前スレで沢村一樹と北村一輝教えてくれた方ありがとうございます。
改めて検索してみたら
沢村一樹と入れたら、同時に北村一輝も候補に 上がってくるんですね!?
私みたいに混同してる人、他にもいるのかしら?w
そう言えば昔、街のお蕎麦屋さんでのこと
お店のテレビで浜村淳さんが喋ってた。
店にいたお客さんの年配女性2人の会話
「えーと、この人関西の人よね」
「なんて、名前だったっけ」
「えーと、確かマラソン走る人だったよね」
え?マラソン?
私は気がついた
《あら、このおばあちゃん、浜村淳さんと上岡龍太郎を混同してるんだわ!?》
確かに2人とも関西弁で立て板に水の如くよく喋る。
髪型なんかも白髪混じりでちょっとカールしてて、年格好も似てる
でも明らかに別人なのに…やっぱりお婆さんてこういう芸能人の区別もできないんだ
あー年はとりたくないわ〜
それは今から10年以上前のことです。
あの頃はまだそのおばあちゃんたちをちょっと馬鹿にしてたけど
いつの間にか私も、人間違いしてもあまり気にならなくなってた。
多分ネットで調べれば、一発で区別できるんだろうけど、何かめんどくさくて、テキトーに流してる今日この頃
メンズファイブの淡谷三治の本名は佐藤公彦だけど、ケメじゃない。
例の逃走犯の懸賞金、警備員さんに支払われるかどうか微妙という記事を見て、福田和子の件を思い出した。
ついこないだの出来事のように思うが、事件そのものは昭和57年発生、 逃亡後福井で逮捕は平成9年、…もう20年以上前のこと。
何度も言いますよ
昭和のTVだからこうやって何十年経っても語れるんです
今のTV30年後誰も覚えてません 語れんですね
指名手配のポスターずっとあったもんね
そういや、桐島聡もずっとあるよね
大坂正明が逮捕されているし、まだ生存しているんだろうか
この間霞ヶ関で大坂の冤罪を訴えてるジジババを見たわ
正気とは思えない
今もおなじだろうけど昭和の未解決事件って警察内部絡みの犯罪だったり、
北朝鮮やビーチク絡みの犯罪だったりしたんだよね
怪人二十一面相とか、すごいカーテクニックで警察の追跡を振り切った
どうみても専門的訓練を受けた連中だ
>>25
明菜やきょんきょんと同じデビュー組なのかな
そんなグループ知らなかったし、本当にださいw
で、その番組に植草かっちゃんが少年隊じゃないグループで出てて
そっちの方が衝撃!
ジャニーズジュニア→少年隊かと思ってたよ ふざけたグループと言えば、いんぐりもんぐり
しばらく売れてたけど、やっぱりそのうちいなくなった。
それ以前に、クイズダービーで、○⭕県の方言で△△はなんと言う意味でしょうか?って質問の答えが、いんぐりもんぐりだった。
両者に、どういう関係が、あるのか知らないが
>>29
普通にみられるよ。
女性グループだね。一つ間違うと竹の子族のような感じ >>25
テニススコートみたいなのに白いハイソックス
レギュラーの衣裳が衝撃的
当時はこういうのが良かったのか >>29
同級生で作ったグループなんだって
あまりヒットもなく、解散したらしい >>32
当時のアイドルらしからぬブスばかりと思ってたらそういうことなのね
それじゃ仕方ないような気もするけど、だとすると逆に
一応テレビに耐えうる容姿の子たちがよくあそこまで揃ったもんだと思う
激ブスってほどの人もいないし、体型もまあまあ揃ってるし >>34
ヒーローキャリーというグループ名みたい、9人組 人数の多いグループって売れないアイドル寄せ集めたB級のイメージ持ってた
モーニング娘とかAKBが出てくるまでは
旦那が昭和の時にデビューした
女性グループの一人と
小学校が一緒で卒アル見せて貰った事が
ある。
特に目立って可愛いって感じでは無かった。
>>28
いんぐりもんぐりは本格的な音楽をやろうとして
INGRY'S → THE INGRY'S → FOOLYOUS(フーリューズ)と名前が変遷していった
嘉門達夫と同じ事務所で嘉門のラジオに出てたから結構好きだった ケメ、懐かしい〜
と思ってぐぐったら、昨年お亡くなりになってた
>>39
『いんぐりもんぐり』に詳しい方がいて嬉しいです。
もうずっと前、テレビの深夜のミニ番組みたいなのでチラッと見ただけなんだけど、明るくおしゃれ、ちょっとコミカルで、あ・可愛いな!と思った。
なんとなく、昔のずうとるびの亜流的なイメージだったけど、いつの間にか見なくなってしまった。
それからちょいちょい思い出してモヤモヤしてた。
39さんに今教えてもらって調べたら、 いんぐりもんぐり(名)は特にクイズダービーとは関係ないけど、ルーツはやっぱり方言とのこと
いろいろすっきりしました! 84年春のThe Best Hitと言う音楽系の月刊誌の巻頭特集がガールズバンドで、
ゼルダ、ショーヤとか、それとデビューしたばかりの赤坂小町が載っていた
赤坂小町はいかにも寄せ集めっぽくて、売れないだろうと思ってた
88年夏にプリプリに名前が変わってブレイク寸前でビックリした
>>41
名古屋ローカルの5時SATマガジンって
音楽バラエティのMCやってた大竹まこととか野沢直子と共に
ボウイがボウリングやってた伝説の番組 セイントフォーって再始動してライブとかやってるらしい
びっくりw
あのメガネの赤は連絡つかないらしいけど・・・ 名前は何となく覚えてるけど、どんな人たちで何を歌ってたか全く知らないわ
メガネの子が抜けて別の子が入った後のシングルで、オーバーオール着て歩いているPVがバナナラマのPVとそっくりだった
>>44
真ん中は痩せすぎだ。左はちょっとけばいし右が一番自然かな 歌の間奏で一人の子がバック宙だかバク転させられててほぼ失敗してた記憶
あれは危なかったよ、運動神経いい子にやらせるならまだしも出来ない子に無理矢理やらせてる感じで
>>44は
ピンクのポニテ(濱田のり子)・緑(岩間沙織)・青(鈴木)という並びと思う
ピンクが一番メインぽい扱いだった。宙返りもピンク
ピンクと青がリードボーカル スピードでいったら島袋と今井みたいな感じ?
青ってショートカットだったから当時そんなによく見えなかったけど
おばさん化した今ではピンク緑よりいいなと思った。
赤坂小町って当初下ネタバンドで
「空気入ってマン屁プープー」とか言ってたなア
セイントフォー、おばさんにはなってるけど
年齢のわりに保ってる方だね
一般人として過ごしてるとブクブク太ったりタルタルになっても不思議じゃないのに
何か人前に出るような仕事でもしてたのだろうか
やっぱりずっと現役でやってた芸能人と、こういうブランクを経て再結成した人たちって、違うわね。
ブランクあった人は何となく、半分しろうとみたいな雰囲気(別にけなしてるわけではなく、単なる感想)
GS時代のミュージシャンもいろいろ活動してるけど、もう何人かは亡くなってしまった。
加瀬邦彦、アイ高野、岡本信、デイブ平尾、ワイルドワンズのチャッピー…等々
>>53
GSの方達、50代や60代前半と
結構、早死にだよね。
若いうちに無茶したのかな? タイガースは一人もお亡くなりになっていないね。これも凄い
亡くなったといえば、佐藤佑介
ビックリした
千堂あきほがソバージュブームの火付け役とか言われていて、違和感
私がソバージュにしたのは大学1年だったら84年
教習所の入所手続きに撮った証明写真がソバージュだったから忘れない
千道あきほさんはマジカル頭脳パワーで
所さんの隣に座ってて賢かった印象だわ
セイントフォー...
小さな日記だったかな?
と思って調べたら、
この曲はフォー・セインツでした
>>56
私も84年にはソバージュだったわ(笑
あの板2枚ではさむソバージュ!
髪の量が多かったので板の量も当然多く重くて首が亀みたいに縮むかと思った。 >>56
ソバージュ流行ってたけど、少なくとも火付け役ではないわ
むしろ、千堂あきほや今井美樹は、当時流行りの髪型で世の中に出てきたって印象です
だって普通に周りにいたもん
コテ派もいたし、パーマ派もいた
洗髪後に三つ編みして就寝、朝ほどいて全体を軽くケープで固める派もいた
麗子 とか クレオパトラ とか 散々だったから私は断念した 若き日の全盛期セイントフォーを思い出そうとすると
一心同体少女隊!が邪魔をするわ…
セイントフォーは多分ピンクがお茶の間人気は一番だった
あるとき事務所運営のファンクラブでTシャツを作る企画が持ち上がり、
会員にアンケートを取ったら過半数が赤の子支持者で、事務所もびっくり
事務所スタッフは誰が一番人気があるとか無いとか、そういうことでメンバーを傷つけないように配慮していたんだって
優しいね
少女隊は、隣のクラスの可愛いコ(娘または嬢)
かたやセイントフォーのB級臭ったら!
聖子や明菜は"アーティスト風(?)"へ移行
小泉今日子は、どうやら「みんなとはチョッと違うオンナノコ」て方向に行きたいらしい
岡田由紀子や菊池桃子らが従来のアイドル像を継承
散々出尽くした感の80年代アイドル
曲芸させたらいいかも的なノリで後先考えずに売り出したんだろうな
セイントフォー
スターボはデビュー曲と二曲目で路線変更早いにも程がある
細野晴臣肝煎りでテクノカットの宇宙人設定だったわね
ソバージュかけて帰ったら母に「何そのラーメンみたいな頭」と言われて、「ソバージュっていうんだよ」と答えたら「やっぱり蕎麦じゃない」と返されて撃沈したことがあるわw
お茶の間≒家族でTV見る共有の情報空間
って概念とっくに無くなってるね
>>36
モーニング娘もAKB系列も寄せ集めは寄せ集めだよねえ
おにゃんこの成功で味しめて作られたスタイル
グループでワイワイ賑やかにしてる事自体に人気があるからピンになった途端消える
昭和のピンアイドルは自分一人が会社背負ってる位の責任感あったからこその気合のオーラだったのかな ビックリマンチョコ流行ったよね
お菓子が意外と旨い
昔のストレートパーマも板張り付けてそこに髪の毛糊付けする感じで、首がもげるかと思うくらい辛かったな
>>70
彼女たちは寄せ集めてラッピングで高く見せてるだけだからピンになったら売れないんだと秋元が言ってた
傷物や満開過ぎた花もきれいなラッピングされた束売りなら買ってくれるけど単独なれ見向きもされないもんね 初めてヘアマニキュアをしたのが84年の初夏
美容師さんに弱酸性のシャンプーを使うように言われて、
WELLAのシャンプーは全て弱酸性とのことで、Dancin'を使ってた
色はイエローにしていたけど、自分では全く違いがわからなかった
シャンプーカットヘアマニキュアで、6,000円か7,000円だった
おニャン子の登場が芸能人にとどめを刺したと私的に思っている
あそこを起点に芸能人は雲の上の存在でなくなった
CX土曜深夜生放送歌謡番組大失敗の石田Pに
「兎に角女子大生一杯出してバカやらせろ
社会問題に成ったらこっちのモンだ!」とクンロク入れたのが日枝
これが@オールナイターズ
夕方に移動させAおニャン子
秋葉でBAkb
斯様に素人女集めて同じ事繰り返して撒き餌にしておけば
毎度バカなファンが涌いて釣れる
と気付いたのが秋元
関西出身なので「銀座なう」を知らない
ベテランタレントの多くが「銀座なう」経由だと知り驚かされている
〜ナウって死語だったおに ツイッターで生き返ったわ.
若い人はなにも感じないかもしれないけど 私みたいなババアは
〜ナウってすっげー古臭くて最初笑っちゃったよw
銀座ナウ出身の最大のスターはエーちゃんね。
つば飛ばして最前列の子に振りかけながら歌ってたわあ
>>78
15年くらい前にナウなヤングのロリポップと言う鯖が流行った >>74
それはお洒落でヘアマニキュアよね
私が初めてヘアマニキュアしたのは、白髪染めだったわw
茶髪という言葉を見聞きしだしたのが平成の始め頃
ラジオで、吉田照美が、「あいつ、チャパツの女が好きなんだって」と喋ってた、それでチャパツと読むんだ〜とわかった
それまでは「ちゃがみ」と読んでた
その後くらい?に、チャラ男が髪にメッシュ入れるだけでなく、ほとんど白っぽく染めるのが流行ってたような記憶。
近所の大学の周りで、ホワイト髪の若い男がキャッチセールスみたいなのやってた
サッカーの北澤がソバージュだった
以上、脈絡なく、髪についての思い出 ↑
ごめん、読み返したら、昭和でなく殆ど平成の思い出だった…
ダサい、シカト
この二語は昭和から廃れずに使われ続けている低能語として興味深い
まああれだ、スレチになってしまうが1995年平成七年の週刊朝日には
「青少年を席巻する茶髪主義」という歴史的な評論が掲載された
それとほぼ同時期だったか、フランスのジャン=ポール・サルトルが
『茶髪主義とは何か』という大論文を発表した
セイントフォーの緑は介護職に就いている姿を爆報フライデーで何回か密着されていて
お見合い企画もあったけどその後特に進展も無さげ
綺麗だし感じも良い人なので良縁に恵まれるといいなあ
>>78
昔今田耕司がナウロマンティック歌ってたの思い出したわ >>89
むか〜しお酒の席で、同級生で芸能人になった人がいるかと言う話になったとき、
緑の高校の1学年下の人がいた
全校一致で誰もが認める美人で運動神経抜群、体操部のキャプテンだったとか
なんでこんな人が芸能界に入らないんだろうと思っていたらセイントフォーで出てきてうれしいと言っていた
他には三原順子が中3の三学期に転入してきたけどクラスが違ったと言う人がいた >>92
セイントフォーのメンバーって、ほぼ全員がヘアヌード写真集出してたような?
学校一の美人でも芸能界入ったらパッとしないでヘアヌードで消えて行く人も多いよね。
三原順子もヘアヌード写真集出してたけど今じゃ先生でエラくなったね 友人の同級生だけど、それこそ他校から見に来る位の美人だったのに芸能人になったらぱっとせず
挙げ句の果てにAV落ちをリアルで見た
サバイバルは大変だ
>>87>>90
嘘よ。その頃サルトルはとっくに死んでる サルトルとボーボアール、この二人の関係がやたら持て囃されていたのも昭和よね
昭和のリケ女だったけれど、夏になると教室に異臭が!
何日も同じTシャツの男子が居た。
家でその話をするとおっとり型の姉が
「同じTシャツを何枚もお持ちなのよ」と軽く言ってて
一度教室に招待したいと思ったあの頃。
今の理系男子はさすがに臭いなんてことはないわよね。
>>80
ちょうど15年くらい前、ロリポップの契約をしたわ!
いまだに使ってるw
今は変わったか分からないけど(少なくともキャラクターは変わった)
ロゴもレトロな感じだったな ジュリー、埼玉スーパーアリーナでのライブ急遽中止って…
>>92
大学の後輩で親戚にプロ野球選手が2人いるという人がいた
芸能人じゃないけど
兄弟とかではなく遠戚関係らしい >>82
私のいとこが、ダパンプの一茶真似て、脱色したんだけど、明治生まれの爺さんが
本人には聞けずにぼそっと「悩みとかあるんじゃないのか、若いのに気の毒になあ」と
心配してたのを思い出すわ
平成10年くらいの出来事だったような気もするけど >>92
それで思い出した
大学の同級生で美人でスタイルよく家はお金持ちで、本人もかなりイケイケで、とにかく学内でも目立ってた子がいた。
その子が卒業後芸能界入って、ワイドショーのレポーターやってたみたいなんだけど、結局消えてしまった。
ああ、やっぱりあれほど目立ってた女の子でも芸能界は駄目なのか〜と思ったわ。
三原ジュンコ先生は、例の「顔はやめな」の武勇伝とか
コアラとの超ラブラブ伝説とかありながら、今や代議士として新たに年下男と結婚。
やはりそれくらいの烈女じゃないと生き残れないのよね >>100
横アリも半分以上チケットばら撒いたとか >>103
また思い出したおばさんだ
50代だったのね >>100
体調不良かと思ったらそうではなく、契約問題らしい 高畑裕太 高畑淳子
荒木一郎 荒木道子
この親子関係がどうもオーバーラップしちゃう。
母親が偉すぎた反動かしら。
>>108
荒木一郎の事件は、相手側にハメられたものらしい。音楽の才能があってヒット曲も多く今もコンサートをやってる。
あとマジックの本も出版してるし多才
YouTubeにも動画多数 >>106
うん、懐かしいね
学校コントや少年少女合唱隊
ただでさえ光ってるジュリーがドリフとからむと魅力倍増 原田真二は全員集合ブッチして帰っちゃったんだよね
俺はアーチストだ!って
原田が辞め見ちゃったんで 急遽アミューズが不見転で探し出したのがサザン
その後いかりやは桑田佳祐をドリフメンバーに誘ったと言う話
ドリフは元々バンドだったから多才といっちゃ多才なメンバーよね
ブーさんもドリフに入る前からバンド入って長さんに誘われてメンバーになったとか
古参だし大人しい性格だから長さんがブーさんにだけは愚痴こぼしたり悩みを言ったりしてたらしい
今となってはブーさんが一番幸せそう
娘夫婦と二世帯同居で娘さんがマネージメントしてくれて好きなウクレレやって悠々自適みたい
若い嫁もらって気持ち悪がられるメンバーや若い子としか付き合えないメンバーは痛い
長さんといえばアフリカに滞在するドキュメンタリーをやってたな
背が高いしあの顔が勇ましいとかでて原住民の女性にモテモテだった
俳優やっても味があったね
踊る捜査線の和久さん役すきだった
■長さんといえばアフリカに滞在するドキュメンタリーをやってたな
あれは羽仁進・渥美清の影響下の真似である と某作家の指摘
噂真辺りで「闇の子供たち」的疑惑・指摘も在ったが
長兵衛 渥美 共に「闇を抱えた人」であったのは確か
>>114
何の脈絡も無い会場選びだし、日程だし
開演時間だし。
全く観る側の事が考えられていない・・・ あ、でも開演時間は
ジュリーのファンの方達の年令考えたら
これで丁度よいのかな?
ジュリー公演
スタッフの「中止の詳細はホームページにて・・・」とのアナウンスに
「ホームページって一体何なんだあああああ」
って層も多かったらしい
twitterではホール内で原発反対の署名活動をやろうとしてして中止になったとか噂も流れてるわね。
ジュリーもすっかり政治ずいちゃった。若い頃はヤングのアイドルで老いては左翼のアイドルなのか。
ジュリーは「ナチの腕章」装着して歌ってスゲー叩かれたよね
野坂昭如が特に激怒してた記憶
昔のジュリーの映像
飛び抜けて色っぽくて格好いいんだけど
ちあきなおみがちらちらする
最近になるにつれ女形姿の梅沢富美男が邪魔をする
ジュリーは悶えるほどいい男だったわね
希林婆ちゃんの気持ちもわかる
慶応高校の先生ね
でも国費留学したり、その道ではかなり偉い先生になってる
単なる一教師でなく
いかりや長介が最後にテレビでアフリカを訪れたときのパートナーは
いまや意識高過ぎ高杉くんの神木隆之介だった
ドリフ、志村けんが出てくるようになったころ
なんだよこんな若造
と思ってた記憶がある。
瞳みのるは実家を継いだと思っていたけれど
高校もやり直して大学まで行って教員になったの?
