2.5kHzと、ユニットによって異なる。
ちなみに1950年代のビンテージD130は湿気でバランスが変わり
湿気の多い日はアルミセンターキャップの音が悪目立ちする。
C12Rはそこまでいかないが、「雨のち晴れ」の法則があるらしく
雨上がりの晴れた日に気持ちよく吹き上がる感じがする。
立ち直りの速いところもアメリカンな楽観主義と思って聴いている。 日本のニューミュージックをアメリカンとみるかヨーロピアンとみるか
オーディオの味付けとして興味が尽きない話題だ。
高級オーディオだとJBLvsタンノイという感じになるが
ほとんどの録音スタジオはJBLかウェストレイク
日本コロムビアだけがタンノイでモニターしていた。
アンプの黄金の組合せは
JBLならマッキントッシュ、アムクロン、サンスイという流れがあり
タンノイならクォード、ラックスマン、上杉研究所などがあった。
カートリッジは、シュアーとオルトフォンが思い浮かぶだろう。
ところが、この手の高級オーディオはジャズとクラシックの愛好家の意見で
JBL 4325、タンノイ SRM15でロックを聴こうとうのはかなりのマニアで
邦楽のレコードを録音評価しようものなら針のむしろだった。
レコードマニアにとってオーディオマニアは軽蔑の言葉だったのだ。
それよりも、ヤマハNS-1000Mに代表されるような国産3wayスピーカーを
MOS-FETのプリメインで聴くのがニューミュージックの現代性のように感じられた。
もしくは初期のバブル・ラジカセを思い浮かべる人もいるかもしれない。
FM放送とカセットテープの音が本来のスタンスかもしれないが
ラジオで流すシングル盤とアルバム・バーションでは音場感が違うことがよくあった。
ステレオ装置はLPアルバムを聴く装置だったのでアルバムが正規と思いがちだが
最近のCDリイシューで耳慣れないアルバム・バーションに苦言する人が必ずいる。
ニューミュージックの場合は、アルバム単位で評価されることも多いので
そういう齟齬もあまり起こらないと思うのだが
問題は国産ステレオでの原体験に縛られたアルバムの音質評価である。
どうも必要以上のポテンシャルを引き出すことが無駄だという人が多いのだ。
個人的にはJBL 4325や4310でしっかり聴くべきだと思うが
これさえ50〜15,000HzというFM放送の帯域しか出ないので
国産スピーカーに負けじとスーパーツイーターを足す人も少なくない。
こうした音質の基準を見誤った視野狭窄が生み出すものが何であるか?
どこから出直せば良いのか? 色々と考えるのである。
ニューミュージックの魅力は、シンガーソングライターの個性と一体で
その一聴して判る癖のある歌声がほとんど全てだと言っていい。
しかして、その特徴的な声はどこにあるかというと
日本語の場合は500〜2,000Hzにおよぶ喉音の響かせ方で
歌詞に合わせた自然な表情の造りを的確に鳴らす必要がある。
逆に言えば、歌声と被らないように中域の楽器の密度が薄いアレンジが多く
この辺が通常のオーディオの方程式では鳴らしにくい原因となっている。
つまり普通の器楽では最も充実して混み合っているはずの帯域が
上下に離散しているので、支えがなくなるのだ。
もっと悪いのが、国産3wayのスコーカーの非力さで
ボーカル域が引っ込むことで、伴奏の聴き映えを増す方向で調整され
所詮ドンシャリ気味のバランスを取ることになる。
むしろラジカセの16cmフルレンジのほうが中域の押しが強いことも多く
歌詞の内容をじっくり聞くならラジカセのほうが魅力的だった。
ニューミュージックをもっと真剣に聴きたいというニーズの裏には
ボーカル域をさらに充実させつつ、中抜けしたアレンジを立派に響かせる
という、無理難題を押し付けられることになる。
でも完全に無理だとか無駄だとか簡単にあきらめないでほしい。
佐藤博のアウェイクニングとかアクアとか高中角松聞いてるとその頃透明で爽やかな雰囲気が追体験できる。
まだその頃は赤ん坊だったけれど。
渋いところを突いてきましたね。
1980年代のデジタルシンセは登場した頃は新鮮だったけど
アナログ編集だったので、トラックダウンしたテープが劣化すると
途端に音がくぐもってしまって魅力が半減してしまう。
このため佐藤博、高中正義、角松敏生などインスト中心の楽曲は
(佐藤博はリマスターに成功しているように思えるものの)
当時の斬新さを説得力をもって見直される機会を失っているように感じる。
日本の環境音楽などアメリカから黒船方式で逆輸入されるくらいだが
個人的にはバブル直前のイケてる人たちのライフスタイルが苦手なので
その辺の見直しから初めてみることかと思う。
もうひとつは、その後のJ-POPでアレンジやプロデュースを手掛けてるので
そっちのほうで知ってる人のほうが多いかもしれない。
ベストテンとか商業的成功が精緻なリマスター(リミックス)の要件になる
重力圏から解放されるまでには、もうひと押し必要な気がする。
逆にavexがURCのアングラフォークの音源を買い取ったときは正直ビビったが
ちゃんと誠実にリマスターをこなしてくれて、いい意味で裏切られた感じだった。
これが呼び水になってキング、クラウンの秘境が認知されたと思う。
1980年代のもうひとつの現象は
J-POPという用語そのものを生んだ新興FM局の台頭で
周波数分割してコンプレッサーを効果的に掛けるOPTIMODにより
素のままのCDをかけたNHKより目鼻立ちよく聞こえた。
おそらくカーステが豪華な仕様になったのもこの頃かと思う。
このNHKもアナログ機器を豊富に備える殿堂のようになって
山下達郎がとぐろを巻いている…ということなのだが
国内の同業者への愛情をもう少し注いでもいいかなと思ったりする。
こうした高域拡散型のスピーカーの代表格はBOSE社である。
901はホールトーンと直接音の比率を8:1と算出したデザインだったが
複数のツイーターを向きを変えて設置した301などは
カラオケ店や店舗BGMの定番商品ともなった。
基本的には低音をドッシリ構える米東海岸トーンだが
ヒップホップや90年代ソウルでもたじろがないタフさも功をそうした。
東海岸サウンドで有名なのがAR(アコースティック・リサーチ)で
エアーサスペンション方式の密閉箱だけがよく取り上げられるが
背面のアッテネーターの指示に、フラットの下にノーマルがあり
明らかに高域を落とすほうを好んでいたことが判る。
AR-3はどちらかというとクラシック向けの落ち着いた音調だが
1960年代のR&Bの音決めによく使われたことでも知られる。
当時の録音エンジニアは表向きにはAltec 604Eでモニターしていたが
最後の音決めの際にテープを家に持って帰って
オーディオマニアが好んで使うAR-3やKLHのスピーカーで試聴していた。
例えばモータウンのスタジオをみると
中央にAltec 604Eのモノラル、両脇にAR-3が置いてある。
このAR-3の置き方が独特で上下逆さまである。
お気付きの方もいるだろうが、JBL 4310が全くそのまま真似ているのだ。
このように1960年代のソウルは東海岸サウンドを基調にしており
BOSEも同じようなルーツをもって1990年代に売れたのである。 ところがモータウンの録音エンジニアだったBob Ohlssonは
1960年代のミキシングの全てをモノラルでやっていたと告白している。
茶目っ気たっぷりに当時のことを話すのだが
ある日社長が録音現場を視察にきたとき
ステレオでミキシング操作をしてくれというリクエストに
ボブ氏はどうにも巧くできずにいたため、危うくクビになりかけたというのだ。
ステレオなんて、元の音を左右に分けるだけだろ?
