1まぐな2011/12/08(木) 00:17:33.11
忘れられかけているようなので。
2吾輩は名無しである2011/12/08(木) 13:04:42.38
なにもかも、忘れないで記憶にとどめる必要はありません。
覚えておいても意味のないものは忘れたほうがよいのです。
年はとりたくないものです。
3まぐな2011/12/09(金) 03:20:55.88
まあまあ、そうは言わず。
小林秀雄の著作が普通に店頭で買えるのに、中村の著作の殆どが絶版なのは石が浮かんで木の葉が沈むようなものだ。
4吾輩は名無しである2011/12/09(金) 03:29:43.93
ほほう、これは渋いところ持ってきたなー
いま、中村訳のベラミはどうしたら読めるのだろう
5N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 03:35:11.53
おいおい、なかなか煽るじゃねーかw
6吾輩は名無しである2011/12/09(金) 03:40:45.41
7神戸土人の悪は底無し。関西ゲス以下の頽廃癌種2011/12/09(金) 03:44:07.36
これは小谷野止めだね。間違いない。まぐな=柄谷、性悪土人のかんがえつきそうな嫌がらせだ。
8N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 03:46:46.83
9吾輩は名無しである2011/12/09(金) 03:49:16.10
>>8
おまえは芸がないというか文才ないなー
マシなとうかいうなら、もう一ひねりした言い方があろう 10N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 03:50:25.14
>>9
まあ、>>6からたいして進歩ないな。 おまえの力はそんなものさ。 11吾輩は名無しである2011/12/09(金) 03:56:54.62
>>10
だから芸がないっていうのさ
つーか、文章の基本がなってないな、こいつは 12N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 03:57:56.37
13吾輩は名無しである2011/12/09(金) 04:00:42.43
退歩って言葉使いが低脳なんだよな
センスのないオタクに言っても仕方ないが
14N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 04:01:56.98
退歩がどう低能なのか、見事説明できたら、Bをやるよw
15吾輩は名無しである2011/12/09(金) 04:11:16.69
ふふ、ほんじゃきくがな、>>5の煽り云々、詳らかにしてみ
小林秀雄がどうこうだったらマジ馬鹿認定 16N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 04:15:16.26
マグナの>>3に煽りを感じたんだよなー。
でもまあ、中村の著作ほとんどは絶版だっていうからなあ。
そう考えると、>>3の表現もそれほど過剰とはいえんのか?
中村のほうが、小林より明らかに上といってるように聞こえたからねえ。
でもまあ、実際そうなのかな? そのへんはまだよくわからん。
中村の全集ってのはあるんだろうか。 17吾輩は名無しである2011/12/09(金) 04:21:17.05
っち、やっぱその程度のアホだったか
その程度で煽りどうたらいうから、所詮2ちゃんの住人なんだよ
お前に教えるのはもったいないが、中村の全集は筑摩
戯曲がいい
18N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 04:24:17.23
19吾輩は名無しである2011/12/09(金) 04:25:32.84
ふん、なにがサンキューだ
そのまえに失礼の段あやまれ、ばか
20N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/09(金) 04:27:34.68
>>19
失礼って、あんた>>4? >>5は別にあんたに宛てたわけじゃなかったんだが。
まあ、誤解させるような書きかたしてすまんかったなw 21吾輩は名無しである2011/12/09(金) 04:32:30.90
ふん、まあ、わしも大人気なかった
許せ
どうも2ちゃんだと口がぞんざいになっていかん
中村の作家論(谷崎とか志賀とか)は、いまは批判の的というかバカにされとるが、当時と思えば勇気ある発言だな
22吾輩は名無しである2011/12/09(金) 07:16:57.06
名無しはバカっぽいな
23まぐな2011/12/09(金) 13:10:44.48
>>16
>>3は三島が書いた坂口安吾が評価されず、太宰治ばかりが読まれるのは……
というチワワがよく貼ってたコピペをパスティーシュした。三島は煽る才能があるからな、俺だとそこまではできない。
「文章読本」で三島も中村を取り上げていてなかなか魅力的な比喩を使って褒めてる。 24まぐな2011/12/09(金) 13:16:21.47
中村全集は出てることはでてるが、生前刊行なので、それ以後の文章が収録されておらず、
しかも本人の意向で収録されなかった文章もあるのではないか。
そのあたりもきちんと収録した完全版全集を出すべきだろうな。
25ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2011/12/09(金) 13:25:04.15
中村光夫は二葉亭の評論とか「戦争まで」とか良いよ
もっと評価されるべきだな
少なくとも福田とかよりは上
26吾輩は名無しである2011/12/09(金) 20:59:56.02
小説は面白いけど‥
27吾輩は名無しである2011/12/09(金) 21:53:43.76
僕には今中村光夫全集を読む読者の顔が見えません。しかし、1970年代前半
頃までは中村にも確かな読者層はあったのです。文芸評論家としては福田恒存や