>>128
高校は復学して慶応に行ったんだね。
知らんかったわ。 127さんは、
御年80くらいのジッチャンでねーでべか、
>>127
私も始めの頃、志村けんには馴染めなかった
何でこんな人がドリフメンバーとして、全員集合にででくるのかな〜って思った
でも客席からは、子供たちが「志村〜」って声をかけてたから、あ、やっぱり子供は早々と受け入れてるんだなと感じた ああ、とんねるずやダウンタウンやウンナンも志村加入の時は馴れなかったというようなこと言っていたなあ
あの世代は完全に加藤茶ラブだよ
うちはその頃からドリフを見なくなった。
やがて裏の欽ちゃんを見たい私とNHKで刑事コロンボを見たい兄の
チャンネル権争奪戦が始まったw
>>127
あったあった、その感覚
でも今まで何十年も、その記憶を忘れてたw
私もまだ小学生だったけど
いきなりメンバーが変わるということに
慣れてなかったのかもな 最初は、志村の動きとかギャグなんかもあまり好きになれなかったし、新井注さんのあの独特の味が懐かしかった
でも、だんだん見てるうちに慣れてきて、結局ドリフはずっと見てた
確か途中で裏番組にたけし&さんまの番組ができて、そっちに視聴者流れたんだっけ
でもウチはずっとドリフだった。
その後、もうばか殿なんかは大好きで欠かさず見てた
ばか殿には由紀さおりとか松本典子(野球の苫篠の奥さん)とか出演してたのも懐かしい
ここで聞いても良いのかわかりませんが、わかる人いたら教えてください
1970年代くらいに青春ドラマに出ていた女優で、バストが大きくて笑顔が耐えない人の名前がわかる方教えてください
たぶんそんなにメインではなくチョイ役だと思います
鶴ひろみ みたいな名前です
昨日から名前が思い出せずモヤモヤします
>>137
わー素早いレスありがとう!
そうです!鶴間エリさんでした
あースッキリしました。本当にありがとう 私も名前が思い出せない俳優さんがいる
名前に内の字があった
主役級ではない
眉毛が太くボンボンみたいな人
>>139
内田喜郎さんかな?
岡崎友紀のラブラブライバルでボクちゃんと呼ばれてた >>140
ありがとうございます
その人です!
そうです
岡崎友紀のドラマに出てた人です! 自分も好きだったわ、
奈良富士子の「美人はいかが」に出てたとき、毎週見てた
あと大河の平清盛に出演してた、確かその時内田よしろうの弟が郷ひろみw
志村は最初2年は
「誰だよコイツ笑ってやんねえぞ」と言う子供等の空気に苦しんだと言って居た
今でも悪夢に見るらしい
ジュリーは新幹線で「いもジュリー」と言われてキレた
と言うのは嘘で本当は「京都の在所の事」言われてキレた
98年か99年
上司に新宿厚生年金会館近くのビルの地下のシャンソンバーに連れて行ってもらった
上司が東京の大学に入学してから30年通いつめていたお店で、マスターであるムッシューを父親のように慕っていた
お店の若いスタッフ男女がショータイムになるときらびやかな衣装に着替えて、ステージでシャンソンを歌う
ムッシューが全部日本橋に翻訳していて、日本語シャンソンに拘りがある模様
日替わりゲストの月間予定表を見たら、何故か山本リンダの名前があった
お店はその数年後にムッシューが亡くなって息子さんが引き継ぎ、経営方針も変わってしまったようで、今もあるか不明
シェルブールだかシャンパーニュだか、そんな店名だった
志村けんがドリフの正メンバーとなったのは昭和四十九年1974年4月
大驀進のきっかけとなった東村山音頭が初めて唄われたのが
昭和五十一年1976年3月のことであった
じゃあ>>145さんの二年間というのは
>>148さんの東村山音頭までの期間だったのかもね
私も確かに、「誰だよこいつ笑ってやんねえ」という排他的な目で見てたしw 志村の演るボケ爺婆は
厳格だった教員父が
教頭昇進の日に交通事故で頭打ってエロボケ爺に堕ちちゃった事実をなぞってるらしい
鶴間エリってスクールメイツ出身よね
スクールメイツって、ドリフ大爆笑その他でいつも踊ってたグループ
今もあるのかなと思って調べたら意外な人たちが在籍してた
布施明、森進一、あいざきしんや、キャンディーズ、清水クーコ、ホーン・ユキ、高橋真梨子、水島裕、等々
学生時代、バイト先で知り合った6歳年上の主婦バイトの人が元スクールメイツだった
昭和34年生まれの人で、高校時代、年子のお姉さんと二人で入っていたそうで、
キャンディーズとか西城秀樹の後ろで踊っていた話を聞いた
キャンディーズとは同じバスで長瀞に行ったことがあるそうで、
スーちゃんとミキちゃんはノリが良かったけど、
ランちゃんは少し年上でひとりでバスの中で本を読んでいたそうです
その人は毎朝品川駅のホームで、ずうとるびの誰かを見かけるのが楽しみだったと言ってた
>>147
まだあるよ、そのお店
バス停の前にあるからバスの中から見えるの キャンディーズの蘭ちゃんは日大の芸術学部で1年生の時は大学に来ていたな。
それほどまでは忙しくなかったのかしら?
来ていると誰からというのでもなく「今日は蘭ちゃんが来てる」とすぐに伝わっていた。
当時はAVも無く
各大手芸能プロが別会社名で脱ぎ・枕要員を供給していた
スクールメイツから・・・
と言うのも在った
岡本富士太夫妻は家を買う番組でしか知らないけど、結局買えたの?
バブルの頃で、凄く立地が悪くてもなかなか抽選に当たらなくて
かなり長く放送されてたような
ドリフは見始めた時から志村がレギュラーだったから逆に加藤茶に違和感あった
志村が絡まないと笑ったことない
いかりやが未亡人で貧乏子沢山の話好きだったな
ぼろ家の雨漏りやたらい落としやベタなネタの繰り返しなんだけどね
8時のほうはゲストは歌手だったけど大爆笑だと有名女優もいて意外とコメディも上手だったりしたよね
白川由美とか
時間ですよの再放送観てると
風呂敷が良く出てくる
物をぽんぽん入れてかばんのように使ってるわ
風呂敷、便利そうで使ってみたくなった
>>154
叔父が上智の学生時代に何度か南沙織を見たと言っていたのを思い出した
すごくちっちゃくて黒かったと言ってた記憶
女子高生だった叔母は原宿のセントラルアパートにあったミルクから南沙織が出てきたのに出くわして
友達と「南沙織!南沙織!」と言ってたらあっという間に人だかりができて
南沙織は走って逃げて歩道橋のあたりに止まってた車に乗り込んで去ったそうだ
当時のファンは無作法だったんだな、身内が迷惑かけてすみませんでした。 三船敏郎は「子供生まれました!」と黒澤邸に
風呂敷に赤子を包んで持って
虎屋の羊羹じゃないんだから!!!wと笑われた
美佳じゃないよ 正妻との長男
こういうワイルドでおおらかなスターはもう出ないね
南沙織はものすごく気が強くて扱いが大変だったらしい
大学はインターからそれ専用の学部だから当時は大変ではなかったと思う
バイリンガルで育ったから英語はもともと得意
日本でもなく沖縄でもないエキゾチックな雰囲気が魅力だったね
そこで思い出したけどうる星やつらのラムちゃんがアグのモデルになったネス・ラム
改めて当時の画像をみるとめちゃくちゃかわいい
ぽちゃぽちゃっとしてるのが贅肉じゃなくて肉なのがいい
当時兄の部屋にアグネスラムの大きなパネルがあった
どこかのメーカーの非売品じゃなかったかな
まだあったら高く売れそうw
西城秀樹が死んだ時
たけし「実は接点があまり無い」
たけし さんま タモリがビッグに成る以前 昭和は
お笑いは歌手より格下 と言う厳然としたサべチュが在った
「たのきん全力投球」でたのきんが
新御三家に倣って
「おい!お笑い共!」と言う態度で舐めて来たので
おいらがグッと〆てアトラスを変えた
と たけし
ジュリーも志村以外 お笑いビッグ3とは接点少ないだろう
アグネス・ラムは顔が日本人好みだったのだと思う。
黒髪で顔が小さく可愛くて、それとはアンバランスな肉感的なボディが受けた。
男性だけではなくて女性にも好かれた。
ちょっと見劣りはするけれど同じタイプだったのが若い時の宮崎美子ではないだろうか?
クリ約 に斉藤哲夫が出た時は
会場全体が「誰 このショボいオッサン・・・」と氷結 こっちもヒヤッとした
小田が こうなると判ってた・・・とばかりに
♪今の君は ピカピカに 光って・・・
とワンフレーズだけ歌い 皆 あああーこういう人か・・・と
>>162
>どこかのメーカーの非売品じゃなかったかな
クラリオンだね。
アグネスラムが大人気だったとき「すさまじい爆乳だ」とおもったんだけど
今見ると普通の巨乳。
そしてラムたんのはさすがに天然ものだろうとおもったら、巨乳評論家となった今
肥えた目でみると入れ乳なのがよーわかってちょっとがっかりw レースクイーンで、両腕を上げると脇に手術跡がある人がちらほらいた
>>154
学生時代キャンディーズファンとしての石場滋にもし会っていたら参詣できるw 宮崎美子だよね?
ジーンズを脱ぎながら水着になるの
宮崎美子に顔が似ててジーンズを脱ぎながら水着になるモノマネをしていた落語家は
宇名とと という500円鰻丼チェーンを創業
そう言えばさんまが出てくるまではお笑いBIG3と言えばたけし・タモリ・欽ちゃんだった
いつ頃入れ替わったんだっけ
欽が凋落 さんまが上昇期の頃
さんまは
「55号の頃の萩本さんなら土下座しても教えを乞いたい
今の萩本さんに興味は無い」
とdis
ってたなあ
>>173
今の社長と面識があるのでビックリしてwiki見たら、一度倒産して買収されてた >>159
南沙織が赤ちゃん連れて買い物してるの見たことある。
渋谷の西武百貨店で。
赤ちゃんていうか1歳半くらいだったかな、外国の子供みたいに髪の毛がふわふわカールしてて、何とも言えず可愛かった。
ちょうど渋谷の109ができる前後だから随分昔の出来事 >>162
>それ専用の学部
確か、上智の比較文学部とかなんとかって名称じゃなかった?
あの頃多かった
アグネスチャンとか
篠山紀信の最初の奥様のジューンアダムスってモデルさんもそこの学生だった >外国の子供みたいに髪の毛がふわふわカール
お父さんの髪と同じなんだねw
篠山紀信って隠してるけど元々落語家だったのよ
だから口は巧い
欽は凋落したのではなく全盛期に身を引いたんだよ
これからはプロデュースんほうに力を入れていきたいって
わたしは子供だったけど「なぜこれだけ人気なのに?」と思ったんでよく憶えている
前のほうで、佐藤公彦さんのことを思い出させて下さったかた、有難うございました。
深夜放送なのに大人ぶって、あおい君と佐藤クン を時々聴いていたような気がします。検索しましたら、昔の放送を一部聴くことができるんですね
懐かしかったです。
佐藤さんのご冥福をお祈りします
>>178
比較文化は当時は大学ではなくて専門学校。
南沙織も安藤裕子もみな最終学歴は専門学校ね。
アグネスはそれを知って退学して留学した、あの人学歴信奉者だから。
今は学部になったらしい。 白い巨塔
は財前を娘婿にとってパトロンと成り
医大で出世させようとする老獪な町医者が
自称「女のドブさらい」=堕胎医 だったと言うのがミソ
TVドラマじゃ表現無理だな 特に岡田版では
>>157
いかりやってあの生放送当時結構年齢行ってたんだよね
それであの体張ったギャグとか、今の大御所wじゃありえない芸だよね
何はともあれ、いかりやの凄さがあの番組を支えているよね 全員集合放送翌日 日曜15時から反省会と次週のリハが始まるが
毎回いかりやを中心に咳1つ出来ない張り詰めた空気だった
と放送作家
「いやりや」とは「怒り屋」ってゆうあだ名か芸名みたいなものかと思ってたら
本名が碇矢だったので驚いた
昔、取引先にぬかりやさんて方がいたわ、確か粗忽谷って漢字。
ジューシーフルーツのイリアの本名が入谷というのはガセ
>>161
田宮二郎にも似た逸話がある
長男が生まれた時にバッグに入れて
そのバッグを自転車の駕籠に乗せて
大映の永田社長に見せに行った
それが今の柴田光太郎 >>183
あおい君と佐藤クン、あと、ラジ関(ラジオ日本は、ラジオ関東だった)の「Oh! シンディー」てのをケメ目当てで聞いてたなー。 >>187
長さんの怖さは伝説だもの
島田紳助なんてその伝聞だけで怖がっていたもん
古館伊知郎が全員集合のリハ現場にレポートいったときセットを壊してしまい、
長さんから怒られていたけどすごく怖かったわ
カメラ回っているからあれでも抑えていたんだろうけど
まあでもそれくらいの厳しさがないとあの過酷な生放送はこなせないね >>158
富永一郎先生が描く泥棒は唐草(カラクサ)模様の風呂敷にほっかむりという出で立ち。←古典的姿だけど今は廃れた
最近は百均で可愛い柄の風呂敷を売ってるね >>194
ギャラの配分がものすごく偏ってるwとか
ドリフの威勢のいいお風呂屋さんで
メンバーが楽しそうに長さんを日頃のストレス発散で
手荒に洗ってるのが本当に楽しそうなのが好きw ドリフのサブレギュラー?みたいな立ち位置の、ひらがなの名前の人いたよね
注さんのあとあの人が入るのかなーと思ってたような記憶があるんだけど
時期的に合ってるのかしら
>>196
ドリフだけが偏ってたわけじゃなく、リーダーがごそっと取って残りをメンバーで分けるのは昔のバンドの習慣なのよ
>>198
すわしんじでしょ。ブルース・リーの真似してた人 昔のバンドマンは893だった 田辺社長なんか今もそう
日劇地下のボイラー室は絶叫届かぬ「リンチ室」だった
ボーヤは奴隷
ボーヤ時代の志村は靴が買えず小道具さんから貰った草鞋で一年過ごした
メンバー加入の儀式は正座して全員から小便掛けられて飲む
クールス加入儀式で
ボーヤだったィ横山剣はジェームズが履いていたブーツにウオッカ1本注いで
一気飲みさせられた
>>201
おっさん、昨日からドリフに関して10連投くらいしてるけど、詳しいていうか、元はドリフとか、芸能事務所のスタッフか何かだったの? >>160
ほんと親子ほどの年齢差。
このごろはよくあるけどおじいちゃんとの結婚は
気持ち悪いわ。
篠山って何回目の結婚? >>185
ふーんよくわからないがそうなんだ、
実はたいした内容ではないんだね?
風と共に去りぬみたいだな、
あれも内容は浅はかでうすっぺな主人公の物語で
わらったわw
大したことなくって。 >>204
ヴィヴィアン・リーは「こんな雌犬みたいな女の役は嫌だ」と言ったのをなだめすかして撮ったんだと 「風と共に去りぬ」
スカーレットがお酒の匂いを消すためにオーデコロンを飲む場面があったよね。
うぇーっと思った。
>>177
今、タレントをしているね。
結構普通の男性だと思う、見た目も性格もw >>198
長さんは豊岡豊さんって年配の人を後釜にしようとしていたらしい
楽屋では超絶面白い人だったと
でも加藤茶の強い推薦で志村けんが加入した
これはこの前、たけしと加藤茶が旅番組したときに明かされたエピ
すわしんじは高木ブーの付き人だったから運悪かったのかもね
長さんは志村・すわの体制で新生ドリフを考えていたみたいだけど(自伝『ダメだこりゃ』より) >>201
剣さん、この一件で酒が飲めない体質になっちゃったんだっけ?
アルコール分解出来ない体質の人だったらこれで天国行きだわ 風と共に去りぬはポリコレリベラル勢力から槍玉にあげられて
再上映するのすら厳しい状況らしいよ
白人と黒人、男と女、北部と南部という因縁てんこ盛りの作品だから
風と共に去りぬは風景、雑貨に目が行ったわ、
年代物で貴重かも。
剣さん、前に地元のデパートのエスカレーターで遭遇した事があったな。
ファンの人に話しかけられて
「いーねっ!」と例のポーズをしながら
エスカレーターを降りて行くという
場面だった。
それ見て、いい人だ〜(^_^)って思った。
>>158
大玉のスイカを丸ごととか、お酒の一升瓶とか
風呂敷専門の包み方を覚えると見映えもいいし持ち運びも便利よ >>212
似たようなシチュエーション(デパートのエスカレーター)で出会ったのが、俳優の清水章吾さん夫妻。アイフルのチワワの人と言ったらわかるかしら。
思っていたより小柄な方だった。といっても、随分前だわ、ちょうどチワワのコマーシャルの後くらい
奥様は外国人よね。ご夫婦で都内のデパート 子供の頃、その清水章吾さんが「近所の章吾お兄さん」役で出演するドラマを見てた。
調べたら「グーチョキパー」っていうホームドラマだったわ。
両親が小山田宗徳&中村メイコ、その娘がジュディ・オング、…
まだジュディさんが15.6歳くらいだったかな…ポニーテールだった?記憶
東村山音頭の面白さは今の人に理解出来ない 当時はウケた と言うしか無い
昔は東大の落研がTVに出て
「人生最大の価値は学歴でーすー!なーんちゃってwww」
と言うと会場大爆笑だった
最高学府がおどけている事が面白かったのだ当時は
東大生だった村上ファンドがせんだみつおに弟子入り志願したのもこんな空気からだった
昨夜トップ女子プロレスラー小畑千代見かけたが杖なのな
「機会があったら、リングに上がりたいと思っている。
『私は引退じゃないもの。永遠に引退はしないと思った。死ぬまで現役よ』」
(『女子プロレスラー小畑千代―闘う女の戦後史―』
秋山訓子、岩波書店、2017年5月26日初刷)
と主張してるからまだ現役 頼もしいぜ!