とデュアル・モノラルの製作については素っ気なくコメント。
アメリカのヒップホップで日本製のラジカセが重宝されたが
肩に担いで街を闊歩する巨大ステレオラジカセではなく
モノラル仕様のJVC RC-550が人気だった。
日本では3wayのモノラルラジカセなんて流行らなかったが
やや大きめの10W出力も相まってラップの簡易PAとしても実力を発揮した。
3wayといっても75Hzからしか出ない25cmウーハーは素通しで
スコーカーは2.5kHz、ツイーターは8kHzのローカット用コンデンサーを入れるのみで
家電のラジカセのAM-FMコンパチの設計が踏襲されている。
米ビクターといえば、アメリカでは東海岸サウンドのエリアに入るが
この辺もヒップホップのサウンド傾向とダブっているかは確かではない。 ちなみにBOSE 301のクロスオーバー回路をみると
例の電球式アッテネーターが仕込んである以外に
バージョンによって違うもののツイーターのコンデンサーは3.7〜4.7μF
8Ω換算で4.2〜5.4kHz付近にあると予想される。
つまりダイレクト/リフレクティングのダイレクト部分のほとんどが
ハイカットなしの20cmウーハーが受け持っていることになる。
一般の2wayのクロスオーバーが1.5〜2.5kHzであることを考えると
BOSEの設計はHi-Fi初期のエクステンデッドレンジ+ツイーターと同じになる。
これは先に述べたようにラジカセの音響設計にも踏襲されたもので
ボーカルレンジを基本に全体を整えていることが判る。
この手のボーカルレンジまで帯域を広げたウーハー=エクステンデッドレンジは
中高域での分割振動が避けられず、三味線でいう「さわり」のような音が出る。
実はこれの設定が巧みなユニットで聴くボーカルが素晴らしいのだ。
1980年代初頭に瀬川冬樹がスピーカーテストを実施した際
国産スピーカーの多くがある種の歪みがあり、クラシックでは惨敗というものだ。
その理由を質してみると以下のようになるらしい。
「量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを
聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、
つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、
その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、
ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、
テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い
音づくりをしたスピーカーが、よく売れる。スピーカーを作る側のある大手メーカーの
責任者から直接聞いた話だから、作り話などではない。」
このテレビの音について1967年に長岡鉄男は以下のように述べた。
「ではローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、
実例としてテレビの音声を上げてみます。家庭用の安直なアンサンブル型電蓄
から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。
ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、
スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、
だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、
ナマの声とまちがえることがよくあります。」
1960年代末と1980年代初頭では歌謡曲の雰囲気も大分違うが
人間の声という当たり前のことが、実は当たり前でなくなっている。
分岐点は、1960年代がまだ生音との比較で自然さを評価したのに対し
1980年代は完全に電子音響化された音楽の音質を語っている点だ。
テレビの音を称賛した長岡コラムでは
・テレビの音声はマイクの音をあまりいじってない
・アンプ、スピーカーともに低域と高域を欲張っていない
・アンプは5極管シングルでシャリシャリ鳴る
・テレビ用楕円スピーカーはマグネットが大きくfoが高く中高域での歯切れがよい
・一般にあまりボリュームを上げずに用いている
等々を利点として挙げている。
ようするに、これらの家電製品なりの仕様は
私たちが想像するような、安かろう悪かろうの代表ではなく
むしろ放送音声に合わせてバランスよく組み合わされていた
ということになる。
ここで考えるべきは
ジュークボックス→テレビ→ラジカセと
どんどん小さくなるモノラル機器のサウンドポリシーが
オーディオの進化とは裏腹に、しつこく人々のなかで生き続けており
その理由は人間のコミュニケーションの基本であるボーカル域に
正しくアプローチしてきた結果であると考えられる点である。
この基本的なマインド(魂)の抜けたオーディオは退場すべきである。
ボーカル域(100〜8,000Hz)でオーディオ環境を充実させるというのは
現在の技術ではほぼ忘れられている。
例えば映画館の音響規格Xカーブはこのスタンスを守っていて
高域は2〜10kHzで-3dB/octでロールオフ、10kHz以上は-6dB/octまで絞る。
https://screenexcellence.com/downloads/AES_journal_article_JAES_V62_11_PG808.pdf
これは広い空間での実効的な音響出力を指しているが
ミニシアターが主流の現在の日本では想像もつかないコンサート会場だ。
ここで問題になるのが、デジタルで均質に録音された音源は
一度この特性のホールに投げ込まれて有効となるという実態である。
例えば、スピーカーの計測は無響室でツイーター軸上で行われるが
軸上を離れるとXカーブと同様の特性へと収束する。
フラットな特性が一般とされるなかでも、ローファイが実効的な音響特性となる。 このコンサートホールの実効的な音響特性を認めて正しく再現すると
1950年代のロカビリーから21世紀のJ-POPまで一貫した音響で
楽しめるようになる。
ただ注意しなければならないのは
周波数特性が整っていても、時間軸上でも整っていなければならない。
この時間軸での整合性をタイムドメインというが
マルチウェイでステップ応答をみるとパッシブネットワークで位相がねじれる。
上記の波形は、本来右肩下がりの直線でなければならないが
ネットワーク回路での人工的な減衰でくびれが生じるのだ。
このことが、低音や高音のバランスを崩れさせる原因となる。
ちなみに現在のステレオ録音では高音のパルス波で定位感を決めており
時間軸で0.5ms遅れた波形は-10dBマスキングされて音量差を認識する。
このため、かなり精緻にツイーター出力だけ先行させ
あとは遅れて持続音をカバーしているのである。
つまりステレオでの定位感やサウンドステージは
おおよそ楽曲の演奏とは関係のない信号を主体としており
パルス信号をできるだけクリアかつ鋭敏に出すことに執心している。
逆にボーカル域がおろそかになり、この刺激のない音を受け付ける度量が
段々と狭くなっているとも言える。 こうしたパルス波の影響は、20kHzのCD規格では10kHzの倍音が掛かり
デジタルノイズの影響が出る可能性があり
40kHzまで持っていったときに、ようやく可聴領域を脱する。
しかしそもそものパルス波戦争の根本的な問題は
ステレオ試聴での定位感の表出に欠かせないという
古いしきたりに依存した結果なのである。
ここで楽曲をモノラルで鑑賞する理由は
1.楽曲をパルス波に支配されるステレオ音響の監獄から解放する
2.パルス波のない音でも聴き映えのするオーディオ機能を取り戻す
3.ボーカル域でのフィジカルな運動性こそ音楽の本質だと究める
私の場合は、周波数特性は斜め45°(試聴位置)で以下のように
ホールトーンとマッチングしている。
デジタルノイズに起因するパルス波は古い設計のライントランスでカットしている。
ステップ応答は機械特性の優れた30cmフィックスドエッジを
マルチアンプで鳴らしているため極めて素直だ。
これがデジタルDSP処理や複雑なネットワーク回路を介さずに
素のままのスピーカーの特性で実現している点が特徴である。
ステップ応答の均質化は、当初はステレオの定位感に影響するとされたが
モノラル試聴でもボーカルの胸声、喉音、子音を一息で表現するのに必要で
楽器の遠近などパースペクティブを的確に出すうえでも有効である。 モノラルで音楽鑑賞する理由:
1.パルス波に支配されるステレオ音響の監獄から楽曲を解放する
2.パルス波のない音でも聴き映えのするオーディオ機能を取り戻す
3.ボーカル域でのフィジカルな運動性こそ音楽の本質だと究める
まずパルス波を音楽の評価から除外するために
・帯域をボーカル域に絞る古い設計のライントランスを使用
パルス波のない状態でのオーディオ機能の充実するために
・スピーカーのタイムコヒレント特性を正規の姿に戻す
ということをしたが
これらの次にくる
ボーカル域でのフィジカルな運動性こそ音楽の本質だと究めるために
何をすれば良いのだろうか?
それはステレオ効果で乱した音響をリセットし
マイクで収録された音そのものにクローズすることである。
ステレオ・ミックスによって音響が乱れるとは
1960年代では、左右別々の信号を収録したデュオ・モノラル
1970年代では、リバーブを効かせ過ぎた宇宙遊泳型スペースエイジ・サウンド
1980年代では、サウンドステージを想定した音像のミニチュア配置
1990年代では、5.1chサラウンドでのエンタメ型VRサウンド
などなど
ステレオならではの音響効果を次々と発明してきたが
実際はどれも人間の聴覚の錯覚を元に作り出した偽物である。
ステレオで進展したのは、箱物としてのステレオ機材を前提にした購買戦略であって
ミュージシャンのパフォーマンス・アートの質の向上とは別物である。
オーディオ機器はパフォーマンス・アートの質を鑑賞するために正確でなければならない。
偽物のステレオ効果に翻弄されずにミュージシャンの演奏を堪能しよう。
再生帯域をボーカル域に絞り、タイムコヒレント特性を整えたモノラル装置で
もっとも効果を上げるのはライブ録音である。
意外に思えるかもしれないが、ライブこそコンサート会場の音場感に浸りたい
そう思ってライブ盤を購入する人も多いかと思う。
しかし、ライブで発揮するステージ上でのパフォーマンスは
モノラルで切り取ってみると、改めて凄いのだ。
一人一人の表現のスケールが何倍にも膨れあがる。
一般には、ライブ録音のデメリットは収録マイクの数の少なさ
周辺のノイズ(観衆のみでなく、電源のハム音、ハウリング、過入力歪みなどなど)があり
海賊盤でのコピーテープの乱雑な取り扱いも加わっていた。
特に1960年代の音響ミキサーから直出しのテープには
PAとして独立していたギターアンプの音が含まれていないことが多々あり
ちゃんとライブ収録用にマイクを充てたものは1960年代でも後半からで
ウッドストックのようなお祭り騒ぎとして知られることになる。
これらがコンサートならではの音場感を削ぐと批判されてきたが
実は一人に1本近接のマイク、ステージ上での音の被りなどが
ステージパフォーマンスを鑑賞するうえで逆の効力を発揮する。
21世紀になって日の目を見たライブ盤で個人的に好きなのは…
ジェームズ・ブラウン1968年ダラス・ライブ
1960年代のエンタメ型ステージの最高峰で、ダブル・ベース&ダブル・ドラムの
全く疲れを知らないフィジカルな威力がさく裂している。
長らく公開されなかったのは、この後のバンドメンバー解雇問題が尾を引いたか。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド1969年マックス・ライブ
マスメディアから干されて西部に放浪のドサ周りライブを続けていた頃の記録で
場末のライブハウスはほぼ無観客、シスター・レイの38分長尺プレイの没頭ぶりがいい。
昔からロバート・クワインの会場カセットテープで知られていたが堂々の正規盤である。
ジュディー・シル1972-73年BBCライブ
1996年に公開された放送局内でのライブ演奏だが、ピアノ&ギター弾き語りで
独特の歌い回しがグッとクローズアップされてどんどん引き寄せられる。
内容がラヴ&ピースの当世風ゴスペルだったこともあり、注目度が低かった経緯があるが
今となっては魂の癒しを追い求めた巡礼者に喩えられよう。
こうしたライブ盤の多くは、高級なステレオで聴くと
コンサート会場で聴く音響とは得て非なる
ゴツゴツして切り貼りしたような印象になる。
それはマイクの生音の突発性のある出音が整わないからで
音の大小、プレゼンスなどで楽器間にヒエラルキーが凸凹で
ステレオの仮想サウンドステージに当てはまらず
急に突出したり引っ込んだりと位置情報が錯綜するからだ。
あるいは切り貼りした感覚は、ピックアップマイクの音量差で
小さい音量のマイクの場合は薄いホワイトノイズが掛かって
会場のアコースティックから浮いた感じになる。
私はこうしたことは欠点とは思っていない。
というのも、例えばコール&レスポンスの掛け合いで
ボーカルやリードギターがバンド全体をリードしていく状況や
ドラムとベースがガッシリ組んでグルーブ感を堅持する感覚など
自然なかたちで躍動感をもって提示されるからだ。
遠近感や定位感を出す二次的な信号(エコーとパルス)に
音楽の鮮度を支配させては、ライブ感は逆に失われる。
かつてBOSE博士がエコー:直接音=8:1と定めたように
クラシックのシンフォニー・コンサート会場はホールの響きが重要である。
逆にジャズは、バーやクラブで聴くような密接な感じが好まれる。
これはクラシックでも室内楽やピアノなどでよく聞かれる。
ではブルースやロックはどうか?