吉田健一より遙かに高く評価されていたのです。現代の若い人には想像もできないかも知れませんが、
そのことは三島由紀夫の中村に対する高い評価からも想像できるはずです。
福田や吉田のスレッドは昔からあるのに何故中村のスレッドはいままでなかったのか。
そこに僕は単なる文学史家の怠慢にだけ帰すことのできないない、平成文学史の辿った皮肉な運命を
感ぜざるを得ないのです。それはこの時代を生きる僕らも免れないはずです。
28吾輩は名無しである2011/12/09(金) 23:17:52.60
もっとかんたんに考えていいことだよ。
例えば、「風俗小説論」や「フローベルとモーパッサン」。
今読んでも、なんにも面白くないんだ。
あのころはまだ、吉田健一がまったく評価されていない時代だった。
文芸評論家としては平野謙と中村光男の活躍が目立ったと思う。
今、読みなおすとすればむしろ平野の方が面白いという気がするね。断然。
三島が評価したなんて関係ないよ。三島は中村と個人的な付き合いがあったし、
ににより中村は三島作品を高く評価・宣伝してくれる宣伝マンをやってくれてたというだけ。
三島事件の時、いちばんテレビに映ってもっともらしい解説をしてかせいだのは中村。
29まぐな2011/12/11(日) 01:05:15.90
いや、風俗小説論、面白かったぞ。
30吾輩は名無しである2011/12/11(日) 01:10:53.53
いや今晩の風俗の方がもっと面白かったぞ。
31ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2011/12/11(日) 01:14:29.91
うん風俗小説論は面白いよね
32ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 2011/12/11(日) 01:16:07.68
33吾輩は名無しである2011/12/11(日) 02:04:36.25
風俗小説論面白い。今度講談社学芸文庫入りする。
小説入門も面白い。
頭いい人って感じ。テクノクラート。
34まぐな2011/12/11(日) 02:13:43.28
小説入門も文藝文庫入りだと? マジか。
35吾輩は名無しである2011/12/11(日) 02:17:43.83
いや小説入門はしらない。
36吾輩は名無しである2011/12/11(日) 02:23:04.62
中村の本は小説の読み方の勉強になる。
小林秀雄は好きだけど、あまり小説読むための実学的な部分がない。
37吾輩は名無しである2011/12/11(日) 06:43:01.80
風俗小説論って今となっては全く意味失ってしまいましたね
女にはすごくもてたらしいけど
38吾輩は名無しである2011/12/11(日) 08:59:59.29
この人はゲイとまでは言わないけど女みたいな人だったでしょう?
39アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 2011/12/11(日) 10:21:49.47
この人はもっと読んでみたい批評家の一人だなあ。
中村が「『わが性の白書』」を書かなかったら(括弧の付け方がよくわからないw)
蓮實も「陥没地帯」を書かなかったかもしれないと思ってみたり。
40吾輩は名無しである2011/12/11(日) 11:49:11.02
>風俗小説論って今となっては全く意味失ってしまいましたね
こういうこと書くなら、同時代の意味を失っていない評論教えて
41まぐな2011/12/11(日) 14:15:19.46
アセンションは中村も押さえているのか。やはり流石だ。
>>37
美男とはいえないがどこが上品な部分もあるからな。そこで人気があったのだろう。 42吾輩は名無しである2011/12/11(日) 18:06:16.03
まぐなは下品だな
43アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 2011/12/11(日) 21:30:12.79
>>41
いやまだ数冊しか読んでないよ。
上のほうに出てる「戦争まで」もまだ読んでないから、これから押さえていきたいな。
小林秀雄のことがちょいちょい話題に出てるけど、
初めて小林に会ったときのことは「今はむかし」か「憂しと見し世」に書いてあった。
文庫になってる三島との対談は面白かったねえ。 44N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/12(月) 03:44:13.00
中村と三島の対談? 俺も読んだわ―。 それなりに面白かったw
45まぐな2011/12/12(月) 11:45:23.27
それは読んだ。三島主体な感じがしたけどな。三島中心に読んでいたからかもしれないが。
46アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 2011/12/12(月) 17:37:28.31
三島が中心だね。
中村の控えめな態度や丁寧な言葉遣いにもかかわらず
行間から何となく感じられる不遜なスタイル。
それが対談に奥行きを与えてる印象だった。
47吾輩は名無しである2011/12/13(火) 05:06:09.15
まぁ中村光夫は小説家としての三島はたいしたことないと思ってたからね
48吾輩は名無しである2011/12/13(火) 09:48:27.72
>>46
それだ。
そのボソッとして一見お行儀よく、しかし不遜な態度。
あんな悪いやつはいないな。
昭和文学史の悪人ナンバーワンと言われるユエンだ。 49アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 2011/12/13(火) 21:26:00.94
そうなん?w
不遜さというか野心というか、それがなければ
「『わが性の白書』」みたいな小説は書けないよねえ。
50N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/22(木) 15:08:03.92
>>23
なるほど、そういう元ネタがあったのか。