http://blog.livedoor.jp/kingaron/archives/50831402.html
浅草歩るってると「実話時代」に載ってる人をよく見かけるが
こん人も最初ソッチ系の男性だと勘違いしていた
LGBTとか眠い事言ってんじゃねえぞ と言う異次元が漏れ出ている 昭和の終わり頃
「なめんなよ」学ラン着た猫が流行ったよね
>>219
大きく分けると終わり頃になるのかわかんないけど、
なめ猫は1980年くらいだから、その頃小学生〜20歳くらいの人にとっては
「昭和の終わり頃」カテゴリーではないかもしれない
既に大人の人にとっては、10年前後は全部一緒くたの可能性あるけどね 昭和時代に会ったのは新幹線のビュッフェで由利徹(実は私は覚えてない)
新宿伊勢丹の地下食料品売り場でバーバラ寺岡(ロングコートの裾をひるがえして歩いてた)
赤坂のサクソンで食事中のかまやつひろし(ひとりだったと思う
昭和だわ
昭和40年代が全盛期だった女性歌手が、今は無き数寄屋橋の東芝ビルの1階か地下1階の星花と言う喫茶店でウェイトレスをしていると黎明期の2ちゃんで知った
たまにその店の前と言うか横を通ることがあって、ほとんど中は見えない濃い色のガラスの壁越しに中が気になるようになった
だけど一度もその店を利用することは無かった
東芝ビルが無くなると聞いたとき、真っ先に星花はどうなるのか気になった
女性歌手はテレビでさえ一度も見たことが無い人で、名前も思い出せない
息子のエロ本を見つける百恵の話なんて
昭和世代は知りたくもないし
平成世代は、百恵とその息子の三浦ナントカって誰?って感じだろうし
誰得
>>217
>>東大生だった村上ファンドがせんだみつおに弟子入り志願したのもこんな空気からだった
村上世彰にとっては逮捕されたことよりも黒歴史だろうねw モスバーガー創業者櫻田慧会長は
特殊関係人(愛人)木原光知子宅で脳溢血で急死
木原は元オリンピック選手タレントの嚆矢だった
週刊誌は「複上死」を匂わせたが
しかし関係者は誰も二人を批難しなかったと言う
木原も既に故人
初期の取次通さない自販機エロ本には
「高輪の山口百恵邸のゴミを漁る」と言う下衆企画があり社会問題に成った
編集長は「沙耶の居る透視図」土屋正巳のモデルに成った人物
編集バイトだった黎明期サブカル女学生が今の香山リカ
この話すると香山キレるらしいよ香山w でも知ってる人はしっている
木原は自分の水泳教室に政財界マスコミ界の大物を大ぜい生徒に迎えていたからね。
木原光知子はこないだ死んだ輪島とは日大の先輩後輩の間柄で若い頃は恋人説もあったみたいね
木原と麻美れい(タカラジェンヌ)が大喧嘩したのは…
今日もまたヘリの大編隊がミナミに向かって飛んでいった。
しばしの間の爆音がすごかった。
一体何が起こっているんだろう。
それにしても、最後尾の2ローターの大型ヘリは何のために付き添っているんだろう。
木原さんって熟好きのうちの弟が大好きだったわ
教育テレビの木原さんの水泳番組とか録画していた
私はさほど詳しくないけど上にあるようなことを知ると
色香は隠せないんだなあと思った
木原光知子と言えば、貴花田と宮沢りえが婚約したときに
宮沢りえのことを「処女じゃないと思います」とカメラの前で放言
夕方6時からの情報ニュース番組
>>233
なんのためにそんなこと言ったんだろうw
処女じゃないと駄目な時代でもなかっただろうし
景子さんだって処女で結婚したとは思えないわ >>224
その話は以前もしていて
なんか百恵息子のキャラとも合ってないし痛々しく思えちゃうんだよね
タレント向いてないよね 中尾ミエと森山良子の「おしゃべり泥棒」と言うトーク番組の後で似たような番組やってたよね。
相方はピーターだったかな。
木原光知子は食物オイルのCMに出てたような。
マイク真木の息子、真木蔵人が1988年の高一時、好きなタイプにその人を
挙げてたのが印象的w
回りがジャニーズやアイドルに夢中の頃速水亮や石橋正次が好きな変な子だった
>>238
それの切り抜きを下敷きのクリアファイルに入れてたらネ申。前者はXライダーだね。
後者は不良役多い俳優。
1988年頃、「スクールウォーズ」に出てた滝沢先生に学校の様子を教えてた教師役の
三浦なんちゃらっていう俳優を好きって子がいたな。 >>226
> モスバーガー創業者櫻田慧会長
創業者の方の生誕地が実家近くだわ
崖を背負った、古く日当たりの悪い家が昔は料亭だった、と人づてに聞いたのは幼少期
雑誌「サライ」に影響され、あの趣深い建造物は!と興味を持ったのが平成始め
今はもう無い
綺麗な芸者さんらが出入りしてて華やかな憧れの場だった、と戦前生まれの父は言う
以前興味あって調べてみたら、大正時代の地図では町外れの「カフェー」だったな 中学生の頃、石橋蓮司や蟹江敬三が好きだった。
櫻社とかを知ってたわけではなく、ドラマを見てて惹かれるものがあるのはそういう人が多かった。
あ、草野大悟とかも好きだったな。
私の下敷きクリアファイルの中身はおぼっちゃまだったわw
軍団のコンサートで中野サンプラザ行った思い出…なくなっちゃうんだよね、あの建物
岸田森と悠木千帆なんて天下の奇人カップル扱いで週刊誌賑やかしていたのに
蟹江敬三 阿藤快 地井武男は散歩してるだけで110番される怪優だった
特に蟹江は酷かったらしいw
駆け付けた警官に「またお前かあ」と言われる始末
何もしてないのにw
後にこの3人が散歩番組持ったのもこういう苦労経て得た境地だろうな
わしゃ石橋蓮司が一番怖いけどね
石橋蓮司は緑魔子と結婚しているのだったかな
緑魔子は幼心に不気味な見てはならないような怖い人だった
きれいな人だけど怖かった
最近ふっと加勢大周騒動を思い出した
本家加勢と二代目加勢は二人ともとんとみないけどどうなってるんだか
二代目が改名したのは覚えているが、どんな名前かも思い出せん
さんまの元女マネージャー?が巨人の駒田が1番カッコいいと。
みんながみんなジャニーズその他若いタレントが好きなわけじゃ
ないわな。アイドル時代の斉藤由貴は根津甚八だの藤竜也だのを
挙げてたな。
>>245
詳しいわね
あたしもうっすら覚えてる
石橋蓮司と緑魔子の騒動 >>248
自分は昔から野球選手が好き
結構いろいろ追いかけてたわw 緑魔子の顔が怖いのは滅多にいない四白眼だからなのよね。
黒目は大きいだけで可愛いのよ。
(逆だとそれだけで怖い)
意外とだいじなのよ黒目の大きさって。
綿引勝彦がおはなはんの樫山文枝と結婚してると知ったときは驚いた
今は人のいいおじさんだけど、昔はコワイ顔で悪役ばっかりだったから
>>247
それだありがとー
いまどうしているのかなあ?あの二人 >>250
カープの高橋慶彦の人気は異常だったね。 >>25
ウケた!ヒーローキャリーと言うグループらしいですね。 顔面凶器こと小沢仁志が商社マン?役やら警察官やってた時の違和感は異常。
>>242
おぼっちゃまってセピアの?
懐かしいわー >>236
お喋り泥棒の熱心な視聴者がマツコデラックスだった
それでMXテレビの「5時に夢中」という人気低俗番組にマツコがミエを推薦して今レギュラーになっている >>236
両方見てた
もう一つは、ピーターと木原みちこ?よね。でも題名と司会の組み合わせが何となくごちゃごちゃになっちゃう
楽しかったわあのトーク番組
今はお笑い芸人絡みのトークが多いけど、あの2つは適度におしゃれで適度にくだけてて、しかも毒もあった 緑魔子は数年前NHKの地方生中継に一般人として映ってて脱腸した
>>257
たけし軍団でしょ
水島新司の息子ってピース綾部に似てたわ >>261
そう たけし軍団セピア
誰なんだ吉武とか大阪百万円とかのやつ >>261
ってことは金子昇とも似てるってことだな おぼっちゃまの2人もフライデー襲撃事件に参加して逮捕されたんだよね
長嶋の方は20歳だから名前が出たけど水島は未成年だったから少年19歳って載ったんだっけ
シメサバあたるだかひかるって人若くして亡くなったよね
あとバター犬太郎はダンカンが酷いイジメして自○したって噂がある
ダンカンてわかりやすい人格障害だよね。
いい年して武の金魚の糞のくせしてなにえらそーにしてんだかw
>>265
いつの間にか事務所の取締役になってるから、(何らかの)実力はあるのでは
お笑いというよりは放送作家だよね そういや、サンプラザ中野ってどこ行ったの?
昔は聖飢魔Uとか米米クラブと同じくくりだったのに
印税生活かな
>>268
スピ系に行った
ホメオパシーの医師資格(民間)とったりして活動してる
この資格取得自体もかなり高額なので、他にもなんかやってるんでしょう サンプラザ中野とウタマルの見分け方
痩せこけて貧相なのが中野
がたいがよくて態度がでかいのがウタマル
スピ系、なるほどね
娘に変な名前付けてたけど、あのお子さんももう30代かな
宇多丸って精神病院の息子のラッパーだっけ
ラップも現状は日本に定着したといえるんでしょうかね
井手らっきょは円形脱毛症になったから剃ってたらしいけど、サンプラザも?
「ランナー」がヒットしたぐらいの頃、早稲田を除籍されて(8年生?)ステージで
卒業式やってた@サンプラザ中野くん。
芦田淳が亡くなった
芦田淳の顔を思い出そうとすると芦田伸介が出て来て邪魔をする
生まれる前のドラマだけど芦田伸介といえば「七人の刑事」
んーんー んんんんんんんー♪
これを歌うと発声が良くなるんだな
>>277
低温のハミングね
最後、目がぐるぐる回るところがすごく怖かったわ >>278
お兄さんの娘だったよね
一緒に出家してた子はやっぱり医師になっているのかな >>242
中谷彰宏が売れる前のサンプラザ中野くんの近くに住んでたって著書で。学部は違うも
スキンヘッドが印象的だったんだろうね。 いやー、昭和スレでも芦田伸介をよく知らない人たちが結構いるんだねー
昭和の専業主婦は一日中自宅でテレビにしがみついていた。
だから 「芸能ネタ」 しか覚えてない。
坂本一生と工藤兄弟の殴り合いの喧嘩なんてのもあったね
>>286
おたく、ここに粘着してるけど、しつこい上にピント外れ
ここで一番芸能ネタ書いてるのは彦根のおっさんでしょ
一時期消えてたけど、最近また毎日芸能ネタ投下してる >>286
昨日で言えばID:ltj06nbP0
これが彦根の老オカマで6レス 専業主婦が淫靡なんて最近の感覚じゃないの
昔はそれが当たり前だったんだし
むしろ昔のポルノでは団地妻とか多かった気がする
>>279
そうハミング
志村の刑事の取り調べコントで、取り調べ官役の志村が
んん〜んんんんんん〜♪って自分で低音ハミングしながら被疑者の前に現れて
「BGMの予算がねえんだよ」とかいってて大笑いしたことがある
たぶんそういので七人の刑事をおぼえていった 志村けんがバカ殿で由紀さおりが腰元で
殿「そなた年は?」
由紀「・・・15でございます」
殿が刀を抜く、ってお約束ネタが好きだった
淳子の「アタシってだめな女ね」とか、
ワンパターンなのがわかってるのに笑ってしまう
あたしゃこの道○年だけど中風でねぇーと手が震えて耳も遠い志村が酒を飲んだら数秒だけ昔の勘を取り戻し別人のようにハキハキ仕事するのに
すぐにまた元に戻るの繰り返しのコントも好きだった
お触りバー百恵のマッチ
あれを志村のスーツのポッケから発見した桜田淳子が
淳子「バー百恵、貴方こんなとこ行ってるの? もう、どうしてくれるのよ!」
志村「(チャララーン チャララ チャリャララーン)あたしってダメな男ね……あなたの夫でいる資格なんてないんだわ」
>>295
それって元々はクレージーキャッツのネタのアレンジよね。
ハナ肇とザピーナツがシャボン玉ホリデーの中でやってた中風の親父と孝行娘のコント。 ドリフ解散後のカトケンだけの番組はメイン二人ならさぞかし面白いと思ったけどつまらなかったな
視聴率はよかったみたいだけどほとんどみなかった
漫才ブームで面白いお笑い芸人たくさんでてきてそっちばかりみてた
>>297
シャボン玉ホリデーの終わり頃(番組の最後のほう)のネタだったわね
あとっつぁんお粥ができたわよ
いつもすまないねえ
それは言わない約束よ
………そこへ植木等が登場ハラホロヒレハレ………
そしてエンディングで、ピーナッツの歌うスターダスト
あの様式美みたいな流れ、懐かしいわ〜 >>298
視聴者投稿ビデオのさきがけなんだっけ
ごきげんテレビ ザ ピーナッツは、お二人とも亡くなられたよね
寂しいよ。
>>298
やっぱりいかりやいてこその面白さだったんだよね https://www.news-postseven.com/archives/20140531_258633.html
>そこで両親、長姉夫妻、弟、付き人、8人で始まった生活は喜びや悲しみとともに姿を変えた。結婚、出産、離婚、そして両親の死。いつだって姉妹は一緒に分かち合い、乗り越えた。ふたりで建てた家には、そんな思い出がいっぱい詰まっていた。
ジュリー、これは息苦しいねwジュリーの不倫が非難されていたけど
ジュリー息子って独身なのかな?
双子は、ひとりは結婚引退で子育てに専念だけどもう片方は、独身でしょ
売れてた頃の蓄えで悠々自適だったんだろうけど
独身、無職って毎日何して暮してたんだろう 根津甚八や藤竜也?
あのあたりのよさが、全然わからなかった。
ま、子供だったからだろうな。
っていうと、おば様に人気の俳優が売れたってことだよね。
中風の親父と孝行娘のコント
中風・・・ヨイヨイ・・・手をヨイヨイさせてたがアレはもう放送出来ない
>>305
姉妹がいつも一緒で沢田と結婚しているときも入り浸っていたらしい
その頃の沢田は忙しくてほとんど家にいなかったから子育ての手伝いもやってくれてたらしい
離婚後は一緒に暮らしていたらしい
妹が亡くなったあとは息子と同居していたという記事を読んだことある
息子も叔母は母親みたいなもんなんじゃないかな
両親も早死になら早死に家系なのね >>306
藤竜也は70年代後半に、いい男の代名詞だったね
「愛のコリーダ」があったのに 「愛のコリーダ」は欧州中でTV放送され
藤起つ也のプリックディックに皆退いた
現地の日本人子女で「コリーダ!」とイジメられた子も多かった
スペインの帰国子女も
「藤起つ也のチンコでおちょくられた」
松田英子は脳腫瘍で死んでるみたい
>>305
俗に言うマスオさん状態でしょ
まあ、そんなに珍しくはないと思うけど
ぶっちゃけひとりの人(配偶者)と長く暮らすって無理があるわよね
でも一般庶民は忍耐強くするカップルが多いけど、お金がある人たちは慰謝料でも養育費でも桁違いに払えるから、離婚も多くなると思うわ 隣組でご近所の奥様方と防災訓練したのが懐かしい。
寝る時には枕元にいつも防空頭巾を置いて寝て居たのが思い出。
昔、女優大谷直子が雑誌に書いてた
『芸能界に離婚が多いのは、芸能人にはお金があるからです』
>>315
不倫離婚日常茶飯事な業界で働いてた
40才で奥さんが三人目なんて珍しくない
すごい人は43才で奥さん4人目
三番目の妻は夫が別の女とクラシックのコンサートに行っただけで離婚突き付け、
スムーズに億の豪邸と慰謝料と養育費ゲット
再婚したい相手はいないけど離婚したい同僚が、
「離婚できるのは財力があるから」と僻んでいた 大谷直子がいくら稼いでも全部清水紘治が演劇に溶かし込んでしまっていたんだよね
>>315
妻=女が一人働いて食えるからでしょ。
食える代名詞看護婦も離婚多いわよ。
私の母も仕事はじめて食えるようになったら出て行った。 清水紘治ってビーバップハイスクールと勘違いしてた
だから話の流れが分からなかったw
>>307
1分間に何回までは「よいよい」してもいいというルール(何回かは忘れた)が決められていてADが時計を見ながら「よいよいキュー出し」をしていた
と聞きました(www.jiko.tv) >>318
昔から旦那より収入あるけど
女の道、妻の道に反するから離婚はしないよ
どんな男でも女よりは上、夫には絶対に尽くす
男と女が対等だと勘違いしてる人? 女優、教師、公務員、医師、弁護士、看護師、美容師は見切りつけたら離婚が早いと言われる職業よね
でも南田洋子とか中村玉緒は離婚もせずえらいわ
浮気され放題、金使われ放題、南田は義親の介護までやったらしい
>>323
確かにね特に教師でも教頭とかいわゆる管理職になったら旦那どころかあれだ、結婚そのものが邪魔になってくるだろう
特に地方とか単身赴任必須の県の場合は 昭和の公立中高なら「あのセンセ離婚してんで」と欠陥者扱いだったなア・・・
いまは知らないけど昔は若い女教師が男子校や男子クラスの授業をすると
もう完全に性の対象としておちょくられ放題だったと、教師の知り合いから聞いた
>>321
なんで>>318からそこに飛ぶのかわからないw
生活力がないから横暴な亭主でも我慢してるパターンが多かったんじゃないの?
今はだいぶマシになったけど。
昭和のころテレビ人生相談で福富太郎が
「相談者が美人なら別れろといい、ブスなら堪えろ」と答えるといってたw
美人なら水商売もできるし再婚相手もみつかる、とか。
主婦が離婚しても働き口なんて水商売しかなかったのよ。 私の母は生活力があったから自分で商売始めて、軌道にのったらでていった。
とばっちりで「こっちはエライ目にあったわよw
(今でも会ってる)
>>327
ホステスもあえてややブスめの子持ち離婚女性を採用したんですってね
後がないから頑張るって そういえば昔の水商売の人たちって写真や画像でしか知らないけど美人があまりいなかった印象
ここ20年くらいじゃないかな、キャバクラやAVにアイドル顔負けの容姿の人が来るようになったのって
何か平成になってからいろいろと社会のタガが外れたから
昭和50年代、小学校時代の担任は離婚して娘を一人育てているシングルの女性だった
経済的にやっていける様子を見て、完全に女は手に職だとすり込まれたなあ
親もそんな担任をほめてた
同じクラスだった女子はみんな教員や薬剤師、看護師、医師などになってる
幼少期にすり込まれた感覚って凄い
離婚している女性も多いw
>>327
福富太郎センセイ!懐かしいわー理屈抜きの、キャバレー経営で培った人生訓をきかせてくれたわねー
ああいう人が一番世間を知ってるわ、ちょっと偏向してるかもだけどw おためごかしは言わなかったわね>太郎ちゃん。
昭和50年代ぐらいまで中年のブスには仕事がなかったのよ。
昭和のストリップ小屋にはブスしかいなかったそうだが、
平成になってからはストにもAVにもとてつもない美人が参入してきているらしい。
>>331
これ一見何でもないような文だけども、要するに小学生女の子が担任女教師を、1人の女として見てるという事だよねww
女の子はいつの時代もませているよねw
5時に夢中で母親が教師をバカにすると娘もバカにすると言っていたけれども、案外小学生の娘自身見抜いているかもw >>336
女は怖いよね。
高校時代に担任が(昔の)教育大出のブスだったのですが、旦那は教育大の(昔の)助教授で
担任曰く「色々な人にプロポーズされたけれど1番将来性がある人を選んだ」と偉そうに言ってたな(笑
女子高だったので「あんなブスが結婚できるのだからクラス全員みんな結婚出来るね」と生徒が言っていたのは担任は知るまいが
今思うと旦那が助教授しか自慢できなかったのか?と可愛そうに思うわ。 小学校3年か4年くらいの時、
担任の女の先生がお腹が大きくなって(モチ既婚)、教室でいつもつらそうにしてたの。そのうち産休に入って別の女先生がきた。
元の担任は生徒からめちゃめちゃ好かれてたし、クラスも明るかったけど、やっぱり産休の先生に変わってからクラスもちょっと雰囲気変わったの。
私も新しい先生にはあまり馴染めなかった、別に悪い先生ではなかったけど… やはり途中からって難しいわね
いきなりだけども
メイクって時代をモロ反映してるでしょ
けど、昭和設定の映画やドラマでリアルを感じた事は一度も無い
やたらと重いヘアスタイルや「染・め・ま・し・た!」って色のカラーリング
ドーラン塗ったみたいな、素肌感0のファンデ
高い位置から斜めに入れる、濃いいチーク
やたら艶かしいんだが、何故か浮いてる口紅
>>326
高校の時の音楽の先生は授業が終わると
生徒よりも先に教室を出る人で
私たちは「感じ悪いね」って言っていた。
その後、流れて来た話では
工業高校で教えていた時、先生の態度がムカつくと生徒達が結託して教室に閉じ込めた事が
あったらしい。
以来、恐怖心から授業が終わると誰よりも早く教室から出るようになったと・・・。 >>339
昭和設定のファッションでも同じような感じ
多分雑誌とか見て昭和らしく作ってるつもりなんだろうけど…ものすごく不自然だったり、ダサい服装になってるドラマがある いまBSで再放送している明智小五郎は昭和モダンをきちんと再現していて好き
>>336
そうそう
女の子はいつの時代もこんな感じだよね
親がどうこうじゃなくて、子ども自体がピンとくるんだよね 中学で生徒たちが妊娠中の女教師を羽交い締めにして、
お腹を蹴りまくった事件が無かった?