1970年代以降に大きな会場で動員数を競うかたちで
巨大なコンサート会場にどんどん進出していったが
元の音楽の構造は、小店舗での規模である。
緊密なバンドの一体感のないロックはただの音だ。
ステレオ試聴で何が一番重要かと言われればホールの臨場感。
では音楽で重要なのは? ステレオが前提ではないのだ。
ステレオ録音で重要な臨場感は
遠近感や定位感を出すエコーとパルスでコントロールするが
これは楽音とは違う二次的な信号である。
そしてほとんどはツイーターの8kHz以上でコントロールし
楽音の前後を彩る。アンビエント成分とも言われる領域だ。
問題は、楽音がアンビエント成分でステレオ音響に組み込まれると
非常に小さい音響出力に支配された音として認識される。
このことが楽音のダイナミックを削いでしまうのだ。
逆に、逆相成分やパルス成分を失ったステレオ機器は悲惨である。
というのは、ツイーターの出力で辛うじて保っていた音の鮮度が
波形が潰れてモゴモゴしたウーハーでしか判断できなくなるからである。
https://www.stereophile.com/content/measuring-loudspeakers-part-two-page-3
実にステレオで聴いているのは、BOSE博士の言うとおり臨場感が9割であり
ミュージシャンのパフォーマンスはツイーターの采配に支配されるのだ。
この高音ハラスメントから脱退するのがモノラル試聴の方針になる。 逆に音場感のないポップスの録音は1960年代までメジャーだった。
日本だと1970年代末までのシングル盤のミックスまで引きずるが
これも現在のステレオ機器で再生を苦手とするジャンルである。
よくラジオ的とも言われる録音スタイルだが
スタジオでの生演奏の音を直接電波にのせていた時代の名残でもある。
極端なパルス成分は放送事故につながるので削がれているし
過剰な逆相成分も音が不明瞭になるので抑えられている。
これだけみると、モノラル試聴は古い録音のためにあるようにみえるが
実際には現在のポップスにおいても本質はそれほど変わりないことは
最近のJ-POPをモノラルミックスしてみるとハッキリする。
J-POPというと、一時期流行ったように打ち込み中心だと思いがちだが
それだけに生ドラム、生ベースが加わったときのフィジカルな強靭さは物凄い。
個人的に好きなのは、ドレスコーズ「平凡」、吉澤嘉代子「屋根裏獣」など
癖のあるボーカルと歌詞の魅力で聴かせるタイプの楽曲でさえ
モノラルにするとドラム&ベースがボーカルと同じく前面に出て
1960年代のロックやファンクなどとほとんど遜色ない生命力だ。
ちなみに私の場合、ステレオ音源のモノラルミックスは
ミキサーで高域を互い違いにして逆相成分を交わす方法で落ち着いている。
この場合、パンは中央のモノラルのままである。
昔の疑似ステレオの逆をいくやり方であり
「逆疑似ステレオ合成方式」とでも名付けておこう。
よく行われる左右を短絡する方法だと
逆相成分が消失してバランスが変わる。
従来はかなりこれでモノラル試聴が嫌悪された。 J-POPのもうひとつの特徴は、屋外でのヘッドホン試聴を想定して
音圧を上げて全体に凹凸の潰れたミックスになりがちなところだ。
好きなアルバムでいうと、アーバンギャルド「ガイガーカウンターカルチャー」
アリプロジェクト「令嬢薔薇図鑑」などがある。
こうした録音の場合は、高音の分解能なんて小手先は無駄で
低音から時系列での分解能が必須である。
時系列での分解能は、ステップ応答のスレンダーさだと個人的に思っていて
つまり低音の引き際が1ms以内に収めることが望ましい。
一般のスピーカーは以下のようにウーハーは遅れ低音がダブつく。
むしろウーハーが遅れて出ることで、ツイーターとの被りを回避しているのだが
音色の分解能は確保できても、時間軸での分解能が低下するのだ。 オーディオマニアの間ではあまり話題になりそうにないが
日本のポップカルチャーの多様性は世界でも随一の存在で
多彩に分散しずぎて商業的には小規模になりやすい欠点もあるが
他の国ではインディーズでやってる内容が堂々と横並びで存在している。
コンセプトアルバムの手の込みようは
1970年代のクィーンやケイト・ブッシュとほぼ遜色ないと
個人的には思っている。
こうした傾向は21世紀に入って顕著になったような気がするが
別に新しい出来事ではなく、1970年前後のアングラシーンの
「紀元二千年」や「乙女の夢儚(ろまん)」から既に
コンセプトアルバムの発想は常に斜め上を行っていた。
こうした一連のコンセプトアルバムをモノラルで聴くと
音楽で表現された文学性
=本来は音楽語法で手に余すものの構造が
スッキリと立ち上がってくるのだ。
100〜8,000Hzのボーカル域をアキュレートに充実させたモノラルシステムは
ミュージシャンのフィジカルな強靭さと音楽で表現された物語性の両方を
収斂しながら一元化して再生する。
逆にステレオ装置のアキュレートとは
パルス波の定位感とアンビエント成分の音場感の再生に分散され
音響的な場の設定にエネルギーを費やしている。
これはコンサートホールが音楽の殿堂と言われるような
社会的なヒエラルキーの成就であって
ミュージシャンの人間性に基づく音楽の再生ではない。
古いブルースの録音を聴くと
伴奏はクリアな音の楽器を組み合わせたシンプルなアレンジなのに
一番歪んでいるのがシンガーのダミ声だったりする。
このダミ声の枯れた男が愛にもだえる様を叫ぶのだから
ブルースの悲哀とは生命力に基づくのだ。
これに釣られてギターの音も歪んでいく。
ドラムも生命感を煽り立てる。
ロカビリーの生まれた背景には
思春期の悶えをさらけ出すのにまごついた時代背景がある。
よくモノラルシステムの調整にジャズ・アルバムを指す人が多い。
もともとモノラルの用途が、1950年代のモダンジャズに収斂するからでもあるが
さらに女性ジャズ・ボーカルのアルバムを試聴のリファレンスに使う場合が多い。
けしてウィズ・ストリングスのアルバムは使わないだろう。
ところが実際のアルバムの売れ行きは逆で
当時のゆったり目の家庭用モノラル機器の多くは
ウィズ・ストリングスのようなムード音楽をいかにエモーショナルに再生するか
その一点に絞られていたように思われる。
というのも購入する富裕層の好みがそこにあったからだ。
特に欧米での家具の選択権は女性にあることも大きいと思う。 モダンジャズがLP盤で大量に残された背景には
長尺のプレイを収録できるという利点にまして
それがクラシックに匹敵するアートだと認識されていたからだ。
ではブルースやロカビリーはどうかというと
ティーンズが所有できるオーディオ機器は
精々 携帯ラジオか卓上レコードプレーヤーであり
ここがモノラル再生の原体験として固定概念化されたと思われる。
ちなみにミッドセンチュリーの清涼飲料水の広告には
ティーンズがあらゆる場所で音楽を楽しむ姿が描かれている。
むしろ音楽と同様にジュースも楽しんでほしいという願望がみえてくる。
写真でみるオーディオ機器のシチュエーションは
当時からパーソナルから公共の場まで
それぞれに合った音響規模で使い分けられていた。
モノラル試聴はどのシチュエーションでも成り立つことが判る。 上の広告や写真でみて判るように
個人で所有できた音響機器が携帯ラジオや卓上プレーヤーなのに対し
公共の場ではジュークボックスが大きな役割を担っていたことが判る。
逆にいえば、個人で大げさな音響機器でロカビリーを聴く人はなく
それ用の高級オーディオは製造も販売もされていなかった。
ここがポップスの歴史のなかで大きなミッシングリンクになっているのだが
次の世代ではディスコが音響設備となって引き継がれる。
ちなみにジュークボックスのジュークは
黒人たちがダンスや遊興のために集まる小屋のことで
やや下劣で軽蔑した意味も含まれていた。
とはいえ、世界大戦後にアメリカ国内の人種差別が少し緩まり
こうした色恋に開放的な場所を白人たちも受け入れたといえよう。 私がモノラルシステムで重視するのは
このジュークボックスがもつフィジカルな再生能力である。
つまりドーナッツ盤から想像する原体験の携帯ラジオ&卓上プレーヤーから
一回り大きくするだけで、ロカビリーのエモーションがグッと増してくるのだ。
ちなみにジュークボックスの仕様は
30cmエクステンデッドレンジにツイーターを追加し
6L6もしくはEL34のプッシュプルアンプで駆動するもので
カートリッジもエレボイのセラミック型やGEバリレラが使われていた。
https://www.jukebox-world.de/Forum/Archiv/Rock-Ola/R.O.1455.htm
ジュークボックスの価格は、外観の装飾とレコードチェンジャーがほとんどで
音響パーツは消耗品として安価なものが選ばれる傾向があった。 音響機器としてのジュークボックスの仕様は
トーキーや高級オーディオ機器に比べかなり劣っている。
しかしそれはポップスの再生に必須のエモーションを兼ね備えており
目指すべき原点を示している。
ジャズで評価すると音圧を高くしても歪まないことが大前提になるので
ファミリー向けのリッチな音は1950年代のJBLやアルテックなどの
アメリカン・ビンテージの機器で最高度に面白さが発揮され
パワーハンドリングへの対応力が物を言う。
しかし生意気盛りのティーンズ向けの荒立ったサウンドは少し毛色が合わない。
ロカビリーの録音は出だしからカッティングレベルの極限を狙って攻めてきて
その次にシャウトなど噛ますと歪みでザラッとなる。
この荒れ具合が心地よく聞こえるかがシステム構築の鍵となる。
この歪み具合が、愛を告げて幸せな結び付きだけを歌い上げるだけでなく
唇を噛みしめて涙を流しながら本音でジェラシーを語る
パルプマガジンとも重なっているように思えるのだ。
以下のトーキーとパルプマガジンのラブストーリーの違いが
目指すべきオーディオ環境の違いを雄弁に語っている。
私自身はNOT NOWレーベルから出ている
「The Cruisin' Story 1955-1960」というコンピアルバムが好きで
ボーカル域だけでエモーショナルに鳴らす秘訣が詰まっており
実質的にモノラルシステムの調整のリファレンスとなっている。 多くの人はステレオ録音、特に1970年代以降の録音で
ポップスの音質を評価し、オーディオ環境を整えるので
オールディーズと聞けばルーツロックの参考文献のようにみなす傾向がある。
しかし、ロカビリーの再生水準をジュークボックスにまで引き上げると
シンプルな楽曲のアレンジでもエモーショナルに聞こえる術が判り
これまでの軽音楽という呼び方とは逆の、ドロドロと重たい感情が沸き上がる。
こうした人間特有の感情は、今も昔も変わりないのであるが
オーディオ環境として何を優先すべきかは、自分で決めるべき問題であり
オーディオ機器の性能に縛られて横並びというのは本意ではない。
ステレオ音響のステレオタイプ(固定概念)が音楽を良くも悪くもするのだ。
ちなみにアメリカン・サウンドというと
JBLやアルテックといった西海岸系の派手なサウンドを思い浮かべるが
本来はUREIの録音機材のように中域が濃密でスモーキーなサウンドである。
いわゆるWE系列のトーキーではなく、RCA系列の放送局のもので
日本では普段から技術導入されていたので、あまり新鮮味のない評価となる。
オーディオの醍醐味というと、アメリカンとヨーロピアンに大別される理由は
この当たり前の音は家電製品として誰もが手に取れたからでもある。
しかし日頃の当たり前をより充実させたいと思うとき醍醐味の意味は全く異なる。
ドラマという人間の感性に訴える機能をフィジカルやな面から鍛え直さなければならない。
この情報が人間の言語であるボーカル域に集中しているのだ。
素直にありがとう、と言うべきところなだろうけど
ポップス向けの草の根オーディオとは言いながら
藁しべ長者が最初の藁の質感について語っても変なんだ。
でも新しいポップスの誕生に心ときめかせた時代もあったことを含め
JensenのPA用スピーカーとかサンスイのラジオ用トランスとか
現在の使い道と反して、これの価値を言い当てるのに
現在のオーディオ理論の課題を列記しなければいけないのは実に歯がゆい。
特にラジオ試聴が中心のミッドセンチュリー期のオーディオは
まずもってノイズとの闘いだったので、音質は二の次と思われやすい。
AM規格のなかに押し込んだ音楽を丁寧に解きほぐすと
意外に人間工学的に最適なスペックであることに気付かされる。
昔は100〜8,000Hzのモノラルで我慢していたのではなく
そのスペックでも十分に満足できたのだ。 ブログ普通に面白いんだけどスマホだとちょっと読み難いんだよね
ブログを纏めてもうちょっとノウハウを詰め込んでくれたら2000円くらいまでだったら買う
いや、面白いから頁数あるなら3000円でも俺は買う
人間工学的に最適なスペックというのは
他のミッドセンチュリーの工業製品に特徴的なことで
北欧の家具などは現在でも座り心地が最高である。
しかしそれは木の継ぎ方やペーパーコードなど
当時と同じ製法がちゃんと継承されてのことである。
電化製品は消耗品の劣化が早く、交換部品もなくなり
丈夫なプロ用機材以外は目にする機会が少ない。
このためマッチョなタフガイだけがアメリカンと勘違いされやすい。
しかしジェンセンやサンスイトランスは数少ない現行品で
これより優れた性能の部品が色々と造られていながら
これがなぜ半世紀以上も安価で造り続けられているか
文化的な視野で見直す必要があると思う。
そこに人間の声を電気で拡声するノウハウが詰まっているからだ。
>>148
ホームページをはじめて20年経ちフォーマットも古いので
スマホ用に読み切りやすいものを検討してみます。 >>151
おー!お疲れ様です!