小林秀雄が絶筆の白鳥論で中村の著作について、ちょっと触れてるね。
絶筆でふれたのが福田でも江藤でもなく、中村ってのは、何か意味が
あるかのように感じてしまうな。つまり小林は後継の批評家のなかでは
中村を一番評価してたと。 深読みすぎるかもしらんが、そんな気が。
蓮實は江藤と対談だしてたけど、中村とも面識はあったんだろう確か。 51吾輩は名無しである2011/12/22(木) 15:32:22.00
わりとよくテレビには出てたよな
52N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/22(木) 15:34:13.98
え、中村ってテレビによくでてたのか。
53吾輩は名無しである2011/12/22(木) 16:01:32.76
>>52
よくって言っても年一回くらいだろうけど
80年以降で少なくとも3回は見たな
江藤淳はジョン・レノンが撃たれたときインタビューに答えてアメリカの病理語ったの
一回しか見てないから
それよりは多い 54N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/22(木) 16:03:28.66
>>53
なるほどー。 なんだろう、やはり文学解説者としてNHKあたりに
でてたのだろうなー。 55吾輩は名無しである2011/12/22(木) 16:23:56.23
>>54
一度は小林秀雄、中村光夫を語るみたいなテープが流れて
「批評ってもんが欲しかったんだよ、批評ってものがね、その点中村君はよく勉強していたから云々…」
若い頃の写真も出てたしどっちにしても批評家中村光夫自身に焦点を合わせた番組で
勿論、教育テレビだった 56N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/22(木) 16:25:21.03
>>55
へー、教育テレビの中村光夫特集か。それは観てみたいなあー
NHKのビデオライブラリにはいってるかな? 57吾輩は名無しである2011/12/23(金) 22:30:23.55
60年代頃までは文学者の社会的地位は遙かに高かったし、影響力も大きかったのです。
NHKもそういう文化人たちをうまく活用し、テレビで座談会、鼎談、対談のたぐいをよく放映していました。
特に年末年始はさういう特別番組が必ずありました。地方在住者たちはさういうメディアを通じて
生きた文学者の姿に接したのです。中村光夫は良く出ていた。一度中村光夫、福田恒存の出ていた座談会があったな、
他は誰だったか忘れたが、懐かしい。
58アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 2011/12/26(月) 22:11:23.44
へー×10くらいの話だなあ。
雑誌の座談会なんかだと酒を入れてやるケースも珍しくなかったみたいだけど。
59アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 2011/12/26(月) 22:16:21.49
当時の番組はさすがにyoutubeにupされてないか〜
60吾輩は名無しである2011/12/27(火) 10:43:45.31
中村光夫がよく出ていたと言っても>>57さんのアンテナが中村を求めていたから
そう感じたんじゃないのかな。たしかに三島事件の直後は出ずっぱりだったけれど。
スポットで多かったのは加藤周一あたりの印象。カイヨワとか海外知識人が来日した際など
加藤がよくテレビ対談なんかやった。
それと江藤とか福田はレギュラーを持ってたから出ていたどころじゃない。 61吾輩は名無しである2011/12/27(火) 13:22:47.25
いつも眠そうな目をして
クチをとんがらかして
才槌アタマにちりちりした毛をたよりなく靡かせて
ボソボソなにを言ってんだかようも分らんおっさんをそんなにテレビにだしゃしません。
62吾輩は名無しである2011/12/27(火) 16:10:42.56
>>55
教育テレビが中村にスポットをあてた番組を作ったとは思えない。
しかも小林が元気だったころで、小林の談話まで流れたとは、ちょっとありえない。
あるとすれば、たぶん東京12チャンネルでやっていた「人に歴史あり」という番組。
交流のある人の談話を流すようなスタイルでの人物紹介はこの番組が採用した手法だし。
結構人気番組で作家などもだいぶ取り上げられた。 63N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/27(火) 22:32:08.76
>>55
中村君は勉強してた…云々で、ちょっと思い出したけど
中村はアリストテレスの美学を研究してたって話、どこかで
読んだのを思い出したね。
>>57
小林の対談集に、小林、中村、福田の鼎談がはいってるけど
ひょっとして、テレビの座談会を元にしたものだったのかなあ。 64アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 2011/12/28(水) 09:48:38.92
小林、中村、福田の鼎談って「文学と人生」かな。
昭和38年の「新潮」に掲載されたものだけど、
冒頭で「新潮」の創刊の話から始まってるやつだよね。
65吾輩は名無しである2011/12/28(水) 10:34:49.77
>>37
それは確かだね
嫁さんは明大の教え子だったはず
愛人には隠し子までいたらしい 66吾輩は名無しである2011/12/28(水) 12:47:25.56
風俗小説論の意味は
少しも失ってはいない
67吾輩は名無しである2011/12/28(水) 21:10:43.81
>>63
小林秀雄はテレビでみたことがありません。 68吾輩は名無しである2011/12/28(水) 22:05:27.61
>>67
ゴルフ姿なぞ、見た気がするなあ。井上靖とか、あと財界人なんかと一緒にね。 69吾輩は名無しである2011/12/28(水) 23:13:18.29
>>68
見たような気になっているだけでしょう