怖いのは男子のみならず、女生徒も加わっていたこと
それより前に、ひとりの男子生徒が女教師のお腹をナイフで刺した事件があった
中学の教師も命懸け
>>343
ほんとそれw
私自身相当なマセガキだったけども、小4の時に魔女っ子メグちゃんが始まってopを聴いた時は流石の私も卒倒したわw
事実だけどもゴールデンタイムアニメ夜7時から放送のアニメの主題歌の歌詞でねーだろと思ったらやっぱりねと言うか作詞者がその後にヒットした山口百恵のひと夏の経験の作詞者と同じ作詞者だと後に知ってマセガキ的に妙に納得したw
TV子供だからって容赦しなかったけどTVがどんなに規制しようがされようが女の子の本質なんて変わらないんだからTVを規制しても意味ないじゃんと思うw >>344
こういうの見ると本当に生まれつき脳に欠陥がある子が増えてるんじゃないかと気になる >>333
太郎さんと戸川昌子さんのコンビの人生相談最強だったわ
旦那と子供を捨てて恋人と駆け落ちしたいという女性の相談に戸川さんが「男のにおいなんかより子供のにおいのほうがはるかにいいよ、子供から離れちゃダメだよ」と生々しいアドバイスしてたな
更年期で生理がこないだけだと思っていたら実は妊娠していてもうおろせないから生んだのよ〜父親?誰だかわからないのよ〜w
と笑いながら話す人なんだけどね
私が子供の頃も共稼ぎの家庭けっこうあったよ
学童なんてないから鍵っ子
私も母親がパートしてたから週に3日は鍵っ子
鍵っ子はかわいそうと言われてたけどとんでもない
再放送のサスペンス劇場なんかのエロシーンも遠慮なくみれたから楽しかったわw
5時から習い事や塾行ってたし
寂しがる暇もなかった 昭和の時代とか映像でしか見た事ないわ
すご〜い古臭いよね
昭和の記憶が鮮明にある人って
もうアラフォー以上でしょ
>>348
戸川昌子ってシャンソン歌手でもあるけど、実際歌ってるの見たことない。小説とかの分筆活動と、テレビで何か喋ってる姿しか知らないわ。あと、あのパーマヘア
あの頃の「烈女」のひとりよね 福富太郎 戸川昌子 田辺一鶴 マルセ太郎 藤田こととめ デビ夫人・・・
辺りは子供心に怖かったな
異次元から漏れ出た様なキャラ 戦後の貧困と混乱の匂いがした
今もTV出てるデビはバケモノだな
サッチーを「モンスター」と言った人に「モンスタレスでしょ!」と言っててワロタが
こととめは殺されちゃったし
小森のおばちゃまのエロ話がオモロくて
「ジェームス ディーンちゃまの墓石に傅いて居ると墓守の汚い男にバックから強制性交され
あの世からディーンちゃまが求めてくれてるのだわああああ!と逝きまくっちゃった」
「檀一雄センセに原稿貰いに行くと
させてくれないとペンが走らないですよ!と毎度身体まで求められ・・・」
檀ふみとかどういうキムチで聞いてたんだろう・・・
>>342
昭和モダンて具体的にどんなファッション? 私が一番謎だったのは塩沢とき
あの人は何者だったんだろ
>>347
ここなら書けるお昼のワイドショーねw
平日の真っ昼間から性的虐待の女の子の再現フィルムとかとにかくエグかったw私をマセガキに育てた張本人だけども、平日の真っ昼間とは言え夏休みやってて亡き祖母に怒られたの苦い思い出(>_<) >>356
元々は映画やテレビドラマの脇役女優(端役に近い)
独特のヘアスタイルと話でバラエティで面白がられるようになったのだと思う 塩沢とき は東宝の大部屋女優だった
クレイジー映画や社長シリーズとかでよく見る
それと愛人稼業で喰っていた と自分で言ってた
ケンちゃんの「ハタ!のおじさん」丹古母鬼馬二もトラウマ
このスレって昭和と言っても何か時期が偏ってるよね
同じ昭和なのに満州事変や東條大将の話は出てこないの?
>>360
あなたがそれについて思い出があるなら書けばいいのよ?ご遠慮なく。 昭和を語るに当たって欠かす事の出来ないのが、大東亜戦争と陸海軍だからな。
この二つの話題に触れずに、昭和を語る事は出来まい。
塩沢トキの髪型はデヴィ夫人を真似たと言ってた
デヴィ夫人も昔はあんなふうに盛り上げた独特の髪型だった
背が低いので欧米で見劣りしないようにわざと高く盛り上げてたらしい
お昼のワイドショーは夏休み恒例のあなたの知らない世界が楽しみだった
再現VTRがちょー怖い
最後はちょっといい話で〆て怖さの余韻を緩和してくれてた
このやり方ほんこわが真似してる
>>360
思い出スレだよ?
見たことある、それにまつわるエピソードがあるならどうぞ。 昔は辺境のデッチアゲ部族の奇習の出鱈目本「大陸本」が売れた
魔の大陸 悪魔の大陸 とか
大陸書店ってのもあった
魔の河アマゾン・・・猿少女マリア とかね
5ちゃんは昭和30年代、40年代生まれの今の日本での最高のゴミ世代が多いから
時代が偏るのは仕方ないだろう
この間に生まれた奴は男も女も漏れなくゴミだからな
自分の欲望最優先で国を衰退させ滅亡に近づけた超クズ人間世代
>>367
へぇー
50年代生まれの私は何世代になるの? >>367
へぇー
その年代は確かに水俣病とか公害とか、そういうのがあったこと事実だけども、その年代をゴミ扱いするのどうなのかなと言うかその年代に公害起こしてたのは紛れもなく戦前生まれなんだけどもなw 独占女の60分系の人は死んでたり
チョンコスメとかチョンドラマのイベント屋だったりに流れ着いてる
元々そっち系ってのもあるだろう
カニ漁リポートで
足の取れたカニを持って
「人間にもタマにこんな人居ますよねえwww」
と言って首に成った人は今どうしているのか
昔からTVはバカだった
>>372
いい加減にして
自分の専スレでもたてて。ここは既婚女性板 いちばん苦労を知らないのは60代後半から80歳くらいまでの年代でしょう
うちの親もその年代だけど口喧嘩するときは「戦争世代に乗っかっただけの世代」と必ず罵倒している
>>374
アナタは算数と歴史を学んでいないゆとり世代ですね。
1938年〜1953年生まれ(60代後半から80歳くらい)までの年代は、
飢餓や貧乏というものを経験している人たちだよ。 60歳半ばからバブルイケイケな50代がダメ。
ついでに貧乏高齢者も早く死んでくれないと。
5年くらい前の上野のタウン誌に、御徒町駅近くで靴磨きをしているお爺さんのインタビュー記事が載ってた
お爺さんの半生
戦後まもなく中学卒業
集団就職で上京、靴工場に勤務
この仕事をしていても靴職人にはなれないと見切りを付けて、靴磨きに転職
同じ靴磨きの女性と結婚
昔は道が悪くて舗装していないから、靴は泥や埃だらけになりやすく、常連さんが多数いた
家を建てて二人娘さんを儲けた
奥さんが60才のときに友人と旅行に出掛け、帰宅後に倒れてそのまま亡くなる
奥さんの靴磨き場所の方がいい場所だったので、そちらに場所変え
靴磨きは既得権益で新規参入はできない
客層は変わって、昔は中小企業の社長さんとかサラリーマンが多かったけど、
今は中国や東南アジアの女性が多い
今でも月に15万円は稼げるので、生活には困っていない
昼は立ち食い蕎麦、帰りに吉池でつまみを買って自宅で晩酌
家は建て替え費用を出すから同居と娘夫婦にうまいことを言われ、
宛がわれた1階奥の四畳半で生活
娘夫婦たちとは食べ物の好みが合わないので、一緒に食事しない
そんな内容だった
そのお爺さんもここ数年、見掛けない
>>374
その年代を苦労知らずって・・・w
ご両親はよほど戦争特需でいい思いをしたのでしょうか
うちの両親は親を亡くしたり貧乏のどん底を経験してるわ
住み込みで働いてた先では、腐りかけたご飯を食べてたそう
ここまでじゃないにしてもその年代の人達は
今じゃ有り得ない辛さをたくさん経験してると思うけどな >>378
乳幼児期や成長期に食料不足で栄養失調状態の人も多いと思う
その年代の身内に父親が海軍軍人で末っ子が赤ん坊の時に帰らぬ人となって
父がいない家庭というので就職し難いので女の子も国家資格の職業に就いたって >>374
60代後半ではないけれど昭和30年代前半生まれ。
小学校の時はつぎはぎの服を着た子供が居たよ。
衣料品が高かったからね。
母曰く冬のオーバーコートは学卒男子の給料の2か月分だったそうな。
今生きている世代で戦争中に苦労をしたのは昭和1桁だとは思うけれど
それ以降も団塊の世代も楽をして過ごしたわけではないと思うよ。
罵倒するってあなたはどんな苦労をしたのかと小一時間。 戦争といえば朝ドラや終戦記念日は戦争ものやるのがお約束だったけどやらなくなったね
赤穂浪士の討ち入りの日もドラマや映画の再放送やってたけど今はやらなくなった
この前テレ朝前の毛利庭園にいったら毛利家にも浪士の何人かが預けられて切腹したと碑に書いてあった
本望遂げて武士らしく最期を迎えたから成仏してるわよね…
>>374
社会保障面では恵まれてたのかも
医療費の自己負担一割だなんて夢のようだ(会社員) 悪いけど60代後半から80までの世代は高度成長と世界貿易大国の波に乗っただけで自分たちは何の苦労もせず
戦争を経験して戦後復興を成し遂げた世代の功績におんぶに抱っこしただけだよ
一斉に反論されたんで全てにいちいちアンカー付けないけどね
この世代こそ苦労知らずであり、日本が伸び盛りの時代に社会人になったというだけで稼ぎまくり、安定しまくり
悪いけどひるまないよ
徹底討論してもいいよ
>>385
え?74歳から80くらいは戦争はリアルに経験してる世代でしょ?80歳の人は当時小学生中高学年で怖くて辛い思いも沢山してきたんじゃないの
貧困で高校に進学するのも稀な時代で中学卒業後すぐに働いて高度成長期に貢献した人達もかなりいたと
思うし
60代後半は終戦の3〜5年後に生まれた人だから
貧しい生活を余儀なくした人達も多かったと思うよ >>386
74歳が戦争を経験? 昭和18年19年生まれは当時を赤子で憶えていないよ
それに80歳でも終戦時8歳前後
彼らの体験は戦後なの
そして戦後の貧しさも、当時みんな芋が主食なことでも分かるように全員貧しくて
べつに苦労話としてそれほど深刻ではない
団塊の世代のひとはむしろ面白おかしく語る
敗戦を大人として経験した戦前戦中世代の精神的な葛藤と、アラウンド団塊の世代では苦労と精神的苦痛に歴然とした差がある
引く手あまただった就職戦線、企業戦士として世界第二位の貿易大国を支えているという(おんぶにだっこの)矜持、
終身雇用と年功序列、お見合いという慣習による全婚制、年金保障の安定、すべての分野における(幻想も含んだ)安全神話、
アラウンド団塊の世代は親世代と数倍多幸な世代だし、子の世代のような被害者意識ともほぼ無縁 親世代と→親世代と比べ
すいません、長文のため脱字しました
徹底討論って
スレチのうえここ既婚女性以外書き込み禁止
ローカルルール守ってね
>>387
頭おかしいねあなた
あなた米寿くらいかしら? >>389
>>390
頭おかしいのは貴方たちでしょう
明らかに何か自分と意見が違う者にたいして(妄想含んだ)レッテル貼りしているだけで
何をいっても聞く耳持たないって感じじゃん
そもそも反論あるのなら自分の体験の即して自分はこう思う、と書けばいい
対話にもならない煽りレスしているようじゃ困りますねえ 早く寝たら?おばあちゃん
年取ると意固地で絶対周りを認めようとしないよね
老害だわ
>>392
何でおばあちゃん? わたしは前にも書いたように子どもの世代だよ
まさか私が昔のことを語れてるから、自分より年配者に違いないと思ってるんじゃないだろうね?
だとしたら貴方がまわりの祖父母や両親と会話しなかったために自分の半径10mしか知らないことを棚に上げている
私のアラウンド団塊に対する意見に違和を覚えるのなら別意見を貴方が書きなさい
それが説得的なら私は「ああなるほど、そういう見方もあるか」と淡々と納得するわけで
何で貴方がそんなにムキになるのか、病気でないとするなら貴方自身がアラウンド団塊なのかな?w 忠臣蔵って最近はやらないね
大河ドラマでも扱わなくなったような
あれこそ沢山の役者が出せて、いい感じなのにね
主君の敵討ちっていうのが、今のメンタリテイに合わないかなあ
こないだ赤穂市に行ったら、駅前にドーンと大石内蔵助像があったよ
>>395
子供の頃見た日テレ時代劇の
里見浩太朗のが凄い印象的
森繁久彌の吉良に子供心にむかついたw 今何とか持ちこたえてるNHK大河でもキャストは物足りない感があるから
民放だと赤穂浪士を演じられる役者が揃えられないかもね
吉良さんがかわいそうでいや。
大量の愚連隊が年よりをよってたかって殺しに来るとかこわすぎる。
>>397
人数的にもAKBかHKT、乃木坂46でいいんじゃない?
今の男はダメだから歴史も女の子が塗り替えていかなきゃね 今の解釈だと知識と辛抱の足りない若殿様が名君と称されたベテラン殿様からアドバイスされたらキレて殿中でござる、切腹、家臣が逆恨み、夜襲で討ち入り、判官贔屓の庶民の声に忖度した幕府が浪士を忠義ものの英雄扱いを許してしまい今に至るなのよね
浪士は卑怯な無法者でもあるそこを悟られないように吉良を嫌なじい様にされて浪士が苦労に苦労を重ねて討ち入りまでの日々をメインにドラマや映画は作られている
子供の頃親戚から小さな義士太鼓をお土産にもらったけど一体どこのお土産だったんだろう?
>>396
年末時代劇の頃、子供だったなんてお若いのね、30代後半くらい? >>401
なるほど、泉岳寺か
お参り行ってみようかな
前に有名な霊脳者が泉岳寺の浪士たちの墓を霊視してたな
なんの未練もなくみんな浄化してるそう
そのせいか誰とも通信出来ず
墓はとても清んだ空気で清々しいほどだと言ってた >>400
現代だっていろんな事件を面白おかしく映像化したり小説にしたりはあるからね〜。江戸時代の脚本家たちもああいう事件に飛び付いたんでしょうね。
歌舞伎なんかは実際の事件を元に劇化されてるのが多いし、西鶴の「好色五人女」なども実際の事件 を扱ってる。
その中のひとつが「八百屋お七」の話。
意外に現代でも好きな人に会うために無茶なことをする(お七は放火)ってシチュエーションはあるから、世の中そんなに変わってないかも 大阪支店の人と京浜急行のってて「泉岳寺ってきいたことあるなあ、なんだっけ」って
頭ひねってたのおもいだした。
『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)
なんて題名で釣る気満々だもんね
豆≒クリトリス だと皆思うなよ!絶対だぞ!!!!と匂わせてからに
東スポ以下
泉岳寺ってきいたことあるなあ・・・ならまだマシな方
親元が花岳寺のハス向かいなんだけどこっちは全然知られて無いなあ・・・
>>403
怨念は併設の資料館に籠ってる
血飛沫のかかった襖等おどろおどろしい
墓所の方にはお供えが絶えないのと、名優たちの寄進札が見所 中学の課外活動の部活動とは違って、
小学校のときに5年6年生のみ週1回、金曜の5時間目にクラブ活動があった
女子に人気はバトントワリングクラブ
他に覚えているのは手芸クラブ、机上旅行クラブ
多分将棋クラブもあったと思う
バトントワリングがあるんだから、スポーツ系のクラブもあったのかな
あったね。
5年の時は読書クラブ6年の時放送クラブ
DJ?のようなものを給食の時間かけて山口百恵の赤い運命のレコードかけたら顧問?の先生に滅茶苦茶怒られたけども「先生も実は山口百恵のファンだ。でも給食の時間の放送低学年も聞いてるのでリスナー層?をちゃんと考えてリサーチ
?しなければならない」と言っていたw
時期的におよげたい焼きくんとかなら、あれだ、無難だったのかもしれないが、顧問の先生がマセガキの私に大人の事情
?を説明してくれたの妙に嬉しかったw
登り棒で擦れる股間が、私が大人の女への第一歩だった。
皆さんも体験してる筈。
雲梯(うんてい)とか
遊動円木(ゆうどうえんぼく)って今もあるのかしら
最近中学生が石灯篭に登って落下
倒れた灯篭が腹に当たり内臓破裂で死んだけど
石灯篭に登るバカは流石に居なかったなあ 昔は
美術室の天窓に乗って落下死したり
流石に昭和にそれは無かったと思われ
ふと思い出した
私がまだ学生だったとき、先に社会人になった友人に会うと、
みな一様にデパートやファッションビルでは見掛けない素敵なハンカチを持っている
聞くと答えは決まって「千趣会」
夏に会った友のカットソーが素敵で、聞いたらやっぱり千趣会
千趣会へのあこがれが積もりに積もる
社会人になって、個人でも千趣会を買えることを知って、
友だち紹介してもらってカタログゲット、千趣会こんにちは
自宅からの遠距離通勤が辛くなり、アパートを借りて独立
宅配便を受け取れなくなったため、総務のメール部署にお伺いを立ててから受取先を会社に変更
そしたら社内に千趣会購入者がいたことが判明、
お世話係さんが私の分を持って来るではないか
エレナとか
恥ずかしかったけど開き直って「お世話になります」
今はすっかりタオルハンカチしか持たなくなって、引き出しの中の千趣会ハンカチを見ると懐かしい
タオルとバスタオルはボロボロになって雑巾になって、
天寿を全うしました
千趣会って前は学校とかでしか買えなかったよね
姉がクックとかデリカを買ってたわ
料理や手芸のカード、懐かしい
>>414
あら?エレナということは、奥様はふくよかなタイプ?
私も千趣会はまだ使ってます。
私の独身時代、やはり奥様みたいに会社を配送先にしていた同僚がいました。
結婚した頃、千趣会に加えてセシールが人気出てきた。
私はシムリーっていう会社でもよく買い物していたけど、ここはもうなくなってしまった。
ムトウは今は生協専門になった模様 >>415
会社のお局様がカタログ回してたわ
何度かお付き合いで買ったっけ >>416
エレナがMでらふゆらがLじゃなかった?
千趣会の料理本を買い揃えすぎると婚期が遅れると言うジンクスがあるとか無いとか、
そんな話があった
会員誌の読者投稿で一番笑った失敗談
アメリカ旅行に行ったとき、LAのマクドナルドに並んだらイカリングを買っている客が目に付き、注文を決める
自分の番が来て「イカリングプリーズ」
通じないので何度も「イカリングプリーズ」
後ろに並んでいた日本人男性が来て、
「あれはオニオンリングです。イカリングは英語じゃありません」 YouTubeで子供の頃見てた昔の魔女っ娘シリーズアニメ見つけて観たけど
魔女っ娘メグちゃんのクオリティの高さに驚くわ、今放送しても大丈夫そう
でも毎回の様にパンチラや下着スケスケのお色気シーンあったけど
見るのは殆ど小学生の女の子だったし誰向けサービスだったのかしら
>>417
あれって一度参加してメンバーに数えられちゃうと面倒だったのよねえ タッパーの半押し売りみたいなのなかった?
知り合いの自宅で料理教室→最後は保存に便利、逆さまにしてももれない、凍らせても大丈夫、みなさんタッパー買おうね!てやつ
母親がそれにひっかかって付き合いで買ってた
家に帰ってから絶交よ!と怒っていたけどそのタッパー何十年経っても現役で充分元とってる
アムウェイもホームパーティで鍋売りやってるけどなまじ知り合いだと断り難いしその後のお付き合いも考えちゃう
アムウェイ勧める人は必ずねずみ講じゃないというけど誰がみたってねずみ講よね
アムウェイで1番凄いと思った商品は洗濯洗剤。
日本ではコンパクト型が出ていない時にコンパクト型洗剤を売ってた。
あれは良い!と思ったけれど
すぐに日本でもコンパクト型洗剤が発売されてしまった。
洗剤は数回買ったわ。
>>420
昔居た職場で一人の人がアムウェイやってて
周りの人に勧めてたけど、
私には一向に声をかけなかった。
それを知った時には仲間外れにされてる気持ち
だったけど、余計な物買わずに済んだから、
仲間外れも、まぁ良いかと思った。 若い頃、友達の家に遊びに行ったらそこのお母さんやおばちゃんたちが集まってイオン化粧品というのを買ってた
私もすすめられたけど高いのと、何よりおばちゃんたちのテカテカの顔が怖かった
年とった今は乾燥肌になって、あの蒸しタオルやクリスタルエキスとやらが気になる
>>420
タッパー、うちの母も買ってたわ!