すごく見易くなってる!
良いと思います!
これでモノララーが増えると良いですね! 平日夜のベスクラも良質海外録音を流しているし、気に入っている。
モノラルで聴いてはっきりとするのは、音の肌触りのようなものだと思う。
つまりマイクで録った音が、艶やかなのか、逆にザラザラしているのか
そういう情報がしっかり保たれている。
逆にステレオで聴くときは、音場の質感に支配されやすいので
ライトの当て具合で艶も粗もコントロールできる。
一見すると見栄えよくできる一方で、素材の良さを吟味することが叶わない。
JENSEN C12Rで教えて頂いたサイズの箱を作ろうと思ってましたがツイータ無しだと不安になったので、やっぱりオススメのVisaton FR6.5で作ることにします。箱サイズは同じでも宜しいでしょうか?
ツイーターは幾つか試したのですが
現在はフォステクス FT28Dに収まっています。
フォステクスは最初 面白味がなかったのですが
耳慣れると癖がほとんどなくオールマイティです。
Visaton FR6.5のリボンツイーターは
PAでも使用できるパワー感を兼ね備えていますが
正相の信号の反動で同レベルの逆相のパルス波が出て
4kHz付近のリンギングも合わせて、良くも悪くも個性となります。
タイムコヒレント特性まで気にしないと思いますが
ツイーターの位置は箱上面で動かせるようにしたほうが
クロスオーバー付近の位相の調整が効いて
好ましい感じがします。
あと試していないツイーターは
Visaton TW6NG-8というコーンツイーターで
構造からしてドイツ製 真空管ラジオの修理部品として
製造している可能性が高いです。
1960年代の雰囲気が好きな人にはお勧めです。
ごめんなさい。Visatonと Fountekを取り違えてました。
後面解放型の最低共振周波数は
foc=4250/(B+D*2)*2
B:幅、D:奥行き(単位cm)
で計算されます。
幅+2×奥行き=100cmだとfoc=85Hzとなります。
ボーカル中心であればコーン紙のバタつきを抑えるために
foc=120Hzくらいまで絞ってもよさそうです。
この場合、幅43cmで奥行き14cmとなります。
Visaton FR6.5(直径14.3cm)の場合は
裸特性で594Hzからアクティブになるので
100~600Hzが箱の反響
600~1200Hzがコーン紙の振動
1.2~10kHzがサブコーンの共振
という見掛け上3wayのキャラクターで構成されます。
中低音の膨らみ具合は
ユニットとバッフル板の隙間で調整できます。
サブコーンとのバランスで決めましょう。
サブコーンがうるさい場合は、斜め横から聴いてください。
600~1200Hzがジワッと浸み込むように
聞こえる位置がベストです。
ちなみに新品のユニットは固定ネジが木箱に馴染むまでに
とんでもなくカーカーした音で鳴ります。
気落ちせずに気長に鳴らし続けてください。
またまた丁寧な御教えありがとうございます
GW中に木材を買えればと、そんな段階でレスしていいものか失礼をすみません…
以前からモノラル入門用のものを色々と模索していたので
自分もFR6.5で1本作ってみようかと準備中です。
コーンツイーターTW6NG-8と一緒に購入を掛けました。
昨日、ホームセンターを散策したところ
パイン集積材で40×45cmのカット材があったので
これに周囲の枠を取り付ける方法で考えています。
40cm+15cm×2+板厚でfoc=115Hzという感じです。
とりあえずFR6.5を後面解放箱で組立てました。
40×45cm、15mm厚のバッフルを
15×45cm、19mmの板でグルリ囲っただけです。
斜め30°からの周波数特性(すごいカマボコ型)
ステップ応答特性(すごい素直でタイト)
こんなカマボコ特性でも、ステップ応答がスレンダーなので
低音も高音も遅れずに同じタイミングでバシッと決まります。
この辺はユニットのQが高く制動の効いていることが判ります。
造りたてのときは高音が出ずにモゴモゴ言ってたのですが
2~3時間鳴らすと色彩感がグッと増してバランスが良くなります。 500~2.000Hzの声が張っているので、ちょっとした表情の加減が
フワッと膨れ上がって強調されているように感じます。
サブコーンの共振が4kHzと5kHzにみられ、これが良くも悪くも個性になるけど
ステップ応答でみるように出音だけで終わり、尾を引きません。
昔のドイツ製フルレンジに比べ、ずっと正統派の音調ですが
音の美しさよりも、筋力に裏付けられた表情の豊かさのほうが引き立ちます。
聴いてて一番面白かったのは1970年代の歌謡曲で
普段聴くより声がずっと若々しく、昔聴いた印象を思い出しました。
声の喰い付きが明瞭で、リズムの押し出しも力強くグイグイいきます。
400Hzが落ち込んでますが、胸声と喉音との分離ができて
バックバンドが盛り上がっても、声の表情が崩れずに前に出てきます。
後面開放型の最低共振周波数の求め方が理解出来ないのですが…
バッフル板の高さは必要ないのですか?
本来の式は foc=4250/L で
L はスピーカーの中心から端までの最短距離です。
折り曲げた場合は、折り曲げ部分も含みます。
今回は横長なので、上面方向で決まっています。
上蓋がなくて長細くても同じことになります。
よく言われるのは、バッフル板の固有振動を避けるため
ユニットの位置を上下左右 非対称にすることです。
参考にIEC規格の標準バッフルの寸法を示します。
これだと20cm用の最短距離は45cmなので
一般的にはこの程度の大きさが適当となります。
今回はボーカル向けということで
200Hz付近の胸声より低い周波数はジャマなので
早めにロールオフするように L=34cmに縮めました。 今日は色塗りです。
1950年代の抽象画風に仕上げました。
Visaton FR6.5も徐々に立ち上げのエージングが進んできて
次の収穫は1960年代ロック、それも曲者のブリティッシュ系である。
ビートルズvsストーンズ以外もちゃんと聴いてみた。
CDで鳴らし切れないのは、元の方針がおかしなせいだと思う。
もともと1960年代のロックは卓上プレーヤーで聴いていたもので
これが楕円フルレンジ(8x5インチ)を小型真空管で鳴らすだけのもの。
プレーヤー部はセラミック・カートリッジを直繋ぎである。
後面解放箱に入れたVisaton FR6.5は
低音の引き際がタイトでリズムの一体感が出しやすい
中域のボーカルを力強く押し出す
中高域に開放的な倍音が出る
小さいくせにちゃんとパワーが入る(結構これが重要) リズムの一体感というと、ド迫力のように思うだろうが
どこを切ってもリズムが弾んでいて、特にベースの表情がすごく効いてくる。
これが音量を増してパワーを入れれば入れるほどガッツリ噛み合っていく。
瞬発的な音の吹き上がりが、滲まずに刻まれている証拠だ。
小口径スピーカーのパワーレスポンスは
磁気飽和のような状態になって、波形に一種のコンプレッションが掛かる。
それがサウンドに粘りを生んで、迫力が出る一方で
あるポイントを過ぎると、波形がベッタリと張り付いてモゴモゴする。
Visaton FR6.5はその辺の上限までの幅が広く取られていて
スカッと振り切ってホームランを打ったような反応が返ってくる。
それとQが高く制動がしっかり利いているので
バンドの音量がMaxになってもリズムの裏拍が明瞭という
一番大切なところが担保されている。
私のFR6.5もようやく形になりました
バッフル板60×45奥行き30板厚全て1.5
ボーカル中心のリスニングの為に奥行き半分くらいを指南されていたにも関わらず、後面開放は低音が本当に出るのか?違うユニットに変える余白や、はたまたうまく行かなければ密閉やバスレフに逃げるなどという邪な考えが奥行き30にしてしまった理由です…
ユニットを備えて音出ししてみると
想像以上に低音が出るw
タイトな低音でとても心地良いのですが
思った何倍も出てます
これから馴染ませながら微調整して
箱の表面処理を考えます
後面の胴鳴りが気になる場合は、吸音材で多少は緩和できます。
胴鳴りで一番気になるのは、鳴き竜のような定在波なので
天板の裏だけでも効果が出ます。
さらに側板の片方も加えたり、後ろをクッションなどを置いたりして
色々と試してみてください。
>>173
いつも御指導ありがとうございます
スピーカー後面スペースにあまり余裕がないのでクッションは置いたのですが
吸音材も試してみます
これからも宜しくお願いします Jensen C12Rの相棒のツイーターにVisaton TW6NGを付けてみた。
最近とんと目にしなくなったコーンツイーターだが
1970年代には多かったのに、デジタル時代に入ってほとんど撃沈。
理由は分割振動のj癖がデジタル録音では耳ざわりだったから。
逆にいえばデジタル臭さの原因も中高域にあるといっていい。
Visatonの場合はセンターキャップが樹脂製で少し艶やかな印象だが
ジェンセンとのスピード感がガッシリ噛み合って力強いボーカルになった。
何となく昔のモノラル・ラジカセの音を思い出しているのだが
ポップスやロックで、ここぞとばかりの盛り上がりをみせるのは
音量が上がってもリズムの歯切れが保たれているからでもある。
逆にいえばバイオリンの響きに少し耳に残るザラッとした感触があって
値段相応だと言われればそんなところだ。
吸音材も天板と側板片面に貼り試したもののやはりスピーカー後面にスペース余裕がないもので低音が余計でしたが
箱そのものの奥行きを切って減らそうかとも思いましたが、仕方無しにプリアンプで低域を数デシベル落としたら納得いくレベルにはなりました
qtsは低いほうがリニアな反応があるという事ですが、このFR6.5でも瞬発力を感じます
後面開放だからでしょうか?