偽記憶ですよ 70吾輩は名無しである2011/12/29(木) 18:50:36.15
小林秀雄はテレビ露出に耐えないんじゃないかな
なにせ神様だからね
71N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/29(木) 19:08:18.49
>>67
小林はテレビに出るの、そんなに好きじゃ無かったって話は
読んだことあるな。 中村福田との鼎談の媒体は何かと
おもったら、新潮だった。
小林の対談集3のうしろに、対談がのっていた媒体の一覧が
でていて、NHKで対談やった記録がいくつかあるね。このNHK
って、TVのことだよな… 中村光夫と小林は、昭和三十四年
一月二十一日、NHK第二放送で「文化と伝統」という対談を
やったことになってる。
まあ、NHKにはでてたらしいけど、民放には全然だったみたいね。
小林のところに一度、ウイスキーのCMにでてくれないかって
依頼があったんだけど、断ったという話は読んだ。 CMに
でて、「ああ美味い」っていうだけで、一千万くれるっていうんだ
けど、額が安いから断ったって。一億くれたなら考えたそうだけど。 72吾輩は名無しである2011/12/29(木) 19:24:48.58
>>71
小林が推薦する国産ウィスキーをある外人に勧めたところ
『たしかにうまい、しかしキックがない。』と言われたそうだ
新潮文庫の江分利満氏の華麗な生活の解説だったかなに書いてあったな。 73N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/29(木) 19:31:17.91
>>72
俺が読んだ話だと、CMの対象であるウィスキーに
キックがないから、CMにはでたくないって、小林が
いったという風に書いてあったよ。
どっちが正しいんだろうね。 74N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/29(木) 19:34:29.21
中村って、小林の弟子筋のなかじゃ、いちばん小林に説教され
まくったらしいね。 毎年、年始めに小林から猛烈な説教されたそうで。
75吾輩は名無しである2011/12/29(木) 20:03:08.38
>>74
どうせ酒くらっての説教でしょ
小林は酒飲むと目つきから変わる単なる酒乱だったらしいね
文壇仲間は営業上、壮絶な絡みとか書いてるけど
『きよ田』のオヤジにいわせると正真正銘の酒乱だったそうだ
酒乱ってのは一種の精神病だからね 76N ◆.a7VUr.VD. 2011/12/29(木) 20:07:18.56
>>75
中村本人は説教から凄いエネルギーもらえるって
いってたそうだけど。
まあ、小林の酒癖が昔から悪いというのは、本人も
認めてるねw 77吾輩は名無しである2011/12/30(金) 12:39:34.46
中公文庫が手に入らん
78吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:41:28.86
風俗から滅びるとか書いてたけど
全く的外れてだした
問題は小説家が風俗を書けなくなったところにある
79吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:45:24.35
イラネ
ジジババ
80吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:46:45.85
僕の文学が何を書いたか知らないよ。たとえば『太陽の季節』なんて風俗でしかないと叩かれたけれど、
日本が豊かになって風俗が定着したとき、石原は突破口を開いた、石原の言うとおりだったなんて、
誰にも言ってもらう必要はない。誰も言わないけどね(笑)。
だけど、負け惜しみを言うわけじゃないけど、この年になって、本当に書きたい長篇小説を五つも六つも
持っている奴っていないだろうな(笑)。政治をやってるお陰で、ものすごくいろんな発想が出てくるんですよ。
石原 それは嬉しいですね。だけど、それが社会的にどういうふうに評価されるかは別の話でね。画家の息子が、
「お父さんは人に理解されないね。死んでから理解されるのかもしれないぞ」って言うから、「まあ、それは覚悟してるよ」
って言うんだけど。カッコよく言えば、鞍馬天狗なんだ、俺は(笑)。
81吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:46:59.13
/~三三三\ 1955年頃(昭和30年)に石原慎太郎のデビュー作「太陽の季節」が芥川賞を取り映画化される
/彡≡≡ミミ \ 太陽族という言葉を生み出し、社会現象となる
/// ヾ_ノヘ 「子どもがどんな本を読んでいようと、親は気にする必要はない。」
ヒ| || 「わたくしの家庭では、妻や、母親は反対するが、
ヒイ 三_ _三 Y| わたくしは子どもたちの前でヌード写真の氾濫した雑誌を隠さぬことにしている。」
>H`・-H-・´|-|< 「考えてみると、世の親はなにがゆえにヌード写真を子どもの目の前から隠そうとするのだろうか。
`||丶_ノ丶_ノ || 肉体が美的に劣るという劣等感からだろうか。いずれにしても、美しいものを隠すということは不自然だ。」
ヒ| _ノ (_)丶_ ノノ 『完全な遊戯』
| 〈ト ェ ェ ェ ェイ〉 | >身障者の女性を監禁し強姦、最後に崖から突き落として殺害するというお話。
丶  ̄ ̄ // ↓
丶`ー―― /\ 石原知事は、規制対象となる性的な漫画について「世の中に変態ってやっぱりいるからね、
/|\ ̄ ̄ / /| 気の毒な人でDNAが狂ってて。子供にさらさないように処置しただけ」とし、
/ | /トー< / | 現代の漫画に対しては「何の役にも立たないし、害がある」と批判した。
|/ L_/ \/ < 石原が売れ出したあたりから強姦の件数は急激に上がっている
82吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:47:46.06
/ ` 、
,..-‐/ ...: ,ィ ,.i .∧ , ヽ.