それまでお弁当箱というと汁漏れするのが苦痛で
今度からその悩みからは解放されると喜んでいたのに
結局普通に汁漏れしたっけw
お弁当箱に使うのは諦めたけど
その後母は35年ほど使い続けてたと思う 昔の方は凄いね
タッパー的な物を35年も使う人って今は殆どいないと思う
ホームパーティーを開いて売りつけるタッパーウエア
古き良き時代の商法だと思うわ。
今では皆働きに出ちゃって、平日主婦を集めようったって無理。
>>425
タッパーって、同種の他商品より高いのよね、なんとなく大切に使っちゃう感じ。
耐久性もある >>426
昔、ホームパーティに呼ばれたことも、自宅で開いたこともある、どちらもずっと前。今は多分通販で買えるようになってると思う パイレックスは?
ガラスのボールと蓋のセットを今も重宝しているわ。
千趣会、何故か父がお菓子作りのセットを買ってくれたわ(別に頼んだわけではない)
毎月会社から持ち帰ってきてくれてたけど出張の多い人だったからたまに2ヶ月分まとめて持ち帰ることもあったなー
嫁入り道具に持ってきたけどあまり使ってないw
母も40年以上前タッパー何十個も2万円ぐらい買ってきたw
今なら5〜8万円ぐらいの感じじゃないか?
全然使わないんで邪魔で邪魔でw 引っ越しのとき捨てたわよ。
最近私はタッパーよく使うわ。
土日に作り置きして冷蔵庫タッパーだらけ。
100円で買ってきたタッパーみては
「ああ昔はこんなの2000円ぐらいしたんだよね〜」と思うわ。
千趣会で縮緬風呂敷セット頼んだことがある。
色柄がかわいくて今でもたまに眺めて楽しんでるわ。
>>377
靴磨きって、両脚分でいったいいくらの料金設定なんだろう?
一日に何人くらい磨かせて貰うんだろう?
今より物価の安かった時代とはいえ、靴磨きで家を建てて
妻子を養えるって相当な稼ぎがなくちゃ無理だよね
平成の今でも15万程度稼げるのならやってみたいわ
新規参入は無理ってよほど儲かる靴磨き利権が…?
料金は現金手渡しで貰うし受領証も発行しないだろうし脱税し放題だものね >>424
本物のタッパウエァは絶対に水漏れしないよ タッパーウエアで水漏れしないのは
円形か楕円形のやつ。ほんとに漏れないよ。
424は四角いのをお弁当箱にしたのでは。
タッパーウェアは商品名だから本家のアメリカのタッパー以外はタッパーとはいわないはず
バンドエイドとかセメダインみたいなもん
>>435
四角いのも水漏れしないよ
うちのはしたことない
暑いまま蓋したりすると膨張して隙間が出来て水漏れするかもといわれたから弁当の場合はそれで汁漏れしたのかも
昔なんかのクイズ番組で優勝商品にタッパーウェアセットがあって母親が羨ましがってた
主婦には憧れの時代があったみたい 平成初期、新聞にタッパーウェアの1ページ広告が載っていた
ディストリビューター新規募集
スターターセット7,000円
ちょうど一人暮らしを始めるタイミングだったので、購入してみた
ディストリビューターになると、常時3割引で購入できる
パーティを開いて使い方と良さをアピールして注文取り
3割が自分の利益
私は一度も他人に勧めることもなく、自分の分だけ購入
注文間隔が1年以上開くとカタログが送られて来なくなる
30年近く使っているタッパーウェア、全部現役
>>438
正しく賢いタッパーの購入方法w
>>436
それは知ってるんだけど、ほかの言い方をしらないのw
我が家のタッパー(ほんもの)は最初につかったときに
カレーをいれた、多分暑かったんじゃないのかと思うんだけど
それで蓋も本体も変形してだだもれの阿鼻叫喚。
「つかえね〜」認定されて台所の奥の棚に放り込まれてそれっきりになった。 油膜の中に熱がこもっちゃうから、油の多いものは全体の印象より熱くなっちゃうんだよね
これは価値観と言うしかないけど、タッパー10年も使うのはちょっと
安物でいいから、傷んでなくてもせいぜい2,3年で取り替えたい
草は生やさない方がいいよ、たとえいい意味の笑いだったとしてもそう受け取られない可能性大
安い保存容器って2、3年もするとプラスチクック独特の、
いやーなにおいがするけど、タッパーはないの?
>>433
ああいうのこそ、縄張りが凄そうですよね
地下鉄サリンで90代の靴磨きのおじいさんが命を落としたのを思い出す ダイソーで買ってきたヤツでも食品用プラスチック密閉容器なら
「タッパ」っていってたw
大坂に引っ越した山田五郎
小学校のセンセが「明日はナイロン袋持参せよ」と言ったので
ナイロン持参したら
他の生徒は全員スーパーのポリ袋で「東京弁のこいつナイロンも知らんアホや!」と
父が繊維関係だったので
JIS規格だかのサンプルを出して「君等の方が間違ってる これはナイロンでは無い」
と反論したら滅茶苦茶イジメが始まったらしい
>>445
あたしたちの会社でコピー機を皆、ゼロックスと言ってたようなものかしら
一度、リコーの営業の人が来たとき、あ?ゼロックスの件で?と聞いたら、めちゃくちゃ戸惑った表情してた ゼロックスじゃなく正しくは零クスでしょう
昔の海軍機をゼロ戦とか言う人居るけど
零式艦上戦闘機だから当時は零戦と言われて居た
零は日本語だけどゼロは敵性語だから当然だよね
B−29 は びーにじゅうく だよね
殆どのアナが びーにじゅうきゅう と読むようになってしまって居る
>>436
それはエレクトーンのことを、ハモンドオルガンと言えみたいなもんじゃない?と思ったがそう言われればヤマハ以外のエレクトーンと言うかハモンドオルガン見たことがないので当たらずも遠からず
?ピアノはカワイのピアノ結構あったしスタインウェイとか外国の見た事あるし >>448
もともとはXEROX
日本の合弁会社は「富士ゼロックス」 >>448
ゼロックスが間違いとか言ってるのあなただけだから >>446
たまにビニール袋のことを「ナイロン袋」と言う人がいて昔から??だったけど
大阪ではナイロン袋と呼んでいたのね。知らなかったわありがとう。 >>446 >>455
ま〜イジメまではよくないけど、
五郎君は、国語辞書をかざしきらきらネームの友達をつかまえては、
「そう読むのは間違いだよ」と言い募るタチだから友達はできないし、付き合いたくない人だな。
ちなみに、大阪人だから今でもナイロン袋って時々口から出しているけど、
違うよビニール袋だよと言われたことはないね。
コミュニケーションの道具である言葉の意味が通じているんだから、何の問題もないし。
入学試験に出たらチャンとビニール袋と認識して対応する。 都倉俊一さんが文化功労者に選ばれたというニュースで、「スタ誕」の審査員では都倉さんと松田トシさん(2011没)が特に怖かった、ということを思い出したわ
新人の頃、松田さんに似た先輩に「これゼロックスしてきて!」と言われ、順番待ちだと結構待つので、怒られないかと怖かったな。
イギリスではLPレコードのことをビニルと言ってて、
目からウロコだった
そういえば西新宿にビニル・ジャパンと言う輸入レコード店があった
レジ袋がプラスチック・バッグなのも軽い衝撃だった
YouTubeって何故Tubeなの?
ってそろそろ子供等が言い出すだろう
ブラウン管を知らない世代
ラジオでさだまさしの「パンプキン・パイとシナモン・ティー」がかかってた。
バラの形の角砂糖って昔あったね。
>>449
『十九の春(じゅうくのはる)』って沖縄の歌があるね
沖縄がアメリカでドル使ってパスポートが必要だったっていう時代も徐々に忘れさられるんだろうな
返還直後の沖縄に旅行した思い出記憶、お店では当時まだドルと円の両方表記だった
両方使っていたんだね >>463
角砂糖そのものが珍しいよね
カフェでもスティックシュガーが多い
昔は近所のコロラドはスプーンでシュガー入れからすくって入れてた
>>464
アメリカ式に車道が右側通行だったんだよね >>465
返還の日から1週間は交通事故多発。
いきなり右から左になるのだから運転する人も戸惑うよね。 喫茶店で向かい合った男女
テーブルにコーヒーが運ばれると女性が男性に聞くんだよね
「おいくつ?」(年齢じゃありません)
テーブルの砂糖瓶と塩瓶を入れ替えるイタズラが絶えないので
スティックシュガーをウチが最初に採用した
とすかいらーく創業者
戦後 喫茶店のテーブルに砂糖が置いて在るのは銀座だけで
「誰も砂糖をパクらないなんて流石銀座だな」
と言われたらしい
>>467
今は和食店で女性の前に小櫃おくとクレームになる時代だものね >>463
実家に結婚式か出産祝いか何かの引き出物でいただいた箱に入ったままの
白とピンクの鶴の形の角砂糖セットがある。いつのじゃ…
コーヒーには角砂糖を2〜3個入れるのが普通だった。みんな甘いのが好きだったのね。 >>472
私めは、最近の細いスティックシュガー2本くらいじゃ全然足りない、 紙袋のスティックシュガーでも角砂糖でもなく、3cmぐらいのビニール小袋入りのグラニュー糖があったな
パールエースのマークかなんか、砂糖袋がそのまま小さくなったデザイン
8g入りぐらいのを甘党のおばさんが2つ入れてた
わかった、ペットシュガーやマスコットシュガーってやつだわ
黒糖の角砂糖を先にボリボリ噛んでからストレートの紅茶を飲むのがすきだった
行儀悪い!と親に叱られたけど外国映画でやっていたのを真似したらはまった
南方領・台湾を取り上げられた敗戦後の砂糖不足の時期に、代用食品のサッカリンやズルチンが使われていた。
時代が変わって砂糖などのとりすぎで糖尿病が増えて、喫茶店のテーブルには砂糖と並べて何か白い粉末の甘味料が置いてった。
アレは一体何だったんだろう。
それにしても、一行目の文章・語句の意味がよく理解できない方も多くなってきているんでしょうね。
>>476
私は子どもの頃、カレー皿にトーストその上にバターと角砂糖
そこに熱い紅茶を注いでナイフとフォークで食べるのが好きだった
バターの塩味と砂糖の甘さが相まって、
何とも言えずおいしい〜 グレープフルーツに砂糖かけて食べるの大好きだった
苺も
砂糖と牛乳かけて潰すの
最近の果物は甘いよね
甘すぎるとも思う
>>446
伊集院光が幼稚園時代、何かの話の都合で「クモは昆虫ではない」と言ったら
ほかの園児からもの知らず扱いを受け、先生ですら「田中君(本名)、クモは昆虫よ」と言ったので
図鑑を持ち出して「昆虫は足が6本、クモは8本」と主張したらもの知らず扱いから屁理屈お化け扱いに変わったと言っていた >>480
八朔とか酸っぱい柑橘類は薄皮剥いて砂糖漬けにしたなぁ 最近のグレープフルーツって甘いよね。
こんなのほんとのグレープフルーツじゃない!って思った。
>>480
小さいときは苺に練乳がかかってたわ
そのうち牛乳と砂糖になりいつからかなにもかけないで食べるのが当たり前になった
食卓の上にいつもきれいなガラスの砂糖入れが置いてあったけどいつの頃からかなくなってたな グレープフルーツ専用のスプーンがあった
匙の周りがギザギザなの
イチゴも匙の部分が平らになって潰せる専用のスプーンあったな
マドラーにも使える少し長めのスプーンで軸の所がネジネジ螺旋になっているやつ
先っぽには必ずカラフルなプラスティックが付いていたっけ
米飯給食が始まったのが昭和51年
同じ頃、給食にグレープフルーツが出るようになった
>>487
ズルチン
チクロ
サッカリン
パルスイート >>480
イチゴもグレープフルーツも、私も全く同じ食べ方してたw
今はなんでも甘くなった代わりに、ビタミンCとかが減ってるらしいね ヨーグルトも酸っぱさが減った
りんごに至っては私は紅玉が一番好きで
紅玉を親戚に持つ系の林檎がその次に好きだわ
両親がわたしのスイカに勝手に塩を振って来て喧嘩になったこと何度か
むかしのひとは塩を振って当たり前という感覚らしい
麦茶に砂糖入れてた婆さんがいたなあ
小学校の下校中通り道のお宅の婆さんに、声かけられて、よく一服させてもらってた
今だと事案になりそうw
白い粉末を入れたお茶を通りがかりの子どもたちに勧める…とか一斉メール来そう
うちは小皿のしょうゆにおまじないの様に味の素を振り入れてた
子供の頃ばあちゃんちに盆休みでいって盆参りにいきとお寺さんから蝋燭の火をもらう時に甘い麦茶を振る舞われて美味しかったわ
毎年楽しみだった
冷やしアメというのがあったけど、甘過ぎてのめなかった
冷やしアメは吉本新喜劇でしか見た事が無い
関西出身のあっしは西久保いなげやでところてんを買って吐き出した
黒蜜だと思ってたら黒酢だった
今卓上に味の素置かんもんね
「味の素採ると頭が良くなる」とか言われてた それが頭悪いw
味の素の瓶製造してたのが高橋幸宏の実家だった筈
子供の頃、ハイミーパッパッパは味の素のぱちもんなのだと思っていたけど
同じメーカーの商品で使い方が違う化学調味料だったと最近知った。
頭よくなるから、と教育ママゴンの伯母さんが醤油の表面が白くなるほど大量にふりかけてた。
頭に良い、と言われたことは躊躇なくなんでも実践してたよ。
実際ふたりの子は抜群に成績がよかったし。
ご飯はTKGよりもバターと醤油が好きだったわ。
昔はふりかけっていったらのりたまぐらいしかなかったし。
>>505
>味の素の瓶製造してたのが高橋幸宏の実家だった筈
なくなったお母さんは自分たちのことを「軽井沢族」って言ってたらしい。
当時の新興成金が軽井沢に集ってたのね。
でも味の素からの仕事を切られて軽井沢の別荘も手放した。
それでも亡くなるときの意識混濁で「私たちは軽井沢族だから・・・」とうわごとで話したそうだよ。
一番いい時代だったんだろうね。
幸弘の兄は慶応に進学したが幸弘は父から「もう慶応はいい」といわれて
中学から立教の付属に進学。
味の素の一族の人間が最近慶応の学長をやっていた。
その一族は代々全員慶応なんだわ。
味の素から仕事をもらっていたら慶応にいくのも御奉公だったんだろうね。 うちに3種類入ったふりかけの瓶があったけど、ごま塩ばっかり残ってた
高橋幸宏は味の素CMソングやったりナレーションもやってると気付いた
偶然じゃ無いだろうね
>>511
東大出た鈴木竹雄はどういうポジションなの? アケタの店で幸宏と知り合った坂本が
幸宏宅に遊びに行ったら社長漫遊記の森繫久彌邸のマンマで驚いたとか
>>515
そういう坂本も幼少期からピアノや作曲の個人教授受けて金をかけてもらえたからそこそこの金持ちだったと思う
細野晴臣も祖父が日本人は、で一人だけタイタニックに乗船してたからそこそこのブルジョア育ちじゃないかな
あの年代で立教付属から立大だし
高橋幸宏なオールナイトで3人のしゃべりを聞いてると子供の頃裕福だったエピがよくあった >>514
>東大出た鈴木竹雄はどういうポジションなの?
マジレスすっと時代が違う、鈴木が東大に入学したのは戦前のこと。
上に書いたように軽井沢族(新興ブルジョア)が良い時代をすごしたのは戦後。
でも軽井沢族と鈴木武雄の経歴(うぃきによる)をみるとかなり被ってるのはわかる
キーワード
・味の素 ・昭和電工 ・通産省 ・経済同友会 ・NHKなど
戦前のそれは東大〜華族(旧貴族階級)を中心に集まり、
戦後は軽井沢〜慶応(新興ブルジョア)に移ったようにもみえる。 昭和のほうが凶悪犯罪が多かった
犯罪は昔のほうが多かった。平成22年の刑法犯の検挙人員は8万5846人だが、法務省
「犯罪白書」によると昭和37年は今より格段に多い56万9866人。そのうち、16万2941人が
14歳以上20歳未満の少年だ。特に強姦は成人よりも少年のほうが検挙人員が多い
という事態なのだ。
猟奇的犯罪も、平成の専売特許ではない。昭和32年、中学1年生の男子が誘拐された。
同性愛嗜好を持つ犯人は死体をバラバラにして金魚鉢などでホルマリン漬けにしていた。
昭和38年には東京で、児童を狙った連続傷害事件が相次ぐ。性器切断を目的とした
異常犯罪の犯人は、学業優秀な17歳の高校生だった。昭和39年には東京で児童誘拐が頻発、
教育長が防止対策を各市区に通達した。
https://nikkan-spa.jp/144097 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) >>509
知床しぶき おいしかった
ファンが多く、グリコ側はもう作る予定はないと言ったそうだが、今一度考え直してくれないかな・・ >>517
そうなの、味の素に切られて別荘手放した、とインタビューに答えていたので
貧乏したのかな、と勝手に思い込んでしまった。
(お母さんの死ぬときのエピソードとかからもね、ミスリードできる)
けど本当に貧乏なら末の息子を中学から金のかかる立教にあげないし
家にドラムセットおいて練習なんてできないしょ。
お兄さんも慶応大に進学できない。
つまり味の素の仕事をなくして貧乏になったわけじゃなくて
味の素の仕事をなくしたら軽井沢に集う必要がなくなったのだ、って思うの。
軽井沢の別荘もセガレの慶応進学も味の素一族の御機嫌伺いだったんだな、と。
軽井沢に集う新興成金=軽井沢族とは、ご機嫌伺いをする人間たちの別称。 坂本龍一の父は有名編集者で坂本一亀てのよ。
うぃきもあるから興味あったらよんでみたら?
出版社の社員だからお給料はそこそこ良いけど
まあそこそこ裕福、という程度でしょ。
財産餅ってのとはちがうけど。
>>509
知床しぶきって初めて知った。
昭和48年発売なんだね
三島食品の瀬戸風味は食べていたけれど、知床しぶきは食べたことなかった。 青酸コーラ無差別殺人事件
が起きるまで青酸カリは野放しだったらしい
「そんな悪い事誰もしない」とされていたから
メッキ工場に必要で工員は皆
「コレで数万人殺せるよw」とか笑いながら作業していた と 元メッキ工つげ義春
ポキン金太郎 達者でなあ・・・
三菱銀行人質事件
犯人梅川のカンカン帽サングラスファッションを誰かが
「あれは松田優作・探偵物語ファッションだ」と言うと
「やっぱりそうかあw」と言われてて
ソレは違う 在り得ない
あの事件の後探偵物語は放送が始まったから
あの梅川ファッションは仁義なき戦いの千葉ちゃんだと思われ
某作家が
歳とって一つだけ有利なのは昔の自慢話盛っても若年層は信じてくれちゃう事
おい 嘘つくな ソレは違うだろう!と言う高齢者がどんどん減る事
と言ってて得心
地元のローカルラジオ局で
「オーチンチン」流れてるんだけど、
ああいうのがOKだったのも昭和だよなあー
>>526
昭和52年の犯人が射殺された事件では? >>512
懐かしいな〜
のりたま、たらこ、ごま塩だったよね?
