わざわざ薄〜く事前に薄めたカルピスウオーターが市販されたときの衝撃
オレンジカルピス発売の衝撃を上回るものがあった
カルピス昔瓶だったなー王冠で封されててキャップ別添で
御中元時期に届くとこどもたち大喜び
今はあんまりカルピス貰わなくなったね
今は蓋も本体もプラだから容赦なく捨ててるけど黒い瓶いっぱいになってた
>>6
そうそう、開閉できるキャップが別に添付されてたわね
忘れてたわ、そんなことも。
覚えてるのは
『初恋の味カルピス』
ってキャッチフレーズと水玉模様の包装紙 先日亡くなったマサ斎藤さんはカルピスを原液で飲み干してたって聞いたことがある
コップ一杯だかジョッキだか瓶ごとだか知らないけど
お酒は瓶ごと一気に飲み干してタニマチやファンを尊敬させるのがレスラーだけど
カルピス原液を飲み干すというのはオリジナリティがあったかも
ちなみにアントンは早飲みの名人で、ハワイで素人100人相手にビールの早飲みの挑戦を受けて
全員に勝ったというエピがある
とんねるずの食わず嫌いに出たとき、若い頃のその特技の一端を披露していた
ホントに一瞬でコップのビールを飲み干していた
マジックのようだった
>>9
女の子のワンピースとかね…
今だと水玉はちょっとダサい感じ?
昭和50年代くらいに、マドラスチェックとかバティックプリントのYシャツ(男女とも)がすごく流行したことがあった。
マドラスは定番として残ってるけど、バティックのほうはその後廃れたかな カルピス、原液を自分で作った記憶がうっすらとある。
うまく出来なかったような。
>>1
乙ですわ
>>10
妻以外の人がアントン呼びするの初めてみたw カルピスは母親が作ってくれたけど独特の癖があってイマイチだった
やっぱり製品を買うのが一番美味しかった
かき氷にカルピスとか美味しかったなぁ
細くて上部がラッパのように開いているカルピスのグラスが新しい感じでおしゃれで涼し気だった
>>1
乙です。
カルピスの「アレルケア」というサプリを定期購入しているのですが
毎年夏になるとカルピス470mlボトルが2本がおまけについてくる。
我が家はもう誰も飲まないし捨てるわけにもいかずとにかく困る。 >>25
何故私宛なのかわからないわ?
カルピスの英語の意味なんてここでは関係ないでしょう?
カルピスは昭和の思い出という話なのだから。
それに海外でのカルピスは「CALPICO」(カルピコ)よ。 25は多分こないだから、英語の発音にこだわった書き込みしてる人?
アメリカで「カルピス」はまずいので「カルピコ」
今日出海文部大臣が訪仏した時は現地の人が困ったので「イマ」と名乗った
ローマオリンピックでは水泳の「〇〇勝男」って選手をイタリア人が熱狂的に応援した
・・・どれも昭和からある陳腐なうんちく話ざんすね
おそ松くんのイヤミという詐欺師キャラがそうだったけど
昭和の頃っておフランスがステータスだった
大衆娯楽はアメリカのものが定番だったけど、
今でいう意識高い()系の人は何かとフランス製を好んで大衆と差別化を図っていた
いまはフランスなんて一部のサヨクが結婚制度問題で信奉してるくらいか
あ、あとデリダとか持ち出す意識高い系もいるか
フランス映画、フランスのシャンソンとかで60年代ぐらいまでは大衆文化にも浸透してたわよ
でも銀巴里なんて行く人は庶民とは違ったでしょう