Qtsはfo付近の抵抗の高さを示していて
主に低音の出やすさを計る目安になります。
逆に後面解放箱はコーン紙への抵抗が少なく
fo以上の帯域の反応はすこぶる速いです。
あとフルレンジは一般にコーン紙が軽い(moが低い)ので
同じ径のウーハーに比べ反応が機敏になる傾向があります。
そういえば、日本民間放送連盟がユーミン50周年ということで
“スピーカーでラジオを聴こう”キャンペーンが行われているが
“モノラルスピーカーで聴こう”、の間違いじゃないかと。
モノラル入門用のスピーカーは
かつてSiemensやSABAなどのドイツ製フルレンジがあった。
おそらくラジオ交換部品ののデッドストックで、1980年代は2~3千円だったものも
現在では個体数もすっかり減って、価格も十倍程度で取引される。
もはや入門用としては敷居が高くて勧められない。
これに代わるものとして独Visaton FR6.5は
現在も製造されて価格も2,800円
後面解放箱に手軽に入れて楽しめるユニットだ。
Visaton FR6.5は、いわゆるロクハンの仲間にみえるが
中身は大分異なるところがある。
ひとつはQts=1.96という高さで、バスレフだとボンついて使い物にならず
後面解放箱に入れて丁度いい感じである。
もうひとつは、薄いコーンなのに意外にパワーを入れてもへこたれず
かつてのロクハンのような過入力で破綻する弱さはない。
あとは肝心なトーンキャラクターは、メリハリのある前のめりの音で
1960年代のロックでも全く気負いなく鳴らし切る。
モノラルというと、ほとんどはジャズとクラシックの昔からのレコードマニアで
ビンテージのJBLとタンノイでトドメを刺すという感じだ。
一方で、ポップスやロックのほうは、それにふさわしい大衆性を気にせず
JBLだとLE8Tや4311、タンノイだとIII Lzで収まると思う。
これでもまだましなほうで、最新の小型2wayで聴いて録音評までするのは
周波数バランスしか聴いていないんじゃないかと疑いたくなる。
私自身は、今回のVisaton FR6.5を
ロックやポップスの愛好家に全面的にお勧めする。
EQカーブの議論などする前に
フルレンジの溌剌としたレスポンスを聴くべきだ。
何よりもリズムとボーカルが命なのだが
音質の議論よりもまずそこを聴ける環境を整えるべきだ。
1970年代には曲りなりにもラジカセがあったが
逆に海賊盤のライブなどは音質が最悪だった。
今だからこそ、フルレンジでバンバン鳴らすべきなのだ。
古いロックやポップスを聴くとき、元のトーンキャラクターが判りづらく
フラットなモニター調で聴いておけば、それで安心と思っている人も多いが
個人的にはあまりお勧めしない。基準は別のところにあったのだと思っている。
例えばトーキー初期に定められた音声規格にアカデミー曲線があるが
以下のように100~1,000Hzの両端を-3dB/octでラウンドする。
これは広い空間での自然な音響で、コンサート会場も似たり寄ったり。
THX規格でも、ホームシアター用に過剰になりやすい高音を
ロールオフさせるモードがあったくらいである。
ちなみにモノラルだと広い指向性に音を拡散させて聴くため
斜め30~45°から計るとルームアコースティックに近づく。
今回のVisaton FR6.5の周波数特性を測ってみると
以下のとおりで、これでも2~5kHzが張り出し気味である。
また高域のパルス信号はノイズと混ぜこぜで区別がつかないので
むしろキャラクターを変えたりするので、変に伸びてないほうがいい。
古い録音の場合は、ダンスホールのような広い場所で聴くように
中高域を辛目に調整してあると考えるのが妥当である。
これは時代とともに音楽のパーソナル化が進むにしたがって
サウンドは近接で聴くのに適したフラット志向に整えられたとも言える。 こうした古い録音のバランスについて考える時
実は現在のJ-POPの状況もヘッドホン試聴を基準として
かなり中高域にアクセントをもった録音の多いと言える。
ちなみにヘッドホンでの試聴は、外耳道の共振の影響が大きく
4kHz付近に強いピークをもっている。
この特性をもとに人間の言語は発達していったとも考えられる。
こうした過剰に近接で聴く音声について、かなり中高域を抑えた音でフラット
そのまま広い空間で鳴らすくらいで丁度いい。
その意味では、アメリカン・ポップスはJ-POPと周回遅れで並んでいて
逆に20世紀末のソウルのように落ち着き払ったサウンドが
現代的なオーデイオで聴き映えするものとなっている。 Visaton FR6.5が、昔からあるロクハンに比べメリハリの強いのは
ステップ応答をみてもある程度わかる。
ステップ応答は矩形波の立ち上がりに対する応答で
理想的には、高域から低域まで滑らかに減衰する。
バスレフ箱に入れたロクハンPE-16Mのステップ応答をみると
高音から低音まで満遍なく出ている一方で
4つぐらいの帯域に分かれて位相のくびれがみられる。
一方の後面解放箱に入れたVisaton FR6.5は
中低音に行き着くまで0.5msもかからず
大きな位相のくびれもなくクリーンな波形だとわかる。
1.5msほど尾を引いているのは4~5kHzのリンギングだ。
ちなみに一般のマルチウェイは、かなり有名なモニタースピーカーでも
クロスオーバー回路の影響で高域と低域とは完全に分離する。
これは高域の解像度に、低域のモヤモヤが混ざらない利点もあるが
大半は定位感を出すパルス性の信号のクリーンさに費やされる。
モノラルにしたとき、急に音がやせ細るのは、パルス性の波形が悪目立ちし
中域以下の信号をマスキングしてしまうからだ。 で、これだけスレンダーな波形でまとまると何が良いかというと
ロックやポップスを聴くのに、これくらいスペックを研がないと本領発揮しない。
それは1950年代のオールディーズから現代のJ-POPまで共通する
スタンダードなスペックだと自分では思っている。
重低音よりもリズムのキレ、超高域よりもボーカル域のクリアネス
ごく当たり前の帯域で自然な反応で鳴ることがどれだけ重要かは
音楽を聴く道具として外してはいけないスペックなのだと思う。
今回のVisaton FR6.5を後面解放箱に入れた場合
重低音がもっと出るスピーカーよりもベースのニュアンスが鮮明で
それでいてボーカルもスッと抜けよく流れていく。
つまり、見掛け倒しの重低音の再生能力にこだわるあまり
音楽に大切なもの、つまり動的な再生能力を曖昧にしている。
あとモノラル装置を組むと、モノラル録音でなきゃだめと思いがちだが
ステレオ録音でもモノラルで聴くと面白い音楽は沢山ある。
私自身は10年ほど前からステレオでの試聴をやめてモノラル1本で
CDプレーヤーから簡易ミキサーにつないでモノミックスして聴いている。
普通に並列結線したモノラル試聴で音場感が失われるのは
主に高域の逆相成分がモノラル接合で打ち消し合うからで
音響的なバランスまで変わってしまう。
ミキサーの3バンド・イコライザーの中高域と高域を交互に
6dB程度差をつけることで、逆相成分を打ち消さずバランスする。
このときパン(左右振り分け)は中央のままにする。
あと私が使っているヤマハのミキサーには
簡易的なデジタル・リバーブが付いていて
音場感のコントロールができる。
●●とハサミは使いようと言うが、イコライザーとリバーブも同じで
これで大概の録音はモノラル試聴で十分な音響になる。 それとモノラル試聴には、相性のいいスピーカーがあって
現在の多くのスピーカーは高域の指向性が鋭敏で
モノラルだと痩せ細るかモゴモゴするかのどちらかであまり良くない。
こればかりは入り口で何を工夫しようが太刀打ちできない。
Visaton FR6.5は中高域の指向性が広くて適しているし
もうひとつ使っているJensen C12Rにツイーターを追加してもOK。
どちらも中高域に若干のリンギングがあって、それが効を奏している。
あとは後面解放箱に入れても大丈夫なQtsの高い設計。
これで中低域まで見通しの高いキレのいい反応が返ってくる。
Visaton FR6.5のビンテージ感は1970年代前半のものだと思うが
実はこの頃は海外を含めFMステレオが流行した頃で
もう少し時代が進んで小型2wayに移行する一歩前のスタイルを残している。
旧規格との下位互換を保証するため
中高域にAMラジオに適した艶やかさを残しながら
全体にワイドレンジな志向をもっているのだ。
この艶やかさは、真空管からトランジスターへの移行期に現れ
例えばNEVE 1073のようなトランス付きマイクプリモジュールや
EMTの鉄板リバーブのようなものも含まれる。
これらと共存して自然な笑顔が保てるというのがビンテージ感なのだが
実はフルレンジという形では今ではほとんどみられない。
現代のオーディオ理論ではこれらの艶は付帯音(歪み)であり
録音によっては古臭い化粧のように感じる人がいるかもしれない。
オーディオ進化論者には中途半端な絶滅種のようでも
録音は残り続けて、ポップスの場合は一期一会で二度と再録されない。
音楽主体に考えるなら進化途上の環境変化に耐えうる機材も
オーディオの趣味に加えて良いのだと思う。
ちなみにレコード盤で区切ると
ノイマン SX-68からSX-74に移行する間の出来事で
表向きのレンジ感の拡張と音場感の不安定さが共存している。
音場感の不安定さはマルチトラックへの対応がまだアナログ同期で
リバーブの多用は収録環境がまちまちな音場を馴染ませる方便で
結果的にスペースエイジと呼ばれる宇宙的な無次元の音場が形成される。
これが解消されるのは1978年にスチューダーA800が製造されて以降で
同時期に研究成果が明らかになったBBCのニアフィールド試聴と相まって
現在のオーディオ理論に近いものが形成されていった。
では、精緻な音場理論に基づかないステレオ録音はどうなるのか?