そしてうちも、ごま塩だけ余るw
当時他には、「すきやき」なんてのも好きだった
知床しぶきはあまり食べた記憶がないのだけど
桜田淳子がCMしてた記憶が・・・
間違えてたらすいません たらこのふりかけとバターで、即席たらこスパゲティ
隠し味にしょうゆ数滴
>>529
その最も大きなウソが韓国の従軍慰安婦(売春婦)事件
日本政府や国民のほとんどがだまされてきた。 実態をしっていた世代が引っ込み始めた頃から始まったのよね、
慰安婦嘘報道は。
でもすぐ嘘とばれたので朝日以外は手をひいたのよ。
嘘と分かっていて報道を続けたのは朝日だけ。
>>531
失礼、そこに貼ってある動画は西鉄バスジャック事件で、いわゆるネオ麦茶の事件ですよね。たしか2000年の5月の連休の出来事。
長崎バスジャック事件はあなたのおっしゃる通り。
(動画とキャプションが異なっている) 知床しぶき美味しかった覚えが・・・
でもさてどんな味だったかって言われたら思い出せない。
>>530
放送禁止歌という本によるとすぐ放送禁止になったみたい。
でも自分もテレビで放送されてるの見たことがある。
歌詞がおっさんの郷愁そそる内容で良い歌だと当時も言われてたような。 >>532
丸美屋の三色ふりかけ、穴の形状がそれぞれ違ってて
のりたまの穴が一番大きくて出しやすかったんだよね。
たらこは丸穴、ごま塩はタテに細い穴でごまが引っかかってすごく出しづらかった。 >>498
うちの母親は、トマトに醤油かけたり、ぬか漬けにしたりだった。
納豆に、隠し味だと言って砂糖ちょい混ぜしてた。 知床しぶきの茶漬け、永谷園より濃厚で好きだった。幼心に衝撃的な美味さだったね。
あとドリフがやってた焼肉ふりかけだの焼きたらこっていうの。永谷園だった。
>>541
納豆に砂糖は福島と茨城の一部では昔からあったみたいですよ。
学生時代の友人が福島で納豆に砂糖を入れていたと聞いたことがあります。
良く粘るみたいなこと言ってたけれど事実かどうかは知りません。 >>543
トマトにウスターソースは料理の某有名ブロガーさんが書いていらしたわよ。
地域なのかな?
試してみようとは思わなかったけれど。 ちょうど先程やっていたNHKの番組で
「納豆に砂糖」ネタをやってた。
取材していたのは秋田の県南地方で、北海道〜新潟など北のほうに
納豆に砂糖の地域が広がってた。
>>546
うちの母、北海道出身で砂糖の赤飯の人です うちの父親なんか雑煮にあん入り餅だよ
子供の頃は私も、違和感なく食べてたわ
>>508
昭和50年代子供時代だったけどふりかけは色々あったような
焼き肉味とか味道楽とかたらことか 昔、忍者ブームの頃、丸美屋のふりかけに、変装グッズのおまけがついてた。 すっごく欲しかった。
忍者とか変装とかあの頃、小学館の学習雑誌にもよく特集されてた
トンカツの付け合わせのキャベツにトマトもついていた店があってうっかりトマトにソースがかかってそれを食べたら悪くなかった
トマトも野菜だからウィスターはありだなと思う
カレーにウィスターソースかけて食べるのはあり?
祖母だけがそうしてた
スパイスきいて美味しいとかなんとか言ってたな
>>551
挽き肉とナスをカレー粉、ソース、トマトケチャップ、しょうゆで炒めて作るカレー、中々イケる
玉ねぎのみじん切りも一緒に炒めたら、きっともっとイケる 丸美屋のすきやきふりかけ、まだ本物を食べたことがない
幼少の私にはほっぺたが落ちる(死語?)ぐらいのご馳走だった
(昭和40年代初頭) 不景気言われてるけど今のほうが
よっぽど贅沢してるよね
>>551
昔の人はカレーにソースかけてたの、
全員ではないけど 「あなたはカレーにソースかける?かけない?」
そんなミニネタが雑誌とかラジオ番組のコーナー企画であった…、
そんな話も昭和の終わりまでかな
今はわざわざ聞かなくても、カレーにチョコソース程度なら常識の範囲だしね
常識外れだとしても自分のだから構わないし
>>550
あと探偵よね
水に溶けるメモとか指紋採取セットとか雑誌の付録についてた 昔々の家庭用カレールーは今みたいにバラエティに富んでなかった
味も割合単純だったから、味を補う意味でソースをかけていたんでしょうね。
そんな習慣も昭和50年くらいには廃れたと思う。
でもやっぱり年配者、お年寄りの中にはソースをかける人もまだいたんじゃないかしら
カレーに生卵はよくトッピングにある
CoCo壱にもあったはず
マイルドになってよいらしいけど私はパスだな
ゆで卵はたまにやる
納豆やキムチみたいに二味になるトッピングは嫌だな
カレーの味を邪魔しないのがいい
福神漬けがあるのにわざわざキムチトッピングとか
気持ち悪すぎるわ
平成になって戦争を知らない世代になってから在日朝鮮民族や半島二国が
自国文化の宣伝にやたら努めてきた印象がある
昭和のころはもっとひっそりと自分たちのコミュで生きていた感じだし、
闇社会とのつながりをイメージして怖がる日本人も多かったから
今みたいに開けっぴろげなジャンルじゃなかったなあ、在日や半島って
ただスポーツや芸能に関しては今と比較すると驚くくらい在日だ日本人だを意識していなかった
「あ、このタレントは韓国人だよ」なんて父親がお茶の間でさらっと話題にしていた
「へえ〜」って私は何も考えず返答していた
昔は 朝鮮漬け 朝鮮焼き とゲテ物ニュアンスで言われていた
ドキュメンタリー番組で在日老人が
「昔ワシ等がホルモン喰いよったら日本人から
チョンが糞袋喰うとるww ち 言われた
今韓流で日本の若いモンがホルモン喰うとるけ
おまん等美味い美味いと喰うとるがそれ糞袋ぜよ!言うたった!」
信州でも甘納豆の赤飯食べてた。
もち米だから甘いのと合って美味しかった。
角替和枝が亡くなった→旦那は柄本明だなあ、志村けんと芸者のコント面白かったなあ→youtubeで見る
ジュリーがドタキャン騒ぎ起こす→志村とコント面白かったなあ→動画・・・
て最近なにかといっては志村の動画ばっかみてるわ
駅伝四つん這いも昭和時代のTVなら美談・感動の一点張りだったと思われ
ふりかけ、おそ松くんふりかけ(昭和40年代)のイヤミパッケージの買ってもらって嬉しかった記憶
イヤミ好きな幼稚園児ってあんまりいなかっただろうなぁ
柄本明が結婚した頃は角替和枝って無名で誰も知らない女優さんだった
柄本明は当時からほぼ今の風貌で、それが同じ劇団の子と結婚するっていうんで
どんな子かと思ったら、意外に可愛い子で世間がビックリした
ちょっと前から、あき竹城が柄本明がタイプだとマスコミ通じて一方的にラブコールしていたもんだから
ふられた形になった竹城もインタビューされて「可愛い子で良かったね」とコメントしてた
若い頃は可愛かったのよ角替和枝さん
>>571
ロス五輪の女子マラソン、アンデルセン選手だったかな
ふらふら歩きながらゴールして美談感動シーンにされていた >>571 >>575
リレーやゴール後にばったり倒れて係員に抱きかかえられて運ばれていく選手を見るたびに
なぜここまでするんだろうと、痛ましく感じる。
昔は、とことんまでがんばったんだなと感動していたんだが、なぜ受け止め方が変わったんだろう。
ところで、昨日のTVの良純さんの件で「あんなのないわー」と発狂気味の方々がわめいているスレがある。
昭和前・中期育ちの私らにしたら、朝刊を父親のところにもっていったり、タバコを買いに行くことなど極めて当然のことだったんだが、
「一家の大黒柱」が死語と化したとしても今の時代への変化が理解できないわ。 昭和のおっさんはタバコ吸うもんだったよね
贈答煙草が普通だった
ウチは誰も吸わなかったので貰い物のタバコが溜まるので
正月に親戚に持ち帰って貰っていた
東日本震災時パヤオは多量のタバコを被災地に配っていて
そげな場合か!!となぜか一部から批判されていたが
吸う人には有難かっただろうと思われ
>>570
私も深夜にジュリーと志村のコントを動画サーフィンしてたよ
郷ひろみも分析していたんだけどドリフは時代性を考慮しないコントをしていたから今見ても笑えると
若い頃の志村のコントはいまの若者が見ても面白いんじゃないかな
とくにアイドルと絡んでいるコント
タバコは私の家族誰も吸わないけど、ここまでタバコの文化を駆逐できたのは強権発動があったからだと感じる
40数年生きてくると「ああこれは権力が作ってる風潮だ」「ああこれは民間で自然に発生した風潮だ」というのが分かってくる 福田首相が国会廊下を咥えタバコで歩ってる映像が在るよ
中腰の秘書が灰皿持ってお供してる
女子アナブーム嚆矢の頼近アナもNHK入局時は
「男に負けない」と
ジャケット肩にかけて咥えタバコで通勤していたらしい
没時夏目アナが「大学の先輩だそうですが全く知りません」
カレー粉で真っ黄色なカレーを作ってた時代は
カレーにウスターソースをかけるのは普通の食べ方だった。
サラダドレッシングが一般化する前は生野菜にもウスターソースかマヨネーズかけて食べてたよ
市販のドレッシングが出回るようになっても「油っぽくて気持ち悪い」と、うちではしばらく使わなかったなぁ。
実家の整理したときに、古い恩賜タバコがでて来た
今はどうなってるんだと調べたら、廃止されたのね
別れるマコーミック
振るタイプのドレッシングが出た時婆ちゃんは
「歯磨き粉のオマケの水時計みたいでキモい」
と言って居た
今の人には意味不明だろう
>>580
わかるわ、ドレッシングって、油と酢だものね基本 >>578
確かにねw
ジュリー老害の象徴代表にしてしまえばそのへんフラフラしている老害じいさんフラフラ的キレるじいさん的に助かるw タバコは臭いで気持ち悪くなるから夫も吸わない人にした
実家の家族も誰も吸わない
分煙のない頃は外食で苦労した
昔は喫煙車両もあったし飛行機も喫煙可だったよね
タバコは嫌いだけど格好よくタバコを吸う女優には昔から憧れるな
外国の女優はどうしてあんなにタバコが似合うんだろう
日本人だと淡路恵子さんは様になってた
父親に頼まれて近所のタバコ自販機でタバコをよく買いに行ってたなあ
小学校の先生も休み時間は教卓でタバコ吸ってたよ
最初は分煙よね
ひとつの車両を半分に分けて、こっちは禁煙席ですよ〜ってw
煙はどんどん流れてきたわ
北海道の赤飯は甘納豆。その上にごま塩
タップリのせて食べるの好きだった。
ついでに自分が住んでいた頃の北海道は
サッポロ一番は売ってなかった。
インスタントラーメンはマルちゃん一択。
グリコもキャラメルやコメッコは
有るけどプッチンプリンは?だった。
プリンやヨーグルトは雪印。
そんななか、何故か金チャンラーメンは
北海道で売っていた。
コーヒーサイフォンを結婚祝いに友人からもらったんだが
何だ?これは?
聞くのも恥ずかしいからずっと箱入りだった、
今頃ほしくなった、40年ぶりだがどこにあるのかわからないw
引っ越しを3回したし、貴重な有田焼も馬鹿だからタダで人にやってしまった、
昨日のタモリの番組でアー!と独り悔んでた。(涙
昭和のレコードもみな処分した。
引き取る人が後で懐かしくなるかもよ?
と止められただが、そんなことはないと思った。
>>591
コメッコだーい好きでよく買って食べてた
ホタテエキスがなんとも香ばしくて指についたパウダーなめてたわ
OLしてたときに北海道に出張した社員が白い恋人とか六花亭の菓子をお土産に買ってきてくれて楽しみにしてた
当時はアンテナショップもネット宅配もなかったからめったに食べられない
伊勢の赤福は関西方面に行く社員にお金払って買ってきてもらったよ @旅行のお土産饅頭を周囲に配る
A貰った方が あれ美味しかったです と礼を言う
この日本では当たり前の事が韓国では御法度なのだとTVで鮮人東大生が言って居た
@は「御前等こんな旅行出来ねえべ!!www」と言う挑発になり
Aは「足りないからもっとよこせ!」と言う催促になるのだそう
もう別宇宙だと思った方がいい
>>591
昭和40年代半ばに北海道に行った時、最大の驚きは 本州ではもうなくなっていた百円札がまだ普通に流通してたこと
赤茶色?の板垣退助のお札 39年生まれだが100円札見たことあるよ
万博の頃まで普通に大阪でも流通してた
>>573
おかかで口の中が痛かった思い出
東京駅で赤福が買えると言う噂を聞いて、東京駅に「赤福が買えるところはありますか?」と聞きに行ったことがある
答えは「ございません」だった 500円玉が初めて出たときに「重い」って不評だったのは覚えてる
5円玉には穴がないのがあった
モンシェリCoCoとか赤い疑惑だとかのおフランスの原点はイヤミなのかもねwそう思うとまんざらではないのかもねw
>>602
私のおフランスの原点はフランソワーズ・モレシャンと岸恵子だわw 「沿線地図」を見てフランソワーズ・アルディを好きになった
小学生の時かなーラブームが流行った
ソフィーマルソー好きだった
東京国際映画祭第一回ОPセレモニーはさんま司会でハズシ捲り
ソフィー・マルソーに
「フランソワーズ・モレシャン知ってまっしゃろ!
わ〜た〜しの国ではあ〜〜 て言うて貰えまっか!!」
ソフィー・マルソー「???」(怒気)
会場氷結
知ってる訳無いだろうが
ロードショーやスクリーンをよく読んでたわ
ソフィ・マルソー可愛かったよね
あとはブルック・シールズやジェニファー・ビールスとか
>>575
蠅ある第一回女子オリンピックマラソンなのに
アンデルセンばかりが腸有名になってしまって
第一回金メダリストが全く忘れさられている悲報w >>573
イヤミってサスガ赤塚氏の超絶観察力だと今になって思う。
前歯が3本て普通はありえないのよ。
3本が顔の中心にきてるでしょ、これは骨格として普通はない。
正中線が歯一本分ずれてるわけだから。 小さい頃の写真に「シェー」があるのって
何年生まれくらいが境界線なんだろうな。
フランソワーズ・モレシャンと聞くと反応してしまう
昭和末期に、何かの雑誌の投書欄
投書主はサントリーホールでクラシックのコンサートを鑑賞
前の席の女性が頭を左右によく動かすので、落ち着かない
前半終わってホールの係員にその旨を告げると、係員は前の席の女性に何かささやき、めでたくその女性は座席移動してくれた
休憩が終わって晴れ晴れとした心持ちで後半が始まり、
なんと前の前の席の女性がつば広の帽子を着用
帽子が邪魔でステージが見辛いから前の席の女性は頭を動かしていたと合点が行く
後半は更に散々な気持ちになり、帰る前にどんな非常識女かと顔を見てやったらまさかのフランソワーズ・モレシャン
係員はこいつを隔離すべきだった
今後こいつの言うことは信用しない
と言うお怒りの投書だった
フランソワーズ・モレシャン、どんだけ
なんで夏目雅子が死んでフランソワーズモレシャンンが生きてるんだと
山科けいすけが漫画の中で言わせてた。
干刈あがたという作家を覚えている方いらっしゃいます?
>>600
私もデパートの物産展にあるよと聞いて買いにいったらあったーと思ったらパッケージがビミョーに似てる「お福もち」だった
今は赤福の通販でも買えるんだけど不意な出会いで食べる赤福が美味しいのよ
お伊勢参りで本店で食べた赤福美味しかった
伊勢で出汁醤油?のぶっかけにネギたっぷりの太めのうどん食べたんだけど美味しかった
鰻のひつまぶしより美味しくて印象に残ってる
鰻はやっぱり関東風の蒸すほうが好きだわ 昭和の東京ハロウィーンは
白人等だけがバカな格好で山手線乗ってて
日本人は皆
「このバカ外人が…」と言う冷たい視線浴びせてただけだったのにな
日本もサッカーでフーリガン湧くんじゃないかと言われていたが
案外ハロウィーンが切っ掛けに成りそうだな
ホラー映画「ハロウィーン」が公開された時は
「日本人には全く馴染みの無いハロウィーンと言うイベント習慣だが・・・」
と言われていたが
こんな勘違いした形で広まってしまうとはなあ・・・
>>613
言われて思い出した、マラソンなんちゃらって作品で、芥川賞だっけ
はやくに、亡くなられたね ってかハロウィンなんて昭和のころは影も形もなかった
テンションが振りきれたバカ外国人が電車に乱入してきてニュースになったのは平成からで
まあ江戸時代から江戸では仮装が流行ってたからなあ
と思ってあたたかく見守ってる
渋谷で暴れる馬鹿は氏ねと思うだけだけど、ツイの #地味ハロウィン は面白いよ
昭和40年代、中学の英語テキストでのHalloweenを
「万聖節の前夜祭」と訳していた
私は「E.T.」で初めてハロウィンを知ったわ(宅配のピザも)
留学生のフリーズ事件でハロウィン怖いと刷り込まれた
私は「英語会話」で初めてハロウィンを知ったから日本で普及とは思わなかった
山口組が子供たちにお菓子配ると知って逆なら立派な強要罪なのに怖いと思った
この地味ハロウィン合格 ハロウィンといえば英語わからなくて(freezeだっけ?)射殺された留学生いたじゃない?
あのニュースで知ったかも。
ハロウィンはスヌーピーのアニメで知ったな
みんながクッキーやチョコレート貰う中チャーリーブラウン(声:谷啓)だけがかりんとうしか貰えないネタが気に入っていたが、最近新しく吹替えされたやつ見たら、貰ったのは石ころになってた。
ハロウィンはユーミンの「りんごの匂いと風の国」と言う曲の詞で知った。
物悲しく淋しい歌なのでハロウィンそのものはわからなかったけど。
ハロウィンとは、西日本でいうところの地蔵盆みたいなものだと思う。お菓子をもらって歩くところなど
マーケットはイースターも流行らせようとしているよ
西部邁じゃないけどそういう日本人はジャップと言いたくもなるわ
私が英語会話でハロウィンを知ったのは東後勝明先生の時代だが東後先生言えば1972年から1985年までだからまさしく昭和時代の英語会話の先生いう事になる
NHKの今の外国語講座というものは特にTVの方は半分芸能人旅料理番組なのでNHKはやはりおかしくなったんだと思うRの法則の山口メンバー例の事件も今のEテレなら起こるべくして起きたような
ハロウィンは新聞記事で知った
アメリカには、どうやらそういう文化があるらしいとしか思わなかったが、\3000分のお菓子プレゼントにひかれてハガキ出したわ
後年に、仮装して電車乗ってる外国人を見て、ああ、これがあれか、と思った
でもね、今わたしが若かったらノリノリで渋谷に出向きたいかもしれない(小声)
>>625
私も同じ。
ハロウィンは、ホラーやグロがあるから、
日本には定着しないと思ったのよね。
ブログや、インスタも、定着の一因かもね。 >>597
昭和58年に高校の修学旅行で行った熊本で貰ったお釣りが100円札だったよ 東京パノラマ マンボ ボーイズがカヴァーした「非常のライセンス」もなかなかよい
「非情のライセンス」と言うタイトル(天知茂主演)のドラマもあったからややこしいね
竹下景子主演の、1982年〜1997年の単発ドラマ、モモ子シリーズに最近ハマってる
竹下景子がトルコ嬢という設定なんだけど、1985年頃に「トルコ風呂」の呼び名が廃止
それと同時に呼び名がソープランドに切り替わったのかと思ってたら
切り替わるまでに少し間があったらしく、ドラマの中では「トルコ」と言うこともできず
なんか小難しい単語使ってたw
>>633
>熊本
あーやはり九州なんですねー
海を越えた島(北海道&九州)はやっぱりお札の流通に関しても、本州とはタイムラグがあるのかも。
北海道は歌謡曲のヒットランキングでも、他の地域とはちょっと違ってた。
独自のベストテンみたいな感じで。
あの頃はまだ青函トンネルもなく、連絡船で海を渡ってた >>597>>633
100円札も500円札も両方今でも使えるよ
暮らしに困ったら使おうかなと取ってあるのw >>621
クリスティの作品では、「聖霊降誕祭」と訳してた 「奥様は魔女」で知った
近所の子が魔女の姿でお菓子貰いに来る場面
ユーミンの曲でジャコビニ彗星を知ったわ
今は10月りゅう座流星群と呼ぶんだっけ
小さい頃みてたスヌーピーのアニメ(チャーリーブラウンの声が谷啓)でハロウィンやってたな
カボチャで飾ったり魔女の格好をしたり何かよくわからないままみてたす
実は最近まで本来の意味をよくしらないままだった
「聖お兄さん」を読んで復活祭とはなんぞやを理解した
>>641
バカだなぁ。
あべの古書店で買い取ってもらえば額面以上の金額になるのに。 雑誌の発売日にタイムラグがあったなー
今では新宿から特急で三時間のところなのに。
九州人だけど、東京に行った時にジャンプが早く買えて感動した
>>525
年配の人と話すと、「昔は泥棒が多かった」 という話にすぐなります。
「押し込み強盗に襲われないよう、夜眠るときは戸締りを
厳重にするものだった」 とか。
青年団の夜回りが心強かったそです。 バービーボーイズ、一夜限り再結成だったんだね
目を閉じておいでよ、懐かしすぎる
>>648
3局から4局に民放が増えるまでに随分と時間がかかったあそこのエリアだよね。愛してナイトときめきトゥナイトが確か同じ局で放送していたような記憶がある 昔は クーラーも無いので
夏、電柱に登って民家の二階での性行為を覗きオナニー中落下して死亡
という事例が多々あったそうです
死なずに済んだが障害者に成った人も多く素晴らしき哉人生
法医学上野教授によりますと
某内親王の婚約予定の人が残高が足りなくてビザがどうこうという記事があったけど80年代まで海外にいくのに貯金通帳の提示が義務付けられてなかった?