. ,:' .l .::;',. :::;/..://:: /,':/ ', l、 .i ヽ
. ,' ..::| .::;',' :;:','フ'7フ''7/ ',.ト',_|, , ',.',
,' .::::::!'''l/!:;'/ /'゙ / '! ゙;:|:、.|、| 'l
. ,'. .:::::::{ l'.l/ 、_ _,. 'l/',|.';|
l :::::::::::';、ヾ  ̄ `‐-‐'/! ';. '
. ! :::::::::::/ `‐、 ゝ |'゙ |
| ::::::::/ \ 、_, _.,.,_ ノ::: !
|::::/. _rl`': 、_ ///;ト,゙;:::::./ < 今年こそ石原慎太郎大阪土下座悪魔のいない平和な日本になりますように
.. `´ /\\ `i;┬:////゙l゙l ヾ/
,.:く::::::::`:、\ 〉l゙:l / !.|
東京都は東京アホ電力の株を4286万株も保有していて年間配当25億円を受け取っている
福島県の原発の電気は、福島県では1キロワットも使っていない。全部東京へ送っている
83吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:48:04.30
782 名前:あまな :2012/01/02(月) 11:23:38.82
,. -''´ ̄` ー 、_
/ ヽ
i r‐''゛゛゛゛゛` ー-.ノ ヽ
. / 彡 .i !
i. r' ,,;;;,,,, ;;;;;;;,, ヽ !
(i ! "..tェ、.: :. ,ェェ、 l.i'`!
ヾ! .: 、 l .l
ヽ! ,r└--‐'ヽ lノ 「女性が生殖能力を失っても
. ヽ. ヽlエlエr' .: ,! 生きているってのは無駄で罪です」
ヽ 、  ̄ ,. ' /iヽ
_,. -' lヽ 二 ,r' / ` ー 、
,.. - ' ´ ./ l ヽ__ -' .,! ! ` ‐- 、
r '´ / ,.! /、 .>、 / l `ヽ
キモヲタ 強姦殺害三文売文小説屋
84チンポナ2012/01/08(日) 09:49:17.59
「近代の文学と文学者」を100円コーナーで発見。入手しました。
85吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:50:26.27
小林秀雄一派の若頭
86吾輩は名無しである2012/01/08(日) 09:50:45.64
663 名前:吾輩は名無しである :2012/01/07(土) 13:34:09.55
石原君の時の裏話
実は選考委員は三島由紀夫に入れたつもりだったんだよね
当時石原君は三島君にストーカーして一緒に写真に納まる売名工作を必死にやってたの
常に自分が一緒に納まった時上に来るように上に来るように(目立つように目立つように)納まってね
三島君は人が良かったから気にしてなかったし快く一緒に写ってたんだけど
選考委員は間違っちゃったわけ(上に写ってるのが三島だと)
当時の選考委員一同あとになってアレ?ってのはあったみたいだけど
本が売れたんでおkと言うことで収まったらしい
まあ戦後日本は写真週刊誌に始まってTVとメディア売名連中の楽園だから
その典型例だね
87吾輩は名無しである2012/01/09(月) 20:42:20.56
中村光夫「「小林秀雄論」の流行」読了
88吾輩は名無しである2012/01/09(月) 20:47:08.74
蛸ジジイ。タダのハゲ。
89吾輩は名無しである2012/01/09(月) 20:56:03.36
中村光夫読んだことないな
90吾輩は名無しである2012/01/09(月) 21:01:52.45
ハスミとスガの文学上の師
91吾輩は名無しである2012/01/09(月) 21:07:29.58
全集ずいぶんありますね
92N ◆.a7VUr.VD. 2012/01/10(火) 00:21:47.34
93吾輩は名無しである2012/01/10(火) 12:29:23.51
中村は才槌アタマにちょこんとキャップを載せて(ちゃんとかぶれない)
よくゴルフやってたな、小林とか、吉川英治なんかと。
94吾輩は名無しである2012/01/10(火) 14:01:53.45
>>93
小林秀雄の推薦で程ヶ谷カントリーに会員申請して落とされて
週刊誌に書かれましたね
「わしゃ知らん、理事会が決めた事だからね。」小林秀雄
「あまり気にしませんが、試験に落とされるのはいい気持ちではありませんので
二度と申請しません。」中村光夫 95吾輩は名無しである2012/01/14(土) 16:54:22.39
推薦に力がなかったのか経済力がなかったのか名声が足りなかったのか
96N ◆.a7VUr.VD. 2012/01/14(土) 16:57:42.71
なんでだろうね、有名な文学者だったのに。愛人や隠し子がいる
っていう話が前にでてたけど、そのあたり身辺調査でもされたのか。
97吾輩は名無しである2012/01/14(土) 16:58:14.18
もうやだ、で懲りてたんだろ
98吾輩は名無しである2012/01/14(土) 23:15:01.40
>>96
かわいいこと言うねえ、愛人や隠し子がいることがマイナスなら誰もいなくなっちまうよ。
99吾輩は名無しである2012/01/15(日) 05:08:58.32
また障子チンポ老害か。
100吾輩は名無しである2012/01/15(日) 05:09:49.36
現実には、11兆円のうち、2,594億円以上が日本国民全員のはらった税から毎年かっぱらわれてる。
http://www.pref.osaka.jp/zaisei/joukyou/09sikumi1.html(2.大阪府の地方交付税の状況)平成20年度
このほかは、連中の浪費が使い込んでしまったものだ。そもそも財政支出をできない体力しかないのに、
なぜか異常なカネを民間からうばいとってぜんぶ、くだらない用途につかってしまったんだ。借金をしているんだよ、大阪は。
おまえからもおまえからも、みんなからすこしずつ搾り取ってる。どんなにはたらいても、
連中が匿名掲示板や街で児童ポルノまでまきちらして犯罪しながら、3000億ちかくを無駄にしていくのがそんなにうれしいのか? この馬鹿どもは
福島県の原発の電気は、福島県では1キロワットも使っていない。全部東京へ送っている
ヒイ 三_ _三 Y| 2chしかやることのない税金搾取の老害人
>H `・ -H - ・´|-|< 「日本人は津波をうまく利用して
`||丶_ノ丶_ノ || 我欲を1回洗い落とす必要がある。
ヒ| _ノ (_)丶_ ノノ やっぱり天罰だと思う!」「都政も石原、国政も石原」
| 〈ト ェ ェ ェ ェイ〉 |http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1300095920/
丶  ̄ ̄ // ああ金が余って余ってしょうがない!