音質的にはA800とA80の違いなど判るはずもなく違和感が続く。
この欠けたピースを埋めるのがVisaton FR6.5でのモノラル試聴だ。
宇宙的な無次元の音場の形成の原因は
録音の問題というより、現在のパルス成分に過剰反応する
ツイーターの設計との相互作用で起きていると思う。
当時の一般的なスピーカーはコーンツイーターだったし
けして安かろう悪かろうではなく、設計的にコントロールが効きやすいため
三菱2S-305、JBL 4311などプロ機種にも使われていた。
私も最近にJensen C12RのツイーターをVisaton TW6NGに代えたが
アナログ時代の録音はこれでないとダメと思える何かが詰まっている。
この1968~74年の録音は、周波数レンジこそ広がったが
一聴すると薄っぺらく感じたり、ボーカルが小さく凝り固まったり
当時席巻した新しさより古さのほうが目立つ印象があった。
多くはリマスターに使ったテープが何世代もコピーしたものだったり
そもそもADコンバーターの精度が悪いだの色々な意見があった。
ところがVisatonのサウンドテイストは
昔レコードで聴いたような
ボーカルが力強く張っているのに
高域が柔らかく広がる不思議なバランスだ。
それも1990年代のバジェットCDでも印象は変わらない。
高域が伸びきらない、ザラつきが耳に付くとか
そういう要らない帯域を出さずに
音の鮮度を保つ秘訣があるようだ。
例えばEMIのアビーロードでの1972年と1980年を比較すると
JBL 4320から4333をメインに、オーラトーン5cをサブにしている。
1972年のアラン・パーソンズは帯域15kHzまでの4320と一緒に
オーラトーン5cをモノラルでの試聴に使っている。
この時代の英国はポップスはAM放送だったし
若者のレコード試聴も卓上プレーヤーが主役だった。
FM放送でさえ50~15,000Hzの規格なのに加え
2kHz以上は三角ノイズで高域のダイナミックレンジは霞の向こう側
CDの超高域のデジタルノイズなんて聞こえる環境になかった。
それはB&Wモニターの入る頃になってもミキサー卓は旧来のままで
CD規格を策定する際に多くの録音エンジニアにヒアリングした結果も
16kHz以上は楽音として影響しないとの意見が多数を占めた。
それをどう勘違いしたか、デジタル対応のためオーディオ機器は
20kHzまで再生できないと不良品とみなされたのだ。
でも、今さら80~10,000Hzで十分だったなんて
どのオーディオ批評が言えるだろうか? ステレオ録音でサウンドステージをアートの域まで押し上げたのは
ロキシーミュージック「アヴァロン」を編集したボブ・クリアマウンテンだった。
それまでバランス確認程度に使われていた小型モニターは
ステレオの定位感を正確に配置するための必須アイテムとなり
ヤマハNS-10Mを使用したニアフィールド・モニターの方法論が確立された。
それまでのオーラトーン5cに比べパワーハンドリングに優れ
品質も安定していたため、世界中のポップス系の録音で今でも現役だ。
ついでにツイーターにティッシュを貼る儀式も流行したが
高域が3dB抑えられるという以外にも
ツイーターのパルス成分を抑えてステップ応答を中域主導にしたと思える。
これでスピーカーの癖を通り越した普遍的なステレオ感を見出せる。
ところでロキシーミュージック「アヴァロン」なのだが
こういう録音でもモノラルで聴いてみると色々と発見がある。
まず当たり前のことだが、各パートはベーシックな音で録られている。
霧の向こうのことなので、雰囲気でごまかしてるだけだろと勘繰ると
各パートは驚くほど素直で生真面目な音調なのだ。
意外にタイトなドラムとベースがダンスナンバーをしっかり支えているし
エグいボーカルもしっかり足の着いたリズムを刻んでいる。
このおかげでどの岩肌に人が立って、互いの大きさがどうかなど
霧のたなびくなかで曖昧だった楽曲の構図が明らかになる。
このように音場感を消し去ったモノラルでの試聴は
赤外線スコープのように実像を的確に捉える傾向がある。
かといってギスギスした感じでもなく、柔らかさも保持していて
しなやかな筋肉のうごきに支えられたアスリートを観ている感じだ。
個人的に好きなアルバムに吉田美奈子「フラッパー」があって
豪華メンバーひしめくバックバンドの脳内アレンジが楽曲をどこに持っていくのか
ドキドキしながら行方を追うような感じが、いつ聞いても飽きない。
今風にいうとジェットコースター・ムービーの展開に似てる。
モノラルで聴くと、まず吉田美奈子の声に芯が通り
その少女の面影を残す はすっ葉なキャラが自然に湧き出てくる。
普通にバンドの音に埋もれやすい声なのだが
その虚ろな線の描き方まで70年代を感じさせる。
もうひとつは、おもちゃ箱をひっくり返したようなバンドのアレンジが
各々の楽器でちゃんと意味をもってザワついている様子が判る。
同じすし詰め状態にあるブラック・コンテンポラリー系だと
必ずボス的な人物がアレンジに目を光らせているのだが
そのコワモテのいないところで、平等な距離でマイクに立って
よーいドンでスタートした感じにもみえる。
こうした印象をもつのも、モノラルで聴くと音場に込められた
楽器間の舞台位置=ヒエラルキーがリセットされて
楽音のディテールに集中して聴けるようになるからだと思う。
特にドラム、ベースの表情の豊かさは、他のプレイヤーに触発されながら
色彩を変化させてスルスルと木を登りつめるカメレオンのようだ。
これもステレオの仮想音像ではボヤけやすいもののひとつである。
モノラルで聴くことで思浮かべるのは、弾き語りとか室内楽とか
比較的シンプルでダイナミックレンジの狭いと思われる音楽だ。
一方で、これらはダイナミックレンジが狭いというよりは
むしろコンプレッサーやリバーブで加工していない分
繊細でスピードの速い波形の立ち上がりを要求する。
一般にオーディオにおける繊細さとは高域の分解能のことを指しがちだが
ステレオの場合は、高域の8~15kHzくらいの環境音で
音場のコントロール、定位感のパルス音などを演出できる。
反対にダイナミックレンジの大半を環境音の情報に費やすのだ。
一方で、モノラルだとこうした誤魔化しは利かなくなり
解像度の解釈は逆転して、100~6,000Hzの生音のほうに集約される。
中低域から中高域までの波形が均質に確保されないと不自然になる。
つまり弾き語りや室内楽はモノラルで聴きさえすればいいのではなく
モノラルで聴くからには、それにふさわしい俊敏な反応が必要なのだ。
上記のアヴァロンの各パートが真面目に録られていると感じたのは
ウーハーが受け持つような帯域の質感が等身大のまま残され
お花畑でフォーカスを甘くして誤魔化しているわけではない
本当の肉感を伴った立体感を目指して丁寧に造り込まれていることだ。
中低域から中高域までの波形が均質に確保されるというのは
タイムコヒレント特性(時間的整合性)で可視化することができ
インパルス応答よりもステップ応答のほうが癖が判りやすい。
ちなみにVisaton FR6.5のステップ応答は以下のとおり。
これをロクハンのものと比べると帯域は狭いが波形はクリーンである。
さらに一般的なマルチウェイ・スピーカーでは以下のとおりで
ユニット毎にピークと位相がくびれ、ウーハーは大幅に遅れる。
高域に解像度がシフトしたのはスピーカーの設計上の問題でもある。
ちなみに私のJensen C12R+Visaton TW6NGの場合は
以下のようにフルレンジなみの素直な波形を保っている。
参考にインパルス応答も載せたが全く綺麗な波形で
元波形のMQAのショートロールオフのインパルス信号と相似である。
スピーカーの応答時間がライン信号の3倍まで間延びしているのは
電気的な抵抗のないライン信号の比較では頑張っているほうで
一般のスピーカーではこうはいかない。
波形のタイムコヒレントが整ったモノラル試聴で、最も効力を発揮するのはライヴ録音である。
例えば対照的な2つの1960年代のライヴを挙げると
ピーター,ポール&マリーの日本公演1967
ジェームズ・ブラウンのダラス公演1968
前者は3人のフォーク弾き語りをマイク3本で録った放送録音。
後者はオケ並みの最強JB'sを目いっぱい収録した企画物だ。
もともと1960年代のライヴ録音は音場感を意識しておらず
マイクの音もPAで拡声する機能を第一としているため
今のリマスターはライヴ風の音場感を後で作っている。
と言っても、これだけ品位の高い状況まで持っていくのには
並大抵の経験では難しい、スゴ腕のエンジニアが対応している。
アナログ時代の編集技術ではもっと雑な海賊盤扱いになっただろう。
それでも音場感を剥いでモノラルで聴くと
元のテープに残っている舞台上のパフォーマンスの険しさに圧倒される。
フォーク弾き語りというと、わびさびのラヴ&ピースという感覚だが
つなぎの曲でさえもロックに通じるブルージーな歌い回しで
聴いてるほうもグルグル目まいがしそうなほどである。
野の花といっても、外来種のものは結構トゲトゲしいワイルドさがあり
色も濃い目で遠くから見ても目立つ感じがあるが
彼らがフォークを通じて伝えたい人間の生命力に改めて気付く。
それをできるだけ多くの観客にメッセージを伝えようとするため
舞台上で起きている熱気を近接マイクがうまく捕らえていた。
ファンクの帝王のほうは、2組のドラムとベースの頑強さが売りで
ともかく1時間近く疲れ知らずに叩き続けるファンキーさに圧倒される。
連続するビートがただのド迫力に終始せず、ブルースリーのカンフー映画のように
肉を削り骨がぶつかり合うような迫力で挑んでくる。
このとき既にバンドメンの腕前の凄さのほうがJBの存在を上回っており
おそらくこの白熱ライヴがお蔵入りになったのは、この後におきた賃金交渉で
JBがバンドメンバーを一斉解雇したためかと思われる。
ついでなので海賊盤の世界を覗くと
最初の海賊盤と言われるボブ・ディランの地下室オリジナルテープは
Ampex 601か602という可搬式真空管テープレコーダーで
ボーカルだけスプリングエコーの付け録り
マイク等の機材も含めPP&Mの手持ちから分けてもらったという。
https://museumofmagneticsoundrecording.org/images/R2R/Ampex602and6022Manual.pdf
録音周波数は65~10,000HzまででAM規格をフォローしていたが
肉厚な音質はライヴ収録などで世界的に使用されていた。
これの付属品というかペアになってるのが620アンプ付スピーカーで
JBL製をカスタマイズした20cmフルレンジを使っていた。
今回のVisaton FR6.5は、高性能なオーディオ製品だと破綻する音質でも
全体の身の丈がうまく収まる心地よさを体験することができる。 さらに奥の細道へ入ると
ヴェルヴェットの解散ライヴになった1970マクシズ・カンザスシティの生録で
ウォーホル・ファミリーのベルリン女史がソニー製カセットレコーダーで収録した。
同じカセットテープでヴェルヴェットと追い続けたロバート・クワインに比べ
最前席で録った録音は鮮度も数倍高く
フラワームーヴメントの三種の神器に含まれていたことが納得できる音質だ。