母親が確か通帳もっていかなきゃとか騒いでいたような
ツアー旅行だったのに
今更、TとSの浮世絵話に興味のある人居ます?1700円も払って。
>>650
うちは少なかったと思います。
だから戸締りの習慣がなく母なんか
カーテンさえも付けていませんでした。
大正15年生まれの人ですが。 私も戸締りができない家に住んでたことがあります。
盗まれたらやばい通帳やら収めていましたが大丈夫でした。
結構街の中でしたよ。
昭和51年の土曜日の夜、突然近所の交番のお巡りさん2人が来訪
子どもは2階に退避
後日父から聞いた話で、お巡りさんから聞いた話
空巣が下調べするときは2週間時間を掛ける
ほとんどの空巣の犯人は、家族構成と外出時刻帰宅時刻を把握している近所の人
地元で空巣とか無かったけど、ホントかなぁ〜
逆に戸締まりしてない家に泥棒に入るのって、すごく度胸がいると思う。
私の実家、今も昼間は戸をあけっぱなしだわ
戸が閉まってるとどこかへ行ってることになる
「どこへ行ってたのー」とご近所さんが後で来る
>>660
近所というのは眉唾だけど、観察してるのはホントだと思う
何故近所が眉唾かというと、常に近所で仕事(空き巣)してたら、いくら何でも怪しまれるでしょうから。
ある程度金のありそうな家にアタリをつけたら、かなり観察する
しかもその空き巣の時の服装はスーツとか、近所で作業してるような作業服とか、他人に見られても怪しまれないような平凡な服装 父の実家は東京23区内だけど日中はカギをかけてなかったなあ
だから家族どころか近所の人たちが「こんちはー」と勝手に上がってきて祖母と世間話をしてた
うちの実家はカギをかけてたのに父母がいるときに入られた(これは平成の話だけど)
気づかないほうもどうかと思うけど、警察の人には「気づかなくて鉢合わせしなくてよかったですよ」と言われたらしい
スレチスマンけど、
この前ビンポン鳴らされてインターホンで出た。
「すみません。ここ、◯◯さんのお宅と聞いて来たんですけど」
「うちは△△ですけど?」
その後番地を確認したけど、微妙に違うし、ご近所にも◯◯さんはいないし、礼儀ただしく「すみません」って帰っていったけど、何か気持ち悪かった。空き巣の下見?
>>665
そうかも。念のため交番に相談しておいたら?お宅の姓を名乗ってしまったのよね? 実家の母がこの前テレビを見ていたら、鍵のかかってない戸を開けて男が入ってきたんだって
母がのぞいたら「NHKです」といったそうな
足の悪い母がのそのそと玄関まで行ったらその男、消えてたって
田舎でもこんなの気持ち悪いよね
昔の人って性善説が強過ぎと思うことがある
夜でもしばらくカーテン閉めない人多いし
危ないから閉めようというと「気持ち悪い、過敏だ」とこう来る
ゴールデン街やション横歌舞伎町が訪日観光客に人気だが
TVが「怖く無いのか」と聞くと
「全然 自転車が沢山置いてあるモン」
海外でガチにヤバいエリアは施錠してても数秒位で自転車が消えるんだとさ
そう言えば駅前に自転車置いても施錠しなかったな昭和は
もそんなモン盗る奴居ない という感覚だった
>>669
昭和58年頃、私の地元の駅前から放置自転車が無くなったと全国紙で記事になったことがある
そこに置かれた看板
「自転車捨て場」 江夏の21球 久しぶりに見たが「日本じゃ無いみたい」
出て来る選手の面構えも岩石みたいに凄い
日本は変わってしまったんだな・・・とこんなに痛感したのは初めて
もうお前の時代じゃないから、早く4んだほうがいいぞ
>>651
私も好きだった
『でも!?しょうがない』のPVを初めて見た時の衝撃は忘れられん
今見てもこれは苦笑してしまう 避妊具、百科事典、ベッド、消火器の訪販は昭和だけ?
昔はクーリングオフなんてなかったし。ホストクラブ愛の社長の故・愛田武は
ベッドの訪問販売のトップセールスマンだったそうな。
>>671
あれ、子供のころに見たけどあのドキドキ感はよく覚えているわ
家族が固唾をのんでスリーアウトを見守った 徹夜麻雀明けで試合に臨んだ江夏。自分と心中すると言った古葉監督も、ピンチになるや
池谷と北別府がブルペンで投球練習。それを見た江夏が不貞腐れる。それを衣笠が「お前が
辞めるなら俺も一緒に辞めてやる」と励まされ、それを意気に感じてもう一度気持ちを
奮い立たせた。
>>647
いきなりの馬鹿呼ばわりひどいw
ツンデレさんと思っておくわね
情報ありがとう 千円札が漱石になったとき、漱石の両目のところを縦に折り目をつけて笑った顔、怒った顔にして遊んでたw
>>678
あの漱石の肖像が不評で、デザインした大蔵省?の人がすごく気にしてた、というエピソードを記憶してるんだけど、今ネットで調べても出て来なかった 豊川譲が「ありえへん」に一般人として路上インタビューに答えていた
もうスタッフも美輪明宏も宮ア哲弥も
このデブが豊川だとは分からなかった様だ
関ジャニなんかこんな先輩絶対知らないだろうし
豊川本人が
「田原俊彦は俺に挨拶に来るがそれより若年は俺を知らない」
ガチにやばいところっつーか、ロンドンなんか昔っから
自転車はチェーンでロックしていくけどタイヤははずして持ち主が
かついで持っていくよね。そのままだと分解されてタイヤ盗まれるから。
自販機も壊されるのでほとんど置いてないけど、たまに見ると正面に
これでもかってほどの金網がかぶせてある。
豊川譲本人が自分のサイトに画像上げてたのよ
豊川の文章は「捨て子で義務教育もマトモに受けられなかった人」の味わいが素晴らしい
>>648
新宿から特急で三時間っていまでも充分田舎ですね 豊川譲って豊川誕のことだろうか
今で言うときんぷりのしょうくんが豊川誕的
昭和は一万円札も五千円札も聖徳太子で、どんだけすごいんだよ感がハンパなかった。
逆に岩倉具視や伊藤博文のダレやねん?感も。
今って「諭吉2枚とんでいった〜」みたいな言い方するけど
昭和の頃は「太子○枚」みたいに言ってたのかしら?
>>648
松本?
昭和の頃は民放が1局とか2局とか3局w あと、聖徳太子が笏(しゃく)を持ってるポーズ、あのポーズで聖徳太子を表現するおじさんとかいたわね。
ちょうど宴会などで先に換える時、忍者が印(いん)を結ぶ真似をして「ドロンします」と言いながら、
退出するおじさん、とおなじようなボディアクションw
五百円玉が出てきた時、観光地で日時その他を刻印できるキーホルダー型メダルかよ!って
思ったよね。サイズ、重量、側面の刻印等。
思うにエッジが立ってるのが悪いんだね>五百円玉
知らんけど(震え
最後に五百円札を使ったのは、1987年の夏だったな
久々に手にした五百円札をタクシーで使ったら
運転手に「珍しいですねw」と言われた記憶
使うことにためらいはなかったので使ってもおかしくない時期だったんだろうけど
世間的にも、あの頃がほぼ最後だったんじゃないかと思ってる
それ以来一度も手にしなかったし
自分の地元は笑っていいともを17時から放送していた
言う人に驚いた
TVスクランブルで久米宏が
「僕の事知らない県があるんですよ 偶然放送されて無くて」とも言ってたな
>>687
千円札が聖徳太子だった時代もある
偽札事件で伊藤博文に変わったんだって 昭和≒幼少時 は紙幣をガン見して
「よく出来ているなあ・・・細部まで・・・」と感心したし
手袋に落ちた雪の結晶も見れた「ガチで雪印やん!」と
もう今は老眼で そんな細かい事一切判らんw
>>699
伊藤博文のお札は出てきた時、すごく色彩とか印刷が綺麗だと評判だった。
ていうか、この流れで夏目漱石のお札がもう流通してないことに気がついた。
今は野口英世なのかー…全然意識せずに生活してたわ〜 今でも仮面ライダーが集遅れでも月遅れでもなく放送されてない県があるんやで。
日本語しゃべるのに、仮面ライダー見たことない子供たちがおるんやで。
お笑いスタ誕で芸人が
「お菓子のホームラン王」「セブンイレブンいい気分」「銀座なう」と言うと
会場爆笑だったが こっちは関西だから全く意味不明だった
物心ついて耳から覚えた商品名、会社名
ありあけのハーバー
ナボナ
にきにきにきにき二木の菓子
ネットの時代になったおかげで知った商品名
あたりまえだのクラッカー
ミルメーク
>>703
富山県の女の子が一番悲惨かな
CATVでしかプリキュア見れない
直接受信高岡、小矢部のみ >>702
日本がキャッシュレス化が進まないのは世界屈指の精巧な印刷・鋳造技術のせいという皮肉。
中国はそうじゃないからサクッと普及した。 平成になってからだけど、旦那さんの転勤で地方に引っ越した友達が、
「ニュースステーション、やってないよ」と言っていたのを思い出した
>>707
テレ朝系列ないとまぁあれだ、基本的にプリキュア見れないいうことみたいだね
山陰地方元々テレ朝系列ないが例外的にプリキュアが遅れと言え見られる理由は
NKT日本海テレビで元々プリキュア枠のとんがり帽子のメモルステップジュン、メイプルタウン物語が同時ネットされ、
しかもその前放送の若草のシャルロットおはよう!スパンクレディジョージィもNKT日本海テレビで遅れネット言え月曜19時からちゃんと放送されていたのだが
モーニングショーアフタヌーンショーがNKT日本海テレビBSS山陰放送テレビで2局同時放送しかもアフタヌーンショー14時から遅れネットで同時放送されてて
NKTかBSSかどちらかにしろと言われてNKTがテレ朝系の番組を手放したというまぁあれだ、そういう歴史的経緯からで
TV朝日が映らない地域では基本的にはプリキュアは映らないということだよね相棒も科捜研の女プリキュアも映らないTV朝日系が映らないエリアというのは娘や孫娘いる奥様には厳しいエリアだねCATVが全てのエリアにある訳でないし 大坂のUHF局なんてトルコ風呂のTVCMやってたもんね 昭和
ホテル石庭のCMを夜中にやってた
勝手に、ラブホテルなんだろうと思ってたんだけど
ほんとはどうだったんだろう
>>713
自分はファッションホテルというのが、よくわからない 彦根のおっさんのカキコに感応、爆笑してしまったw
若草のシャルロットのテーマ曲大好きだったな
もう一回見てみたいアニメだ
あと東京12チャンネルでやっていた名曲ロマン劇場というシリーズがあったけど
あれももう一度見たい番組のひとつ
『さすらいの少女ネル』の中で『庭の千草』が効果的に使われていて見る度号泣したわ
>>710
夫の転勤で地方に
「笑っていいとも増刊号」が1週間遅れだったのに驚いた。
先週のをまたやってる!って放送事故かと思ったよ。 >>716
修学旅行先でアニメ「はいからさんが通る」の最終回を見ようとしたら、
前の週と同じ話が放送されていたな…
夕食前のひと時のガックリ 石原って52歳くらいで死んだっけ。
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
1:10
幼い女の子の眼前にパイプの煙を吹きかけてどういうつもりよ。
見方を変えればロリコン・幼児虐待と同じくらいの極悪性よ。
こんな人間がいつまでも世の中・芸能界にのさばってなくてよかったわ。 >>704
二千円札は、沖縄ではかなり使われているんだってね >>591
マルちゃん醤油に胡椒多めが大好き
インスタントはジャンキーなのが美味しいと思っているので正麺とかラ王は合わない
衝撃スレに書いたことがあるんだけどマルちゃんの醤油・味噌・塩は北海道・東北・静岡限定だそうですね。関東にも関西にもない。 大都会はやたらと拳銃をぶっ放しすぎ。当時はそれが見せ場なんだろうけど
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
1:42で写るのは歌舞伎町2丁目のホテル街だな。
紫色の看板で ご休憩1000円、お泊り2000円は当時でも相当に安いとおもう。
道路向かい側が今は亡き東丘だから、あの看板はホテル松月だと思うわ。
いまでも頑張って営業しているな。昭和、それも40年代からの雰囲気が残っているよ ♪愉快なロンドン楽しいロンドン
はキャバレー?
いまだに、つい口について出ちゃうw
>>723
イギリス大使館からクレームが来て外交問題になり閉店したんだよね。
トルコ風呂が廃止になったのと同じ時期だったっけ 「大使館」と言うトルコ風呂が在って
本物の「トルコ大使館」に予約の間違い電話が来捲って
トルコ大使がキレた
東京駅の地下街に、大使館と言うビッグパフェで有名な独特の喫茶店があった
15年くらい前に閉店、東京駅 大使館 ビッグパフェ でググると
わずかにブログがヒットする
>>725
トルコ人留学生が「自国のイメージが悪くなる」って抗議した説。 >>726
そういう大量系の雑誌特集があった。巨大餃子とかw 八重洲の喫茶店にトンデモナイ美人ウエイトレスが居る・・・
とスカウトされたのが多岐川裕美
バケツ大のプリンかあったな。味はどうだったんだろう?
>>722
東京都民の私としては吉祥寺の駅デパのロンロンのCMを思い出す 夜遅くやってたテレビCMの記憶
と言っても午後10時過ぎぐらいだったようだ
愉快なロンドン、ホテルガラスの城、十仁美容外科、クイーンエリザベス石庭、
美容整形外科のバラの花が咲くCMはたまに昼間の奥様劇場の時間帯にも見た気がする
バブルの頃にラブホより安いベッドしかないような狭い個室のレンタルルームというのがあったわ
大学生や高校生の利用者もいた
渋谷の宇田川町にあったな
なつかしい……
>>734
今も百軒店のストリップ劇場の向かいにあるよ
入った事はないけど むかしの神社って世間から弾かれた人たちが集まっていましたか?
映画とか見ているとよくそういう台詞がある
病気の人とか乞食の人とか不良とか
5代目円楽の生家が寺で世間から弾かれた人たちが集まる場所だったと言って居た
寺で寝泊まりしていた孤児が浅草署の給仕になり
これが川口松太郎だと
>>727
大使館が直接抗議すると外交問題に直結するから
そこは留学生の名を借りてやんわりと大人の解決に持ち込むのよ トルコ風呂は普通にトルコ風の蒸し風呂だったのよ、すくなくとも昭和40年ぐらいまでは。
いつの間にか変な場所になってしまった。
大きな寺の側にハンセン病で家を出された人たちが住み着いたりしたらしい
鎌倉にもその所縁の寺があるよ
すぐそばから大量の人骨がでてきたりして心霊スポットになってる
寺に居着いた浮浪児って犬神佐兵衛翁みたいね
あっちは神社だったわ
自己解決
トルコ風呂が怪しい場所になった第一号が
>第一号店は1971年2月6日に雄琴温泉(滋賀)にオープン
つまり昭和46年初頭に妖しい店第一号店ができた。
それまでのトルコは今でいうサウナみたいな感じ。
湯船がいらないので設備投資が安くすんだのでは?
あちこちのオフィス街にあって、汗かいたらここにいってさっぱりしてから帰宅したのよ。
電車もオフィスも今見たく空調効いてないしね。
でもウィキだと昭和28年から性風俗ってかいてあるねえ。
普通のスチーム風呂と風俗が同居してた時代が長かったのかもね。
今も「マッサージ」が 医療・スポーツマッサージと風俗が同居してるのと
似たような?
やっぱり雄琴が悪かったのか〜
今必死で名誉回復ためにファミリー層取り込んでるよね。
今でも怪しげな店はあるのかもしれないがちょっと改善してる。
昔、寺社は信仰の場とは限らなかった
浮浪児を救済していたとは限らず武力の一端になる場合もあった
(奈良の興福寺から筒井氏、諏訪神宮から諏訪氏など)
ヤクザものの博打場だったり、市場の開催、浪曲演芸の興行
いわゆるテキヤ系ヤクザとも持ちつ持たれつだった
昭和末期に流行ったのぞき部屋とかノーパン喫茶って風営法が厳しくなって消えたの?
昔「純喫茶」って「ノーパン喫茶でない純粋な喫茶店」って思い込んでたw
>>733
小学生の時に家族で車に乗ってて
インター近くでクイーンエリザベス石庭を見かけ、大興奮
うわー、すごいホテルだな〜って
それで親に「いつか私が大人になったら泊めてあげるね」と
その時、母は無視、父は「う、うん、、、」といった反応で空気が重くなったこと
今でも覚えてるわw
子供心に「なんかマズいこと言った」と感じた
CMやってるのは知らなかったな >>748
あら〜優しいお嬢さんねー、心が洗われるエピソードだわ、素晴らしい♪ 私が泊めてあげるからウォーターベッドの上で
思う存分おやり
雄琴といえば近くに有名な廃墟ホテルがあったわ
途中で建設やめて心霊スポットになってた
ダイナマイトで爆発させて倒してたけど、ミタのCMみたいにきれいには崩れなかったな
>>734
レンタルルーム、広いパーティールームがある店もあったよ。高校生の時に10人ぐらいで集まって飲み会やった。今ならカラオケBOXなんだろうけどまだそんな施設はなかったんだよね。
廊下をドヤドヤと歩いていたら他の部屋からカップル出てきて気まずかった思い出w >>670
それ確かクイズダービーの
問題になってた
はらたいら のみ正解 はらたいら晩年は壮絶だったらしい
アル中と鬱で外出できなくなり
「近所の吉野家に行くことを目標にしているが何時達成できるか」と週刊誌に答えていたが
程無く死んでしまって居た
はらたいらの漫画見たことない。
「はらさんが出来なければ全額お返しします。ハズレ。(パタパタパタパタ)」
ヤラセとガチの絶妙なバランスが良かった@クイズダービー
はらさん男性の更年期障害だったのよ
男性は珍しいのでなかなか診断がつかずメンタルが悪化してしまったらしい
はらさんとかお笑い漫画道場の富永一朗や鈴木義司は毎週のみてたのに漫画は全く知らない
お笑い漫画道場の川島なお美はかわいかった
ネタがつまらないのに一生懸命頑張ってた
女優転身後にお笑い〜のことはなかったことにされてたみたいね
つべでクイズダービーなど昔の番組見ると
テンポがダラダラズルズルで驚く 今なら誰も見ないよ
今はテロップ字幕ツッコミとワイプ小窓顔リアクションCM跨ぎブツ切りの
圧縮パチンコ的画面で見てられんけど
>>741
ブラザーサン・シスタームーンのフランチェスコが建てたアッシジの教会を思い起こしてしまった。 はらたいらも富永一朗や鈴木義司もよく読んだよ、
全員あまり面白くないがそうつまらなくもなかった。
大人向けのギャグマンガなんてこんなもんだったのよね。
壮絶につまらなかったのは福地ほーすけだな、こいつは本当に死ぬほどつまんなかった。
つまらなすぎてまだ覚えてるw 割と早いうちに死んだ。
大人向けのギャグマンガというか4コマに革命をもたらしたのが
いしいひさいち と 植田まさしだとおもってる。
>>763
いしいひさいちは「がんばれタブチくん」の野球選手漫画の元祖。
田淵が腰痛治療のステロイドでデブったのを揶揄したそれ。
肖像権がおおらかだった時代の話です。 >>759
同じくつまらなかったのが、谷岡ヤスジ
でも一時期は人気があった
「アサー!」ってやつ 昭和の喫茶店でなんて言ったのだろう?