丶`ー―― /\
/|\ ̄ ̄ / /| なにい。
/ | /トー< / |東京都は東京アホ電力の株を4286万株も保有していて年間配当25億円を受け取っている
東京か大阪から300km離れていればどこに建ててくれても構わないwww俺さえ生き残ればどうでもいい 101吾輩は名無しである2012/01/15(日) 05:10:49.98
253 名前:(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2012/01/09(月) 09:23:43.42
石原(笑)は魔古都に老害ですねぇ〜(笑)チンピラ染みて喧嘩売って文学破滅させるしかない〜(笑)
172 名前:吾輩は名無しである :2012/01/09(月) 08:39:12.21
漱石はロンドンの下宿に篭って、ナニをする相手もいなかったので、
ノイローゼになった。帰国後ナニしまくったのでキョーコ様が「房事過多」
にてご入院ということを最近の新聞で読んだ希ガス。がれかkwsk
おしえてつかーさい。鴎外については、ただただ、青春を謳歌、傑作
「舞姫」もうまれた。
322 名前:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/01/09(月) 20:17:02.49
「帰る!帰る!」(石原慎太郎の口癖)
173 名前:(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2012/01/09(月) 08:42:32.81
石原=悪
174 名前:吾輩は名無しである :2012/01/09(月) 09:14:18.96
また関西人
102村上春樹 老害虫2012/01/15(日) 05:31:08.95
/\
,ヘ、 .| \
/\ __ / | .| ヽ /\
/ / ̄\ \ / | | ヽ´ \ 氏むーーー・・・・
/ / \ \ | | /ヽ \
/ / \/ .| | | / ヽ ___\__
/ / /\ .| | _ | / ヽ/ \ ヽ
/ / | ヽ| | /._.. ヽ .| / / \ ヽ
/ | | | | /.._.. ヽ... ヽ .| / / | \ ヽ
/ | | | \ /... ...ヽ |.. )| / ./ | \|
/ | | | ヽ● ● 丿ノ |/ / | |\
/ / ノ \ /V""V"\ヽ、// | | |
./ _/ \/ \_/ ゝ | |
103吾輩は名無しである2012/02/05(日) 00:28:53.59
『虚実』入手
最初の短編読んだが……しぶいねえ
104吾輩は名無しである2013/05/03(金) 10:01:15.01
利口パン
105吾輩は名無しである2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの巣窟なんだな
>島本町は理不尽な町!島本町は不条理な町!
>島本町は非道の町!島本町は危険な町!
>島本町は不潔な町!島本町は不衛生な町!
>島本町は日本の恥!島本町は日本の迷惑!
島本町は腐った町。自浄能力はない。自浄能力のない腐った町は、外圧で叩き潰されるしかない。
106吾輩は名無しである2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN
もう30年くらい前、横須賀線で鎌倉に帰る姿を目撃した。
グリーン車じゃないのが驚きだった。
なんかもう、「端然」とした姿勢で座られていた。
ジロジロ見てて申し訳なかった。
107吾輩は名無しである2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN
中村みつを・・・だもの。
108吾輩は名無しである2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN
クソツマンネ
109吾輩は名無しである2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN
110吾輩は名無しである2016/01/26(火) 09:43:49.61
soichiro
金井美恵子の『タマや』で教養のない女詩人が古本屋で買ってきて自分の詩のタイトルにしたりもする『虚実』って本は中村光夫のだろう
2016年1月17日
書肆子午線
『子午線』4号より文芸評論家の中島一夫氏の連載が始まります。
久しく検討の埒外に置かれてきた転向問題を「政治と文学」から改めて問い直す第1回は「復讐の文学─プロレタリア文学者、中村光夫」。
復讐という「行動」の有無が文学に問われています。
中島さんの論考を拝読すると、中村光夫がここまで書いていたことに改めて驚かされます。
個人的には、文学に興味を持ち始めた頃に、手頃な入門書だと思って、中村光夫の『日本の現代小説』を読んだところ、
その前半が「プロレタリア文学」と「転向文学」に費やされいて、面食らったのを思い出しました。
2016年1月21日
111吾輩は名無しである2016/03/07(月) 00:26:47.68
KAJIO 22 時間22 時間前
中村光夫がやっぱりどうにもわからんところは、作家が自分の顔を描く私小説など文学ではない、と言い、
それを日本文学批判の基軸としていながら、批評の仕事は「作家の顔」を描くことだという小林秀雄=サント・ブーブ的理念を実践してしまうところで、これがどうにもわからんと大昔から言われている。
猫飛ニャン助
それは、当時、方法論がなかったからではないかと愚考しています。
KAJIO
んー、「方法論」があったとすれば、中村批評はつまらないものになったような気がします。言ってることとやってることが違うところが醍醐味ではないかと。
猫飛ニャン助
そのディレンマが、中村の「面白さ」かと。つまり、中村光夫は「政治的」に読むべきだというのが、私見。
なお、フランスでヌーヴェルクリティックをゲットしたハスミさんについても、ほとんど同様かと。就寝しますので、これで失礼します。
112吾輩は名無しである2016/05/10(火) 22:32:17.55
2016年05月08日
筆者特有のおとぼけなのかな?