菅原洋一、丸山明宏、越路吹雪とか、日本の歌い手を通じてシャンソンを聞いていたというか
ヒデとロザンナが結婚前に付き合ってる頃、
ヒデがロザンナに「カツオのたたき食べに行こう」と誘ったら
ロザンナが真っ赤になってビンタしてきた、というエピソードがある。
(昭和ネタだからぎりぎりセーフ)
>>32
フランス映画はポピュラーだったと思う
ミシェル・ルグランやフランシス・レイやポール・モーリアの曲もよく耳にした カンツォーネといえばボビー・ソロを思い出す
イタリアのエルヴィスと言われた
>>36
あの頃って、フランスの繊細な心理ドラマや、あまり生活感のない恋愛ストーリーみたいな映画が、いろいろと話題になっていたわね。
それをもっともらしく紹介する映画評論家も元気だったわ 60年代はフランス映画の黄金期だったな。
いわゆるヌーベルバーグ、トリュフォーとかゴダールとか・・・
個人的にはそういうのはほとんど観たことなくてミシェルルグランが音楽を担当した「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」なんかが好きだった。
シャンソンやロックなんてものは現地では演歌同様絶滅寸前
昭和の思い出だから、まいっか
フランスと言うとミッシェル・ポルナレフ「シェリーにくちづけ」思い出す 「花のパリー」って感じ
実際行ってみるとパリなんてアラン・ドロンの刑事もの映画みたいな雰囲気の "灰色の街" だけど
M.ポルナレフ自身も思い起こせばブサイク隠しに巨大なサングラスかけててなんだかなー
↑「太陽はひとりぼっち」最近見たわ
そもそも見たかった「太陽は知っている」と
勘違いして見に行ってしまった
ミッシェルポルナレフは股間を帽子で隠したヌード写真のレコードジャケットを思い出す
本国で差し替えになったヤバいジャケットが日本ではオリジナルのまま発売されると
洋楽にはまってた姉からよく聞いた
ボン・ジョビのSlippery When Wetのオリジナル・ジャケも、セクシー過ぎるとかって差し替えになったよね
朝日新聞に単独来日したガンズ&ローゼズのギタリストのインタビューが載っていて、
セカンド・アルバムのジャケがレイプを想起させるとかで問題になっていることについて触れられていたのを覚えている
>ミッシェルポルナレフは股間を帽子で隠したヌード写真
お帽子に手を添えてないのに落ちない理由をインタビュアーが聞いたら
「写真を撮ったのが女性カメラマンでとても美人だった」と。
土曜夜市その他の祭は涼をとるためのものだった。冬に無いのがその証左。
でも今は熱帯夜がデフォだから本来のそれは果たせず。昔の夏の夜はなんだかん
だで涼しくて快適だった気がする。深夜に繰り下げればいいかもだが。
姦通罪ってあったな。ゲス不倫で女性だけが罰せられるっていう。
昭和の頃のテレビや映画でよく目にしたのが西部劇。
カウボーイとか保安官とかインディアン等が出てきて、 幌馬車で移動したり酒場で喧嘩したり、拳銃で早撃ち競争したりする。
酒場にいる若い女は裾の長いドレスを着てる
日本で言うと「時代劇」みたいなジャンルになるのかな?
あの頃インディアンの喋り方なんかもポピュラーだった
「インディアン、嘘つかない」みたいな。
今の子供はアメリカ・インディアンなんてあまり知らないかもね、
今は「ネイティブ・アメリカン」と言うんでしょ?