背もたれが高い男女2人で2人掛けで横に座る喫茶店あったよね?
客が何しているのかわからない怪しい喫茶店。
1度行ってみたいと思っていましたがとうとう行けなかったわ()
黒鉄ヒロシをクロテツさんに500点とかマジで呼んでた人居た
>>765
全盛期の谷岡ヤスジは(私にとっては)激面白かった。 >>766
1978〜1980年のいつか忘れたけど、同伴喫茶というのがあったのを覚えてる
男女同伴の組み合わせしか入れない喫茶店
歌舞伎町に行った時、いとこのお姉さんに教えてもらった
いつからいつまで存在してた喫茶店なのかは、記憶にないけど
私は当時まだ子供だったので、もちろん一度も利用したことないまま カップル専用の喫茶店って何の意味があるんだろう?
ネカフェのカップル席みたいなもんかしら
>>770
いちゃいちゃするためでしょ(婉曲に言うと) その延長が昭和のカラオケボックスかな?
独立した小屋みたいなBOXはラブホ変わりだった
>>704>>719
今はどうか知らないけど、昔、ローソンは2000円札流通に力を入れてたらしく(?)
店内ATMでお金を降ろす際に、5000円を降ろすと
2000円札2枚、1000円札1枚で出て来てたわ
他コンビニでそんなおかしな出方をした事は一切なく、
周囲の皆と、ローソン2000円札出るよねーって話題にしてたわ 鈴木先生、高校の学園祭に来たよw
即興で漫画書いてくれたけど、機転が利いてて頭良かった
>>772
だだっ広い敷地にトレーラーハウスが並んでる
敷地入口付近にあるプレハブ小屋で受付をして、案内されたハウスでカラオケをするシステムだったかな(うろ覚え)
地方の大学に進学した友人宅を、プチ旅行なノリで訪れた
親の目を気にせず、自由気ままにおしゃべりしたりお菓子食べたりテレビ見たり
たったそれだけの事なんだけど、楽しかった!
で、自然と、近くにこんなのがあるんだけど行ってみようか?って事になったんだ >>775
鈴木先生って鈴木義司先生?
あの方、かなり大柄じゃない?一度うちの近所でお見かけしたことがあるの、もう随分前だけど
文房具店で。
都内世田谷区のK町 >>765
谷岡ヤスジの「ド忠犬ハジ公」は好きだった。 お笑い漫画道場の鈴木さんと富永さんよく喧嘩してたよね
くるまだんきちとかエバとかどうしてるのかしら
谷岡ヤスジをつまんない、って書いた人は
すごかったころを知らないんだと思う。
晩年すごくおちて全然面白くなくなっていたから、その頃のイメージじゃないのかな。
晩年つーても40代だけど。
やっぱすごく早く死んでる。 ギャグ漫画家は早く死ぬ。
その辺の漫画家で「原発は安全」と言うCMやってた人が居たな
理系大出身で
誰だっけ・・・
>>780
もう随分前だけど、私鉄沿線の駅付近で富永一朗センセイをお見かけしたの。夜ね、ちょっと酔っ払ってる感じで両脇には女性(そんなに若い女性ではなく、中年くらい?若干水商売かな?みたいな雰囲気)
その「両手に花」状態で、はしゃいだ雰囲気で北口甲州街道方面に歩いて行った…
あら?富永一朗センセイがこんなところに…珍しい…と思った。
そのあたりはわりと有名人を見かけるところなんだけど。
でも後になってから、あ、そうか
鈴木義司センセイのお宅に来たんじゃないかしら?って気がついた、
上で書いた鈴木義司先生に遭遇したのと、その富永先生を見かけたのがどっちが先か思い出せないけど、……勝手にそんなふうに解釈してます。 あたいの知ってる燃えるブンブンはTバックスっていう平成初期のお色気軍団が
カバーしてたわ
こっちも下品系統ねw
車だん吉はピタゴラスイッチで百科おじさんの声やってるね
近所の内科の先生が富永一朗そっくりで、旦那共々富永先生と呼んでるw
>>783
>漫画家で「原発は安全」と言うCMやってた人が居たな
鈴木義司らしいね、知らなかったけど。
鈴木のCMは知らなかったけど,
作家の豊田有恒が原発プロパガンダ作品を書いてた。
この人も理系なんだよね。
理系の人ほど騙されやすいw 竹村健一なんて毎日
「原発危険や言う奴はアホや!」
「炉心から漏れる放射能より人体からの放射能の方が大きい
古女房抱いて寝るより炉心抱いて寝る方が安全や!」
と言って居た
「君な何も知らんのやなあ」とバカ扱いされてニコニコしてたのが
当時アシスタントの小池百合子
竹村はまだ生きてるんだろう ボケて寝たきりか
福島に謝罪しないのか
>>782
チンコロ姐ちゃん、とか、せっかちねえや、よね
どちらかサンデー毎日に連載されていたと思ったど、ヒットしなかったわ。
でも、せっかちねえやは、川口晶主演でドラマ化されてたことかわかった。見た記憶ないけど…
サンデー毎日は長谷川町子の意地悪ばあさんとエプロンおばさんだったわ。
あとあの頃大人の週刊誌に連載されてた漫画で印象に残っているのは、小島功?
女性がすごく豊満なのよね、子どもの目から見ても何かお色気たっぷりだった >炉心から漏れる放射能より人体からの放射能の方が大きい
人体からの放射能はとにかく
炉心から漏れる放射能が本当に低いことは事実よ、事故がなければね。
>>790
小島功さんの絵は線がきれいで女性が色っぽいのよね 昔父がヨーロッパ出張で買ってきてくれたポルナレフのレコード
お尻丸出しのポスターが付いていてびっくりしたわ。
>>793
そう黄桜の女カッパのイラストの人
改めて画像をみたら指先まで色気があった 犬神家の一族
で発狂してガマガエルを抱いていた川口晶は当時角川春樹の愛人だったらしい
春樹の自殺してしまった実姉と川口晶がソックリだったとかで
自殺の原因が角川書店創立者である実父角川源義から無理矢理関係を・・・というエグさ
また角川源義は書生時代師匠である折口信夫と「男色関係」に在ったと言われ
これじゃまるでリアル犬神家じゃん!となるが
実際そうなんですよw
>>777
確かに意外と大柄な方でしたね
姿勢も良かった
結構インテリっぽい雰囲気で、ものすごく機転が利いてて、お笑い漫画同情と全然雰囲気違いました
もう亡くなってだいぶ経ちますね
富永先生はご長寿の様子ですが >>763
福地泡介ってあまり読んだ覚えないけど、同じ早稲田漫研仲間の園山俊二、この人もつまらなかった。
中1くらいの時、友達が学校に「頑張れゴンベ」って漫画持ってきて、ちらっと読ませてもらったけど すごく退屈だった
1冊くらいで判断するな!と言われそうだけど それで罰金刑くらって 今度は全裸にシルクハットだけのレコードジャケット
ハットの長さと重さを測る旅に出た
ハットはアレだけで支えてたというが?
ミッシェル・ポルナレフは件の全裸写真のハットがなぜ落ちないかを聞かれ、
カメラマンが美人女性だったんだ、と答えた。
川口晶は陶芸家になってるみたいよ。
お兄さんの川口浩探検隊思い出した。
>>805
故野添ひとみが川口浩の探険隊の歌を夫婦で怒っています!って聞いたよ… 嘉門達夫 『ゆけ! ゆけ! 川口浩』
歌詞をみたら確かに怒るかもね。
でも実際にピラニアにかまれたり、撮影は大変だったらしいよ。
撮影スタッフは命がけの場面もあったと言ってますね。
野添ひとみって亡くなってたんだ。しかも58歳で。
夫婦そろって早逝だったんだね。
>>790
ちんころ姐ちゃんは映画になったんじゃない?
と思って調べたら原案だそうで、中村晃子が主演だった
>>808
川口兄弟では犬神家で妹と共演した次男の恒もまだ存命だけど
長男の浩と末っ子の厚は若死にだったね。 >>809
中村晃子は同棲中で事実婚だった旦那を大竹しのぶに取られたのですよね。 皇族の結婚式で思い出した
リアルタイムでは知らないが、昭和天皇の娘の婿が
バーのままさんと心中事件起こしたよね
寺内貫太郎収録は向田邦子の原稿待ちばっかで
向田の仕事部屋に当時AÐだった服部晴治が詰め待機
スタジオから樹木希林が電話で服部晴治に
「もう勝手に書かせておきなさい コッチが勝手に演るから」
と言ったら向田も受話器に耳を着けて聞いていたので
向田「脚本家舐めないで!」
樹木「遅筆のアンタが悪いんでしょ!」と喧嘩
それっきり
二人は没交渉だったそうな あの世でも喧嘩してるだろう
向田邦子と阿刀田高は同じマンションに住んでいて、交流も頻繁だったんだよね
よくエッセイに向田さんのことを書いてた
向田の部屋に遊びに行った徹子は
明らかにプロの撮った向田の写真を発見
タレントと言う職業柄「プロに撮られた写真は製版に行くので手元に来ない」と熟知していた徹子は
「カメラマンと付き合ってるのね」と言い当てた 徹子鋭い
不倫であった
その後カメラマンは脳梗塞で倒れ妻子に見捨てられるが面倒見ていたのは向田
これ以上もう向田に迷惑かけられない・・・と自殺
>>812
鷹司和子さんのところだね
あの方、死産したんだっけ 気の毒だった 映画の犬神家
佐兵衛翁あんなにメーク濃くして誰だかわからないほどなら三國連太郎でなくてよいわ
あれが三國だと知ったのは最近なのよ
ギャラがもったいない
珠世役の島田陽子きれいだったわ
高峰三枝子も上品で本当に美人
マチャアキの西遊記の御釈迦様やっていたのよね
昭和天皇の娘は押し込み強盗にナイフで斬られたんだよね
犯人ンも天皇の実娘とは思いもしなかっただろう
昭和天皇の娘も「下界は怖い」と思っただろう
表参道駅の再開発であのあたりが更地になると知って
去年だったか、向田邦子が住んでたマンションを見に行ったわ。
アンデルセンもなくなるとかで。
>>745
雄琴は元々が静かな温泉地だったのよ
温泉地に怪しげな所が出来て、それが大繁盛してしまった為に下品なイメージがついてしまったのよ気の毒だわ
素敵な温泉宿もあるし近江牛も美味しいからよく泊まりに家族で行ってるわ 雄琴温泉は昔と違ってかなりクリーンなイメージになってるよ。
私は食事がメインのオーベルジュに泊まったけれど昔の雄琴とはかけ離れていました。
雄琴は道の駅みたいな施設に足湯があったり(ビワイチの人が休憩してるのよく見る)ハーブ園が出来たりしてるね
あの一帯が無くなって欲しいよ
映画「幻の湖」トルコ嬢がいた頃の雄琴が見られますね。
>>810
すごい印象に残ってるわ大竹しのぶの略奪騒ぎ
服部さんの婚約者として中村晃子が略奪されて破綻しました会見開いて
大竹しのぶが芸能リポーターにそのことで囲まれてどうなんですかみたいに聞かれて
大竹しのぶがいつもの様にへらへらしながらあのとろい口調でごめんなさ〜いみたいに言ってて
全然悪ぶった感じじゃないのが何だか不気味な感じした
>>820
表参道は同潤会アパートが風情あって好きだったわ
表参道ヒルズとかは別に 同潤会アパートは真夏に見かけると、目に涼しかったわ
ちょっと前に地元ラジオ聴いてたら
(うろ覚えだけど)
仁丹を ケーキに飾って あら残念
というリスナーの川柳が紹介されていたが、
パーソナリティ(わりと若い人)は仁丹にもアラザンにも触れずにスルーしてたのを思い出した。
説明してあげないとわかんないよねーと思った。
仁丹のにおいというと、昭和のおじさんを代表するにおいのひとつだけど
(ほかはポマードとか?)
わりと若い人がCMやってなかったっけ。ちょっと違和感あった。
東京の話は他県の人には興味がないのに堂々とするくせに
地方の話をしたら調べもせずに「何県にあるかわかりませーん」だとさ
滋賀県とか所詮そういう県であるけどね名古屋駅の次は京都駅でしょ普通の人は
うちの86になる父は丹頂チックというポマードいまだに愛用してる
においきついけど慣れてるせいか嫌いじゃないな
すっとつけるだけでかっちりまとまるし便利みたいよ
>>833
北海道です。
ていうか、雄琴ってそんなに知名度あるんですか?
男性週刊誌とかに出てくる地名ということくらいしか知らない
何故、知らないと言ったら嫌みを言われるのか 気にしない方がいいですよ
おかしな思い込みをしたうえで言ったことみたいですから
雄琴は男性なら知ってそうだけど、
温泉地として有名なわけじゃないから知らなくてもおかしくはないですね
雄琴って名前はある意味滋賀県より知名度あるかも。
でもものすごい悪いイメージしかない。
もし「実家は雄琴の温泉旅館なんです」なんて人がいたら
距離を取るほどイメージ悪い。
本当に気の毒なことだとおもうわ。
今回ググって初めて「ごく普通の温泉街」と知ったぐらいです。
ロッテって元々朝鮮ポマード屋だったのな
それがガム・チョコに逝った
工場の在った新大久保一体はガムの匂いがした
デッチアゲ自作自演韓流の頃
あの工場は巨大韓流ランドになる とデマが流れてた
でもほとんどの女性は具体的に中で何やってるかわからないもんね。
本人が嬢経験者でもないかぎり。
股間の毛で手足をたわし?こすりしたりw
お茶屋さんにある抹茶飴って美味しそうに見えるけど、結局仕入品だからそうでもないのよね。
海外の飛行機遭難事故で助かった人がチョコを食べて生き延びたというニュースが
全世界を駆け巡り、ロッテはさっそく「ロッテ歌のアルバム」番組内でこの
ニュースに便乗してロッテガーナチョコを毎週宣伝していた。
しかし、実際には死亡者の人肉を食べて生き延びていた、という衝撃の告白があり、
世界は騒然とした。
>>845
最後まで人肉は口にできなくて死んでいった人達も多かったみたいだよね ロッテ歌のアルバムと言えば、玉置宏
『1週間のご無沙汰でした!』
今もYouTube等で玉置さんの名調子が聞ける
非常に昭和チック♪
同じような昭和・名調子の人として芥川隆之さん。
若い方には水戸黄門のナレーターといったらわかるかしら
私も関東圏住まいだけど、
雄琴に関しては永平寺や京都の坊主たちが遊びに云々、
って艶笑話として知っていた程度。
別のスレで京都や大阪は風営法で泡風呂が出来ないので
琵琶湖のそこに集中した、って教えてもらって納得した。
ポマードの柳屋さんは、元々は佃煮屋さんだったような
麻世れいら とかバイリンガルのコッペとか
ブスが偉そうでしたね
麻世は死んでも話題に成らず
名古屋系ラジオ・TV出身者は胡散臭かった
つボイノリオとか森本レオとか しょこたん父もブレイクは最初ソッチ系だっけ
しょこたん父
インスタント紅茶TESS CMで「ジュリーの再来」みたいに言われてた様な・・・
インスタント紅茶って消えたね 需要無いんだな
医師用白衣のカタログに「ケーシーTYPE」と言うのを発見し
「そんなインチキ臭い白衣誰がワザワザ着るんだあああww」
と皆が爆笑していた
ケーシー高峰知ってるだけ、まだマシなのかも知れん・・・
TV実験だから話半分だけど
「仁丹の認知度20代で0%」
当然味も知らない訳で おえーー!と吐き出していた
子供の頃大人から仁丹貰うと「健胃作用」が効きすぎて異様にお腹が減った
養命酒も同じく
沖雅也の梅仁丹は小学校で禁止になった「これはお菓子だ」と
渋谷の仁丹ビルがなつかしいわ。
仁丹じゃないけれど、昔小学生のころ、歯が痛い時に正露丸を詰められたことがある人いる?
友達がそれで治ったと言うので、母に聞いたらうちはそれはしないと言われた。
あんな臭いもの歯に入れるなんてすごいな〜と子ども心に思ったものよ。
>>847
芥川隆行さんは兼高かおる世界の旅のナレーターだわ
それから大映テレビドラマのナレーター >>841
平成に変わる直前くらいまで山手線で高田馬場から新大久保に行く途中で左側に見えましたね。
ロッテ工場周辺には、バラックが点在してゴミ収集で生計を立てている
朝鮮系の人々の暮らしが手にとるように見えたわ。
今でも数件のベッドハウスが残っているけど
戦後そして昭和は風前の灯だわ。 >>856
正露丸で治癒するわけでなく、痛み止め作用よね。今は知らないけど、以前は正露丸の効能書きにも虫歯と書いてあったわ。
多分神経を麻痺?させるような感じ
でもお母様は賢明だと思います、正露丸は一時しのぎですもの 山歩きには非常食としてチョコレート必須と言われていたけど
溶けやすくってイヤだった
その後コーティングされて「手に溶けず、お口に溶ける」商品が出た
昭和の時代には浅草の仁丹塔の下に蛇料理を食わせる家があったな
渥美清の「泣いてたまるか」を見ると昭和30年代の東京の風景が見られて
面白いね。道路もまだ舗装されていないところがあり、トラックが土煙あげて
走っていく。
家は木造ばかり。
都内で鶏集めて養鶏場とか信じられない光景ばかり。
荻窪と神保町の歩道で鶏飼ってたな
新宿コマ前の噴水のトコも台湾料理屋がアヒル飼ってた
山手線代々木新宿辺りでヤギ放育してたよねえ
>>866
昔の邦画はロケ先の風景見るのも楽しいね
「洲崎パラダイス赤信号」なんかも見応えあったわ >>861
「養命酒」 なつかしい。
飲みました。べたぁーっとした感じ。
効き目なかったけど。 養命酒といえば海軍の軍人さんにいたね
ハロウイン大騒ぎだったけど、昭和の中学校時代の英語の教科書で知ったわ
こんな風習あるのねって
>>854
ケーシー高峰は家族兄弟全員医者でケーシー高峰も日大医学部だったよね。
親が知らない間に芸術学部に転部していたらしいけれど
頭は良かったのだと思う。 >>854
白衣のケーシータイプのケーシーはケーシー高峯が語源じゃないよ
昔のアメリカドラマに「ベンケーシー」という外科医が主人公の物が
あり、その主人公がこのタイプ(立ち襟で、裾丈は腰あたりで半袖)を
着ていたからこれが語源。
ドクターXの猫がベンケーシーなのも、たぶんこのドラマからだよね
外科医だし wikiでケーシー高峰のケーシーはベンケーシーからと載っていた
正露丸メーカーは今でも全国に200ぐらいある、と30年位前に週刊誌で読んだよ。
正露丸を作ってる工場のある町は町全体が正露丸臭がするらしいw
養命酒って長いこと山本學さんがCMやってたね
「白い巨塔」の里見先生が薦めてるんだからさぞかしいいお酒なんだろうと思ってた
父の仕事の関係で昭和の40年代に昭和女子大の付属中に通ったのですが
当時首都高3号線の工事をしていた記憶があります。
オリンピックの時にはまだ完成していなかったのねと今思ったわ。
>>878
家から10km位のところに養命酒の工場があった
煙突に「養命酒」 >>870
私は、高1の時のリーダーで知りました
文英堂のユニコーンでした。
同じ教科書を使っていた奥様いるかな すみません、私は三省堂のCROWNでした
でも10年くらい前、都内の教科書卸売店みたいな所に行ったとき、ユニコーンもあったような記憶があります。
(いろんな会社の各教科の教科書をとりまとめて扱ってる店舗)