ちなみにあと2種はポラロイド インスタントカメラ、ベル&ハウエル 8mmカメラ
ということだろうか。現在ではこれらの機能はスマホに全部入っている。
ところで、改めてフルレンジ&モノラルで聴いたヴェルヴェットのライヴは
ワンマイクで録った音の遠近感が明白で
バンドと観客の距離の近さ、会場の天井の低さとか
意外な情報がしっかり入っているのが判る。
ダウンロード&関連動画>>
ちなみにロバート・クワインのテープは
ヴェルヴェットがメディアから締め出されて流浪の旅に出ていた時期のもので
この時期のライヴ活動を網羅したものとして、改めて世に問うたものだった。
ただしオフマイクで録って低音の残響が山盛りで被っているうえ
テープ自身の磁気劣化が激しく、数あるブートレグでも最悪に属するものだ。
この手のものは高級オーディオでは全く空中分解して長く聴けないのだが
さりとてカセットレコーダー付属の8cmフルレンジでも詮無いままである。
この手の録音ではタイムコヒレント特性の優越が鮮明に表れ
Visaton FR6.5のエッジの効いた波形再生が
いいかたちで録音のグレードアップを果たしてくれる。
かつてLP再販の広告をみたが、それより遥かに良い結果が出せる自信はある。
それだけオーディオ機器の選定は大切だと思う。
1960年代のライヴ盤には、後で観客の歓声をオーバーダブした
いわゆる偽ライヴ録音も結構リリースされており
ストーンズの1966年ガット・イフ・ユー・ウォ・イットントはその典型で
バンドメンバーも認めていない、公式のブートレグという皮肉な存在だ。
(最近になってジャニス・ジョプリンのチープ・スリルもそうだと知った)
ところでこの録音は、当時でも音の悪いレコードの代名詞だったが
このレコードが日本で発売された頃はライヴ録音そのものが珍しく
ロックってこんなに激しくやるもんダゼ!的なノリを魅せつけた(らしい)。
実際、GSのザ・タイガースが自身の目標をストーンズにしたのも
このアルバムあってのことだった。
今、改めてCDで聴いてみると、実はフルレンジでは受け止めきれず
ジェンセン30cmで対抗してようやく真価が判るという感じだ。
何が問題かというと、ドラムとベースが悪ノリ状態で空回りして
ローリングストーンズの名前通りのツンのめって転がり落ちる状況が
フルレンジでは重さが足らずに小石を蹴っているようになる。
30cmまで降ろすと、人間の重さくらいの迫力になってくる。
これ以上重たいと、今度は転がらずにドンと構える感じでいただけない。
同じ低音質の録音を料理するにも、色々と手段があるものだ。
ロックにおけるステレオ録音の発展は、マジカルミステリーツアー以前にも
フィル・スペクターがウォル・オブ・サウンドを打ち出した際に
「ティーンズのためのワーグナー風のポケット・シンフォニー」と表現していたが
バイロイト祝祭劇場のような重層的でカリスマ的なサウンドを目論んでいた。
実際には当時の若者がよく行っていた耳当てリスニングを考慮すると
モノラルでポケットに入る携帯ラジオでも映える音響だったと思う。
それより音響規模の大きいものはジュークボックスで
50~100名集客の商業施設でも十分な音量であった。
一方でウォール・オブ・サウンドの初期の作品群をみると
ダンスホールの音響そのものを取り入れているものもあり
ジュークボックスでの体験のさらに先を目ざして
音楽のパーソナル化を推進したようにも見える。
つまり家庭での音楽鑑賞の究極的なゴールを
コンサートホールの買い占めと定義したのだ。 私自身がモノラル試聴の檻に閉じこもって考えたのは
集客力というコンサートの魔力を我が物にしようとする欲望よりも
音楽をもっとP2Pの関係に戻せないかという思いだった。
つまり、我が家にアーチストを招いて演奏してもらう。
これが究極の贅沢である。
そして個人の思いが個人へと伝わるオーディオの在り方は
あきらかに愛の告白のシチュエーションでなければならない。
どっかのドラマのように「シにまシェーン」と大勢のなかで叫ぶのではなく
個人が個人に伝えたいことを話すのは常にモノラルである。
アリーナやホールじゃなく目の前で演奏なり唄うなりしてもらいたいんだよね
ニアフィールドでいいやん
間隔をせばめて再生すればよし
小型2wayのニアフィールドは思ってる以上に音場感の情報が過多で
音場の雰囲気で演奏評価の大半が決まってしまう。
それだけツイーターのパルス音が鋭く分離されていて
どうしてもそこに耳が行ってから中域以下の音を聴くようになる。
まずVistaton FR6.5のようなフルレンジでモノラル試聴を試して
音場の支配から楽音を切り離して聴くことが必要だ。
あと洋楽の話ばかりしていたけど、
JensenやVisatonは昭和歌謡もけっこういける。
基本、少しアクドイくらいのアメリカンのほうが
昔のアイドル、演歌歌手の表情が映えてくる。
結局、何が言いたいかというと
1980年代までの歌謡曲はモノラルで聴いて大丈夫だし
モノラルで聴いてこそ楽曲のコアな部分が伝わる。
シングルバージョンのミックスの人気が根強いのも
こちらは本家だと判るだけの説得力があるからだと思う。
風が吹けば桶屋が儲かる的にすると・・・
歌謡曲の真打はシングル盤のミックスだ
シングル盤コレクションのCDを買ってみた
高級なステレオで聴いてもレンジが狭く雑味が目立つ
CDラジカセで聴いても遠目で見ているようで何かが違う
当時の懐古録ではモノラルでバランスチェックしてたらしい
モノラルで聴くと迫力があり、あの頃のテレビの映像が浮かんできた
・・・というわけで、シングル盤はモノラルで聴くといい!
ちなみに自分のモノラル遍歴は
ユニットの製造年代順で以下のとおり
パテ・マルコニー社 Westminster(マグネティック型)
STENTORIAN JUNIOR+平面バッフル
JBL D130+大型バスレフ箱+Altec 802+511B
エレボイ SP8B+バロネット箱
パイオニア PE-16M+標準バスレフ箱
Micro Solution Type-S(5cmフルレンジ)
Jensen C12R+後面解放箱+ツイーター5種類
Jensen C6V+小型バスレフ箱(失敗作)
Visaton FR6.5+後面解放箱
当時の懐古録では~モノラルで聴くと迫力があり
までの空白には色々と試行錯誤があったんだが
新品で製造され、安価で手に入りやすいユニットを使って
万人が満足できそうなモノラル装置ができるようになった。
ちなみにライントランスは
AT&T KS8614
PEERLESS 15356
UTC C2080
英Lissen Hypernik Transformer
などなど試してみたが
結局、サンスイトランス ST-17Aに収まっている。
最近はコーンツイーターに代えたら
サンスイトランス ST-78のほうが相性がいいので
こちらにしようと考え始めている。
アンプは当初サブシステムとして開始したので
少しずつ普通のものに変わっている。
45、71A、VT-25差し替え可能なモノラル真空管アンプ
EL84シングル3結アンプ
中華デジアンLepai LP-2020A
デンオン PMA-1500RE
スピーカー、アンプ、ライントランスと様々な組合せ(安物)を試して
5年程度で現状にシステムに辿り着いた。
http://cent20audio.html.xdomain.jp/Audio-108.html#Hi-Fi
結局、ラジカセの音をグレードアップさせることが目的だったけど
それ以上の成果が得られたと自分では思ってる。 ラジカセの音というものが正しく理解される録音として
シュガーベイブ「ソングズ」を挙げよう。
シュガーベイブの唯一のアルバムは
大瀧詠一のナイアガラレコードの初期のもので
都会生活を楽観的に歌った爽やかなロックは
シティポップというものを初めて世に知らしめたと言えよう。
問題は、当時からデモテープ以下と揶揄された録音品質で
ガレージバンド的なざらついた感じといえばそうだが
この元祖シティポップを本当に爽やかに聴ける
オーディオ装置というのがあまり思い浮かばない。
今回、Visaton FR6.5やJensen C12Rなどで
モノラル・スピーカーを組んだときに気付いたのは
どうも中高域の5kHz付近に出るリンギングがアクセントにあると
音に爽快感が出て、ボーカルも張りが出る感じだ。
かといって低域までしっかりレスポンスが降りてくるので
そこでリズムの押しの強さが加わりバランスが取れるのだと思う。
もうひとつのラジオ風の音は、中島みゆき「シングルズ」である。
いわゆるデクノ風に挑戦した御乱心の頃はさておき
それ以前の録音は、リマスターしないままのレンジの狭さが
安酒場の有線放送という、少し陰りのある感じがある。
これで昭和風のメソメソした陰りだけを強調しているかというと
ジェンセンのようなアメリカンなテイストで支えると
当時のキャリアウーマンの応援歌のように聞こえるから不思議だ。
自虐的で毒のある女性を演じるのも疲れるだけと思うだろうが
普通の男どもよりも数倍タフだという勝利宣言なのだ。
それだけ芯のある声、凛とした言葉使いが基調だとききとれる。
ちなみにヤマハ所属でキラキラにリマスターしたのは
高木麻早のファーストアルバム(1973)で
上記の2つよりもずっと新しい感じに聞こえる。
アイドル歌謡に埋もれがちだが、これもシティポップの前哨戦で
恋にスポーツに忙しい女子大生の鏡のようなものだ。
少女漫画も熟してない時代がまだ付いていけなかった感じがする。
扱いの難しいのが、1980年前後の演歌で
レコード大賞や歌謡大賞を総なめしていたにしては
ちゃんと準備されて録音されたとは思えない
アイドル歌手なみの自転車操業だったのでは?と思う。
石川さゆり「津軽海峡・冬景色」はアイドル路線から決別した
崖っぷち状態での収録で、「大阪のおんな」などと比べると
その後まじめに歌の修行に励んだことが伺える。
八代亜紀「舟唄」は、すでにベテラン歌手なのだが
あえて抑えたアレンジで寂寥感を出しているのか
やはり新しい境地に向かうときの不安定な感じが
付きまとうのである。
これは山口百恵「いい日旅立ち」のゴージャスさと比べれば
万全の備えで挑んだアレンジの違いが判りやすい。
でも、耳に残ってるのはあのアレンジ。実に不思議だ。
で、VisatonやJesnenの凄さは、こうしたオーディオ映えしないアレンジでも
必ず歌声の表情に焦点を当てて、全体のバランスが崩れないことだ。
音量を増してもバランスを崩してビッグマウスにならないのは
基本的なタイムコヒレント特性が素直に整っているからだと思う。
CDもアンプもそうそうタイムコヒレントは崩れないが
スピーカーだけがネットワーク回路で位相がねじれる。
それが世の中のデフォルトと言われればそうなのだろうが
ラジオ用のミックスは音場感では誤魔化せないのだ。
自分自身の体験でいうと
ラジカセの音響性能を超えるには結構な労力がいる。
フルレンジの次は大型ホーンという感じなのだ。
この落差がどこから生まれるかというと、ボーカル域の腰の強さである。
例えば、アルテックの場合は10cmの405A、20cmの755Eなど
より小さい口径でもボーカル中心のサウンドポリシーは変わらない。