http://plaza.rakuten.co.jp/analogjun/diary/201605080000/
で、本書に戻りますが、一応「帯」が付いています。
そこには「これは中村光夫氏が始めて体系的に論じた本格的文学論である」と書かれておりまして
(どうでもいいようなよくないようなことですが、上記の文脈では「始めて」ではなくて「初めて」が正しいのじゃないかと思うのですが)、
そして「あとがき」には筆者自身が、「『小説の歴史』と『小説の美学』とをあわせて、『私の小説論』とするのは、少し内容とずれるようですが、
今のところ僕には小説論以外にまとまった文学論は書けそうもないので、そういう意味にとってもらいたいと思います。」と、
とても素直そうな若々しそうなことが書かれてあります。
なるほど、昭和32年の本ですか。そして、中村光夫氏の若書きの本ですかと思って、しかしちらりとなにか「違和感」めいたものを感じまして、
ちょっとインターネットで調べると、この時筆者はすでに46歳ではありませんか。(おいおい。)
若書きどころが、私が読んだ『風俗小説論』も『小説入門』も『谷崎潤一郎論』も『志賀直哉論』も、
本書よりとーーっくの昔に書かれているではありませんか。これはどゆことですか? 113吾輩は名無しである2016/05/14(土) 00:22:11.03
114吾輩は名無しである2016/05/17(火) 10:43:32.24
私小説をけなす評論家の8割が恥ずかしい私小説の失敗作を書いたことがあるとの説(Raise et al, 2016)もあるが未だ検証は不十分であり、
中村光夫はケチつけたくせに晩年に激ウマ私小説を書いたことで知られている(しばく)
2016/05/17
115吾輩は名無しである2016/05/20(金) 10:30:06.58
東京新聞(資料種別 新聞(マイクロ) [マイクロ資料]. 請求記号 YB-15 )に掲載されている
広津和郎の『カミュの「異邦人」』、中村光夫の『広津氏の「異邦人」論について』の掲載確認をお願いします。
昭和26年6月11日から3日間にわたり、広津和郎の『カミュの「異邦人」』が掲載され、
昭和26年7月21日から3日間にわたり、中村光夫の『広津氏の「異邦人」論について』が掲載されたとのことです。
しかし、当館で調査したところ、広津和郎の『カミュの「異邦人」』は昭和26年6月12日号から14日号のようです。
(雑誌『世界』350号 1975年1月の『異邦人』論争 p.309にて確認。)
当館所蔵の『東京新聞』の紙面を調査したところ、ご照会の記事が見つかりましたので、以下に書誌事項と掲載箇所をお知らせします。
当館請求記号:YB-15
新聞タイトル:東京新聞
資料形態:マイクロフィルム
掲載日・掲載箇所・記事見出し:
1951(昭和26)年6月12日・4面
広津和郎「カミュの「異邦人」(上) 神経に引っかゝるもの」
1951(昭和26)年6月13日・4面
広津和郎「カミュの「異邦人」(中) まき散らしたパヅルの鍵」
1951(昭和26)年6月14日・4面
広津和郎「カミュの「異邦人」(下) 末期の神経衰弱的現象」
1951(昭和26)年7月21日・4面
中村光夫「広津和郎氏の「異邦人」論について(上) 検事の方が優れている」
1951(昭和26)年7月22日・4面
中村光夫「広津和郎氏の「異邦人」論について(中) "後味の悪い"不快の根源」
1951(昭和26)年7月23日・4面
中村光夫「広津和郎氏の「異邦人」論について(下) 告白の虚実ということ」
なお複写は、1記事ごとに1件ずつお申し込みください。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000192393 116吾輩は名無しである2016/05/22(日) 20:34:06.29
「質問の時間など設けて見ても、発言するのは馬鹿か出しゃばりばかりで、時間の浪費にすぎないことが多い」
中村光夫「ある愛 」
117吾輩は名無しである2016/05/27(金) 16:37:14.81
118吾輩は名無しである2016/06/02(木) 18:55:00.47
『明治大学文人物語−屹立する「個」の系譜』
吉田悦志著
四六判・上製・292ページ・本体3,200円+税
ISBN 978-4-906811-18-2
2016年5月刊行
創立者・教員文学者・卒業生など、明治大学ゆかりの人物たちの歩みと思想をたどり、
その特徴を「日本海地域の精神文化」と喝破する好著が誕生。
第1部では、岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操、磯部四郎、杉村虎一ら、明治大学創立者の理念と動向を、
第2部では、ついに実現しなかった「明治文学会」の経緯を追って、
上田敏、夏目漱石、内海月杖、登張竹風、そして笹川臨風といった文学者たちを、
第3部では、卒業生の活躍として、平出修、尾佐竹猛、子母澤寛を、
そして第4部では著者が直接薫陶を受けた中村光夫、平野謙といった批評家たちを論じる。
みにゅい
『子午線』4号掲載の中島一夫の中村光夫論と稲川方人のインタビューを、読み終える。
