1年生の左腕投手、三木慶太君(15)。2013年8月、小学5年のときに同市の花火大会の屋台で起きた爆発に巻き込まれ、全身をやけどした。小1で入った地元の軟式野球チームの試合で投げさせてもらえるようになったころだった。
毎年行っていた花火大会。家族で河川敷に座って花火が始まるのを待っていると、後ろで「シュー」と何かが噴き出す音がした。振り返った瞬間、10メートルほど先の屋台で「ドーン」と爆発が起きた。悲鳴と炎の中を夢中で逃げた。熱風でTシャツが溶け、腕が茶色く焦げたようになった。事故では3人が死亡、55人が重軽傷を負った。
三木君は体の4割近くをやけどし、集中治療室での治療が続いた。一緒にいた母の純子さん(47)は「とにかく命があってよかった」と思った。それから皮膚の移植手術も数回受けた。痛みや発熱で食欲がない。痛くて自然と声をあげた。「なんでこんな目に」と落ち込んだ。
「早く戻ってこいよ」「また一緒にやろう」。5カ月の入院生活で、見舞いに来て励ましたのは少年野球仲間や同級生だった。看護師や医師がおもちゃのバットやボールを使ったミニ野球大会を開いてくれた。
応援してくれる人のために、また野球をしたい。手足の関節を伸ばし、手すりにつかまって歩くリハビリをこつこつ続けた。小6の夏から軽い練習に復帰できた。野球をできることだけでうれしかった。
中学では一塁手で、高校から投手に戻った。先月の練習試合では5試合に登板。神前(かみまえ)俊彦監督(62)は「夏のメンバー候補だった。制球力がつけば中心を担える」と期待する。
この日はボールボーイに入ったが、目標は甲子園で、子どものころから変わっていない。「全身やけどをしても野球ができるという姿を見せられたら、誰かに勇気を与えられるかな」(川村貴大)




2018年7月13日11時07分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL7C2Q9RL7CPLZB001.html
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露店爆発4年、今も続く治療 被害の中3「一生引きずる」 2017年08月16日
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20170816000027
※抜粋
三木君は2013年8月15日夜、母親と妹ら4人と露店横で花火打ち上げを待っていたところ、シューという異常音に気付いた。露店主が扱った携行缶から噴き出したガソリンが爆発。爆風を浴び、両手足や顔に大やけどを負い、約半年間入院。退院後もアキレスけんの皮膚が盛りあがって走りづらく、事故から約1年半後に、手術で腹部の皮膚を足に移植した。
今は中学校の野球部で5番を打つまでに回復したが、ケロイド状の傷が残り、両腕にはサポーターを欠かせない。事故で全身にやけどを負った妹(12)は皮膚移植など5回の手術を受けており、2人とも実行委と補償交渉を続けている。