クラングフィルムのオイロダインとコアキシャルについても同様だ。
、
過去に長岡鉄男がテレビ用スピーカーについて
2階で鳴らしているのを1階で聴いても、生の声と間違うと評した。
1960年代の話なので、今よりずっと立派な大きさだったし
当時は2wayスピーカーも当たり前だった。
これは1970年代のラジカセでも引き継がれていて
AM放送コンパチとはいえ、以下のような構成だった。
現状のステレオ装置はパラダイムシフトしただけで
ステレオのスイートスポットの外に出るとバランスを失う。
パルス波のない古い録音では輝きを失う。
ツイーターの音に過度にぶら下がっているともいえ
150~2,000Hzのボーカル域がないがしろにされる。 近頃ようやく1980年代の録音をモノラルで聴く気になった。エコーにリソースを割かずスッキリした。
Jesnen発注したが在庫ないとのことで待ちぼうけ中。
「モノラル」は「monaural」が原語で、「片耳で聞く」が第一義です。
シングルチャンネルの音響システムや音声フォーマット、オーディオ信号は、「モノフォニック」または「モノ」と呼ぶ方が、誤解を招かなくてよいですよ。
モノラルしかなかった時代の写真をみると
斜め横から聴いているのが判る。
正面から聴くようになったのは
テレビが出てきてから。
ちなみにトーキーでは広いスクリーンで
音抜けが起きないための方便。
>>233
自己レス
画像検索した
ザロネッツらしい ウォールオブサウンドは››208にあるように
携帯ラジオを耳当てして聴いて
ラウドに響くようにしていた。
ポケットの意味を読み飛ばして
交響曲風とするのは間違い。
う~ん、Jensen C12Rだけ入荷未定とは。
ジュークボックスのリペア情報サイトだと
アルニコのP12R
マグネット強化したC12Q
とかも候補に上がってるけど試してない。
普通なら高級なほうが高性能なんだけどね。
ミキサーは到着した。jensenは未だ届かない。箱を作ってなかったから取り掛かろうかと思う。
トランスは2種類購入しております。
違いが判るのか?は謎です。
天気が悪い&暑いので箱を作る気がおきないので材料に何を使うか妄想中
>>1
統失ツンボ知的障害者の負け惜しみ「音楽を心から楽しめるから高音質なんて要らない」 >>242
ST17AとST-78推奨品です。スレ主さんですしょうか?独自性が無くて申し訳ないです。 下手に低インピーダンスのビンテージ物に
手を出してないか気になっただけです。
高インピーダンスで受けると
10kHz付近が持ち上がって音が明瞭になったと
勘違いすることもよくあります。
でもウエスギアンプの上杉佳郎氏も
カートリッジの受け側のインピーダンスをいじって
トーンの違いを楽しんでいたというので
あるある事例のひとつです。
でも現在使っているvisatonのコーンツイーターは
5kHzと13kHzに強いリンギングがあって
今のステレオの定位感は出せません。
一方で、モノラルでの音の広がりは出しやすく
ジェンセンとも音のタイミングが噛み合い
むしろ都合がいいようです。
トランスで色付けするかスピーカーで出すかは
まさに好みの問題です。
私はむしろ躍動感のほうで選びました。
ちなみにサンスイトランスは見た目同じでも
ST−17AはMMカートリッジのように力感とコクのあるサウンド
ST−78はFM放送のように爽やかで抜けのいいサウンドです。
大まかな分類では1960年代までの録音はST-17A
1970年代以降はST-78が合うのですが
最近1980年前後のニューミュージックをST-17Aで聴いたら
すごくアメリカンなワイルドさが前面に出てきて
あらためて聴き直しているところ。
>>246
スレ主さんでしたか!お世話に為ります。耳の左右特性差とかソファーで寝ながらリスニングがメインだとかで不純ですがモノラルに興味が湧いております。無線と実験の記事で小さめの1つの密閉箱にロクハンフルレンジを縦に配置してモノラル再生する記事有り追試しましたら色々やってみたくなり此処に辿り着きました。 トランスとかミキサーなど色々未体験なんで頭が追い付かないなりに面白く弄ってます。今はトランスの接続とそれを入れるケースに付いて色々考えております。どうにも考えが纏まらない時はお尋ねさせて頂きますので宜しくお願い致します。
モノラルの寝ながら試聴はもはや伝統芸で
クリント・イーストウッド、マリリン・モンローと
超有名人も率先して写真に収まってござる。
あとトランスはアースさえ落とせば
それほどノイズには悩まされません。
もともとラジオ基板でも裸のままですし。
見栄えの問題がほとんどです。
:
サンスイのST-92でモノラル合成したがかなりいいというか最高
もうステレオには戻れない、バディ・ホリー、チャック・ベリーが映える映える
ミキサーよりもコスパ良さそうだけどどうだろう?
何はともあれモノラルの心地良さに気づかせてくれて本当に感謝しています
:
サンスイのST-92でモノラル合成したがかなりいいというか最高
もうステレオには戻れない、バディ・ホリー、チャック・ベリーが映える映える
ミキサーよりもコスパ良さそうだけどどうだろう?
何はともあれモノラルの心地良さに気づかせてくれて本当に感謝しています
ST-92はサンスイトランスでは一番広帯域ですが
スプリット側が150Ωなので
もしかするとハイ上がり傾向になると思います。
これはスピーカーとの相性もあって
高域と言っても古い録音はパルス成分が少なく
新しい設計のスピーカーはパルス音がないと
途端に籠もった音になるので相性が悪い。
そこに磁気飽和しやすいトランスを噛ますと
高調波歪みでパルス性の倍音を出すので
いい塩梅で噛み合うのです。
ちなみに古い録音で高域不足を感じて
高域をイコライザーで持ち上げると
他の雑音も一緒にザラザラした音になります。
この点ではトランスは楽音と連動して
パルス音を発するのでずっとクリアです。
真空管でもオーバーシュートで
リンギングして隈取りを与えますが
特定の周波数域に集中するので相性があります。
昔のオーディオでの黄金の組合せは
こうして生み出されました。
ジェンセン使いの私のほうは
コーン紙がリバーブのように倍音を出すので
むしろ中域での艶を出したほうが好ましく
ST-17Aが相性がいいようです。
visatonのコーンツイーターも5kHzと13kHzに
ドイツ製特有のリンギングをもっており
これも抑える側にまわることになります。
どちらも古い設計のスピーカーなので
こうしたチューニングが可能なのです。
あとミキサーの使い様ですが
普段のスピーカーの音量で低域のバランスが変わる
特に重たい振動板のウーハーをもつ小型SPは
小音量では中域付近から低下するので
この辺のバランス補正も必要です。
BOSEは豆電球を使ったネットワーク回路で
アクティブに低域を持ち上げていました。
オマケはヤマハ特製のデジタルリバーブですかね。
カラオケ大会で大活躍のようですが
メモリ40%くらいの微小の混ぜぐあいで
室内共鳴のドライなパルス音
中高域に艶と潤いを与えるなど
細かく設定できるので便利です。
チューナーCD一体型アンプのスピーカーアウトやラインアウトはAM放送もLR2本とも出力されるんだけど単体チューナーの場合はAMはLからだけ出力されますか?
チューナーでもモノラル2ch出力です。
ただAMラジオに特化するなら
パナソニックRF-300BTなどの
ラジオのほうが一枚上手です。
通常のステレオ用チューナーはノイズを嫌って
高域を早めに切ってモゴモゴします。
1990年代にパイオニアがAM放送でも
高域補完のチューナーを出していましたが
ワイドFMに移管する構えのようです。
AMラジオでまず第一なのが受信感度で
音質のほうは二の次のように言われます。
一方で歴史を紐解くと、昭和30年代には
Hi-Fi規格での広帯域放送がありました。
このとき高一vsスーパー論争があり
いずれも低周波への変換部分で勝負しています。
古いコリンズ受信機のメカニカルフィルターなど
今でも最高の音質を誇っていると言われますが
私は残念ながら聞き及んでいません。
現在のAMラジオは、ネットとFMへの改装中で
radikoの音声規格AAC48kbpsというのと
パソコン&スマホでの試聴というのが
中途半端で面倒くさいという感じです。
ただ放送局の思いとしては
今の番組制作はデジタルで全てこなしており
アップtoデートなコンテンツの質だと思うので
ネット配信に移行したほうが効率的です。
ちなみに私はスマホもモノラル出力です。
耳が慣れていると何の不便もありません。
スマホのモノラル出力で思い出しましたが
イヤホンジャックは32Ω程しか負荷できないので
サンスイトランスST-92(150Ωスプリット)での
モノラル合成でオーディオ接続もアリですね。
あとラジオを製造しているメーカーで
AM音声に合ったスピーカーについて
ラジカセをちゃんと作ってた時代に比べ
母音のニュアンスなど後退していると感じる。
私がJensenで気付いたのは
もっと古い1940年代のPA技術で
言葉通りの講演スピーチを効果的に
拡声するサウンドデザインだ。
今良い音でラジオ聴くにはどうすりゃいいの?電波でね
>>261
どうもありがとうございます
単体チューナーでもモノラルは2ch出力でしたか
パイオニアの末期のF-777でもやっぱり1ch出力ではなく2ch出力なんでしょうか?
ステレオのFM放送が始まった以降のチューナーはその時からずっとモノラルのAMでも2chになってしまったんですか?
80年代ごろまでのアンプには入力が1chの場合は2ch出力にするためのモノラルモードスイッチが付いていましたがチューナーも2chということはこのスイッチは実質モノラルレコード専用だったんでしょうか? >>266
蛍光灯もけっこうな雑音でしたが
LED電灯でも大きい小さいがあるそうですが
一番のノイズ源は携帯等の充電器とも。 >>268
時折モノラルスイッチは
ステレオスピーカーの中央定位を
調整するためだと言う人もいますが
現在の録音の定位感は鋭いパルス成分なので
ほぼツイーターのみでコントロールされますので
中域以下では周波数バランス以外無意味です。
モノカートリッジも配線でステレオにしたり
逆にステレオカートリッジをしたりと
色々やってるみたいです。 ちなみに私はステレオプリメインの前に
チャンネルデバイダーを噛まして
モノラル2wayのマルチアンプで鳴らしてます。
パッシブネットワークの電気的な負荷がなく
スピーカーが生き生きと鳴ります。
マルチアンプというと
超マニアのもののように言われますが
自分の使ってるベリンガー製は
クロスオーバーとレベル調整の簡易型で
これに位相の正逆、オン・オフが付いてます。
むしろJensenのような未知のユニットに対し
パッシブ部品を取り揃えて
カット&トライするのが面倒くさくて
一品で済むチャンデバにしたくらいです。
結果は大口径にしては高めの3.5kHzがベストで
ボーカル域をスカッと出せていい感じです。
一般的な2.5kHz以下ではおとなしいうえ
むしろ低域が伸びないことの不満がでて
4kHz以上もしくはスルーで鳴らすと
中高域がピーキーで聞き疲れする感じです。