エスキモーがイヌイット
ブッシュマンがコイサンマン
ジプシーがロマ
呼び方が変わったよね
少し前に「真昼の決闘」を初めて観た
西部劇を初めから終わりまで集中して観たのは初めて
グレース・ケリーは失礼だけど、男に生まれていたら超絶ハンサムだと思う
>>64
うう〜ん、好みの顔、憧れの顔ではないな
角度によってきれいに見えるけど、男に生まれていなくて、残念の気持ちが勝ってしまう
イザベル・アジャーニみたいな女らしい顔が好き
ジェーン・バーキンは、大人になってから魅力がわかってきた
「真昼の決闘」は名前失念、酒場の女の南米系女優さんに目が釘付け
「私がウィルの女なら一緒に戦うわ。だけど私はそうじゃない」
シビれる〜 グレース・ケリーの孫 アンドレア王子
>>60
「我々も皆と同じアメリカ国民だ、差別するな」と言って「ネイティブ・アメリカン」と自称しない部族もいる >>60
ネイティブ自身が我々はインディアンだと言ってるのに
向こうでも言葉狩りや差別語置き換えは大きなお世話らしいね >>65
女優ケティ・フラド (Katy Jurado) をほめてくださって有難う。
彼女はメキシコ出身で、真昼の決闘 (High Noon) に出演し、
ゴールデングローブ賞 (助演女優賞) を受賞しました。
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
マスカレード お熱いのが好き ローマの休日
シャレード…名作だなぁ
東京12ch放送の国際プロレスが倒産してエースのラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇が
NET(現テレ朝)の新日本プロレスに参加。
当時はなかなかなかった日本人同士の対決、しかも他団体のエースということで盛り上がった。
それ以前に国際プロレスを脱退したストロング小林が猪木に挑戦しボコボコにされたこともあり、
ラッシャー木村の動向が注目されたが、やじが飛び交う新日本のリング上に上がった際、
「皆さんこんばんは」とまじめな挨拶をして観客の失笑を買った。
グレース・ケリーってヒッチコックの映画に出てたわね
ヒッチコックのお気に入りの女優だった、と。
「鳥」の主役の女優(ティッピヘドレン)と共に
お気に入り
2人共似てる
「鳥」はヒロインが初めから最後まで同じ服(スーツ)だった気が
かなり斬新
同じ美女でも「鳥」のスザンヌ・プレシェットはブルネットだったから途中で殺されちゃった
そう言えば「知りすぎていた男」のドリス・デイも似たような系統かしらね。
劇中で、ケセラセラを歌っていた、、
、吹き替えは梓みちよだったわ。
ドリス・ディなのにペギー葉山じゃなかったんだ
そういえば子供の頃ドリス・ディとジューン・アリスンの見分けがつかなかったわ
国際プロレスがTBSで放送されていた頃を知らない私はもう少し早く生まれたかった
初見はテレビ東京
>>81
> 国際プロレスがTBSで放送されていた頃
あの頃はゴールデンタイムにプロレス中継
力道山の全盛期と、亡くなってから暫くの間になるのかな
毎週やってたのか、…あるいは『ディズニーランド』と交代に隔週放送だった時期もあるような記憶
プロレス中継の合間にリングを電気掃除機で掃除する生コマーシャル(三菱電機の風神)があった
テレビCM史でも有名な一編 あの頃日本でもカタキ役として活躍してたのが、ブラッシーという金髪のプロレスラー
噛みつき技が有名で吸血鬼という異名だった
で、私はこのプロレスラー・ブラッシーと、タケダの飲料プラッシーの区別ができなかった
(当時小1くらい)
どっちがどうなのかいつもモヤモヤしてた…
ちなみにこのブラッシーの二度目の奥様は日本人女性で、ブラッシーの猛烈な求愛で結ばれたとか
フレッド・ブラッシーとその奥さんについては何か雑誌で読んだわ
嫁に行った直後は向こうで差別を受けることもあったらしいけど
英語がよくわからないからニコニコ受け流して、すべて主人が守ってくださいましたわ、みたいな好印象なインタビューが載ってた
写真をググるとどれもぴったりくっついてて幸せそう
ブラッシー、紳士っぽいのに愛嬌あってレスリー・ニールセンみたい
そういえばスタン・ハンセンも今の奥さんは日本人なんだっけ
よくテレビにも出てる藤波夫人の藤波かおりさんはTBSで初めてビル・ロビンソンを見て
プロレスにはまったって言っていたよ
ロビンソンみたいにテクニックだけで勝負してくる外人レスラーがいなかったから新鮮だったと聞く
ルックスも良かったしね
京プラのバーでバイトしていた友人が、
芸能人は誰も来ない、プロレスラーがよく来ると言っていた気がする
>>75-76
「めまい」のキム・ノヴァクのことは気に入らなくていびったんでしょ カルピストーストって知ってますか?