自分は日本文学もフランス文学もラテンアメリカ文学も言語学もみんな知りたいと思い、
結局どれ一つとして分からないまま年齢だけ重ねてしまった。
2017年2月2日
Max Kimpara
河上徹太郎にも詳しくないが、中村光夫「今はむかし」で、河上が後期「文學界」編集主力であり、
(以下は私の言葉だが)1930年代後半からの統制(統整経済)的な機運・潮流を象徴する存在だったとある。
「文学的人性論」(1941年)所収、婦人向け新約聖書随筆でユダを扱っており、興趣あり。
8 Feb 2017
鎖骨
小林秀雄に比べ、中村光夫は馬鹿にされがちな批評家だ。
しかし前田愛、野口武彦、小森陽一といった大家をはじめ、後年の文学研究者は大なり小なり中村的論調に侵食されているように思う。
外部的他者との遭遇が重要だ!という論調になる時、私達は中村に取り憑かれている。
10 Feb 2017
中世 (小説)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
臼井吉見は1946年(昭和21年)当時、雑誌『展望』を主宰していたが、
無名の帝大生の三島由紀夫が『中世』をはじめ8編の小説を持ち込んだときのことを述懐している。
臼井がその原稿を読んで、「自分の肌には合わないんですよ、決して好きじゃないんだけれども、とにかく一種の天才だ」と言うと、
顧問の中村光夫から、「とんでもない、マイナス150点(120点とも)だ」と叱咤されため、『中世』を「没」にしてしまったという。
その後、三島が『金閣寺』などを発表すると中村光夫は三島贔屓となり、臼井の言でいう「三島のPTA会長」のようになるが、
当時はまだ三島を全く認めていなかった。そんな傾向の中、川端康成だけは三島の『中世』を評価していたため、
本多秋五は、「川端康成は、さすがに新人発見の名人だけのことが、どこかあったのである」と述べている。
『四畳半襖の下張り』わいせつ裁判とは何だったのか?単なる過去か?(5)
http://maho2008.diarynote.jp/201701292112532434/
1974年6月6日の第8回公判では、吉田精一氏と中村光夫氏が証言した。
次が中村光夫証人だが、永井荷風の文学的位置づけに始まり『四畳半襖の下張り』の感想を述べる。その中に、
「・・・興に乗りすぎてしまって、(男の)セルフコントロールばかり書いていて、
ぼくの言葉でいえばコミュニケーションが(主人公の男女の)二人の間にない、
そいういう行きすぎまで含めて、これは荷風のものじゃないかと、そんなふうに思うんです。」 鎌倉アカデミア 青の時代 ある「自由大学」の記録
2017年5月20日
「新しい日本を担う若者を育成する」という理念のもと、終戦間もない1946年5月、
戦火を免れた鎌倉・材木座の光明寺を仮校舎として開校した鎌倉アカデミア。
校長の三枝博音をはじめ、林達夫、服部之總、吉野秀雄、高見順、中村光夫、村山知義など
数多くの著名な学者・文化人が教鞭をとり、「教師と学生とが相互に鍛え合い、各自の個性を創造する学園」を目指したが、
激動する時代の波に翻弄され、わずか4年半でその歴史に幕を下ろしてしまう。
しかしその学び舎からは、いずみたく、山口瞳、前田武彦、高松英郎、沼田陽一、廣澤榮といった多彩な人材が巣立ち、
やがて彼らは、高度成長時代を迎えた日本で、芸術や文化を牽引する存在となっていった。
鎌倉アカデミアはいかにして生まれ、いかにして滅び去ったのか。そしてその精神は、現在どのように生き続けているのか?
20人に及ぶ関係者の証言と再現映像、歴史的資料などから、自由大学・鎌倉アカデミアの真実の姿が明らかになる。
監督は『火星のわが家』『影たちの祭り』の大嶋拓。(作品資料より)
おそらくひとりの人間の生涯にも、彼が後に実現し得たより、
はるかに多くの可能性を孕んで生きる青春の一時期があるように、
時代精神の巨大な流れの中にも、
やがて歴史の必然によって刈りとられる
幾多の不運な芽が並んで萌え育つ青春期が何十年に一度かずつはめぐってくるのです。
我国の明治文学で、もっともその名に値する時期は、
漱石が「猫」を発表した明治三十八年から、花袋の「蒲団」までの二年あまりであったと思われます。
青春がおのおのの個人にとって、悔恨と哀惜の対象になるのは、
そこで実現の機を見出せなかった幾多の生への可能性によるのであるとすれば、
僕等はすでに人間の生涯に近い時間を経過した我国の近代文学史の或るモメントに対して、
真剣な悔恨の情を抱くべきではないでしょうか。
青春は、必然に過渡の時代です。この性格は殊に我国のような時代の流れの慌しい近代には、はっきり現われます。
過渡期は、古いものと新しいものの並び存するときであり、そのいずれもが完成と円熟から遠く距った時期です。
『風俗小説論』
The French Influence in Modern Japan Literature was published in Japan Quarterly
(Vol.7 No1 P57-65, published by Asahi Shimbun Company, 1960 ).
NAKAMURA Mitsuo