避暑地として名高い長野県軽井沢町からほど近い、御代田町の浅間縄文ミュージアムに今年3月、5000年前の縄文時代に生きた女性の模型が登場した。
身長は当時の女性の平均とされる147cm。二重まぶた、高い鼻などの縄文人に特徴的な顔つきを再現している。20歳前後というという設定で、愛称は「ゆきえ」。出土した縄文人骨やDNAを基に製作されたものだ。
ミュージアムに展示されているゆきえは食事の支度をしており、山菜などが入った「縄文汁」を来館者に差し出している。博物館に時々足を運ぶ人なら、そこで展示されている縄文人の骨格標本の多くをみて、彼らがマッチョな体格であることに気づいているかもしれない。
例えば、腕の骨をみてみよう。骨の太さは太く、上腕骨の三角筋粗面などを見ると、今の私たちより大きく、がっしりしている。しかし、そうはいっても、縄文時代が1万年以上にもわたったこともあって、時代や地域によって、その体格は一様ではない。なかには、信じられないくらいきゃしゃなほそい骨もある。
骨格がしっかりしていて健康そうに見えるゆきえも、何かの病にかかることはあっただろう。人はだれでも病から逃れることはできない。それまで健康でいても、何かの病気に突然かかることはあるし、事故にあってけがをすることもある。このような状況は、いまから数千数年前の縄文時代でも同じだった。ここでは、発掘された骨から判明した縄文人の意外な健康状態についてみていきたい。
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まさか、縄文人もO脚に…?
日本人にはO脚が多いと言われている。O脚の場合、膝蓋骨(しつがいこつ・膝の皿)の内側に負担がかかり、骨内部の網目構造を構成する骨梁が太くなるため、X線像が白くなり、関節面(膝とすねの骨が接する面)に「骨棘」が出てくることもある。そして、こうした状態にあったと推定される骨が縄文時代の遺跡からも出土している。
遺跡から出てくる人骨の場合は、すべての関節面が遺存していることはまれである。しかし丁寧に観察していくと、一部の関節面からO脚と推測される骨がみつかることがある。今から数千年前の中妻貝塚(茨城県)から出土している膝の骨(膝蓋骨)の関節面には、足の親指側(内側)にのみ骨棘が確認できる。そして、こうした所見はO脚によるものではないかと考えられるのである。
逆三角形のような形をしている膝蓋骨は、膝を伸ばす時に筋肉の収縮に関連している。そして遺跡から出土している膝蓋骨を観察してみると、足の親指側(内側)にのみ突起ができていたり、すり減っていることがある。これは、体の重心が足の外側に傾いているということを推測させる。
そして小指側に重心を傾ける習慣がつくと、足の外側の筋肉が発達し、股関節も外に向かって開いてしまう。そうすると、この人物はO脚であった可能性がでてくる。私たち人間は、二足歩行をしているため、重心がずれると、膝蓋骨をはじめ膝関節に負担がかかり、O脚になってしまうのである。
膝関節は、大腿骨(太ももの骨)・膝蓋骨(膝の皿)・脛骨(すねの骨)の3つの骨からできており、O脚になると、内側の関節面のみがすり減り、O脚に変形する。O脚がさらに内側の関節面に負担をかけて、O脚はさらにひどくなることもある。
当然のことながら、O脚は縄文人だけでなく現代人にも発症するものである。そもそも人間は、2歳くらいまではみなO脚と言われている。これは、歩きはじめのころには歩行が確立されておらず、足の筋肉をきちんと使うことができていないことによる。
たいていの場合は成長するうちに解消するが、大人になっても悩む人もいる。特にクツの裏をみると外側ばかり減る人はO脚の可能性が高い。これは、体育座りや「女の子座り」、和装や女性らしい歩幅の小さい歩き方などが原因との指摘もある。
現代人に多いO脚の所見が縄文時代からあるとすると、縄文人の所作や歩き方も私たちと近かったのかもしれない。ただ膝蓋骨以外の骨も観察しなければ確実なことは言えない。
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遠い昔に生きていた縄文人と、今を生きる私たちの間には、数千年もの隔たりがある。しかし、そうはいっても、同じホモ・サピエンスという人類であり、さまざまな側面からみても、近い関係にある…と言えるのではないだろうか。
谷畑 美帆(考古学者)
11/14(土) 6:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201114-00077086-gendaibiz-soci
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