昔はCMでもやっていました
何度か試したんですけど、子供だったからかおいしかったです。ちなみに、それを作る時は薄めたらダメなんです。
当時は、親あてのお中元に時々入っていたフルーツカルピスが神でした。今は種類も豊富で便利になりましたね。
>>86
そういえば坂口征二の結婚写真見たら
嫁は木村利子さんっていう女優さんなのね
知らなかった
というか美女でありながら顔がまんま息子で脳が混乱したわw
坂口憲二は俳優活動辞めちゃったけどだいぶ良くなって普通にサーフィンとかできてると聞いた
ホントならよかった 中谷彰宏は早大時代に4000本の映画を観ることを自身に課した。
レンタルビデオなど無い時代。オールナイト等と駆使して。
既婚女性版は、なんでエベンキ在日チョンのたてたスレばかりなのか????
在日特権などで日本国民に寄生している癖にだ。
共存共栄の意思のないエベンキ在日チョンは、日本の将来のために排斥すべき!!
たとえば、
支邦や南北朝鮮が攻めてきたらどうする????
爽快で示唆に富んだ、「東京都=精神」の自主独立(インデペンデンス)の物語りです。
★東京独立戦争(だれも書かなかった日本)★
↓
http://slib.net/77259
上松 煌(2017-09-15)作
プロフィール
http://slib.net/a/21610/ 坂口パパは美丈夫だったんで二丁目の昭和世代のオネエ様方に人気
羅生門の三船敏郎のヒョウなような動きとシャープな肉体美に
当時の西欧の女性たちがメロメロという逸話を聞いたことがある
戦前の早川雪洲がオリエンタルな色気で人気だったけど三船は白人の十八番である肉体美で魅せた
いまは別の人種に受けそうな日本人俳優って思いつかないなあ
まあテルマエの阿部ちゃんがイタリア女性から受けがいいとは聞いたことあるけど
>>61
放浪者、という意味でのジプシーは使っていいのかな?
あとは、ジプシー占いとかはどうなんだろう? 洋楽スターと同じでプロレスラーにはグルーピーがいた。
来日するとホテルの前にたむろしていて、レスラーが「部屋に来ない」と
連れ込んだ。
中にはぜんぜんそういう気じゃない普通のファンもいて無理矢理連れ込もうとして
トラブルになるケースもあった。
スタン・ハンセン奥は追っかけファンから妻へ昇格した成功例。
古館が言っていたけど1980年代、日本がイケイケだったころ、
ハンセンとホーガンをディスコに連れて行ったら二人で缶ビール300本飲んで
タワーのように積み上げて行ったんだって
そしたらその飲みっぷりを若者たちが面白がってどんどん客が集まってきた
だからディスコの人が「古館さん、無料でビール出すんでどんどん飲んでもらって」
と言ってきたそうだ
徳光もプロレス実況アナ出身だよね。実況は聞いたことないけど。
噂のチャンネルでデストロイヤーに4の字固めかけられたシーンは有名。
あと平成だけど福澤とか。
古舘が実況やってたプロレス中継を毎週父と一緒に見てたので
ずっと後になってニュース番組始めたときは何をしゃべってもニュース番組に見えなくて
見るのをやめた
フル勃ちの新日プロレスの実況は上田や後藤の例えツッコミの元祖。それで好評を博して
独立。門外漢である歌番組「夜ヒット」の司会に大抜擢。その後の活躍はいわずもがな。
トップテンでエレクトリックお兄さんをやっていた小倉アナウンサー、
ニューヨーク支局に転勤したのかと思ってたらいつの間にか消えていた
>>98
法律ができたわけじゃないからいきなりはなくならないけど
大企業とかは使わなくなった
メディアや雑誌の美容院ジプシーとかの言い方も少なくとも大手出版社ではもうしてないと思う
>>99
確かロマって言い方ができたとき
ジプシーキングスのまま行くってリーダーが言ってた 「おしゃれ30・30」観てた頃、いつかこんな素敵な大人になりたいと思ったものよ
今となっては30代なんて小僧にしか見えないけど!
ジプシーも一枚岩じゃないから "ロマ" って呼ばれるのを嫌う人たちも少なくない
一般にアメリカは南北とも「ネイティブ・アメリカン」と呼ばれるのを嫌う
「ここはもともと "アメリカ" じゃない」って
>>111
コピーはミタのCMに出てたね。コピーもこの人も意味がわからんかったが。 >>112
「ネイティブ・アメリカン」 に会って確かめたのね。 月刊平凡最終号とキャンディーズ (1987年12月号)
明菜のジブシークイーンは岡田有希子の死を予言してた説
昔の歌番組ってアイドルの足元にやたらドライアイスの煙みたいなのもくもく
させてなかった?
もう久しく歌番組見てないけどいまでもあんな演出あるんだろーか
>>124
結婚式の演出だってスモークやたらと使ってたわよ。
ウエディングケーキの台の下からモクモクとか。 >>117
くりぃむしちゅー上田とフットボールアワー後藤だと思うよ
スモーク炊き過ぎて本人が見えなくなっちゃったってのがテレビのNG特集かなんかでなかったっけ
夜ヒットだかベストテンだか忘れたけど >>122
歌詞の出だしが『125ページで終わった二人』ってだけで
飛び降り時刻の12時5分と一致してる!予言してた!
と言い出した人って頭おかしいと思う >>122
確かに何かあると思うよ。
曲自体はとても好き。 >>113
> コピーはミタのCMに出てたね。
コピーのミタ、三田工業の創業者のお嬢さんは女優の三田和代よね
弟は「僕って何?」で芥川賞受賞した三田誠広
(ちょっと古いか…) >>131
ミタというと三田和代さんと三田誠広の姉弟を思い浮かべるわ
ビルを爆破解体する派手なCMもあったね
今では京セラの子会社になっちゃったね 芥川賞ってあの頃は少し地味だったのが、三田の前の村上龍や次の池田満寿夫
あたりの若手や話題の人が受賞して盛り返したんだね
、
>>95
‘エベンキ’ と言って大喜びしてる婆さまは 「英語落ちこぼれ」 です。
‘B’ と ‘V’ の発音の違いがわからない。 プロレスはアメリカでは最底辺層の娯楽だからボンクラ男しか見に来ないんだってねー
ミッキー・ロークのカムバック作『レスラー』観るとよくわかるわ
だから日本でモテた外国人レスラーは舞い上がってそのまんま日本人女性と結婚しちゃうのよねー
ボクシングは?
エディット・ピアフは妻子持ちのボクサーと付き合っていた
ボクシングはラスベガスの高級ホテルの興行だもの
底辺娯楽ということはないわ
ボクシングは欧米では柔道みたいに格の高いスポーツだもの
だからモハメド・アリは猪木が本気で勝負する気だとは全然思っていなかったんだってねー
昭和の頃は、今よりテレビでボクシングのタイトルマッチを放送してたわねー
ファイティング原田とか、海老原とか、
他にもいろいろ
>>135
爺ぃ、婆ぁ連中は DDT をジィジィチィ、PTA をピィチィエェとならってきた。 >>128
>スモーク炊き過ぎ
ベストテンのジュディオング、魅せられて。
イントロのうちに階段を下りてマイクに着く予定が、ドライアイスが多すぎて足元も見えず
階段が怖くて歌い出しに間に合わなかった。
リアルで見てたけど、そのあとジュディが涙ぐんじゃって、
黒柳さんだか久米さんだかが、ドライが多すぎましたって謝ってた 一時キックボクシングって毎週テレビ中継してたね
真空飛び膝蹴りの沢村忠なんてアニメにもなったし